#0-2 下着泥棒の長いプロローグ・後編
至極当然ながら、一七歳の冬平は高校二年生だった。
ホームルームが始まる少し前のことだ。教室では談笑する生徒や今になって朝食を摂る生徒、静かに読書に耽る生徒など、個々に合ったスタイルでチャイムが鳴るのを待つ生徒たちがいた。
「ねぇ、漁木桶子さんっているじゃん? 冬平がお熱のカノジョ。あの子、ここ一年半くらい下着泥棒の被害に遭ってるらしいよ」
「何だって?」
かく言う冬平も、友人との会話に花を咲かせていた。
目の前に座る優男・谷宮清志の言葉に、冬平は眉根を寄せる。
「どうして俺が漁木のこと好きだって知ってるんだ」
「そこかな? 冬平が怒るべきは果たして本当にそこでいいのかな?」
やれやれ、と谷宮は肩を竦めた。
「漁木さんがさ、下着泥棒の被害に苦しんでいるらしいんだよ」
「なんでお前がそんな情報を握ってんだよ?」
「冬平と違って女の子の知り合いは星の数ほどいるからね」
「その中の何割がガールフレンドなんだかねぇ」
冬平は呆れつつ、話を戻す。
「で、スケ宮コマ志くん」
「人をクズみたいに言うのやめない?」
「漁木が下着泥棒に困ってて俺に助けを求めてるって?」
「冬平に、かどうかは知らないけどね。最近は頻度も増えてきたらしくて愚痴ってたらしい」
「ほう。それを聞いてしまっては放っておけないな」
そんなこんなで冬平は、まだ一時間目も始まっていない時間から、適当に道具を見繕って学校を抜け出した。有り体に言えばサボった。谷宮が女子から取得したらしき桶子の住所を元に住居を特定すると、さっそく張り込みを始める。
桶子の住む家は小さな賃貸住宅だった。六畳一間の部屋が六つ、二階に分かれて用意されている。一階に三部屋二階に三部屋、そんな低い棟が等間隔で八つほど配置されていた。
桶子の部屋は一番手前の棟の一階の端らしい。下着泥棒をするには打ってつけの位置だ。加えてあの美貌、狙わない理由など探す方が手間だろう。もしも冬平が下着泥棒で生計を立てていたのなら必ず狙う自信があるくらいだから間違いない。
「さて、何時間耐久すればいいのやら。いや、何日か?」
下着泥棒は現行犯以外での逮捕が難しい犯罪だと聞いたことがあった。監視カメラに写っていればまだしも、通常の民家にそんなものが設置してあるはずもない。聞けば桶子は一人暮らしをしているようだし、気軽に相談できる相手もいなかったのだろう。その割に愚痴は多かったようだが。
ともかく、冬平は何時間も張り込んだ。
弁当も一緒に持ってくればよかったなぁ、と考え始めるくらい張り込んだ。
そしてとうとう五時間が経過しようとした時だった。窓側に怪しい人影が現れたのは。
見るからに怪しいその少年は、冬平と同じ制服を着ていた。冬平の高校は身につける校章か上履きで学年が判別できるのだが、外でしかも後ろ姿しか見えていない現状では学年まではわからなかった。
キョロキョロと周囲を警戒する彼を物陰から凝視していると、下着泥棒(暫定)は懐からライターを取り出すしてすぐに窓を炙り始めた。
(そこらで売ってるもんより火は強いみたいだが、そんなんで窓が開くのか?)
錠の付近を焼いていく下着泥棒(警戒)は、五分ほどみっちりと集中的に炙った後、持参していたカバンの中から霧吹きを取り出して今まで炙っていた箇所に吹きかける。それでどのような変化があったのか冬平にはわからないが、最後に金鎚を取り出して軽く窓を叩いた時、その意図ははっきりとした。
(やけに音が小さくないか……?)
