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#3-3 下着泥棒と穏やかな時間

 今日という日を、一生忘れることはないだろう。

 などと、映画のキャッチコピーにでもできそうな感想を胸に抱く(とう)(へい)は、未だ高鳴りを鎮められないまま(よう)()に連れ回されていた。

 この胸の高鳴りは……まぁ、別にドギマギしているからではない。

 カフェのテラス席に座る冬平は、憔悴しきっていた。

「ぜぇっ……はぁっ……」

()(すみ)くんって、体力がないのね」

「おま、っえの……せいっ……だろう、がっ……」

 全身に汗をかき、肩で息をする冬平は、涼しい顔で紅茶を味わう桶子を睨みつけた。

 あの後、二人は桶子の提案でひたすら遊びまくることになった。

 まず映画を見て、それからカラオケをして、ボウリングをして、ウィンドウショッピングを楽しんで。カップルらしくデートをするという重要な目的を忘れて、ただただ楽しむことにしたのだ。

 その結果、演じていた時よりもいくらかカップルらしくなっているということに気付くこともなく、ついには陽が沈みかけてしまっていた。

 だが、ちょっと待って欲しい。

 たったのそれだけで、高校生の男子が息を切らすだろうか。

 きょとんと小首を傾げる桶子へ向けて、ようやく息が整ってきた冬平は堰を切ったように捲くし立てた。

「お前が急に変なことするからだろうが。なんのつもりか知らねえが、これはお前を更正させるための計画でもあるんだからな? どうしてまたあんなことをしようとした?」

「決まってるじゃない。悪いことをしていたから注意しようとしたまでよ」

「ははっ、注意だと?」

 冬平は呆れ返った。

 注意とは、『言い聞かせること』ないしは『忠告』のことだ。国語辞典にもそう書いてある。

 だからそう、例えば。

 次のような事例には、非常に不適切なのである。


()()()()()()()()()()()()()()()?」


 努めて小声で、周囲には聞き取られないように、慎重に桶子へ問いかけた。

 すると、桶子はあっけらかんとして。

「ええ」

「『ええ』じゃねえよ、良いことが一つもねえよ」

「丹澄くん、それはつまんないわ。確かに音はAで、ローマ字表記にするとEだけど、あぁ、あとついでに言えば方言で許可の意味にもなるけど、別に私はそんな意図で使ったわけじゃ――」

「そおおぉいうことを言ってんじゃないんだよもぉ……」

 まともに取り合おうとしない桶子を前に、もはや冬平は泣き出してしまいそうだった。

 どうしてこう、いい加減な返答ばかり浮かんでくるのだろう。一度頭の中を覗いてみたくなる。

「あのな、(あさり)()。俺がどうしてお前を抱えて全力で逃げ出したかわかるか?」

「わかるわ」

「ほう?」

「犬のフンを踏みたくなかったからよ」

「おう上等だ表に出ろ今から身体に叩き込んでやる違ぇよ」

 不穏当な言葉をつらつらと並べ立て、冬平はこめかみをひくつかせる。

 確かに、あの場には犬のフンがあった。

 加えて、そのフンをした犬もいたし、その犬の飼い主だっていた。問題なのは、その飼い主がフンをその場に放置して去ろうとしていたことだが……そこまでは別に良かったのだ。

(いやまぁ、確かにフンを放置するのは悪いことなんだけどな? だからってあれはねぇよなぁ……)

 あの場で桶子が取った行動を思い返して、冬平は遠い目をした。



 ――つい一〇分前。

「見て、丹澄くん。あの人、犬のフンを処理しないまま行っちゃいそうよ」

「うわぁ、マジだ。勘弁して欲しいよなぁ、ああいうの」

 今まで何度か踏んでしまったことがある冬平は、恨めしげに飼い主の後ろ姿を見つめていた。

 その横で、桶子が呟く。

「注意した方がいいわよね?」

「そうだな。よし、行くか」

 毎度あの飼い主に踏まされたわけではないだろうが、危険を少しずつ減らしていくことも必要だろう、と冬平が一歩踏み出すも。

 すっ、と桶子の腕に遮られてしまった。

「それには及ばないわ」

 冷えた声でそれだけ告げると、次の瞬間。

 桶子は、制服のポケットから()()()()()()()()()

