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#2-1 下着泥棒とお茶目な手紙

 二人目の下着泥棒を捕らえて、翌日。

 普段通りに登校した(とう)(へい)は、またもや昇降口で(よう)()と出会した。

「よう、(あさり)()

「あら、()(すみ)くん。いつも通りね」

「おう」

 実際にいつもと変わりない時間なので、冬平は鷹揚に頷く。

 けれど、内心では首を傾げていた。

(漁木と昇降口で会ったのは昨日と合わせて二回目のはずだが……まぁ、いいか)

 こちらとしては朝から顔を見ることができただけでも儲け物なのだ。その上いちいち細かいことに突っかかるのは野暮だろう。

 きっと他意ははい。

 深く考えずにそう納得して、冬平は自分の靴箱を開け――そして、すぐに閉じた。

「…………」

「丹澄くん?」

 また馬鹿なことを……、とでも言いたげに、桶子が問いかけてくる。

 もっとも、ひどく混乱している冬平の耳には届いていなかったわけだが。

(い、今のって、まさか……噂の……?)

 いやいやまさか。冬平はかぶりを振る。

 人恋しさからくる幻覚なのか。はたまた、知らず知らずのうちに誰かから恨みを買ってしまっていたのか。あるいは、単なるタチの悪いイタズラか。

 何にせよ、良い結果であるはずがない。丹澄冬平という男の人生はそれだけ渇いているのだから。

 どうか気のせいでありますように。そう心中で拝みつつ、再び靴箱を開けると。

「なん、だと……」

 果たして、嫌な予想は的中した。

 靴箱を開けると、上履きの踵に立てかけるようにして一枚の封筒が入れられていた。

 その前面――宛名部分には、『丹澄先輩へ』といういかにも女の子が書いたかのような丸っこい素敵な文字。

 現実を受け入れられない冬平には何語だかよくわからないのだが、『へ』の右隣に書かれたピンク色の女々しいマークは何を意味しているのだろう。

(ひょっとして、これが噂に名高いハートマークとかいうやつか。本当に宛名の横に添えられるものだったとはな……)

 心臓を模したと言われているマークだ。となると、この手紙には死の呪いがかけられている可能性だって捨てきれなくなってきた。まさかこの文字の主が殺しに来ているだなんて疑いたくはないが、確証を掴むまでは警戒を解くべきではないだろう。

「さっきから何してんのよ」

「未知との遭遇」

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。恐る恐る封筒を手に取ってみた。

 大きさはA4サイズ程度。桃色の愛らしい花柄模様の至って普通の封筒ではあるが、中に何枚入れられているのかやけに厚みがあった。

 裏返してみると、この封筒がハートマークのシールで綴じられていることがわかる。「ここでもまたハートマークだと……」などと穿った見方で戦慄しながら舐め回すように観察してみると、右下の端の方に人の名前のようなものを見つけた。

「そと、しか、び、こう……?」

(そと)鹿(じし)(そな)()よ。知らないの?」

「まったく知らねえ。有名人なのか?」

「ええ、この学校随一のね」

「へえ」

 桶子以外など眼中になく、生徒会長の存在すら知らなかった冬平の反応は意外なほど薄かった。

 差出人のことなど気にも留めず、相変わらず警戒心を露わに封筒の外面を調べる冬平に、桶子は不思議そうな顔をした。

「気にならないの? お姉ちゃんより有名な女の子なのに」

「いや、別に。目の前に確固とした美しさがあんだ。見たこともない誰かさんにうつつ抜かしてる余裕なんてねえよ」

「え? それって……」

「決まってんだろ。おま――」

 と、そこまで言って。

 冬平はようやく失言に気が付いた。

(封筒に気を取られて本人の目の前で口走っちまった……!)

 ど、どうする!? と、誰にともなく心の中で問いかける。

 そして、全力で明後日の方向を見ながら、こう後に続けた。

「――え、の、パンツ……だよ……」

「なっ……」

 案の定、桶子は絶句した。

 さすがに昇降口ともなるとナイフは取り出せないのか、目を見開いたまま両手をわなわなと震わせる。ポケットに手を入れては何も取り出さずに抜くことを繰り返して十数回、ついに何かを閃いたのか手を止めると。