氷を砕いた程度の音しか響かなかったことに、冬平は首を傾げた。
それもそのはず、これは『焼き破り』という、ピッキングやサムターン回しに次ぐ侵入手口である。熱することでガラスが割れやすくなり、水を吹きかけてヒビを入れた上で叩くことにより、弱ったガラスはほとんど破壊音を立てずに砕けてしまうのだ。加えて、ピッキングに比べて非常に道具が揃えやすいことから一部地域では大流行しているそうな。
(うわ、俺より頭良さそう……)
理論はよくわかっていないながらも、冬平は軽く尊敬してしまいそうになる。彼の刑期が済んだ暁には是非博士と慕おう、と心のメモに書き込んだ。
だが、しかし。それで冬平が手を抜くかと言えばそんなことはない。悪いことは悪い。冬平はそれをちゃんと言える男である。まずは、警察に引き渡すことが先決だ。
かくして、いとも簡単に桶子の家に侵入して見せた何者かが、土足のまま家に上がる。すでにその段階で注意してしまいたくなる気持ちをぐっと堪えて、彼の姿が完全に見えなくなったところで冬平は後を追った。住居侵入に加えて下着泥棒までしてしまえば、もはや言い訳の余地はあるまい。
果たして、家の中はすでに惨憺たる有様だった。
布団は出しっぱなし、服は脱ぎっぱなし、漫画は積みっぱなし。ノートパソコンはスリープモードのまま放置してあるし、床に散乱したコード類はインスタントラーメンのように絡まっていた。
ともすると漁木桶子という少女の本来の姿がここにあるような気がしたが、冬平はあの空想世界から出て来たような彼女のイメージを信じることに決めたので、これはついさっき踏み入った少年が漁った後に違いなかった。
(あの数秒でこんなに荒らすとは困ったやんちゃ坊主だ)
決まった事実は仕方がないので、冬平は足音を忍ばせて少年の姿を探す。学校をサボって空き巣業務だなんて人生を無駄にでもしたいのだろうか。同じく学校をサボって無関係の少女を助けようと考えている冬平に、その心理は到底理解できそうもない。
靴を脱いで漁木宅に勝手に上がり込んだ冬平は、まずは六畳のスペースを探した。本棚のラインナップから勉強机の引き出しの中まで探し込んだ。特に勉強机の引き出しにおいては入念に探った。猫型のロボットも撲殺天使もここから出入りできるのだから、下着泥棒だってやってやれないことはない。だが、残念ながら桶子が幼い頃の写真は見つからなかった。
(ちっ。人生そう上手くはいかねえか)
ついでに言えば、少年の姿も六畳の中にはなかった。とは言え、六畳一間には実はそれ以外のスペースもちゃんとある。冬平はそれが常々「いや、詐欺じゃねえの?」と気に食わないのだが、そこはそれとしてキッチンスペースに出た。
このキッチンスペースは、玄関扉と六畳間を繋ぐ廊下に設置されていた。右を見ればトイレらしきドアと風呂場らしきドア、そして洗濯機の横の衣装箪笥から下着を物色する少年の姿があった。
そう、少年の姿があった。
あっちゃった。
「……って、うおぁっ!?」
何気なく内装を確認していただけの冬平は、不意に目に入った下着泥棒(確定)に思わず声を上げた。
その声でようやく気が付いたのか、下着を見つけ次第カバンに突っ込んでいた少年はぎょっと目を見開いたまま硬直する。
「あ、あなた、は……?」
「お、俺? 俺は丹澄だけど……お前は?」
「あ、僕は、伏見ですけど……」
「そ、そうか。よろしくな?」
「あ、はい。どうも?」
なぜか自己紹介をし合ってしまった冬平は、そこで人心地ついた。
「じゃねえよ! おまっ、お前! それ! パンツ! よくない!」
冬平は土壇場で語彙が少なくなる男だった。
そこで、黒くてレースがついた大人の色気が漂うイヤラシイ下着を握り締めていた伏見少年はハッとした。
「ち、ちちち違います! こ、これは、せせ窃盗とかそういうのでは!」
「こんなに部屋を荒らしておいてよく言うぜ」
「それは元々ですよ! 僕だって足の踏み場を探すのに苦労しましたからね!?」
「問答無用! 漁木は清楚なオンナノコ!」
「ふぎゃっ」
伏見少年は下着泥棒の上に可憐な少女におかしな悪癖を押し付ける最低の男だった。だから冬平は心置きなく相手の顎をそれこそサッカーボールのように蹴り飛ばした。しかしそこはやはり悪質レッテル業者、本物のような蹴り心地とはいかず、冬平は足の甲に若干の痛みが残った。
「なんか目的がすり変わった気がするが……まぁ、いいか」
小さく呟くと、冬平は一発で気絶したひ弱な伏見少年の拘束に取りかかった。
持ってきたガムテープで口を塞ぎ、両手を後ろに回して結束バンドで親指と手首を縛った。両足も同じく結束バンドを使って足首を縛りつけると、今度は両手と両足をビニール紐で絆しておく。厳重な拘束処置を終えると、そのまま伏見少年を空の浴槽に沈めた。
だが、冬平はそこで違和感を覚えた。
(谷宮の話によると、漁木が下着泥棒の被害に遭って一年半は経つんだよな……? そんな長期間盗み続けていたにしてはやけにあっさり捕まったな……。というかコイツ一年生だし半年前ですら入学してないじゃねえか。どこで漁木のことを知ったんだ?)
