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鐘が鳴る度、狗が啼く  作者: 天嶺 優香
一、魔姫は砦に
6/13

神と名乗る男 一

 ちくたく。ちくたく。

 時計の刻む軽やかな音がやけに耳に響く。音は一つかと思ったら、どうやら複数あるようで、あちこちから聞こえてくる。

 ゆっくりと目を開けてみると、木製の天井が目に入った。

──家?

 一体誰の家だろう。

 体を起こして辺りを見渡し、思わず眉をひそめた。明らかに普通の家とは違っていたのだ。

 床にも壁にも、家のあちこちにそれぞれ違う時を刻む時計が散らばっている。

 自分が横たわっていたベッドから足を出して、床にある時計をそっとつついて見るが、木の感触しかしなかった。

「何なんだ、これは……」

 一人で呟くと、意外にも返事が返ってきた。

「みゃあ」

「え? うわっ!」

 横を見ると、いつの間にか黒猫がベッドに座ってこちらを見上げていた。驚いて身を退くと同時に背後の扉が開いた。 

「起きたのかい? 朝食にするからちょっと待っていなさい」

「みゃあ」

 ドアからひょっこり顔を出した濃い灰色の長髪を持った人物に、思わず口元を引きつらせてしまうほど見覚えがある。

 しかし、そんなナシェルの動揺をよそに、娘にならないかという考えるのも阿保らしい提案をした自称・神は、微妙に音程の外れた鼻歌を陽気に歌いながらドアを閉めた。


    ***


 テーブルには豪華な料理がたくさん並んでいた。サラダにスープ、鶏肉の料理からフルーツまで。今まで質素な料理しか見た事がなかったせいか、テーブルの前で硬直してしまった。

「早く席にかけなさい。朝食にしよう」

 優しくそう言われ、ぎこちなく椅子に腰かけた。

「ルーアン、おいで」

 ルーアンと呼ばれた黒猫は小さく鳴いて呼んだ主の膝元へ身軽に飛び乗った。

「よしよし、良い子だね」

 ルーアンの頭を満足そうに撫でる男に、ナシェルはおずおずと尋ねた。

「……私はどうしてここに?」

「君が倒れていたから私が助けたんだよ」

 至極当たり前のように、にこやかにそう言った。色々引っ掛かりはするが、どうやら助けられたのは確かなのでナシェルはぺこりと頭を下げる。

「ありがとう」

「いや、礼はいらないよ。神として当然の働きをしたまでだからね」

 この会話についていくには、自分の気持ちが落ち着いてからでないと無理だ。ナシェルはひとまず頷いておく。

「しかし、君のお兄さんはあんなに可愛がられているのに。凄い差だね」

 兄、という言葉にぴくりと反応する。

 こいつは兄を知っている。そう判断すると、ナシェルは勢いよく立ち上がり、一目散に出口に向かって駆ける。

「ナシェル!?」

 驚く男の声が聞こえたが、振り返ることも立ち止まる事もしない。とりあえず出口を探すが、これが中々見つからない。

 ようやく一つの分厚いドアを見つけ、思いきりドアノブを引っ張るが、鍵がかかっていた。焦りながら視線をめぐらせば、窓があった。

──ここだ!

 窓の鍵を外して、勢いよく開けて身を乗りだし――た所で誰かに強く腕を捕まれた。

「ちょっと待ちなさいって!」

 見れば男がぐたっと疲れた様子で自分の腕を掴んでいた。

「別に君に危害を加える訳じゃないから」

 そう言われ、ナシェルはしぶしぶ窓から離れた。

「いいかい? 君のお兄さんがいくら優秀で人気者だろうと、私には関係ない。私は君の味方なんだよ」

 しっかり両手を捕まれ、不思議な濃い灰色の瞳が真剣な眼差しを向けてくる。

「……本当に?」

「本当に」

 その言葉にナシェルはようやく安堵し、その場にぺたりと座り込んでしまった。

 男がそばにしゃがみこむ。

「まずは朝食を食べながらゆっくり詳しく事情を聞かせてほしい。いいね?」

 こくりと頷くと、立ち上がった男が手を差し出す。その手が何を求めているのかわからなくて、思わず見つめたまま硬直する。

「どうかしたのかい?」

「手を差し出されたのは初めてだ。これは……なにか差し出せということか?」

 おずおずと聞くナシェルに、彼は思わずといった様子で苦笑した後、ためらいもなくナシェルの手を握った。

 母も兄も、自分に触れてくる事はほとんどなかった。こんな風に優しく手を握られたのは生まれて初めてだ。

「差し出されたら握るものだよ」

「……うん」

 何だか照れ臭くてナシェルは俯く。

 そして歩き出す彼に引っ張られ、料理が並んだテーブルの椅子へと案内された。

「さあ、座って。今度は逃げないでくれよ?」

 言われて向かいの席にナシェルは座ると、ちらりと並んだ料理を盗み見る。それを見て男は苦笑した。

「そうだね。お腹もすいた事だし、食事をしながら話そう」

 そう言うな否や、彼は小さな皿に何種類かの料理をとり、それをナシェルに渡した。

 ごくりと唾を飲み込む。

「遠慮せずにお食べ」

「……何も礼ができない」

「お礼か。そうだね、じゃあ君が私の娘になるっていうのはどうだい?」

「……まだそれを言っているのか」

 驚きを通り越して呆れてしまう。なぜこんな娘をそこまで欲しがるのだろうか。

「ああ、そんなに警戒しないで。丁度娘が欲しかったんだよ。君はどうやら帰る所がないようだし。……どう? 悪い話じゃないと思うのだけど」

「……それは礼になるのか?」

 どう考えてもならない気がする。


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