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#1-2 下着泥棒の余計なお世話

 ホームルームが明けて、一時間目が始まる前。そこには一〇分程度だが空き時間があった。

 クラス担任が教室を出て行く様子なんて眼中になく、(とう)(へい)の視界には(あさり)()(よう)()ただ一人。それ以外の生徒は例外なく背景と同化していた。

 冬平の席は教室後方を入ってすぐの、後ろから二番目にあった。そこから窓際最後尾へ目を向けると、風に髪をなびかせる桶子の姿が見える。

 周りでクラスメイトたちが談笑している中で、一人本に目を落とす桶子は、端的に言えば浮いていた。

 まるでそこだけ別世界であるかのように、一人だけまとう雰囲気が違うのだ。良く言えば垢抜けた、悪く言えば澄ました態度の彼女は、いったい何を考えているのだろう。

(少なくとも、パンツを穿いていない顔には見えないな)

 空想世界から飛び出して来たのかと見紛う少女を前にして、こんな不謹慎極まりない感想を抱けるのは冬平くらいのものだろう。

「ほんと、漁木さんは絵になるよね」

「あぁ」

 対して、前の席の(たに)(みや)は真っ当な感想を冬平に投げかけた。

 確かに、空を背景に見る桶子は儚さが助長されているようで、吹けば飛んでしまいそうな危うい美しさがある。

 ずっと見ていても飽きない美貌。思わず手を差し伸べてしまいたくなるか弱さ。まるで理想を体現しているかのような桶子に、冬平は当然のように惹かれていた。

(さっきまで俺と話していたあの漁木と本当に同一人物なのか疑いたくなるな)

 むしろ、別人と言われた方が納得できた。

 学校で遠くから見る桶子と、面と向かって会話していた桶子。受けた扱いを考えれば、断然前者の方が好感を持てた。

 だが、それは何も冬平が桶子の本性を知って失望したということではない。何せ、今抱いている疑問は、その桶子を心配してのものなのだから。

「な、なぁ、谷宮。お前を元野球部のエース、そして現ハーレム王と見込んで訊きたいことがあるんだが……」

「うん。まずその認識を改めようか」

 にっこりと微笑む谷宮だったが、その笑顔にはどことなく陰があった。

 その陰の意味を知っている冬平は、失言に気付いて慌てて視線を逸らす。谷宮の右手――正確にはその親指部分に目を向けると、そこには本来あるはずのものがなく、代わりに包帯で雁字搦めにされていた。

 二ヶ月前――二年生に上がってひと月と少しが経った頃、谷宮は突然通り魔に襲われた。ついに知り合いに被害が出たことで犯人を探そうと決意した冬平だったが、事情を訊こうとしても谷宮は話してくれず、身体よりも心に受けた傷の方が深い様子だった。

 事実、この怪我のおかげで谷宮は野球を続けられなくなり、箸を持つのにもペンを握るのにも苦労することになったのだから当然だろう。むしろふた月でここまで回復したことを褒めるべきなのかもしれない。

 あの一件以降、この話題を出さないことは二人の間では暗黙の了解で、通り魔の正体を知っているのに打ち明けられない立場にいる冬平は心の中で謝ってやることしかできなかった。

 まぁ、それはそれとして。

 冬平は、敢えて茶化すように返した。

「すまん。ハーレムなんて美化された景色じゃなかったな」

「俺が女の子を誑かしているみたいに言わないでよ。この顔のおかげで向こうから寄ってくるの」

「それを活用してる時点で同じことじゃねえの?」

 呆れ混じりに言うと、谷宮は肩を竦めて惚けるだけだった。

 良い性格してんなぁ、などと思いつつ。

「で、訊きたいことなんだけどな。女子ってパンツ穿かない日とかあったりすんのか?」

「……冬平。それはさすがに夢見すぎだと思うよ……」

「だ、だよな。まあ知ってたけどな? 本当だぞ?」

 可哀想なものでも見るような谷宮の視線を前に、冬平は図らずも強がってしまった。

 だが、まだ桶子のノーパン疑惑が晴れたわけではない。

 冬平の苦悩は続く。

「じゃあ、次の質問な。コンビニで女物のパンツって売ってんの?」

「そんなの何に使うの……いや、ナニに使うの?」

「なんで言い直した? 俺が買うなんて一言も言ってないんだが?」

 そう、冬平は桶子がノーパンでない証明をしたいだけである。断じてパンツに興味があるわけではない。むしろパンツのせいで桶子に嫌われているのだから冬平の方だってパンツが嫌いになりそうですらある。

