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#4-4 下着泥棒と大団円

 程なくして、(かし)()は目を覚ました。

「やっと起きたのね、お姉ちゃん」

 いち早く気が付いた(よう)()が声をかける。

 目を開けた槝子は、桶子の優しそうな表情にほっと安堵した素振りを見せたかと思うと、その直後。隣の(とう)(へい)を目にして全身を強張らせた。

「安心してくれ。もうあんな真似はしない」

「……私が桶子ちゃんの下着を盗もうとしないなら?」

「そうなるな」

 恐る恐るといった様子での槝子の問いかけに、冬平は一も二もなく頷いた。

 それから、すぐに眉間に皺を寄せると。

「というか、俺自身がやりたくない。今度やるんならもっとまともな方法を模索する。それ以前に、もうこんな制裁が必要な案件には首を突っ込まないでいられることが理想だがな」

「やりすぎた自覚はあったんだ……」

「ねぇ、お姉ちゃん。()(すみ)くんも反省してるみたいだし許してあげて」

「うん、そうだね。気絶するほど気持ち悪かったけど、悪気はなかったみたいだし、嫌わないでおいてあげる」

「あれ? なんで俺が悪いみたいになってんの?」

 (あさり)()姉妹のコンビネーションに、冬平は狼狽えた。

 今責められるべきは槝子の方だろう。事に及んだ理由を問い詰める必要があるだろうし、それらを償わせなくてはならない。だというのに、どうしてこちらに矛先が向いてしまうのか。

(とは言え、姉妹間の軋轢が減るんなら、これくらい安いもんかな)

 何より、桶子が笑っていることが肝要だった。冬平にとって、今はたったそれだけのことがこの世のどんな出来事よりも大切なのだから。

 無意識にふっと微笑むと、極力刺々しさを出さないように言葉を選びつつ。

「なぁ、槝子さん。教えてくれないか。どうしてこんなことをしたんだ?」

「そうね。それは私も聞きたい」

「……そう、だよね。せめて桶子ちゃんにはきちんと話しておかないとね」

「俺は? ねえ俺には?」

「きっかけは一人暮らしを始めたことだったかな」

 寂しそうな顔で、槝子は語り出した。

 懐かしむように、悔やむように、ぽつぽつと続ける。

「最初は、桶子ちゃんから離れなきゃなって思った。そうしないと、きっと私はいつまでも頼りっぱなしで、甘えっぱなしで、依存しちゃうだろうから」

「お姉ちゃんが私に依存? どういうこと? 逆じゃないの?」

「ううん、これで合ってるよ。桶子ちゃんはピンと来てなかったかもしれないけど、私はずっと甘えてたの。朝起こしてもらうことだってそう。寝起きが悪いのは間違ってないけど、それでも自力で起きられないほどじゃなかった。でも、桶子ちゃんが起こしに来てくれたから、ついその優しさに溺れてた。面倒くさいことを頼まれた時は絶対に桶子ちゃんを巻き込んでたし、ちょっと気分が下がっただけで慰めてもらおうと立ち回ってた。私はそんな、妹を体よく利用するひどい姉なんだよ」

「お姉ちゃん……」

「失望したでしょ?」

 槝子は自嘲気味に笑った。

 悲しそうな桶子に言い聞かせるかのような、不必要に負い目を感じさせないかのような、思いやりが内に秘められた笑みだった。

 身体を起こすと、槝子は真っ直ぐに桶子を見つめる。

「だから、私は桶子ちゃんから距離を取ったの。いつでも利用できる場所にいれば、ずっと使い続けちゃうだろうから、自分と桶子ちゃんのために一人暮らしを始めた。でもね、ダメだった。逆効果だった」

「どういこと?」

「気付いちゃったんだよ。私は、桶子ちゃんのことが家族以上に好きだったんだって」

「……え?」

 不意の告白に、桶子は目を点にした。

 無言で聞いていた冬平も、理解に苦しむように眉根を寄せる。どうやら想像以上に根は深いようだった。

 想定内の反応だったのか、槝子は特に堪えた様子もない。

「好きだったんだよ、女の子として。最初は自分でも信じられなかったよ。同性の、しかも家族を、妹を恋愛対象として愛すなんて有り得ないと思った。でもね、考えれば考えるほど、その疑念は確信になっていった」