「お、おーい?」

「…………」

 嫌な予感がして声をかけるも、桶子の目はすでに据わりきっており、声も届いていない様子。

 その上、早足で飼い主の方へと歩いて行くものだから、冬平は冷や汗が止まらなかった。

「待て待て待て。冗談だよな? それだけで?」

「…………」

「う、嘘だよな? なぁ? 本気か? 正気か?」

「…………」

「頷くな!」

 下着を盗まれてしまった腹癒せをこのタイミングで実行しようと言うのか、桶子はやめる気配がない。

 そしてついに飼い主の背後まで迫った時。

 桶子はナイフを軽く後ろへ振り――

「だぁああああああああああああああああああもう!」

 ――刃が親指を切り落とす前に、冬平に担がれて逃げ出すこととなった。



 いま思い返しても、馬鹿馬鹿しすぎる話である。

 はぁ……、と冬平は溜め息を一つ。

「もう一度聞くぞ、どうしてあんなことをした? 言葉で注意するだけじゃいけなかったのか?」

「ああいう人は一度言うだけじゃダメなのよ。きっとあの場では頷いても、何度だってやるわ。だから一生そんな気が起きないようにする必要があったの」

「だからってなぁ……」

 あまりにも極端な発想に、冬平は思わず頭を抱えた。

 紅茶を飲む姿がよく似合う女の子なのに、どうしてこうも猟奇的に育ってしまったのだろう。つくづく勿体ないと感じてしまう。

 というか、そもそも。

「今までも()()()()にやってたのか?」

「そうね」

 桶子は頷いた。


 ――下着泥棒ができないようにすべての男の親指を切り落とそう! って


 ――これは報復よ、私の下着をこれから盗む可能性のある男たちへの報復


 初めて通り魔を目撃した日、確か桶子はそんなことを言っていた。

「つまるところ、悪人ならいずれ下着を盗む可能性だってあるから今の内に絶っておこうってことか?」

「ええ。セクハラも、歩きタバコも、犬のフンを放置するのも、れっきとした悪だから。誰かに迷惑をかける人には相応の罰が必要なのよ」

「その考えは立派だがな、まったく相応じゃねえ」

 どれも言葉で注意すれば済む話だ。何のために人間は会話ができるのか、桶子もそれを理解していないはずがないだろう。

 ならば、どうして桶子はここまでラジカルなのか。

「なぁ、漁木。通り魔をする理由って、本当に『下着を盗まれた腹癒せ』なのか? 何か隠しちゃいねえか?」

「えっ」

 ふと、疑問に思っていたことを口にしてみると、桶子は表情を強張らせた。

(あれ……?)

 本当に何の気なしの質問だったのだが、想定以上の反応に、冬平の中で違和感が緩やかに顔を上げる。

 桶子の表情は、まるで隠し事が見つかってしまった子供のようだった。であれば、今の桶子には隠したい事実でもあるのだろうか。

(下着を盗まれたからじゃないなら、どうして通り魔なんかになる……?)

