闇色に駆ける 一
2009年より連載していたものの改稿版になります。今度こそ完結目指す!ゆっくり更新になります。
闇色に塗りつぶされた一面を、一つの足音が踏みつけて、駆ける。
とても軽やかとは言い難く、荒い呼吸を繰り返し、ただ必死に脇に抱えたものを守った。壁にぶつかり、路地に溜まるごみを蹴飛ばし、それでも少女は必死に足を動かす。
艶めく長い黒髪が闇に広がり、溶けた。彼女の紅い瞳は妖しい程に力強く光る。
「はあっ……はあ……っ」
少女は頬に伝う汗を手の甲で拭い、走りながら後ろを振り返り、追っ手が来ていない事を確認し、再び正面を向く。
しかし、そこにあった大きなごみ箱に足を取られ、勢い良く転倒した。足が擦りむけ、血がにじむ。静寂な夜に、派手な音が響いた。
「ぅ…………っ」
少女はなんとか立ち上がり、それから壁に背をもたれ、ずるずると崩れた。
「ぅくっ、……はあっ……、はあ……っ」
痛みをこらえ、地面にそのまま座り込む。手にしていた荷物を腹に抱え、それごと抱きしめるかのようにうずくまった。少女の手にしていた荷物は、わずかばかりの、ただのパン。
これで三日は耐えなければ。このパンを手に入れる為、苦労をしたのだ。自分には頼るべき友も家族もいないのだから。
少女はただ、孤独だった。
ラバレス地帯。この場所は後に大国ルントシュテット王国ができるが、まだこの時代では大国が出来るだなんて、一体誰が想像できた事だろう。
しかし、後にこの何もないこの時代を、ルントシュテット創世記と人々は呼ぶ事になる。それは一人の青年によって、導かれるのだ。
神の申し子として人々に崇拝され、後に大国を築いていく事になる男だ。一見まだ何もない様に見えるこの土地で、青年は徐々に地盤を固めて行っている。青年を崇める声が、広がりつつあった。
しかし、決して全員が幸せというわけではない。青年アルミスには一人の妹がいた。彼女は紅い瞳に、血色の涙を流す子供だった。
人々は彼女を悪魔の子と呼んだ。
***
体が浮いた──否、ふっ飛んだ。
そのまま薄暗い路地の壁にぶつかり、近くにあるごみが激しい音を立てて崩れた。
少女は痛みに耐え、咳こみながら口から伝う血を手の甲で拭い、自分を投げ飛ばした輩を下から睨み付ける。
男の二人組だ。年はそんなに若くはない。少女が睨み付けると、男達はたじろいだ。しかし、すぐに下品な笑みを浮かべた。
「おい、これがあの聖者の妹か?」
「間違いないだろ。だってこいつ、目が真っ赤だ」
薄気味悪い、とでも言うかの様に男は顔を歪めた。
「ま、どうでもいいさ。とりあえずお前、こいつの手押さえろ」
「はあ?」
「目を見なきゃ見目は良い」
いたいけな乙女に何をする気だというのか。
少女は口内に溢れる血を地面に向かって吐き出す。こんな事はもう何度も経験してきた。
だから、一人の男が自分の体に乗ってきても、パニックになるような事はなかった。
素早く服のポケットの中にあるナイフを取り出し、それに気付いて退こうとした男の胸ぐらを掴んで引き寄せ、首元にあてがう。
「この下郎が」
紅い瞳を近づけて、吐き捨てる様に呟いて、啖呵をきる。
しかし、すぐにもう一人の男が近づいてくるのを目で確認し、目の前でナイフを突きつけている男の腹を蹴り飛ばす。
「ぐぁ……ッ」
体が軽く後ろへ飛び、男は尻餅をついた。少女はそのままの体制で、目前まで迫ってきたもう一人の男の足をナイフで切る。足は飛んでいない。浅い傷だ。
しかし、その状況判断ができない男は足を切られた事実に同様し、大袈裟に喚き出す。
「ぅがぁああッ!」
少女はその悲鳴を鬱陶しそうに聞いて、立ち上がる。
「ぎゃあぎゃあ喚くな。耳が痛い」
ふと、右側の頬に生温い何かが伝り、それが斬った男の血だと理解した少女は、ぐいと手の甲で拭い、最初に腹を蹴り飛ばした男をじろりと見る。
「ひ…… ッ!!」
掠れた悲鳴が喉から放たれる。少女はため息をついて、その場を立ち去った。これだけ恐怖していれば、もう何もしてこない。そう確信していたからだ。
白のワンピースが揺れて、足元を晒した。それを手で抑え、少女は素足で町を歩く。 汚れたワンピースをちらりと見て、洗わなきゃと頭の隅で考えて、今日の食料探しの事も同時に考える。
数日前に確保したパンはもうないのだ。
ぐう、と唸る腹を抑え、少女はため息をついた。
「肉食べたい」
育ち盛りだ。肉が食べたくもなるだろう。
「肉、肉……、人肉?」
ふと、頭をよぎったが、すぐにその考えをもみ消す。人肉を食べたらもう人間ではなくなってしまう。
少女は自分の腕を鼻元に引き寄せ、くんくんと臭いをかぐ。それからすぐに顔をしかめた。
「水浴びしたい」
どこかに川か何かあれば良いのに、と考えていると、よく見知った顔がこちらに向かってきているのが見えた。──奴隷商の奴等だ。
あの日、母親に寝なさいと言われ、仕事をやり終えてぐっすり寝た。しかし、気づけば揺れる荷車の中で、少女は悟った。
母親に売られたのだと。
その日から数日後、見事に荷車を抜け出し、現在にいたる。考えにふけっていたせいで、奴等の使うルートまで来てしまったらしい。
少女は舌打ちし、すぐに背を向けて走り出す。 奴隷商の厳つい男達も走り出し、追いかけてきた。 街道を走り、路地を駆け、商店街へ。
店の商品である果実が並べられた棚をひっくり返し、男達の邪魔をする。もちろん、こっそり大きめの果実を二つ、脇に抱える事も忘れない。