 次の瞬間。

 パァンッ! と昇降口の端から端まで届くような破裂音が鳴り響いた。

「!?!?!?」

 同時に冬平の視界が右側のものへと切り替わる。

 思わぬ衝撃に目を白黒させる冬平は、左頬がじんじんと腫れたように痛み始めたことで、ようやく引っ叩かれたことに気が付いた。

 通りかかる生徒たちがどよめく中、左頬を押さえながら桶子へと向き直る。

「えっと、その、悪かっ」

「ふんっ」

「ぐぁっ……」

 追い打ちとばかりに脇腹を蹴られ、冬平は醜い呻き声を上げながらその場にうずくまった。

 何を隠そう、まだ刺された傷は癒えていない。それをよく知っているだけに、かえって桶子には一切の容赦がなかった。

「面白い冗談を言うわね、丹澄くん」

「ははっ、エスプリが利いてるだろ?」

「どっちかと言うとエスプレッソね。オブラートに包んでも食べられない」

「そりゃ、コーヒーだからな。いい加減なこと言うな」

 度重なる失言とそれによる桶子からの攻撃で、冬平は身も心もやられていた。

 桶子と関わるようになってから何事も思うように運ばない。緊張でもしてしまっているのか、はたまた気が緩んでいるのか、失敗ばかりしている気がする。

「まぁ、でも、良かったじゃない。まともそうなラブレターで」

「人が全力で考えないようにしていたことをさらっと言うんじゃねえ」

「丹澄くんの都合なんか知らないわよ」

 吐き捨てるようにそう言って、桶子は背を向けた。

 冬平が無意味に悩んでいる間にさっさと靴を履き替えてしまっていたらしい。今日も入っていたストーカーからの手紙を握り潰しながら、もう話すことなどないとでも言いたげに早足で廊下の角へ消えて行った。

 やはり一緒に教室へ向かうことは許してくれないようだ。同じクラスなのにどうしてこうも扱いが悪いのだろう。

(嫌われてんなぁ、俺)

 下着を盗んでしまえば当然なのだが、こうもあからさまだとさすがに気が滅入るのだった。

 ふと、手元の封筒へ目を向ける。

(こっちにも嫌われてなきゃいいんだけど)

 聞いたこともない名前に、身に覚えのないラブレター(?)。相手が学校一の有名人と知ってしまえばなおさら怪しまないわけにはいかなかった。

 とりあえず教室へ行く前に一度中身を確認しておこう、と手近なトイレへ足を向ける。

 一階のトイレはほとんど使う生徒がおらず、かつホームルーム前という騒がしい時間帯のためか誰もが見向きもせずに通り過ぎて行く。そんなトイレの個室に入って律儀に鍵を閉めると、カバンを床に置いて封筒を見つめた。

「すぅ……はぁ……」

 開く前に深呼吸を一つ。

 仮にこれが本物のラブレターだったとしても桶子に惹かれているので断るつもりではいるのだが、如何せん初めての経験なので緊張してしまう。

 嬉しいか嬉しくないかで言えばもちろん嬉しい。相手が誰であれ、他人から好意を寄せられることを嫌がる人間などいないだろう。

(まぁ、ストーカーは勘弁だがな)

 桶子の靴箱に入っていた手紙を思い返しながら、冬平は苦笑した。

 同じ好意でも、認められないものはある。さすがに想い人に嫌悪感を抱かれる類の行動は好意以前の問題だ。

(……って、好意から下着泥棒になった俺がどうこう言える話じゃねえな……)

 二日経った今でも、未だに悔いは残っていた。

 あの時、冷静になっていられれば。どうしてあんな考えになってしまったんだろう。昨日のように捕らえて犯人から聞き出せば良かったじゃないか。考えれば考えるほど、反省点だらけだった。

(さて、この外鹿後輩はどうかな)

 どんな気持ちを抱いてくれているのか、冬平は期待に胸を膨らませた。

 同時に浮き足立ちもしながら、どうにか堪えて封を開ける。

 中には二つ折りにされた手紙が二〇枚と、さらにもう一つ封筒が入れられていた。

「……重いな」

 思わず口にしてしまう。

 だが、好意は好意だ。ひょっとすると想いが溢れ返ってくれているのかもしれない。

 ()いやつめ、などと遙か上から感想を抱くと、まず上の一枚を開いてみた。

 そこには。


『ひ』


 と、一文字だけでかでかと書かれていた。

「…………ひ?」

 無論、理解が及ぶはずもなく。

 続けて二枚目を開ける。


『る』


 とだけ書かれていた。

 何かの暗号だろうか。わけがわからなかった。

 次を開ける。


『や』


 の文字だけが真ん中に。

 ここまで来れば、さすがにもうパターンが読めてきた。

 四枚目の手紙を開けてみる。


『す』


 案の定、無駄に大きく書かれたひらがながあった。

 残りの一六枚も順繰りに開けていく。

 すると、やがて最後の一枚を除いて一つの文章が出来上がった。


『昼休み体育館裏で待ってます』


 なんとも回りくどい手段だった。

 余程の恥ずかしがり屋なのか、それともユーモアでも見せつけたいのか、はたまた意外性を求めたのか。受け取った側としては「普通にやって欲しかった」という意見しかない。

(んで、最後はちゃんとした手紙か)