 答えを求めようと冬平が視線を流すと、目が合うなり桶子はさっと逸らしてしまった。ともすると恥ずかしそうに、明後日の方向を見つめている。

「なぁ、」

「なんでもないわ、気にしないで」

「……まだ何も言ってないんだが」

 早口で応える桶子に、冬平は鼻白む。

 一方で、桶子は意にも介していないようで、巧妙に視線を外したまま、言い訳のように続ける。

「いいじゃない、細かいことは。べ、別に、私がどんな理由で夜に出歩こうと、丹澄くんには、か……関係、ないんだし」

「ないわけあるか。その理由次第では今までの行動が意味をなくすんだ」

「……そ、それは、そうだけど……」

 力なく肩を落とし、桶子は渋々ながら賛同した。その様子は、あたかも言い訳が通じずにしょぼくれる悪童のようだった。

 それから、紅茶を一口含むと。

「……でも、下着泥棒の件を解決してくれれば、通り魔はちゃんとやめるつもりよ」

「なんか釈然としないんだが……まぁ、いいか。漁木がそう言うならこのまま続けるが、本当の理由はそのうちちゃんと聞けるのか?」

「……そ、そうね。全部終わったら伝えるつもりではいたわ」

「そうか。それならいい」

 これ以上は追及しないと、冬平はそこで話を打ち切った。

 どうして桶子は照れているのかとか、本当に人を傷つけるに足る理由なのかとか、色々と問い質したいことはあったが、すべて飲み込んで保留にする。桶子が全部打ち明けると言ったのなら、それを待つまでだ。

 さて、と冬平は声に出して席を立つと、桶子の隣に回って手を差し出して。

「遠足が家に帰るまでなら、きっとデートだって似たようなもんだろ。(そと)鹿(じし)は出て来なさそうだし、家まで送ってやるよ」

「ふふっ」

 言うと、手を取りながら桶子はなぜか可笑しそうに顔を綻ばせた。

 どうにも良い気分のしない冬平は、不機嫌そうに渋面を作る。

「……んだよ」

「いえ、キザだなぁと思っただけよ」

「それ、褒めてねえよな?」

「さぁ、どうでしょうね」

 悪戯っぽく笑うと、桶子も席を立つ。

 そうして二人は帰路に就くのだった。



 電車に二五分ほど揺られた二人は、そこから一〇分ほど歩いて桶子の住んでいる集合住宅まで向かう。

 すっかり陽も沈んで、道は街灯に照らされていた。もう手を繋いでいる必要もないなと考える冬平だが、もう少し触れていたいので敢えて指摘せずに黙っておく。

(でも、手汗が少し気になる……)

 どれだけ時間が経過したって、桶子を相手にして緊張しないはずもなく、実のところずっと手汗は滲みっぱなしだったのである。

 嫌がってなきゃいいが……、などと不安が膨らむも。

「結局、ここまで来ても外鹿さんは何もして来なかったわね」

「えっ? あ、あぁ、そうだな」

 そろそろ「気持ち悪いから手を離してくれない?」と振りほどかれる頃合いかとビクビクしていた冬平は、不意の質問に対して挙動不審気味に頷く。

 桶子はそんな冬平に奇異の視線を向けた。

「ひょっとして知らない間に何かされてたの?」

「いや、な、っんでも、ないぞ?」

「変なところで噛んだわね」

 冬平は心臓を掴まれた気分だった。

 平たい目で怪しむ桶子は、さらに追い打ちをかけるように声を低くする。

「隠し事があるのね。さっきから手汗がひどい理由はそれ?」

「ひぇっ」

 冬平の喉奥から、変な音が漏れた。

(ば、バレてた……!)

