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#5  冬平くんと桶子ちゃん

 さて、語らなければならないことが実は一つだけ残っている。

「はい、(あさり)()先輩。これで全部です」

「もういくつ盗まれたかなんて覚えてないから、(そと)鹿(じし)さんの言葉を信じることにするわ。本当にこれで全部ね? 何も隠してない? 今ならまだ怒んないわよ?」

「一瞬で疑い始めましたね……なんて信用のない……」

 (よう)()と外鹿、そして(とう)(へい)の三人は例の体育館裏にいた。

 下着を返し、誠心誠意謝罪する。許す際、外鹿に出した条件である。どうやら約束通り持って来たらしい。

「まぁ、いいです。今回悪かったのは全面的に私ですから。結局は先輩の気を引けてもいなかったみたいですし、本当にいたずらに苦しめてしまっていただけだったんですね。すいませんでした、もうしません」

「いいのよ。これが本当に盗んだもの全部なら」

「だからちゃんと全部ですってばぁっ!」

 信じてくださいよぉ~、と外鹿は泣き縋る。

 足にまとわりついてくる外鹿を鬱陶しそうに押し返す桶子は、助けを求めて冬平の方へ目を向けた。

「今のはお前が悪い。もっと信用してやれよ」

「だ、だって、私の下着を他人に盗ませていたような女なのよ……?」

「それでも、だ。反省してるやつを無下にするな。ちゃんと許してやるのも被害者の務めだぞ」

()(すみ)くんだけは絶対に許さないわ」

「何もしてないだろ?」

「だからよ」

「はぁ?」

 気難しい桶子に、冬平は肩を竦める。

 一方で、助け船をもらえなかった桶子は強引に外鹿を引き剥がすと。

「疑ってごめんなさい。もうしないから泣かないで。とても面倒くさ……いえ、やかまし……えっと、悲しいわ。人が泣いてるのって好きじゃないのよね、そう、うん、好きじゃないわ」