まさか、と。冬平は嫌な予感に襲われる。
(単独犯じゃないのか? 確かに、漁木にはそんだけ魅力はあるが……)
仮にそれが事実ならば、冬平は自分が通っている高校の現状を憂えるべきなのだが、彼にとってそんなものは些細な誤差らしい。
冬平がここに足を運んだ理由は『漁木桶子の下着がこれ以上盗まれないようにすること』である。あわよくば「きゃーっ! 丹澄くん素敵! 好き!」と言ってもらいたいといった程度で、別段下心があったわけではない。故に、もしグループ犯罪だったとするのであれば、ここで秘密裏に何かしらの対策を打っておきたかった。そしたらきっと桶子は褒めてくれる。
「うーん。これ以上、漁木の下着が盗まれないようにする方法か………あれ?」
そこで、冬平は気付いた。
あまりにも画期的でエポックメーキングな発案に、危うく自分が天才だと自覚してしまいかけた。それはいけない。良心の塊である冬平に二物が与えられていることになってしまう。
「ひょっとして、下着さえなければこれ以上被害が出ることはないんじゃ……?」
だが、やはり冬平は天才だった。あまりにも斬新で前衛な対策に我知らず舌を巻いてしまったほどだった。
そうと決まれば行動は早く、冬平は伏見少年のカバンを漁って見つけた青いナップザックにありったけ桶子の下着を詰め込んだ。
最高だった。天にも昇る心地だった。
恋慕の先の下着に直接手で触れて、しかもこれから家に持って帰るのである。舞い上がらない道理があろうか。加えて、これで桶子は下着泥棒に苦しまずに済むのだからこれ以上のことはない。匂いを嗅がなかったことは奇跡と言えよう。
「ふははは! 我こそが救漁木主なり! ビバ! 人助け!」
あまりにも崩壊的で冒涜的な解決策についいろんな意味で盛り上がってしまった冬平は、意味不明な言葉を叫びながら意気揚々とナップザックを背負って漁木宅を飛び出したのだった。
※
そんなこんなで。
「ぎゃああああああああああああああああああああ!」
夜の住宅街に、冬平の絶叫がこだました。
見れば、右の腿には一際大きなナイフが突き刺さっていた。
「これ知ってる! コンバットナイフだかサバイバルナイフだか言うアレ! とても痛い! 嫌だ!」
「残念、ハンティングナイフよ。ボウナイフって言うの。私の一張羅だから、嫌とは言わせないわ。大丈夫。痛いのは一瞬だし、すぐに慣れるから。ダイジョブダイジョブ、ワタシ、ウソツカナイヨ」
「もうツッコむ余裕すらないんだよ! 全部俺が悪かった! 早く抜いてくれ!」
「いいの? 風が障って傷が余計に痛むかもしれないわよ? 所謂痛風ってやつ」
「いや、だからツッコミできる状況じゃながァああああああっ!?」
完全に気分で冬平に危害を加える桶子は、気遣いという言葉を忘れてしまったらしい。あるいは、元より持ち合わせていないのかもしれない。
ともかく、事の全容を冬平から伝えられた桶子は、極めて冷淡な表情で冬平の右腿に刺したボウナイフを引き抜いた。……脇腹と左腿はそのままで。
「さしもの私も、終盤のどんでん返しにはしてやられたわ。途中までちょっとお馬鹿だけどちょっと良い人くらいには思えていたのに、最後の最後で完全に失望した。いや、もうキレた。ブチギレよ、盗みくん。私はブチっとキレた。誠心誠意キチンと謝りなさい」
「……はい、すみませんでした。丹澄謝ります」
間違えた自覚はあったのか、いつの間にやら土下座をしていた冬平は弱々しい声音で謝罪した。
「いまいち理解できなかったからもう一度聞かせて。どうして私の下着を盗んだの?」
「漁木さんが下着泥棒の被害に困っていると小耳に挟んだので力になりたいと思いました。他意も恋もありません」
「結果、人の家に土足で上がり込んで犯人を拘束して、その犯人を放置したまま通報もせずに犯行を肩代わりしたのね?」
「いえ、靴はちゃんと脱いで上がりました」
なぜ譲れなかったのか、冬平は小さく訂正した。
だが、桶子はどこ吹く風で詰問を続ける。
