#3-1 下着泥棒の楽しいデート
私たち、これからデートをするのよ。
などと、夢か幻か定かではない素敵な宣言通り、冬平は桶子とデートをすることになった。
緊張する。そりゃあ、緊張する。勿論だとも。
何せ桶子は、一年生の頃から一目惚れして、ずっと眺め続けて来た存在である。高嶺の花だと思っていたほどだから、告白さえしてこなかった。
そんな桶子と、本人の提案で擬似的にでもデートできるだなんて、一生分の運が尽きてしまうんじゃないかと気が気ではない。
だが、冬平には、また別の不安もあった。
「なぁ、漁木。一つ質問してもいいか?」
「失礼ね。体重は平均値よ」
「もっと軽く思えるがな……って、そうじゃねえ。俺が聞きたいのは今の状況についてだ」
昇降口を出て、校門までの一本道を進む冬平。
奇異の視線をこれでもかと浴びつつ、この中にどれだけ外鹿の手駒がいるのかを警戒して歩く。ともすると全員がすでに手駒にされていて、二人を視線に晒すことで精神的に圧力をかけに来ているのかもしれない。
それはともかく、冬平は疑問を口にした。
「どうしてお前をお姫様だっこして歩かなきゃいけないんだ? これに何の意味がある?」
「今から理由を用意するわ。どんな方向性がいい?」
「理由がないなら降ろしてもいいよな!? なぁ!?」
普段通りを装いつつ、冬平はすでに心の方が臨界点に達していた。下手をすればすでに振り切れているかもしれない。
端的に言って、桶子の身体は余すことなく柔らかかった。
右手に乗った膝裏は骨張っているかと思いきや程良い肉付きをしており、側面に触れる裏腿はまんじゅうのようにもちもちだ。左手で支える背中なんかは驚くほど滑らかで、首に回された手は絹のマフラーでも巻いているのかと錯覚してしまいそうになった。
(このままじゃ、心臓が持たねえ。幸せすぎてはち切れちまいそうだ……)
特別な理由がないのなら、落としてしまう前に降ろしてしまいたかった。
だから説明を求めたのだが、桶子はあっけらかんと言った。
「いくら高校生のラブラブカップルって言ったって、さすがにお姫様だっこなんてしないと思わない?」
「注目してもらうためか。そこまで身体張る必要なんてないんじゃねえのか?」
「それは……まぁ、別にいいじゃない。誰も損なんてしてないわ」
「どうだかなぁ」
冬平としては、いくら作戦のためだとしても桶子が嫌がることはして欲しくないのだが。
(漁木が言うなら、信じておくか)
桶子は自分の意見ははっきり言ってくれる女の子だ。下着泥棒とのデートだなんて正気の沙汰とは思えないのだが、嫌ではないと言うのなら、理由はさっぱりわからないがきっと問題ないのだろう。
と、そんな会話をしている内にも、二人は校門を抜けていた。
「これからどこに向かうんだ?」
「学生の下校デートと言えば、やることは一つよ」
「ほう」
さすがは漁木だ、と冬平は舌を巻く。
まったく経験のない冬平とは違い、桶子にとってはきっと何度か通った道なのだろう。相手が羨ましい限りである。
依然お姫様だっこの姿勢のまま、校門前を横切る坂道を右へ下って行く二人。一体どこまでこの状態で行くのだろうと、冬平が不思議がっていると。
桶子は得意気に、こう言った。
「ゲーセンデートをするわ」
バス停『位場高校前入口』からバスに揺られること二〇分、そこから電車で二駅の場所まで来てようやくゲームセンターは現れる。
案外少ないもんだなぁ、などと呆然と考えながら、冬平は桶子と共に自動ドアをくぐる。筐体からの灯りくらいしかない薄暗い店内に入るや否や、噎せるようなタバコの匂いが漂ってきた。
ちなみに、お姫様だっこはバスに乗る時に一度やめて以降、さすがにお互い再開することに恥ずかしさを覚えて作戦は中止された。とは言え、学校であれだけ注目されれば目的は達成したようなものだった。
「……で。ゲーセンデートって具体的に何をするもんなんだ?」
「えっと、プリクラを撮って……」
記憶を探るかのように答える桶子だが。
「…………」
「…………」
「そ、それから」
「…………」
「……プリクラを、撮るわ……たぶん」
どうやら世の学生カップルたちは自分たちのラブラブっぷりを写真に収めることをひたすら繰り返す生き物らしい。
(いやいや。そんなデートの何が楽しいんだ……?)