「で、どうなんだよ?」

「男性用があるんだから女性用もあるんじゃない?」

「そ、そうか……」

 安心したような、少し残念なような。冬平は感情の向け方を迷った。

 そんな冬平を憐れみが込められた目で見つめる谷宮は、何かを察した風な表情で問いかける。

「なに、漁木さんって今ノーパンなの?」

「な、なんでそう思った?」

 あまりの鋭さに声が上擦った。

 谷宮は「冬平はわかりやすいからなぁ」と前置きして。

「漁木さんの方を熱っぽい視線で見つめた後にこんな質問されたらそりゃあ気付くよ。今度からは気をつけた方がいいね」

「お、おう。肝に銘じておく」

 恐ろしい洞察力に、冬平はむしろ肝を冷やした。

 ただまあ、谷宮は桶子と違って当人の害になる噂を吹聴する男ではない。そこだけは信用できた。逆に言えばそこ以外はあまり信用できないのだが……ともかく。

「じゃあ、さらに質問な。谷宮から見て、漁木はノーパンに見えるか?」

「…………」

 ついに谷宮はあんぐりと口を開けた。

「……なんだよ」

 言葉も出ない様子の友人に、冬平は不機嫌そうに問い返す。

 それに対して、谷宮は冬平の両肩を力強く掴んで言う。

「冬平、落ち着いて聞いて欲しい。女子とほとんど話さないからひょっとするとわからないと思うけど、絶対に驚かないでね。いい?」

「な、なんだよ」

 妙に真剣な眼差しの谷宮に、冬平はたじろいだ。

 彼の口からどんな言葉が飛び出すのだろう。よもや桶子が本当にノーパンだったなどと言い出すのではあるまいな。それは一大事だ。駅前のコンビニでパンツを買ってやらねばならない。

 そんな冬平の不安を余所に、谷宮は深呼吸を一つすると、まるで深刻な病状を打ち明ける医師のような表情でこう言った。

「ノーパンっていうのは、普通外からじゃわからないものなんだよ」

「何だと? お前でも無理なのか?」

「俺でもって何。俺だって冬平と同じ人間なんだけど」

「いや、だってお前、女子の知り合い多いじゃねえか。だから、そういうの、わかるんじゃないかと思ったんだが……」

「多くの女の子と話ができれば透視能力が身につくとでも!? 変な信頼するのやめてっていつも言ってるよねぇ!?」

 珍しく声を荒げる谷宮に、しかし冬平は耳を傾けず思案に耽る。

(所作とかで見抜けると思ったんだが、できないのか……)

 もし本当に桶子がノーパンで過ごしているとすれば、それは十中八九冬平に原因がある。何せ下着をありったけ盗んでしまったのだから。

 いくら触れただけと説明したところで、桶子はきっと洗濯しないまま穿いたりはしないだろう。言わば「生理的に無理!」というやつだ。本来ならばどれだけ入念に洗濯したって一新してしまいたいはずである。

 だからこそ。

「どうしたの、冬平。頭なんて抱えて」

「己の愚かさに絶望してる」

 どうして盗んでしまったのだろう。冬平は再三先日の暴挙を悔やんだ。

(でも、いいんだ。俺がしたいのは漁木を笑顔にすることだけ。別に俺自身が嫌われたって……あぁ、それは嫌だなぁ……)

 後悔先に立たず。先人たちが残したこの言葉を、冬平はその身で痛いほど実感した。

 けれど。

 結局答えは出ないまま、無情にも時間は過ぎていく。


     ※


 心臓に悪い。

 それが四つの授業を乗り切った冬平が抱いた感想だった。

「もういっそ捲くって見せてくれ……」

「落ち着いて、冬平。まず口を閉じるんだ」

 昼休みに入るなりぐったりと机に突っ伏した冬平に、谷宮は苦笑しつつ助言する。

 授業どころか休み時間も含めて、冬平はずっと悶々としっ放しだった。

 桶子が背伸びする時には聖域が顔を覗かせないか冷や冷やし、物を拾う際はうっかり捲れてしまわないか気が気ではなかった。歩く度にひらひら揺れる裾に目が行ってしまっていた冬平にはもはや気の休まる時間などなく、気が付けば風が吹くだけで彼女を案じるまでに悪化していた。