 二〇枚目だけは一文字で収まらなかったのか、淡々と文字が連ねられていた。

 丹澄冬平先輩へ、といつ調べたのかフルネームから始まる。


『一昨日からずっとあなたを見ていました』


「急だな!」

 二行目から早速ツッコんでしまった。

 まさか短期決戦型だったなどと誰が想像できようか。

 思わぬ展開に開始早々ペースを崩されかけながらも、どうにか平常心に立ち返った冬平は読み進めていく。


『文字で書くのも恥ずかしいのですが、あの瞬間からずっとずっと丹澄先輩のことが気になって夜も眠れません。どうしてくれるんですか。

 居ても立ってもいられないとはまさにこのことを言うのでしょう。丹澄先輩のことで頭がいっぱいで、授業もロクに入って来ません。おかげで次のテストは散々な結果を叩き出してしまいそうです。きっと三十三点です。さんさん。

 いえ、しかし、私は別に丹澄先輩を責め立てたいわけじゃないんです。本当です。信じてください。後生ですから。

 私は善良な人間ですので、相手にどれだけの非があろうと心優しく受け止め、そして宥めて差し上げることができます。いわゆる聖人君子というやつです。聖徳太子ではありませんよ。

 だから私は、ここで丹澄先輩に一つ頼み事をしたいのです。

 そう身構えてくださらなくっても結構です。

 いえ、本当に簡単な頼み事なのです。

 簡単で、単純で、容易い頼み事なのです。

 それを口頭で伝えたいがために、このような方法を取らせていただきました。


 これを受けて下さるかどうかは、丹澄先輩次第です。

 とは言え、次の封筒の中身のおかげで、受けて下さることを私は微塵も疑っていませんけどね。』


 読み終えて、冬平は凄絶な違和感に襲われた。

「なんだ、これは」

 我知らず声に出す。

 冬平の感性がおかしいのだろうか。ラブレターにはとても見えなかった。そうでなくとも、まともな内容の手紙とは思えなかった。

(こいつは何を企んでんだ……?)

 ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえた。

 どうやら無意識に喉を鳴らしていたらしい。封筒の中に入れられていた一回り小さな封筒を開ける手が震えているのがわかる。

 怖いもの見たさというやつだろうか。

 開封の手は、震えながらも滑らかだった。

 そして封筒が開くと、中からは三枚の写真が出てきた。

 恐る恐る写っているものを確認してみると。


 そこには。

 冬平の()()()()()()()()()()()()()()()


「なんっ……」

 声が詰まる。

 桶子の家を覗く姿と、上がり込む姿、そして変なテンションで出て行く姿。証拠として提示されたら間違いなく手錠がかかるレベルの写真である。

 どこで撮られたのか、いつの間に撮られたのか。冬平はまったく気が付かなかった。

(まずい、まずいぞっ……)

 下着泥棒の被害を無くすどころか、その前に冬平が通報されかねない。考えるまでもなく、まず間違いなくそう言えた。

(これはラブレターなんかじゃない、立派な脅迫状じゃねえか……っ!)

 背筋が凍る気分だった。

 浮かれていた自分が馬鹿らしくなってくる。何がラブレターだ、何がハートマークだ。赤紙以上に不幸な贈り物ではないか。

 しかも、この写真によって冬平は無条件に従わざるを得ない。交渉の余地なんてどこにもない。もはやただの命令である。

(校内随一の有名人? なるほど。確かに漁木は『()()()()()()()()()()()()()()()()。『生徒会長より有名な女の子』から『手紙を貰った』ってだけで俺が勝手に勘違いしていただけだったわけだ)

 笑えねえ、と冬平は歯噛みした。

 桶子に好意を寄せているくせに他の女子からの手紙で舞い上がってしまった罰かもしれない。自分の愚かさにほとほと嫌気が差してきた。

(とりあえず、今は従うしかねえ)

 どんな命令が下されるのか、それが問題だった。

 当面の目標を『昼休みまでに交渉手段を見つける』ことに設定して、手紙をカバンに突っ込んだ冬平はトイレを出た。

 そこで、タイミング良くホームルーム開始のチャイムが鳴る。

(やべっ、もたもたしすぎた!)

 気が付けば数えるほどしか生徒がいない廊下を見て、冬平は慌てて階段を駆け上がる。

 当然ながらチャイムが鳴ってからで間に合うはずもなく。

 一日の初っ端から、冬平は早くも息切れを起こすこととなった。

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