「つまり、お姉ちゃんは私に恋してるってこと……なの?」

「しかも特大のをね」

「へ、へえ……」

 軽蔑するような、それでいて嫌ではなさそうな、微妙な表情をする桶子。

 それでも、槝子は続けた。

「自覚したらもうダメだった。我慢できなくなっちゃった。だけど、家に戻ったら戻ったで桶子ちゃんとどんな顔で会えばいいのかわからなくなりそうで、にっちもさっちもいかなくなった。その頃の桶子ちゃんはちょうど受験期だったのもあって、余計に私は身動きが取れなくなって、だけど好きって気持ちだけはどんどん大きくなっていくものだから、いっそのこと怖くなった」

「それで、どうしたの?」

「後はもう知っての通りだよ」

 重たい空気をまとって、槝子は俯いた。見ている側の方が気落ちしてしまいそうですらある。

 槝子はどれだけ自分を責め続けていたのだろう。結局彼女も桶子の姉なのだ。妹のことを想うあまり、心が壊れてしまうまで耐えようとしてしまったくらいなのだから、その心労は計り知れない。

 冬平と桶子に見守られる中、槝子は深く息を吐くと、意を決したように口を開いた。

「桶子ちゃんが恋しくて堪らなくなって、私は実家に戻るたびにこっそり下着を盗むようになった。少しでも桶子ちゃんを近くに感じていたかったのもあったし、他の服じゃ大きさ的にこっそり持ち出せないかもしれないとも思って、下着を選んだのはそんな理由」

「それだけ?」

「うん、本当にそれだけ。他に理由なんてないし、使うこともしなかった。だから許してなんて言うつもりはないけど、信じては欲しいかな」

「信じる、信じるよ。だってお姉ちゃんだもん。私のたった一人のお姉ちゃんだもん!」

 そう言って、桶子は笑顔で槝子に抱きついた。

 その瞬間、槝子がだらしなく表情を緩ませる。無論、抱きついている桶子には見えるはずもない蕩け顔だが、冬平だけはバッチリと目撃していた。

(涎まで垂らしちゃってまあ……。本来ならツッコむべきなんだろうが、今回くらいは水を差さないでおくか)

 できるだけ邪魔をしないようにと、冬平は息を殺して成り行きを見守ることにした。

「ごめんね、桶子ちゃん。私……自分のことしか、考えてなかった……」

「ううん、いいの。私を好きでいてくれたってわかったから、悪意がないならもうそれでいいの」

「本当にごめんね。下着泥棒の被害に遭ったって頼ってくれたのに、頼られたことが嬉しいばっかりに本当のことを打ち明けられなくて。ちゃんと伝えていればもしかしたら定期的に譲ってくれたかもしれないのに……」

「うん? それはいくらお姉ちゃんでも有り得ないと思うんだけど?」

「頼られることで、私は余計に桶子ちゃん成分を求めるようになって、下着を盗む頻度が高くなったっけ。桶子ちゃんが一人暮らしを始めた時はチャンスかもと思ったりもしてた。本当にひどいお姉ちゃんだよね。すぅ……はぁ……」

「……お姉ちゃん? 匂い嗅いでない?」

「あぁ、桶子ちゃん桶子ちゃん。ごめんね、ダメなお姉ちゃんでごめんね。頼られるためにストーカーの手紙まで偽造してごめんね。下着泥棒は自分なのに無意味な対策方法ばっかり教えてごめんね。泊まった時なんて寝てる間に何度かチューしたこともあったよ。おっぱいも揉んだ。髪の毛も食べた。桶子ちゃんの前で寝相が悪かったのは抱き枕状態で寝始めたってだけ。本当に本当にごめんね。イケナイお姉ちゃんでごめんね。くんかくんか」

