ルネサンスホテル
ポカラのダムサイドにある、ルネサンスホテルへ到着したのは、正午前だった。ゴパルがオレンジ色のバイクの荷台から降りて、カルパナに合掌して礼を述べた。ヘルメットも返す。
「お忙しい中、私の観光に付き合ってくださって、ありがとうございました。情報をたくさん収集できて、有益で楽しかったですよ」
カルパナがヘルメットのサンバイザーを上げて、穏やかな視線をゴパルに向けた。
「楽しめたようで、良かったです。サビーナさんのレストランは会員制です。お部屋で着替えた方が良いですよ」
ゴパルが、自身の服装を見下ろした。確かに、農場巡回用の服装では、レストランに入るのは避けるべきだろう。
「そうですね。他に客も居るでしょうし。あ、ネクタイを持ってきていないな」
カルパナが微笑んで、バイクに乗りエンジンをかけた。排気音が心地よい音を立てる。
「ネクタイは、ラビン協会長さんから借りると良いですよ。では、私はこれで失礼しますね。あ、サビちゃん、後はよろしくね」
ちょうどサビーナが、コックコートと呼ばれる、白い長袖、長ズボン、大きなエプロンの三セットの調理服を着て、ホテルの外に出てきた。先程まで調理作業をしていたのだろうか、白いコックコートが、あちらこちら汚れている。
自ら調理をしているようで、黒い防水仕様の合成皮革製の靴を履いている。コックシューズと呼ばれる、専用の作業靴だ。ブーツや長靴よりも、履きやすくて疲れにくい。
ちなみに、コック帽も被っているのだが、これは見栄え無視の地味なものだ。髪をすっぽりと覆って包み込むタイプのもので、食品工場の作業員が着用している帽子に近い。両手にも、使い捨て型の薄手のゴム手袋をしている。
そのサビーナがドヤ顔で、ニンマリと微笑んで答えた。
「ネクタイは用意してるわよ。カルちゃんが、ゴパル君に色々食べさせていると思うから、前菜はごく簡単にしているわ。その後、トマトソースのパスタと、子鳩料理を用意してる」
そう言って、サビーナがゴパルにネクタイを手渡した。鳩料理と聞いて、きょとんとするゴパルである。
「初めて食べる鳥です。海外の会議の懇親会では、ひたすら鶏肉ですし」
ヒンズー教徒とイスラム教徒の学者が多いので、牛や豚は排除される。そのために、ハラル認証を受けた鶏や羊、山羊になりがちだ。他には卵や魚料理になる。まあ、いつもカバブと呼ばれる串焼き料理や、タンドール釜で焼いた肉料理になるのだが。もちろん、どれもこれも香辛料たっぷりである。
カルパナが、サビーナと視線を交わして微笑んだ。
「今回は遠くて行けませんでしたが、ポカラ盆地の東端に、大きな養鶏場があります。肉だけでなくて、卵も生産しています。そこで、小規模ですが鳩を飼育していますよ。ですので、地元産の鳩ですね。ここも悪臭で困っているのですが、今回は訪問する時間がありませんでした」
サビーナが、ゴパルに軽く謝った。
「ラビン協会長さんだけでなくて、常連客のアバヤ医師も参加してるのよ。ごめんなさいね。あの爺さん、ウンチク話が長いから、適当に聞いてちょうだい。あんまり長かったら、追い出すから安心して」
ゴパルが、ニッコリと笑った。
「私の上官の、クシュ教授がウンチク大好きですので、慣れていますよ。お構いなく。しかし、予想したよりも、本格的な料理になりそうですね。ピザや、パスタだけかと思っていました」
サビーナが、再びドヤ顔になった。目尻が上がった黒褐色の瞳が、キラリと光る。
「ゴパル君を、会員に強制加入させるための食事会ですからね。もう、逃げられないから、覚悟しなさい。そうそう、ゴパル君は熟成チーズは好きかしら? 好みがあれば聞くわよ」
ゴパルが目を閉じて、への字口になった。
「うーん……実は、熟成チーズを食べた経験が、それほど無いのですよ。食品用の微生物を扱っているのに、申し訳ありません。ですので、初心者向けに、いくつか出してくださると嬉しいです」
サビーナが、軽く肩をすくめた。
「……インド圏じゃ、熟成チーズを食べる習慣は無いものね。じゃあ、二種類ほど軽い風味のチーズを用意するわ。その後、果物のシャーベットで口直しして、エスプレッソで終了で良いかしら?」
ゴパルが目を点にして了解した。
「ハイ。でもそれって、フルコースじゃないですか」
カルパナがゴパルに微笑みかけた。
「お腹いっぱいになって、首都へお戻りくださいな。では、私はこれで。じゃあね、サビちゃん」