「私は好きですよ、漁木先輩のこと。永遠の憧れです」

「そ、そう、ありがとう……。じゃあ、お願いなんだけど、今日はもうどこかへ行ってくれないかしら」

「ほほう?」

 気まずそうに目を逸らしながらされたお願いに、外鹿は従うより先に目を輝かせた。

 何かを察したような意地の悪い笑みを向けられて、桶子は一歩後退する。だが、逃がすまいと外鹿が追随した。

 小指を立てて口を三日月型に歪める外鹿は、顔を寄せて小声で問いかける。

「アレですか? 黒と白でもなければ酷く薄くもない方のアレですか?」

「……ど、どれかしら」

「なるほどなるほど。それじゃあお邪魔するわけにはいきませんね」

「物分かりが良すぎて怖いわ……」

「頑張ってくださいね。丹澄先輩はどうでもいいですけど、漁木先輩のことだけは応援してますから。では、ワンチャンすら失った私は噂で耳にできることを期待してます」

 何を企んでいるのか、外鹿はやたら楽しそうに去って行くのだった。

 かくして、体育館裏には冬平と桶子の二人だけになった。

「……えっと」 

「……その、だな」

 顔を見合わせ、お互い同時に声を出す。

 だが、すぐに。

「…………」

「…………」

 相手に譲るべく二人とも押し黙ってしまった。

 それから、しばらく経って、どちらも切り出しそうにないとわかると。

「……あのね、丹澄くん」

「……あのな、漁木」

「…………」

「…………」

 またも言葉が重なり、合わせて口を噤んでしまうのだった。

 そうしたやりとりをもう何回か繰り返すと、ついに痺れを切らして、冬平が強引に流れを断ち切った。手を前に突き出し、制止を呼びかける。

「わかった。順番にいこう。先に俺に言わせてもらえないか?」

「えぇ、そうね。賛成だわ。でも、順番を決めるって点だけ。先に言うのは私にさせて」

「いいや、俺が先だ。言い逃げさせてくれ」

「いいえ、私が先よ。譲ったら先に何を言われるかわかったもんじゃないもの。確実に言える状態の時に言わせて」

「俺だ」

「私よ」

「じゃん」

「けん」

「「ぽん!」」

 結果、冬平がグーで桶子がチョキ。先攻権を手に入れたのは冬平の方だった。

 悔しそうに睨む桶子など歯牙にもかけず、深呼吸を繰り返す。

 ついに来た。やっと来た。事件も解決し、ようやく想いを伝える準備が整った。ここを逃して他にない、千載一遇のチャンスと言える。

(断られるのはわかってる。だが、言わないままで逃げるのは性に合わねえ。もう決めたんだ。なら踏み出さない道理はねえ)

 決意を胸に、冬平は表情を引き締めた。

 何度か咳払いをして喉を整える。姿勢も正し、制服の皺も伸ばす。締めるネクタイもしていなければ、セットするほど髪に頓着したこともない。ムードとしてはあまりよろしくないが、冬平には気にしていられる余裕もなかった。

「まぁ、わかってると思うが、俺の用件は昨日の続きだ。下着泥棒の件が終わったら言うって約束だったしな。だから、えっと……い、言うぞ?」

「どうぞ。できるだけ早口で聞き取れないようにしてくれると私としてはやりやすいわね」

「それは暗に拒否してるよな……?」

「逃げ腰なだけよ」

 何からどう逃げているのか判然としない堂々たる有様だが、催促であることには変わりなかった。

 冬平は生唾を飲み込むと、今度こそ腹を決めた。

 幾度か深呼吸を繰り返す。

 そして、ようやく、絞り出すように。


「俺は、漁木のことが好きだ。お前のことが、漁木桶子のことが好きだ」


 直後、桶子は信じられないとでも言うように目を見開いた。

 放っておけばこぼれ落ちてしまうんじゃないかと心配になるほどに、仰々しいとすら思えるほどに、大きく大きく見張っていた。

 しかし、まだ続きがあった。

「だが。俺は別に、『付き合ってくれ』だなんて言うつもりはないんだ」

「……え?」

「そんな立場じゃないことはわかってる。断られることだって承知の上だ。それでも、これだけは言わせてくれ。お前さえ許してくれるんなら――」

 そこで、冬平は深々と腰を折ると。

 手を差し出して、こう言った。

「――俺と友達になってくれないか?」

「……っ!」

 桶子の瞳が一際大きく開かれる。

 けれどそれも一瞬のことで、すぐに目を伏せてしまった。ピクピクと眉を震わせ、奥歯をギリっと噛み鳴らす様は、怒りを抑えているように見受けられる。

(予想はしてたが、そうなるよな)

 当然だ。通り魔になる原因を取り除いたとは言え、冬平だって一度は下着を盗み出した身なのだから。どの面下げて友達になりたいだなんて言えたのか、桶子はそう言いたいのだろう。

 果たして、桶子は震えた声で応える。

「お……お断りよ」

 気を張っていないと衝動的に捲くし立ててしまうからだろう、その声には感情が乗っていなかった。

 心構えはできていたつもりでも、いざ面と向かって言われると堪えるものがあった。すべては己が生み出した結果ではあるが、いや、自分が原因なだけあって、冬平は余計に心が抉られた気分だった。

(因果応報ってやつだな。はは、情けねえ……)

 胸を満たす重苦しさに、かえって笑いが込み上げてくる。

 後悔なんてやり尽くしたと思っていたのに、まだまだし足りないだなんて、どれだけ欲深いのだろう。悔い改めれば印象が好転すると勘違いしていたのかもしれない。こちらがどれだけ省みたって、桶子が許してくれるはずもないというのに。

 自身に対するどうしようもない怒りに、ぶつける相手も見つけられないまま冬平は背を向けた。こんな格好悪い顔を、他ならぬ桶子に見せるわけにはいかない。

 だが、次の瞬間。


「友達なんかじゃ、私は満足できない……!」


 ふと、桶子の言葉に耳を疑った。

 背中にぶつけられた堰を切ったような吐露。何の意図か、何を期待してか、冬平にはどれだけ小さな断片だろうが理解できなかったが、その声に涙が混じっていることだけはわかった。