得意気に言うものだから、てっきり先導してくれるものだと冬平は思い込んでいたのだが、当の桶子は知ったかぶった恥ずかしさからか、顔を赤くして俯いてしまっていた。
「……ひょっとして漁木もしたことないのか?」
「当たり前でしょ。デートなんて生まれてこの方したことがないわ。何なら誰かと付き合った経験もないんだから」
「へ、へえ~……」
思わずガッツポーズしてしまいそうになった冬平は、すんでのところで抑え込んだ。
本人としては自虐のつもりで言っているのだろう。というか、交際歴がないことを目の前で喜ぶことは恐らく相手にとって失礼なことだ。少なくとも冬平はそう思っている。
よって、動じていないフリを決め込むことにした。
「えっと、じゃあ、とりあえず、プリクラ撮る……か?」
「え、ええ、そうね。同じ行動をすることで心理もわかるかもしれないもんね」
「あ、あぁ、そうかもしれないな?」
どこかぎこちない会話を交わしつつ二人は、プリクラコーナーを目指す。
……だが、辿り着いた二人は、そこで再び思考が止まってしまう。
「おい、プリクラに種類があるなんて聞いてないぞ」
「奇遇ね、私も」
六種類ほど並んだプリクラ機の前で、二人は顔を見合わせる。
「ど、どうする?」
「い、一番手前でいいんじゃない……?」
「そ、そうか」
そうして、よくわからないまま二人は女性モデルのバストアップがでかでかとプリントされた機械の中へ足を踏み入れた。四〇〇円が高いのか安いのか判然としないまま半分ずつ投入する。
その直後。
『デザインを選んでね!』
「うわぁっ!?」
「ひゃあっ!?」
響いて来た案内音声に、二人は心臓が飛び出す勢いで竦み上がった。
冬平は何に対してか戦意を示して身構え、桶子は打って変わって青い顔で冬平の袖に縋りついていた。程なくして恥ずかしさから気まずい空気になってしまったことは言うまでもない。
白光に照らされる目映い機械の中で、二人は沈黙に包まれる。先に破ったのは、耐えかねた冬平の方だった。
「……えっと、とりあえず、やるだけやってみる、か」
「そ、そうね」
入って右側には、備え付けのタッチパネルがあった。どうやらさっきの音声はこの機械から発せられていたらしい。
付属のタッチペンを手に取ると、冬平が先立って操作を進めて行く。
「まずは背景選択かららしいな。……これ以外に何を選ぶのかは知らねえけど」
「一三〇種類もあるのね……一種類で充分じゃないの……?」
「ど、どうする?」
とてもラブラブカップルとは思えない様子の二人。こんな粗末な演技でどの外鹿が僻んでくれると言うのだろう。
などと不安に思う余裕すらないまま、二人は遅々として進まない選択作業をこなしていく。
「撮り方を選択できるらしいわね」
「自撮り風と全身か……漁木はどっちがいい?」
「私に選ばせないでよ、勝手がわからないんだから」
「俺だってわかんねえよ。とりあえずプリクラっぽい方を感覚的に選んでくれ」
「じゃあ、全身……?」
「よし。正面全身と上から全身だとどっちだ?」
「……どっちかと言えば、正面?」
「よし。後は……えっ!? もう撮り始めるのか!?」
「ま、待って! まだ準備が……!」
『いくよーっ! はい、ポーズ!』
馴れ馴れしい音声に伴って、フラッシュとシャッター音が同時に襲ってきた。
辛うじて位置につけた二人だったが、ポーズも表情もおざなりで残念なものになってしまうのだった。
合計で三枚のプリクラを撮った二人は、どこかやり遂げた顔でプリクラコーナーを後にした。
「すごいな。プリクラってスマホに画像を転送してくれるのか」
「待って、丹澄くん。まさか保存したの?」