 それでも桶子は普段と変わらずクールを装って生活しており、心配している自分が馬鹿らしく思えてくる時もあったほどだ。けれど、やはり相手が桶子とあってはキチンと目で見て確認するまでは安心なんてできるはずもなく、今の今までずっと神経を尖らせる羽目になったのだった。

「せめて穿いてるかどうかだけでもわかればこんなことには……」

 冬平は頭を抱えた。精神的にも肉体的にも頭を抱えた。

 もういっそめくって暴いてやろうか、とまで考えが及んだその時。

 不意に背後からこんな質問が飛んできた。

「こんなことって?」

「あ? そんなの漁木のスカートばっか追いかけ――」

 ほとんど言いかけて、違和感を覚えた冬平は言葉を止める。

 気が付けば、教室中の視線が冬平の背後に集中していた。

 まるで珍しい人物でもいるかのような、あるいはその人物の滅多にしない行動でも観察するかのような、驚きと興味が入り交じった視線だった。

 ……嫌な予感がする。

 なぜそう思うのだろう。自分でもよくわからなかった。だが、一つだけはっきりしていることは、質問の主が女子の声だったということだ。

(まさか。いや、そんなはずは)

 首をもたげる胸騒ぎと、それを否定したい自分。顔を上げれば勝手に答えが出てくれるこの不毛な争いに、しかし冬平は終止符を打つことを躊躇った。

(シュレディンガーの猫。そう、これはシュレディンガーの猫だ。俺がここで顔を上げなければ結果は闇の中。相手は谷宮かもしれないし、そもそも人じゃないかもしれない。だけどそれを決定付けるのは俺の行動だ)

 ならば、このパンドラの箱を開ける道理などない。冬平は振り向かないことを決意した。

 だが。

「気にしないで、漁木さん。冬平はいつも起きながら寝言を吐くんだ」

「谷宮テメェ! あらゆる意味でテメェ! この……テメェ!」

 冬平は焦ると語彙がなくなるのだった。

 身を乗り出して谷宮の胸倉を掴むと、顔を寄せて睨みつける。

「俺のさり気ない優しさに水を差すんじゃねえ」

「せめてもっと正しい行為の時に言ってほしいね」

 抵抗する気もないのか、力を抜いてぶら下がるように立って谷宮は呆れた。

 その様子に、またも背後から質問が飛んでくる。

「それで、ニスミヤくんたち。何を悩んでいたの?」

「ひとまとめにすんじゃねえよ」

「冬平は漁木さんが今日ノーパ――」

「谷宮ァッ!」

 ペラペラと口走る谷宮の口に、冬平は慌てて拳の栓をする。

 慌てると周りが見えなくなることなんて、人間にはよくあることだ。遅刻しそうになるとなぜか曲がり角で人とぶつかってしまうあの原理とほぼ同じである。

 アゴが外れかけたせいでせっかくの整った顔が台無しになっている谷宮を憐れんで拳を引き抜くと、身を案じるよりも前に背後に立つ何者かに向き直った。

 ……もちろん、桶子が立っていたのだが。

「何が目的だ?」

「言い方がおかしいわよ、()(すみ)くん」

 桶子の指摘で、冬平はハッとした。

 あまりにも都合の悪いタイミングだったものだから、つい好戦的になってしまった。

「あー、その、あれだ。俺に何か用があったんじゃないのか?」

「えぇ、そうね。じゃないと話しかけたりしないわ」

「そこは『用がないと話しかけちゃいけないの?』くらい言って欲しいもんだな」

「どうして? 丹澄くんに得なんてないでしょ?」

「な、ないですけど? むしろ変な疑いを取り下げていただきたいくらいなんですけど?」

 自分から振ったくせに、反撃されるや否や冬平は咄嗟に誤魔化してしまった。

 そのあからさまな動揺に気付いているのかいないのか、桶子は「それで、用件だけどね」と軌道を修正する。

「手短に言うわ。今から体育館裏に来て欲しいの。ほら、誰かに聞かれると困るから」

「あ……?」

 ここで、冬平は即座に意図を察した。

(やっぱりノーパンだったのか。クソ、もっと早く見抜けていれば……!)

