ホテルのロビー
ロビーでは、新たなインド人の客を、客室へ案内してきた協会長が待っていた。謝るゴパルである。
「すいません。お待たせしました」
「いえいえ。私も仕事を一つ終えたばかりですので、お気遣いなく」
ゴパルが、垂れ気味の黒褐色の瞳を細めた。
「首都からの荷物ですが、無事に届いていました。良かったです」
協会長が、ホテルのスタッフに何かの指示を飛ばしてから、一重まぶたの黒い瞳でゴパルに視線を向けた。
「運送会社は、別の業者に変更した方が良いでしょうね。よろしければ、後で私達が利用している運送会社のリストを、お渡ししましょうか?」
ゴパルが短い黒髪をかいた。癖が無い髪なので、雨に濡れた後でタオルで拭いただけだと、張りが足らなくてペッタリとしたままだ。
ホテルのスタッフから、熱々のチヤを受け取る。シナモンの香りがするチヤだ。コップも曇ったガラスコップではなく、まともな陶器製のティーカップである。
「助かります。さすが観光地ですね。運送会社もホテル専属があるのですか。そう言えば、空港でも中国とインドが宣伝していました」
協会長が、白髪交じりの整った短い眉を軽く上下させる。彼も同じチヤを、スタッフから受け取った。
「宣伝も、ここポカラでは、あまり当てにできないのですよ。高さ八千メートルの巨大な壁の麓ですからね。この壁に、インド洋発のモンスーンが衝突する地形です」
協会長の表情が少し曇り、チヤを一口すすった。
「ですので、天候の急変が、よく起きますね。油断していると、悪天候で飛行機が飛ばなくなりますし、道路も土砂崩れで不通になってしまいます」
確かにその通りだ。ゴパルもチヤをすすりながら、素直にうなずいた。このチヤには、ショウガも少し加えているようだ。
「そう言えばポカラは、ネパール屈指の、降水量が多い街でしたね。雨期の洪水や土砂崩れは大変でしょう。道路が不通になる事は、実際に多いのですか?」
協会長が、チヤをすすりながら軽く両目を閉じた。
「そうですね。ストライキ等による、人為的な道路封鎖もよく起きますしね。ホテル業は、なかなか厳しいのが現状です。インドとは、これまでに何度も国境閉鎖が起きていますし」
ゴパルのような研究職の耳にも、その話はよく届く。大学にも学生会があり、政治的な運動を活発に行っている。そのため、学生を通じて、国境の状況も伝え聞いているのだ。普段は、ゴパルは研究に集中しているので、そのような政治的な動きには全く無頓着なのだが。
協会長が、ホテルの名称を記したプラカードを、ちらりと見た。隣には、空港で使用した、ゴパルの名前を記したボードが、立てかけてあった。
「ポカラ空港は昔、普通の国内空港でした。ですので、首都で大規模なストライキが起きると、その影響で国内便を使う客も減っていました。今は、国際空港化しましたので、かなり状況が好転していますね」
ゴパルが興味深く聞いている。
「なるほど、そうですか。ネパール国内では、他にも国際空港を建設中ですし、今後は、さらに便利になりそうですね。私のような研究職でも、国際物流のお世話になっています。生きている菌を扱いますので、ストライキになると、大いに困るのですよ」