セヌワへ
この時期は観光シーズンなので、カルナがスマホを使ってあちこちに電話したりチャットしたりしていた。
ラメシュが申し訳なさそうに謝る。
「忙しい時期なのにすいません、カルナさん。後はゴパルさんに任せますね」
ようやく起きたゴパルが、民宿ナングロの前庭にあるベンチに座ったままで、ヘロヘロと力なく手を振った。
「ガンバリマス……」
なお、ゴパルに酒を飲ませた張本人達は、さっさと逃げている。
カルナがジト目のままで小さくため息をついた。
「ラメシュ先生が目指している博士号を、こんな泥酔男が持ってると思うと嫌になるわね」
苦笑するしかないラメシュだ。
「では、カルナさん。セヌワへ下りましょうか。そろそろシイタケのほだ木を、収穫用に組み替える時期かと。ゴパルさんは歩ける状態ではありませんし、私が行きますよ」
カルナが嬉しそうな表情にコロッと変わった。
「そう? だったら、民宿の部屋の鍵を返しておこうかな。今から下りれば、夕方までには着くわね」
ゴパルが感心して聞いている。
「ほえー……さっき登ってきたばかりじゃないですか。凄い体力ですね」
フフンと鼻で笑うカルナだ。
「グルン族を甘く見ない事ね、ゴパル先生」
ラメシュが急いで下山の準備を終えて、小走りで低温蔵へ戻ってきた。カルナはリュックサックを担いで、ゴパルと一緒にカロチヤをすすっている。カロチヤは砂糖だけ入れた紅茶だ。ここでは小ジョッキで飲んでいる。
アルビンからカロチヤを受け取ったラメシュが、ゴパルに念を押した。
「ゴパルさん。日本酒とどぶろくを仕込んでいる最中ですので、くれぐれも深酒をしないでくださいね。それと、古代酒の方もよろしくお願いします」
適当な敬礼をするゴパルだ。
「ハワス、ガンバリマス」
カロチヤを一気飲みしたラメシュが、カルナに微笑んだ。
「お待たせしました。ではセヌワへ下りましょうか」
嬉しそうにうなずくカルナである。
「うん、そうしましょ」
今の時期は西暦太陽暦の十月第一週にあたる。観光シーズン真っ盛りで、登山道には多くの外国人観光客の姿が見える。
カルナが軽快に登山道を下りながら、ラメシュに話しかけてきた。
「ネパール人も増えてきてるかな。ダサイン大祭で食べ過ぎて太った人が多いから、すぐに分かるのよね」
インド人は政府がダサイン大祭を禁止している所が多いので、普通に太っているだけだ。急に太ると衣服との違和感が生じるので、すぐに分かるらしい。
一方のラメシュは、カルナの足取りに追いつくだけで精一杯の様子である。カルナは山岳マラソンをしているような速度で下山していくので、息が上がるのは仕方がない。
「そ……そうなんですね。はあはあ……いつもこんな速さで下山しているんですか?」
カルナが速度を落として少し考え込んだ。
「いつもではないかな。ゴパル先生やラメシュ先生と歩いた時は、ゆっくりだったでしょ」
そう言われてみれば、確かにそうだった。
(という事は、これまでは手加減してくれていたのかな。私の体力が向上して、ついていけるようになるまで待っていてくれた……という事か)
カルナがクスリと笑った。
「私も強力隊には負けるけどね。サンディプとか、重い荷物を担いでサンダル履きで駆け下りていくから。私は軽登山靴じゃないと、ちょっと無理」
途中のヒンクの洞窟内にある茶店でチヤ休憩と軽食を摂ってから、一気にセヌワへ下りていく。この茶店から先は急な傾斜の登山道になるのだが、カルナの足取りは変わらない。冷や汗をかきながら必死でついていくラメシュである。
(ひええ……1800メートルの標高差を一気に駆け下りるのか。王政時代のグルカ兵の強さが、何となく分かったような気がする。膝と足首を痛めないように気をつけないと)
結局、途中でラメシュが疲れてしまったので、下山速度はいつも通りになった。
そのため、セヌワに到着したのは夕方になってからだった。民宿のニッキがニヤニヤ笑いをしながら、カルナとラメシュにチヤとビスケットを手渡す。セヌワには集落があって牛を飼っているので、カロチヤではなくなる。
「地元民に途中までついてこれただけでもチャイ、大したものだナ。一息ついてくれや」
カルナが心配そうな表情でラメシュを気に掛けてきた。チヤをすすりながらだが。
「足とか痛めていない?」
チヤをすすって、ほっとした表情になったラメシュが、両足をパタパタ振った。
「特に痛めている場所はなさそうです。私も結構体力がついてきているんですね、我ながら驚きました」
そう言ってから、スマホを取り出して時刻を確認する。
「おお……まだ日没までには余裕がありますね。カルナさんが引っ張ってきてくれたおかげです。それでは明るい内に、ほだ木の組み替え作業を済ませてしまいましょうか」
ニッコリと笑うカルナだ。
「そうね」