 さすがはやればできる男・丹澄冬平。その理解の速度は電子回路の搭載を疑われてもおかしくなかった。

 誰かに聞かれても、見られても困る話。そして、冬平にしか打ち明けられないであろう事情。そんなもの、昨晩の失態くらいしか思い当たらなかった。

 ここは茶化したりしていい場面ではない。そんなこと言われるまでもなく確信できた。姿勢を正し、真剣な面持ちへと修正する。

「わかった。とりあえず移動しようか」

「ええ」

 桶子は頷いて、すぐ横のドアから出て行った。

 眉一つ動かさない桶子に感心しながら、冬平もそれに続いた。



 程なくして二人は誰もいない体育館裏に到着した。

 普段から日の当たらない位置にあるため、空気はじめっとしていて過ごしにくい。地面も舗装されていない剥き出しの土で、上履きで踏む感触は不愉快とすら言えた。

 そんな中で、桶子は平然と本題を打ち明ける。

「それで、丹澄くん。今朝のことだけど」

「あぁ、皆まで言うな。わかってる。俺には全部わかってる」

 切り出されるや否や、冬平は半分も聞かずに遮った。

(女子の口からノーパンだなんて恥ずかしいこと言わせられるかよ)

 自分のパンツを盾に使われても動じなかった桶子だが、今回ばかりはそうもいかないかもしれない。盗んでおいて案じられる身でもないが、下着はデリケートな問題だ。

 言葉は慎重に選ばなければ、と気を引き締める。

「解決策だがな。俺は駅前に買いに行くことが最優先だと思う」

「何を? 拘束するための道具?」

「どんなプレイをご所望なのかな!?」

 唐突に飛び出した予想斜め上の質問に、冬平は思わず桶子の口を塞いでしまう。

(い、いきなり何言い出してんだこいつ……)

 キョロキョロと周囲を見回し、誰の姿もないことを確認する。こんな場面を盗み聞きでもされていたら桶子の学校生活が今後どのような惨事になるかは想像に難くない。

 出歯亀がいないことに安堵すると、手をゆっくりと離して告げた。

「言葉には気を付けろ」

「どうして脅されなきゃいけないのよ」

「脅しじゃねえよ。学生生活がどうなってもいいのか」

「私は丹澄くんの今後が心配になってきたわ」

「俺のことよりも自分の心配をしたらどうだ?」

「ねえ、本当に脅しじゃないのよね?」

 何を不安がっているのやら、桶子は若干上目遣いになって問いかける。

 抱き締めてやりたくなる気持ちをぐっと堪えると、冬平は無理矢理本題へと話を戻した。

「お、脅しかどうかはともかくとして……お前としてはどうしたいんだ?」

「私はとにかく下着泥棒をこの手で屠ることさえできれば、他はどうでもいいわ」

「待て待て。本当にそれでいいのか?」

「何よ」

「いや、他にもなんかあるだろ? さすがに結論をすっ飛ばしすぎじゃないのか?」

「なんかって?」

「その、あれだ。あの、今、足りない物とか、ほら、あるだろ? な?」

「足りない物……?」

 いまいち要領を得ない冬平の言い分に、桶子はしばらく考え込んだ。

 やがて思い当たる物があったのか、「あぁ、あれのこと」と納得の声を上げる。

「そういえばお昼ご飯をまだ食べてなかったわね」

「食いしん坊か!」

「違うわよ!」

 珍しく冷静さを欠いた様子で、桶子は即座に返した。

 直後。

 ヒュン、と風切り音が冬平の耳に届く。

 と、気付いた頃には、右の脇腹にナイフが深々と突き刺さっていた。

「痛ぇっ! 照れ隠しにも程度ってもんがあるだろ!」

「なんで痛いで済むのよ。もう一本いくわよ」

「頑丈で悪うござんしたねぇ!」

「で、答えは? 私に足りない物って何?」

「遠慮と気遣い!」

「ぐりぐり」

「~~~~~~~~~ッ」

 ついでに容赦もなかった。姉を見習って優しい人間を目指して欲しいところである。

 激痛のあまり声にならない悲鳴を上げる冬平は、とにかく捻ることだけでもやめてもらおうと、無我夢中で桶子の腕を掴んだ。

「ひゃっ」

「ひゃ?」

 結果的に言えば、ナイフを動かす手は止まった。

 それどころか、腕まで離れてくれた。狙い以上の成果に、冬平は目を白黒させる。

(掴んだ瞬間に震えなかったか?)