 隠し事を疑われていることよりも、まず真っ先に手汗について言及されたことに恐怖した。

 なんて鋭いのだろう。口調も鋭ければ、勘も鋭いと言うのか。まるで誘導尋問にでもかけられたかのような気分にさせられる。

「ててて、手汗は、なんつーか、その、緊張って言うかね?」

「だから、隠し事がバレないかどうか不安だったんでしょ?」

「……その緊張ではなく童貞特有のものと言いますかごにょごにょ」

 侮蔑を怖れ、冬平は口ごもる。

 案の定、桶子は上手く聞き取れなかったようで。

「はっきり言いなさいよ」

「は、はっきりだと!? ここで!? お前に!? そんなんできるかぁっ!」

「んなっ!? 何よその態度!? せっかく人が心配してあげてるってのに! ふざけてんのあんた!?」

「ひいぃ……」

 衝動的に返したことが災いし、冬平の首筋にナイフが飛んでくる。

 刃先が皮膚に宛がわれ、寿命が縮む確信を得た。

「か、勘弁してください……」

「そんなに嫌がるなんて……。本当に脅されたわけじゃないの?」

「だからそう言ってるだろ……」

「じゃあ、どうして……? 不安じゃないなら、何の緊張が……?」

 桶子は腕を組んで考え始めた。

 そうしてしばらく悩んでいた桶子だったが、やがて答えに行き着いたのか。

 ぼんっ、と爆発するかのような勢いで顔を真っ赤に染め上げた。

「……つ、つまり、その、私で……?」

「……ん、ま、まぁ……」

 上目遣いで問いかけられ、冬平まで顔が熱くなってきた。

 もう桶子の家も目と鼻の先にまで来ていると言うのに、こんな空気のままでいいのだろうか。このまま別れてしまって、今夜は眠れるのだろうか。

 ……などと、冬平が悶々とし始めたその時だった。


「お熱いですねぇー、お二人ともー」


 家の前から、そんな棒読みの発言が聞こえた。

 冬平は、背筋が一気に冷える感覚がした。気が付けば、自然と繋いでいた手が離れていた。

 なぜ、などと問うまでもない。そのために今日のデートがあったのだから。だが、この余裕はどこから湧いてくるのだろう。どうして待ち伏せするかのようにここにいるのだろう。

 冬平は、後ろに黒い影が見えて仕方がなかった。

 急激に乾く唇を舌で潤しながら、座り込んだそいつに声をかける。

「……よう、外鹿」

「わかってましたけど、『どうして?』とは聞かないんですね。無駄な問答をせずに済んで楽です」

 小生意気な言い草をして、外鹿(そな)()はスカートの裾を払いながら立ち上がった。

 そして、冬平と桶子それぞれを順に見回した後。

 幼さを感じさせる笑顔で、無邪気にこう言った。

「今日は、()()をしに来ました」

「懺悔だと?」

 と、聞き返そうとした冬平だったが。

 それよりも先に、桶子の方が踏み込んでいた。

「何を企んでるの、あんた?」

 目を丸くする冬平を余所に、桶子はさらに重ねる。

「今更懺悔しに来たって? そんな発言をおいそれと信じられるほど、私は純真じゃないわ」

「まぁ、そうなりますよね。だって私は、あなたの下着をずっと誰かに盗ませ続けて来たんですからね」

「…………っ」

 あまりにもあっさりと、外鹿は罪を認めた。

 だが、それは懺悔と呼ぶには憚る様子が少しも窺えなかった。どちらかと言えば開き直りと言った方が正しいのではないか、とすら思えてくるほど堂々としすぎている。

 凄絶な違和感。

 何かが変だった。

(一年半も盗み続けていた割に、どうしてこうもあっさりと打ち明ける……?)

 それだけの情熱を持っているのなら、もっと徹底的に犯行を秘匿しているはずではないのか。なぜここに来て自分の計画をふいにするような行動に出るのだろう。

(……まさか)

 冬平は、一つの憶測に辿り着く。

「外鹿、一つ質問に答えてくれ」

「はい何でしょう」

「お前。どうして漁木を狙うようになったんだ?」

「あー、はいはい。やっと聞いてくれましたね。てか、本題に戻りましたね」

 そうそう、それでいいんですよ、と外鹿は満足気に頷いた。

 それから。

 一段と嬉しそうに、胸を張ってこう答えた。


「漁木先輩の通り魔によって、私は救われたんです!」


 その答えで、冬平は確信した。

 外鹿は、桶子を本当に苦しめている下着泥棒なんかじゃない。

 外鹿の答えになっていない答えに疑問を持つまでもなく、冬平は苦虫を噛み潰した気分になるのだった。

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