「盗みくんの理論には色白美人と近所で評判の私も真っ青よ。あんたが私の下着を盗めば確かに被害はなくなるわけだけど、そもそもその行為が一番大きな被害になっていることには気付かなかった? 手元に一着もないなんて、私は明日からどうすればいいの?」
「えっ、じゃあ今はノーパンノーブラなん――」
「ワンペナにつきワンナイフ」
「ですよね! 替えの話ですよね! 俺にはわかってた! なぜなら天才だから!」
「ちなみに、今のはツーペナカウントよ。でも撤回したからさんペナ。男は二言を言っちゃいけないものね。そして何だかイラッときたからフォーペナも追加してみたりして」
「なんで三つ目だけ日本語なんだよ。いやそうじゃねえ、俺にはもっと先に指摘するべき箇所があるはずだ……」
ここまで、冬平はずっと額を地面にこすりつけたままである。
桶子がそんな冬平を見兼ねたのか、後頭部に明らかに靴底ではない柔らかい足が乗せられた。
「盗みくん。そんなにおいおい泣かないで。ジョークよ、ジョーク。ラジカルシンキングってやつ」
「論理思考みたいに言わないでくんない? てか、足どけてくんない?」
「興奮するから?」
「しません!」
「そうよね、やっぱり下着じゃないと……」
「な、なな何の、はな、はっ話ですかねぇっ!?」
「あからさまに挙動不審になられるとさすがに身の危険を感じるんだけど……」
結果的に、桶子はおっかなびっくり足をどけた。それが良いことだったのか悪いことだったのか、今の冬平は冷静に判断できる状態ではなかった。
(女の子の足ってこんなに柔らかいのか)
冬平は欲望に正直な男だった。そういうところは嫌いじゃないと谷宮も言ってくれていたので、これはきっと美点なのだろう。
「また背筋が寒くなったけどそれは置いといて。とりあえず私の下着を返してくれない? これでお互い通報はナシってことにしましょ」
「薄々感付いちゃいたが、通報する意図までバレてたのか」
「当然も当然、大当然。私を誰だと思ってるの。『色白美少女桶子ちゃん』よ。さんはい」
「同意だけど本人に言わされるのは――」
「ひゃくペナぁっ!」
「重くねえか!?」
今までで一番不機嫌そうに頬をぷっくりと膨らませた桶子は、どこからともなく両手いっぱいに種々雑多なナイフを取り出して威嚇態勢に入っていた。
冬平は泡を食った。
「ま、待て! 返す! ほら! これで全部だ! だからその物騒な獲物を収めてくれ! こ、これでいいだろ!?」
「……仕方ない。あぁ、本当に仕方ないわ。仕方がなさすぎて手に負えないから仕方なく落ち着いてあげる」
「お、おう。冷静で助かる」
乱暴にナップザックを受け取る桶子は、まだ不満を残しているようで、ナイフは無くなったが眉間の皺は消えていなかった。
冬平の中の『漁木桶子』という少女は、今まで物静かでお淑やかな女の子というイメージだったのだが、この十数分でその人物像はものの見事に崩落していた。けれど、冬平が気落ちしているかと言えばそうではなく、むしろ学校では見られない新たな一面を目にできて喜んでいる節すらあった。
冬平が知らないだけなのか、はたまた学校では仮面を被っているのか、高嶺の花だった桶子は案外身近な存在のようで、少しだけ安堵する。
だから、冬平はもう一歩踏み込むことにした。
「ところで、漁木。一つ質問いいか?」
「一つだけね」
「どうして人の指なんて切り落とすんだよ」
「…………」
その問いに、ナップザックの中身を確認していた桶子は黙り込んだ。
それから、口を引き結んで、眉間の皺をさらに深く刻みつける。余程深刻な事情なのか、その表情は険しかった。
「すまん。嫌なら答えなくていいんだ」
「――――れたから」
「なんて?」
ボソボソと口ごもる桶子に、冬平は聞き返す。
すると、桶子は柳眉を吊り上げて、吹っ切れたように声を荒げた。
「下着を盗まれたからよ!」
「……………………は?」
冬平は、一瞬自分の耳を疑った。
下着を盗まれたから? それで他人の親指を切り落とす?