「えっ、えっ、どんどん悪事が涌いてくる……って、さり気なくお尻撫でられてる!? 丹澄くんの仕業!?」

「ふざけんな! 冤罪だ!」

 掘り下げれば掘り下げるほど湯水の如く涌き出す黒い影に、桶子はすっかり混乱してしまっているようだった。

 臀部を撫でられながら目を白黒させる桶子は、逃げようともがくのだが、槝子がガッチリとホールドしていて放さない。

「ひぃ……首筋舐めないでぇ……」

「はぁ……桶子ちゃあん……夢にまで見た超接近……」

「に、丹澄くん助けて! お尻揉んでないで助けて!」

「だから俺じゃねえ! 助けてはやるけど俺は何もしてねえ!」

「とか言いながら丹澄くんが動いたらお尻触る手がなくなったのはどういうわけよ!?」

「おい、槝子さん! とっとと暴走を抑えろ! どんどん謝罪の重みが薄れてんだよ!」

「無理。久しく桶子ちゃんとふれあってなかったから理性が言うことを聞かない」

「ちくしょう! 一人だけ楽しみやがって!」

「あれ? 丹澄くん? あんたまで発言おかしくない?」

「気のせいだろ。証拠を見せてくれ」

 疑問の声を雑に流し、冬平は桶子を救出する。

 もがく槝子の顔面を平手で押さえつけると、そのままの姿勢で問いかけた。

「本当に反省してんのか? これ以上やるとジャックナイフが火を噴くぞ?」

「ひっ! も、もうしたくないって……!」

「下ネタじゃねえよ。あんたの妹がキレるって言ってんだ。言葉だけじゃなく、それなりの誠意を見せてやれよ」

「……それもそうだね」

 槝子はもがくのもやめて、荒い鼻息も整えると、ようやく殊勝な態度になった。

 それを確認して、冬平は手をどける。

「ちょっとおふざけが過ぎました。反省してるのは本当。もう絶対に桶子ちゃんが嫌がることはしないよ。盗んだものも全部返すし、それでも足りないなら近付くこともしない」

「お姉ちゃん」

「ううん、いいの。もういいんだよ、桶子ちゃん。私はこれから桶子ちゃんなしでも生き――」

「お姉ちゃん!」

「っ!」

 一方的に距離を置こうとする槝子の言葉を、桶子は強く遮った。

 瞠目する槝子は、すぐに顔を背けた。まるで罪悪感に苛まれたかのように、あるいは許されることから逃げるかのように。

 だが、桶子は槝子の頭を乱暴な手つきで挟むと、強引に自分と目を合わさせた。

「聞いて、お姉ちゃん」

「……や、やめてよ、桶子ちゃん。逃げさせてよ、償わせてよ」

「ダメ、逃げないで聞いて」

「…………」

「こっちを見て」

「……はい」

 桶子が頑固なのはすでに承知しているのか、ついに槝子は観念した。

 大人しく従う姉に、桶子は安心したように微笑んだ。

 それから、手を離すと、正面に正座する。

「あのね、お姉ちゃん。私もお姉ちゃんのこと、好きよ。もちろん家族としてだけど、ちゃんと好き。大好き。でも、まったくわかってなかったみたい」

「そんなこと……」

「あるよ。私はただ憧れてただけだった。期待を押しつけてるだけだったんだってわかった。私の目から見えてたお姉ちゃんはすごい人だったけど、本当のお姉ちゃんはもっと年相応に悩みを抱えてたのね。悩みそのものはまったく年相応じゃないけど、気付いてあげられなくてごめんなさい」

「なっ、なんで桶子ちゃんが謝るの! 違うでしょ、悪いのは私で……!」

「ううん。私が弱いのがいけなかったのよ。でも、でもね。一つだけ言わせて」

 そこで桶子は一度言葉を区切り。

 そして、一際優しい目をして、こう言った。

「私は、すごいお姉ちゃんが好き。立派なお姉ちゃんが好き。だから、また頼らせて。いつか私がお姉ちゃんみたいに立派になれるまで、手を引いてくれないかしら」

「桶子ちゃん……」

 槝子は瞳を潤ませた。

 ぐっと強く下唇を噛み、こぼれそうになるのを我慢する。罪悪感との葛藤でもあるのか、顔を真下に向けてまで涙を隠そうとしていた。

 だが、その甲斐も虚しく。

 ポタリ……、と膝の上に滴が落ちた。

 それを皮切りに、「うっ」「うっ」と断続的に嗚咽が洩れ始める。時折手の甲で目元をこすっては、小刻みに肩を震わせていた。

 それを見て、桶子も同じように瞳を濡らすと。

 勢いよく槝子を抱き寄せた。

 そうして、漁木姉妹は声に出して泣き続けたのだった。



 結果として。

 姉妹仲が完全に途絶するような事態は免れ、完璧とは言えないまでも落ち着いた場所に収まった。互いに歩み寄る道を選択し、どうにか騒動は終結したようだ。

 自分から蚊帳の外に出た冬平は、窓の外に目を向けながら、極めて小さな声で呟いた。

「これにて一件落着、か」

 時間にして二日と少し。

 思えば短い時間ではあったが、体感的には気が遠くなるような二日間だった。

 下着泥棒と通り魔の二人は、こうして少年少女へと立ち戻る。

 ようやくただの高校生となった彼らは今から二時間後に普通のクラスメイト同士として顔を合わせることになるのだが、それはまた別のお話。

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