 一瞬前の手の感触を思い出す。まるで敏感な部分にでも触れられたかのような反応ではなかっただろうか。

「漁木?」

「な、なに?」

「声が裏返ってるぞ。あと、顔も赤くないか? こっち向けよ」

「変な言い掛かりはやめて。あんたに何がわかるっての?」

「いや、今のはかなりわかりやすかったと思うが」

「だったら、もうお嫁に行けないわ」

「そんな悲しい台詞と一緒にナイフを取り出すんじゃねえ!」

 わなわなと震える手でナイフを向ける桶子を前に、冬平は咄嗟に身構える。

「落ち着け、漁木。別にいいじゃねえか。俺は何もしねえよ」

「なおさらしにたい」

「手が性感帯なくらいで大袈裟なやつだな」

「いっそひとおもいに……え? 手が性感帯なの?」

「あれ? 違うのか? だったらどうして掴んだ時に――」

「あ、あーっ! そうだった! 手が性感帯なんだったわ! すごいでしょ!?」

「いや、そんな嬉々としてカミングアウトしなくていい」

「いいのよ、別に。これが私なの」

 ふっと自嘲気味に笑うと、桶子は芝居がかった動きで髪を払った。

(さっきから何なんだ……?)

 時折おかしな様子を見せる彼女に疑問を抱きつつ、今はそれどころではないと冬平は思い出す。そろそろパンツを買いに出掛けなくては、桶子は午後もずっとノーパンで授業を受ける羽目になってしまう。

「なぁ、漁木。参考までに聞いておくが、何色が好みなんだ?」

「何の参考にするつもりなの?」

「そこは察してくれよ」

「あぁ、パンツね。盗むくらい好きだもんね」

「わざわざ避けたのに! このお馬鹿!」

「で、この話し合いと何の関係があるの?」

「何の関係って……。それについての話し合いだろ?」

「え?」

「え?」

 そこで、二人は違和感に気付く。

 両者の間に決定的な食い違いがあったことに。

 先手を取ったのは桶子だった。

「丹澄くんは何の話をしているつもりだったの?」

「言っていいのか?」

「言わなきゃ進まないわ。危害なら後で好きなだけ加えてあげるから臆さず言って」

「それで俺が素直に口を割ると思ったのか?」

 とは言え、言葉にしないと伝わらない。

 冬平は抵抗をせず、正直に打ち明けることにした。

「漁木がノーパンだから、代わりの


 だが、そこで冬平の言葉は途切れ。

 代わりに、口の中に刃物が介入していた。

「丹澄くん。今なんて言った?」

「…………」

 冬平は声も出なかった。

 気が付けば背中は体育館の壁面に押し付けられ、右肩には桶子の柔らかい掌が、口の中には正体不明の刃物が内部を傷つけない絶妙な案配で差し込まれていた。

 桶子は俯きつつ、耳まで真っ赤に染め上げて、震えた声で問う。

「私が、はっ穿いてないって、言わなかった……?」

「あぁ」

「朝からずっと……?」

「あぁ」

「じゃあ、今もそういう目で見てるってわけ……?」

「……あぁ」

 誤魔化すのも酷だろう、と冬平は包み隠さず肯定した。

(ヤバいなぁ……)

 どれだけ鈍くたって、ここまでくれば誰でもわかる。ずっと勘違いしていたのだろう。そして、変態的な視線を送られていたと知った時にどんな行動に出るのかも、もはや手に取るように想像できる。

 抵抗をする気はない。弁解だって求めない。悪いのは、勝手に思い込んでいた冬平なのだから。

(今度こそ殺されるんだろうなぁ……。まぁ、最期が漁木の手だっただけマシか)