「……漁木。お前、何言ってんだ?」
冬平は思わず問うてしまっていた。真剣と書いてマジだった。
対して、目を伏せた桶子は、沸騰しかけている水のような危うさを秘めた調子で言う。
「洗濯物を外に干すのをやめたの。カーテンも閉めて出かけるようにした。ドアの鍵だってピッキング対策でFBロックに替えたの。サムターンにプラスチックカバーもつけたわ。窓ガラスだって割れにくい素材に取り替えたし、一日中お姉ちゃんを玄関先に吊したこともあった。それなのに盗まれ続けたの! 病むでしょ!?」
「おい、対策の最後。てか、自覚してるなら病んでな――」
「そんなのはいいの!」
桶子は、間髪入れずに叫んだ。
よくないと思う。などと口を挟めず、冬平はついに別人と化した荒ぶる桶子を見守る。
「顔も名前も知らない誰かに欠かさず盗まれて、対策してもすり抜けられて、最初は怖かったの。でも、ある日私は気付いてしまった。こんなに苦しい思いをしているのなら八つ当たりしても仕方ない! 下着泥棒ができないようにすべての男の親指を切り落とそう! って」
「あれ? 結論おかしくない? 八つ当たりってレベルじゃなくねえ?」
「そう、これは報復よ。私の下着をこれから盗む可能性のある男たちへの報復」
「パラドックス生まれてんじゃねえかよ人の話を聞け」
冬平は呆れた。飛躍先が見当違いすぎる。
「でもまぁ、大体わかった」
「そう? じゃあ、今度は丹澄くんが親指をくれるの?」
「理解しただけで賛同したわけじゃねえ」
「じゃあ、何よ。通り魔するのを手伝ってくれるの?」
「通り魔は動詞じゃねえし、手伝ってもやらねえよ」
小首を傾げる桶子からさっと目を逸らしながら、冬平は頬をかいた。
それから、そっぽを向いたままで言う。
「要は、下着泥棒を解決すりゃあ、漁木は人の親指を切り落とさなくなるんだよな?」
言うと、桶子はきょとんとした。
しばらく呆然と固まると、やがておずおずと冬平の眼前にしゃがみ込む。ちなみに、冬平はまだ地面に膝を置いたままであった。
「……丹澄くんには、できるの?」
シンプルな問いだった。
だが、冬平にはそれで充分だった。
「できるできないじゃなくて、俺がやりたいんだ。知っちまった以上、もうお前に罪を重ねてもらうわけにはいかねえよ。天が許したって俺が許せないからな」
「それは、よくわからないわ。私はまだ丹澄くんの指を切っていないじゃない。怒られる筋合いはないと思うんだけど?」
「誰が被害を受けたとかじゃないんだ、これは。漁木桶子が罪を犯すことを、他ならぬ俺が見ていたくないだけなんだよ」
「ずっと思っていたけど、丹澄くんって可笑しな人ね」
「面と向かって言わないでくれない?」
「ふふっ、ごめんなさい」
桶子は微笑むと、音も立てずに立ち上がった。
月明かりを背にする少女に、冬平は息を呑む。今まで見たどの桶子よりも美しかった。
「そうね、丹澄くん。これはあんたの贖罪でもあるわ。善意とは言え私の下着をありったけ盗んだ丹澄くんに、罪滅ぼしの機会を与えましょう」
「お前の方が重罪だからな? わかってるな?」
「えぇ、もちろん。だから、丹澄くんが解決してくれた暁にはもう八つ当たりなんてしないってここに誓います。色白美少女の名にかけて」
「本当にわかってんのか……?」
怪しかった。「もう八つ当たりじゃなくて趣味よ、趣味。だから邪魔しないで」とか屁理屈こねて来そうだった。
(だが、うん。俺は信じていてやろう。それで救われる命もきっとあるはずだ、うん。誰も死んじゃいないが)
恋は盲目という言葉がある。それがこの状況にどう関係してくるのかは敢えて言及しないが、とにかくそういう名言がこの世界には存在した。
「じゃあ、丹澄くん。今後の方針が決まったところで、私の家について来て」
「なぜに?」
「あなたが下着泥棒を放置したままだからに決まってるでしょ」
「そうだった……」
回想までしておいてあっさりと失念していた冬平は、桶子の言葉で思い出す。
桶子の「あと、家を荒らされたらしいからその後始末もお願いね」という追い打ちも受けながら、冬平は優雅に去っていく後ろ姿を追った。
その道中で、冬平はこんな頼み事をこぼす。
「あの、そろそろ他二本のナイフも抜いてくんない?」
かくして。
下着泥棒と通り魔という、奇妙なコンビが誕生した。
彼らが正義に裁かれる日は、いつ訪れるのだろうか。