 咄嗟に振り返る。

「そこで止まるなんて嫌! 絶対に嫌! せっかくここまで来たんだから、妥協なんてしたくないっ! カッコ悪い遠慮なんてしないで自分の本音をぶちまけなさいよ!」

「お前、何を……」

 今度は、冬平が瞠目する番だった。

 桶子は今にも泣き出しそうだった。というか、半分くらい泣き始めていた。瞳を濡らし、洟を啜り、声を揺らす彼女を他にどう捉えれば良いのだろう。

 狼狽える冬平に、腕で乱暴に目を拭った桶子は言い放つ。

「次は私の番よね」

「あ、あぁ、そうだが……」

「じゃあ言うわね。こっちだって昨日の続きよ。隠してたこと全部――もっと言えば、私が通り魔になった本来の理由を話すわ」

 瞬間、冬平は神経が張り詰めるのを感じた。

 すっかり騙されていたもの。ストレスに代わるもの。ともすると、この二日間がふいになるもの。そして、これまで桶子が嘘をついてまで隠し続けていたもの。

 その実状が明らかになる。喜ばしいような、恐ろしいような、よくわからないもどかしさに包まれる。どうせなら心の準備でもしておくんだった、と今更になって歯噛みした。

 桶子は言う。半ば責め立てるように、あるいは何かを諦めたように。

「私が人を襲うようになったのは、丹澄くんのせいよ」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」

 冬平はポカンと口を開けた。

 当然、桶子の告げた真実が意味を汲み取るに至らなかったからだ。

「丹澄くんが原因で通り魔になったわ」

「いや、聞こえてはいたが」

 そう、ちゃんと聞こえてはいた。だからって、何をどう掛け違えば会話すら交わしたことのない接点ゼロの相手を理由に他人の指を切り落としてしまえるのか。

 さすがに説明不足が過ぎやしないだろうか。冬平は恐る恐る踏み込んでみることにした。

「えっと、それはつまり……どういうことだ?」

 具体例を示そうとするも、巧いたとえが出てこなかった。

 恥じ入りつつ、桶子の言葉を待つ。

「前に不器用な男の子の話をしたじゃない?」

「……あぁ」

「その人なら、私が狂ってしまえば止めてくれるんじゃないかって思ったのよ。私を止めて、叱って、その上でちゃんと理由を聞いて、下着泥棒も懲らしめてくれるんじゃないかって、ものすごく重い期待もしたわ。今思えばものすごく付け上がった女よね、私って」