 見ず知らずの誰かに刺されるよりは桶子の方がよっぽど納得できると、冬平は涙を飲んだ。

 やるなら一思いにやってくれ、と桶子の方を見る。

 だが。

「うっ……」

 桶子が小さく呻いたかと思うと。

 カランッ、という音と共に、口の中が安穏に立ち返った。

「お、おい、漁木!?」

「うぅっ……」

 桶子がナイフと取りこぼしたことよりもその場にくずおれたことに慌てて、冬平はしゃがみ込む。

 すると、「うっ」だの「あっ」だのと何かを言いたげに呟いていた桶子は。


「うわああああああああん! ちゃんと穿いてるわよおおおおおおおお! 私を何だと思ってんのよおおおおおおおおおおおお!」


 と、泣き顔も隠さずに天を仰いだ。

「あ、漁木さん?」

 無論、冬平にとっては予想外どころの騒ぎではない。

 学校では周囲とは一線を画したクールさで、けれど素は目に余るほどの傍若無人。そこまではまだ「学校では猫を被っていたんだなぁ」と納得もできたのだが、さすがに癇癪と言えるレベルで泣き喚かれると反応に困った。

(な、泣いてる? なんで? ノーパンだと思われてたから? え、それだけでこんなに!?)

 冬平の中では、指を喰っていた時よりも衝撃的だった。

 桶子の背中をさすってやりながら問いかける。

「だ、大丈夫か? いや、俺が言えたことじゃないんだろうが……」

「ばか! 冬平くんのばか! 今見せてあげようか!? ちゃんと穿いてるんだからね!?」

「『冬平くん』だと!? もっ、もう一度言ってくれッ!?」

「ばかぁっ!」

「ぎゃあああ!」

 幼児のごとく文句を募る桶子は、すかさず揚げ足をとった冬平の背中に手加減なくナイフを突き刺した。

「とんだ跳ねっ返り娘だなおい! 簡単に刺してくるんじゃねえ!」

「うるさい! あんたが変なこと考えてるのが悪いんでしょ!」

「『あんた』じゃねえ、『冬平くん』って呼べ! いや、呼んでくれ!」

「うるさい!」

 ザクッ、とさらにもう一本。

「だからやめろ! 羽生えちゃうだろうが!」

「じゃあ別のところに刺す! 嫌ならちゃんと謝って!」

「ごめんなさいでしたぁ~~~~~~!」

「ちゃ・ん・と!」

 今度は腰に追加される。

 痛みに呻き、冬平は奥歯を食い縛った。

 さすがに四本も刺されると出血しすぎて目眩がしてくる。いつまで意識を保っていられるのだろう。

「クソ、埒が明かねえ。とりあえず、漁木はちゃんとパンツ穿いて――」

 グサッ。

「――るんだな? なんで今刺した?」

「だからちゃんと穿いてるって言ってるでしょ!」

「じゃあ、俺の問題はもう解決だ。昨日の今日でよく用意できたな。あとなんで刺した?」

「お姉ちゃんが貸してくれたの!」

 ぶすっ。

「だから無駄に刺すなって言ってんだろ! 今のは意味なく刺したよな!?」

「は、恥ずかしい質問する丹澄くんが悪いんでしょっ」

「照れ隠しだからって人を刺していい理由にはなんねえよ! 可愛いからって俺が許すと思ったか!?」

「可愛くない!」

 冬平の言葉すべてに反論する意志でもあるのか、桶子はまたもナイフを振り上げた。

 だが、そこは冬平。さすがにこれだけは否定を許すことなんてできなかった。

 後ろ手で止めると、目を丸くする桶子に向けて、極めて真剣な眼差しで言う。

「いいや、漁木は可愛いぞ。少なくとも、外見だけは自信を持ってそう言える」

「えっ、」

 桶子は驚いて固まった。

 面と向かって言われたのは初めてなのだろう。反応に困っている様子がまざまざと見て取れた。

 それに対して微笑んでやろうとした冬平は。

(あっ、さすがにヤバい……)

 経験がなくとも、一瞬で理解できた。

 視界が徐々に真っ暗に染まっていき、身体の自由が利かなくなる。次第に近付いていく桶子の顔との距離に、しかし狼狽える余裕もなく、眠るように意識は閉じられた。


 やけにあっけない閉幕に、冬平は何も言い残すことができなかった。

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