「べっ、べべ別にいいだろ!?」
ちゃっかりホーム画像に設定しようとしていた冬平は、鋭い察知にひどく動揺した。
じとーっと、桶子は疑いの目で見つめてくる。
「下着泥棒は持ち主の写真も一緒に盗んで行くって聞くけど……」
「ち、ちがっ、違う! 俺は断じてそんなふしだらな目的で欲しいわけじゃない!」
「じゃあ、何よ。一体どんな目的があるってのよ」
「そ、それはだな……」
不服そうな桶子の疑問に、冬平は答えあぐねた。
(ひょっとして告白のチャンスなのか? いや、でも今はまだ早い……)
告白は下着泥棒の件を解決してから。冬平は、そう自分で決めたはずだ。だから、チャンスがあっても切り出すのは今じゃない。
鼻の頭をかくと、冬平はそっぽを向いた。
「その、だな。プリクラなんて初めて撮ったんだよ。だから、その、記念に一応的な……?」
「そっか。それなら黙認しておいてあげる」
「宣言したらもうそれは黙認じゃない気が……」
とは言え、案外あっさりと信じてもらえてほっとする。
胸をなで下ろして、冬平は設定を終えたスマホをポケットに仕舞うと。
「で、漁木。ゲーセンでデートするカップルの心理はわかったのか? ちなみに俺はサッパリだぞ?」
「残念ながら私もよ。わかってたら今頃は次の指示を出してるはずよ」
「だろうな……」
かくして、二人のデートは終わりを迎えた。
(なんて寂しい展開にだけはしたくねえ!)
何せ、始めてからまだ一時間も経っていないのだ。そんな早々にデートを切り上げる冷めたカップルが果たしてこの世に居るのだろうか。冬平は居ないと信じたい人間である。
今日はせっかく桶子と二人きりで遊ぶことができるのだ。この機を逃していつ好機が訪れると言うのだろう。
冬平は、気を引き締めた。
「なぁ、漁木。これって外鹿をおびき出すためのデートなんだよな?」
「そうね。こうしてイチャラブっぷりを全開にしておけば、きっと怒りのあまり丹澄くんを殴りに来ると思うのよ」
「イチャラブって言ってて恥ずかしくねえのか……?」
「い、意識させないで」
指摘すると、桶子は口を尖らせてそっぽを向いてしまった。照明の弱さのせいで定かではないが、心なしか頬は朱に染まっているような気がした。
それはさておき。
「だったら、もっとカップルっぽいことしねえか?」
「……や、やけに堂々と言うのね」
「これでも頑張ってんだよ」
桶子とカップルっぽいことをする。その状況を想像しただけで、冬平の心臓は喜びで爆発してしまいそうなのだ。
それを必死とは言え抑えつけられているのは、もうすぐで桶子を下着泥棒の被害から解放してやれるからだ。だから、どれだけ恥ずかしくても口にする。
「カップルらしさって言ったら、まず思い浮かべることがあるはずだ」
「えっ……? ま、まさかアレをやるの!? こ、こここ、こんにゃ、こんなところで!?」
「それもそうか。こんなところでやるべきじゃねえな」
「ほっ」
と、桶子は胸をなで下ろした。
だが、冬平。
「もっと明るく開けたところでやるべきだ」
「嘘でしょ!? ここでも恥ずかしいのに!?」
「これくらいやんねえと外鹿は出て来ないかもしれない。考えても見ろよ、プリクラでも足りないんだぞ?」
「た、確かに……」
一体全体なにに納得してしまったのか、桶子はしおらしく頷いた。
それから、俯いて口の中で何かをぶつぶつと呟くと。
次に顔を上げた時には、すでに毅然とした顔つきになっていた。
「わかったわ。丹澄くんの言う通りにする」
「さすが漁木だ。わかってくれたか!」
「でも、これだけは約束して。それ以上進んじゃったら、私は何をするかわからないわよ」
