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鐘が鳴る度、狗が啼く  作者: 天嶺 優香
一、魔姫は砦に
8/13

神と名乗る男 三

 ウリアはふくよかな白い手に懐中時計を持ち、蓋をかちりと開けて中を確認する。 

「九時二分になります」 

「随分と起床時間が遅いんだな」

 こんなにも日が差すのだから朝と言ってももうそれなりの時間なのだろうと思ってはいたが、なんだか昔の生活が少し懐かしい心地になるという奇妙な感覚に捕らわれた。

 懐かしむほどの記憶などではない。朝、といってもまだ日も出ない深夜のうちにナシェルは起き、それで起きられなければ母がバケツ一杯の水を浴びせてくるというものだ。

 それを懐かしく感じるなんて、ここに来てまだ一日目だというのに、余程安心しているのか、とナシェルはこの奇妙な感覚に首を傾げたくなる。

「ええ、旦那様ものんびりした方ですので起床は九時からになっています。ふふ、今日から楽しく過ごしましょうね。さあさあ、まずは朝食です!」

 ウリアは懐中時計をポケットに突っ込み、勢い良く拳を握った。

「えっ? あ、うん」

 ウリアの勢いにおされながら、ナシェルはそろそろとベッドから出た。床には相変わらず様々な時計がカチカチと小さな音を刻みながら動いている。それを素足で踏みしめると、ひやりとした木材の床の感触がした。

「寒っ」

 腕を擦り、自分の着ている服を見て納得した。白い薄手のワンピースだけだ。これでは寒いはず。

「朝方は冷えるんだな」

「ええ、もうすぐ冬ですからね」

 ウリアはそう言ってナシェルにふかふかのスリッパを差し出した。

「何か上に羽織る物が必要ですね」

 うーん、とウリアは唸り、ナシェルの部屋の引き出しを漁り、毛布を取り出した。

それをぱさりとナシェルの肩にかけて、手を差し出す。

「さあ、行きましょう。寒いですけど、少しご辛抱下さいね」

 優しく温かいその表情は、ナシェルにはまだ眩しくて、目を細めた。


    ***


 何というか、ここの家の食卓は実に豪華だ。

 色とりどりの料理達に目を丸くさせ、思わずナシェルはテーブルの前で立ち止まった。

「さあ、お座り下さいな」

 ウリアはそう言ってナシェルの為に椅子を引く。勧められるまま腰掛け、向かいに座る父親(ドナ)のクロノスを見た。

「おはよう、ナシェル」

「……おはよう」

「んまあっ!」

 すると、ナシェルの隣に立っていたウリアが声をあげた。驚いてウリアを見れば、彼女はおっとりと少し紅潮した頬に手をあて、こちらに笑顔を向ける。

「わたくしったら朝の挨拶をすっかり忘れていました。おはようございます、お嬢様」

「お……おはよう、ウリア」

 見上げて挨拶を返せば、ウリアは更に頬を染めた。

「まあまあ、何て可愛らしくおっしゃるのでしょう」

「私の自慢の娘だからね」

「幸福者ですね、旦那様」

 会話にどうついていけばいいかわからないナシェルをよそに、二人は会話を進めていく。こんな風に誉められた事がなくて、どうにも慣れなくてナシェルはきゅっと眉を寄せた。

 すると、それを目ざとく見つけたウリアが不安そうにクロノスに尋ねる。

「あら、ご機嫌ななめになられました?」

「いや、違うよウリア。ナシェルは照れているんだ」

 うぐ、と反論できずにナシェルは更に眉間を寄せる。表情は不機嫌そのものなのに、なぜ照れているとこの男にはわかってしまうのか。やはり自称・神だからか。

「まあ、仕草まで愛らしいのですね!」

「そうだね、ウリア。さあ食事にしよう。そろそろ食べないと冷めてしまうからね」

 ようやくこのむずむずする会話を終えてくれるらしい。ナシェルはほっと息を吐き、長めの前髪を指で払いながら朝食にありつく。

「んー……。ねえ、ナシェル」

 ふと、クロノスが自分に視線を向けてきた。

「その前髪、邪魔じゃないかい?」

 そう尋ねられ、ナシェルは大きく首を振る。それを見たクロノスは苦笑して、丁度飲み物を運んできたウリアを呼んだ。

「ちょっとハサミを持ってきてくれ」

 ウリアは短く返事をして、すぐにハサミを持ってクロノスに手渡した。

 それを見たナシェルは思わず立ち上がる。嫌な予感が全身を駆け巡る。

「ナシェル、前髪を切ろう。私は君の可愛い顔が見たいよ」

「い、嫌だっ!」

 ナシェルは後ろへ飛び退いた。両手で前髪を押さえ、ぶんぶんと思い切り首を振る。

「私は邪魔じゃない! このままが良い!」

ナシェルが吠えると、クロノスは困った様に眉尻を下げた。

「おいで、ナシェル」

「い、や、だ!!」

「私はナシェルの顔を見たいな。娘にそう願う父親は可笑しいかい?」

 ナシェルは口ごもった。

 クロノスの真剣な目に思わず目を反らす。ウリアにしても、クロノスにしても、なぜこうも優しさを持って接してくれるのか。

「……別に、顔が見えなくても良いじゃないか」

 どうせ眉の動きがわかるほどなのだから。そこまではっきり顔をさらけ出せるほど、ナシェルは強くない。

「別に君がどんなに酷く醜い顔をしていても気にしないよ?」

 ゆっくりと近づいてくるクロノスに、ナシェルは一方後ずさった。

「怖がらないでいいんだよ、ナシェル」

 そっと手を伸ばして頬を撫でてくるクロノスにナシェルはびくりと肩を揺らした。

「いいね、切るよ?」

 しゃきん、しゃきんと軽やかな音を立てて漆黒の黒毛が床に落ちていく。

 ナシェルはぎゅっと目を閉じて耐える。

 やがて髪を切る音がやみ、それでもまだナシェルは目を開けられず頑なに閉じる。

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