「それが俺とどんな関係があるんだ? 俺がそいつとの仲を邪魔したってのか?」

「違うわ、丹澄くん」

 きっぱりと、桶子は否定した。

 ……わけもなく。

「そこは『そいつは来たのか?』って聞くところよ」

「はぁ?」

 意味不明なアドバイスに、冬平は首を捻る。

 だが、桶子は冗談なのか本気なのかわからない曖昧な調子のまま。

「さん、はい」

「…………」

「さん、はい」

「……来たのか、そいつは?」

「えぇ、ちゃんと来てくれたわ。……もっとも、私の下着をありったけ盗んだ後っていう、あまり嬉しくない登場ではあったけど」

「はぁ? なんだそいつ。まるで俺みた――い、だな……」

 ふと、冬平は引っかかりを覚えた。

 まるで自分のようだ。確かにそう感じた。でも、だとすると……。

「まさか、本当に俺のこと、か……?」

「そう言ったじゃない、鈍いわね。それに、せっかく回りくどい言い方をしたのに台無しじゃない。そんな風だから後輩にも簡単に変態扱いされちゃうのよ」

「いや、待て。待ってくれ。それじゃあおかしい。お前は俺のことを嫌っていたんじゃないのか?」

「逆に聞くわ。そんなこといつ言ったのよ」

「いつって、だって今まで……」

 そう、今まで、桶子は一言も面と向かって『嫌い』といった方向性の言葉は使っていなかった。似たような態度を取ってはいたが、はっきりと拒んだことはただの一度もない。

「……まさか、俺が一方的に思い込んでいただけ……?」

「そうね。私は出会ってから……ううん、去年の春からずっと、丹澄くんにほの字だったわ」

「ぐっ、おまっ、そういうのはアレだ、アレ。あの……やめろ!」

 冬平は焦ると語彙力がなくなるのだった。

 有り得ない。おかしい。嘘だ。様々な否定が頭を埋め尽くす。冬平は下着を盗んだも同然の男だし、桶子が慕うほど善良な人間ではない。過大評価も甚だしかった。

 だが、何だろう。

 この涌き上がる感情は。

「なんで泣いてるのよ? おかしくない?」

「俺は、ずっと嫌われてると思ってたんだ。下着を盗んだし、しょっちゅうナイフで刺されたし、嫌な思いもさせてきた。だから、ちょっと、漁木の言葉が信じられない」

「丹澄くん……」

 桶子の瞳は慈愛に満ちていた。

 それから、その目をすっと細めると。

「……女々しいわね」

「う、うるせえ! 悪いか!」

「悪いわね。女の子が想いを打ち明けたのよ? ねぇ、泣いたままでいいの? 何かすることがない?」

「やることだと……?」

「えぇ。あるでしょう、アレとかコレとかソレとか。私は逃げないわよ」

「……それも、そうか」

 手を広げて挑発する桶子に、冬平はいっそ敗北感すら覚えた。

 女々しい。なるほど確かに桶子の言う通りだ。相手の胸の内も知らないままで勝手に勘違いして勝手に諦める理由を作っていたのだ、責められるのも納得できる。

 対して、桶子はなんて肝が据わっているのだろう。格好良くさえ思えてきてしまう。

「そうだな、さっきの告白は撤回しよう。俺が女々しいのも、まぁ、認めよう。あぁ、保身的だった。漁木の気持ちを勝手に決めつけて、一方的に遠慮しちまってた。だからもう一度ちゃんと言う……いや、言わせてくれ」

「えぇ、良いわよ。私はそのすべてを受け入れて、満足に抱え込んで見せるわ」

 包容力を感じさせる笑みを湛えて、桶子は頷いた。

 冬平はそのまま抱き締めたくなる衝動をぐっと堪えると、これ以上ないほど真剣にこう告げた。

「好きだ。俺と付き合ってくれ」

 もはや多くを語る必要はない。そう考えてのことだった。

 だが、桶子にとっては不意打ちに等しい言葉選びだったのか、それまでの態度が嘘のように顔を真っ赤にしてしおらしくなってしまった。

 そんな桶子の回答は、こうだった。

「は、はい……」

 一気に恥ずかしさが込み上げてきたらしく、か細い声で応えた桶子は両手で顔を覆ってしまった。

 今にも煙を出しそうな雰囲気だが、冬平はむしろ心配になってくる。

「お、俺なんか変なこと言ったか……?」

「違うの。何も変じゃないの。というか、変じゃなさすぎたからこうなってるって言うか、その……そんなの、ズルいわ……」

「そうか。まぁ、その、なんだ。ちゃんと幸せにしてやるから」

「そういの! そういうのがこうするの!」

「もっと具体的に言ってくれよ」

「好き! 大好き!」

 かくして、下着泥棒と通り魔だった二人は、紆余曲折を経て結ばれた。

 誤解と、独断と、遠慮と、多くの不都合によってねじくれ曲がった二人の初々しい感情は、ようやく一つに重なり合うのだった。



 下着泥棒と通り魔の物語は、こうして幕を下ろした。

 これより先は、丹澄冬平と漁木桶子の、なんてことのない平穏な日常が続く。

 ……と、信じて。

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