「それ以上……って、どういうことだ?」
桶子が何かを誤解しているような気がして、冬平は思わず聞き返す。
すると、桶子は視線を足下に下ろし、不満そうに口篭もった。
「お、男の子って、止まれないみたいだから……」
「止まれない……? 何の話だ……?」
「い、いいから! 私の気持ちが鈍らない内にやるわよ!」
「なぁ、そんなに嫌なら俺は強要なんてしないぞ?」
「別に良いって言ってるじゃない。……丹澄くんとなら、別に、いくらでも……」
「悪い。最後なんて言った?」
「何でもない! いいから場所を移動しましょう! ね!?」
急き立てるように桶子は冬平の背中を押し、二人はなあなあでゲームセンターを後にするのだった。
※
「…………」
当然のように陰からずっと観察していた外鹿備香は、ものすごく反応に困っていた。
正直に言えば、あの二人はまったくカップルには見えない。
(でも、むしろ、それが余計にもやもやさせてくれる……)
言うなれば、付き合いたての初々しさ。あるいは、両片想いのもどかしさ。何だあれは、何なのだ。下手にイチャつくカップルよりもよっぽど精神攻撃力が高いではないか。
「ぐぬぬぬぬ……」
我知らず、備香は歯軋りした。
憎い。丹澄冬平が憎い。
(あんな奴、あんな奴……! ただの変態野郎のくせにぃ……っ!)
離れろ~離れろ~、と視線に怨念を乗せて送り続ける備香だが、二人が気付く様子はない。無論、離れる素振りだってなかった。
――独占したい。
備香はその一心でのみ行動していた。
あの日、桶子に助けられてから。あれから、備香の人生は一変した。漁木桶子という存在がいる、それだけでどれだけ満たされて来たことか。
(見ているだけで良かったのに。遠くから眺めているだけで良かったのに。それを、あの男……あの、丹澄冬平が現れたせいで!)
丹澄冬平が隣に立つようになったせいで、桶子が自分以外の誰かに向けて笑う状況ができてしまった。
「許せない、許せるわけない。絶対に最低最悪奈落の底まで陥れてやる……」
ガリガリと爪を噛みながら、その可憐な容姿に似合わない言葉を吐く備香だったが。
「奇遇だね。私も同じことを思ってたよ、外鹿ちゃん♪」
と、不意に背後から、そんな弾むような声がした。
弾かれたように振り向くと、備香はその人物を見るなり目を見張る。
「せ、生徒会長……と、副会長。ど、どうしてこんなところに?」
「んふふ。ちょっと外鹿ちゃんにお話があってね~?」
鼻歌でも歌うような調子で答える槝子。
対して、備香は警戒するように表情を強張らせた。
「私に? 生徒会に声をかけられるような事をした覚えはないんですけど?」
あくまでも白を切る。それが今の最善だろう。
何しろ相手は桶子の姉だ。しかも、敏腕だの優秀だのと褒めそやされる生徒会長だ。敵に回すほど備香も馬鹿じゃなかった。
だが、槝子はにこっと微笑んで。
「本当に?」
「…………っ」
それだけで、備香は身体の芯から冷えるような悪寒に襲われた。
まずい。直感で察した。
(この人は知ってるんだ……っ!)
備香がやってきたこと。望んできたもの。恐らく、そのすべてをほぼ的確に見抜いているのだ。
ゴクリ、と喉が鳴る。
そんな備香の様子を見て、槝子は勝ちを確信したかのように誇らしげな笑みをこぼした。
「そう怯えなくていいよ、外鹿ちゃん」
「い、いえ、怯えているわけでは……」
辛うじて絞り出した声は、緊張で震えていた。
だからこそ、槝子は続く言葉を止めることはなかった。
「今日はお互いに良い話を持って来ただけなんだから♪」
桶子を彷彿とさせるような妖艶な笑みを浮かべて、槝子はそう持ちかけるのだった。




