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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
氷河には氷があるよね編
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ジヌー温泉

 また雨が降り出すかもしれないので、宿で傘を借りる。今も黒いビニール傘が多いのだが、最近は透明のビニール傘が普及している。今回は、この透明の傘を持って行くゴパルだ。

 この時代では、ビニールだけでなく、傘のフレームまでもが、生分解性プラスチック製に置き換わってきている。そのため、使い捨てである。

 予想通り、森の中の泥道を歩いていくという話だったので、軽登山靴で向かう。森の中という話でもあるので、ヒル対策を足に施す。

 宿から借りた金属製のボウルに、靴下とバスタオルを入れる。

 ネパールでは日本と違って、裸での入浴はしない。白い巻きスカートである、ルンギを巻いての沐浴という形だ。ゴパルもその姿である。長袖シャツを着ているので、これから温泉へ向かうとは思えない服装だ。


 民宿に頼んで、国産ラム酒の小瓶にシコクビエの焼酎を入れ、手の平サイズのタッパに鶏チリを入れてもらった。それをボウルの中に入れる。ティースプーンも忘れずに入れている。

 アルジュンがニヤニヤしながら、ゴパルを見送った。

「ゴパル先生。酔っぱらって、露天風呂の中で溺れないでくだせえよ。今の時期は、温泉に浸かる人が少ないすからね」

 まあ、確かに泥道を歩いて、ヒルの攻撃を避けながら、温泉へ酒を持ち込むような、奇特な観光客は少ないのだろう。

 ゴパルも、それは了解している様子で、軽く頭をかいた。

「気をつけます」


 アルジュンに教えられた通りに道を進むと、温泉への立て看板があった。本当に、すぐそこにあるようだ。

 石畳の道は、民宿街の中だけで、街から出るとすぐに泥道になった。モディ川の支流に入り、そのまま川沿いの泥道を歩く。

「この沢は、ガンドルンとチョムロンの間を流れているのか。上流では、細い沢だったんだけどなあ」

 支流は、意外に激しい流れだった。二抱え以上もある、丸く削られた大岩を、水が噛みながら流れている。沢の音が狭い谷に響いていて、荘厳だ。

 沢の両岸には、樹高十メートルにも達するような、立派な広葉樹の森がある。しかし、森は谷沿いにしか残っておらず、急峻な荒れ地の斜面が、はるか上まで続いていた。雨雲も薄くなっていて、かなり標高の高い場所まで、谷から見通す事ができる。

 細竹は、もう生えておらず、代わりに雑木林が茂っている。おかげで、森の中の道へ入ってからは、視界が悪くなってしまった。支流も木々に遮られてよく見えない。

 当然、吸血ヒルも現れるので、時々、顔や首筋等を手鏡で見る。

「この辺りは、家畜の放牧が盛んみたいだしね。ヒルも多くなるか」


 牛乳の需要が、外国人観光客を中心としてある上に、山羊肉の需要も、年間を通じて高い。

 この辺りには、配合飼料や栄養補助剤といったものを使わない農家が多いので、草だけを食べて育つ家畜になる。必然的に、吸血ヒルに遭遇する確率が上がる。

 牛乳の場合はタンパク質が少なくなるので、さっぱりした風味になる。

 山羊肉の場合は、草のエサ特有の臭みが際立つ。これは、雄山羊を去勢した場合でも強く残るものだ。


 森の中を五分間ほど歩くと、ちょっとした河原に出た。モディ川の支流が、すぐそばを、音を立てて流れている。ゴパルの垂れ目がキラリと輝いた。

「お。ここだね」

 露天風呂は、河原の一角を掘って、石垣を積んで湯船にしたものだった。アルジュンが言った通り、誰も客が居ない。ゴパルの貸し切り状態だ。

 石垣の上に、ボウルを置いて、軽登山靴を脱いで裸足になる。チョイと足先を風呂の中に突っ込んでみる。ゴパルの頬が緩んだ。

「良い湯加減だね」


 露天風呂は一つだけで、あまり大きなサイズでは無かった。縦四メートル、横二メートルくらいか。白い巻きスカートのルンギのままで湯の中へ入ると、水深は一メートル程度であった。

 長袖シャツを脱いで、ボウルの上に置く。とりあえず、雨除けに透明ビニールの傘をかけておく。

 肩まで浸かって、大きく息を吐くゴパルだ。湯の温度は四十度も無いのだが、それでも温泉である事には違いが無い。一応は湯気も出ている。

「う~……温まるなあ」


 湯を両手ですくって頭にかける。透明な湯で、硫黄臭もしない。

 ふと、風呂の仕組みが知りたくなったのか、石垣のあちらこちらを調べ始めた。ほどなくして、納得した様子である。

 湯は石垣の底から、黒いパイプを伝って噴き出ていた。石垣は隙間だらけなので、そのまま河原へ流れ出ている。一種の、かけ流し温泉だ。

 風呂の中で足を伸ばして寛いでいたが、酒とツマミを持って来た事を思い出したようだ。ボウルの中をゴソゴソ探って取り出した。そのまま、石垣の上に置く。


挿絵(By みてみん)


 タッパに入った鶏チリにティースプーンを差し込み、国産ラム酒の小瓶を開ける。コップは持ってきていなかったので、そのままラッパ飲みするゴパルだ。中身はラム酒ではなく、焼酎だが。


「おっと。あんまり一気に飲むと、ツマミが余ってしまう」

 小瓶は手の平サイズなので、ビールのような勢いで飲んでしまうと、あっという間に飲み終わってしまう。

 鶏チリをスプーンで取って食べて、垂れ目を細めた。

「美味いな」

 鶏は普通のブロイラーだったが、露天風呂の雰囲気がもたらす効果だろうか。結構うまい。

 調子に乗ってパクパクと食べてしまい、ものの数分でツマミと酒が終わってしまった。

「次回は、もっと量を多目にしてもらおう」


 早くも酔いが回り始めたのを感じつつ、周囲を見渡してみる。狭い谷には、支流が流れる音が響き、緑の木々が谷を覆うように伸びている。雨雲は、さらに薄くなり、空も明るくなってきていた。

「本当に、旅程が三日ほどずれていれば良かったな」

 もう八月に入ったので、雨期も次第に弱まっていく。今後は、大雨の心配は減るだろう。

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