9.ランクガルナー士官候補生
昨夜、デウムバルトナ小隊は小規模な戦闘に勝利した。相手は死傷者三十名を出して退却し、それに対し小隊の損失は死者一名だった。だが、手痛い損失だった。
ナック軍曹である。手榴弾を投げ返し損ねたのだ。
戦場ではいちいち兵士の死を構ってはいられない。そう言う人はよくいるし、デウムバルトナの小隊でもその意見が支配的である。
しかし、それでも悔やまれる。軍曹のような男はめったにいない。
だいぶ前、敵の婦人兵が機関銃陣地目がけて銃剣突撃してきたことがあった。機関銃手がひるんだため、婦人兵たちが陣地から二十歩の距離まで肉薄するのを許してしまった。すると、軍曹はすかさず機関銃手を殴り飛ばし、自分で機関銃を撃った。そうしなければ自分たちが串刺しにされるのだ。倒した婦人兵の数は二十人以上だった。優れた兵士は勇敢であると同時に冷徹でなければならない。しかし、軍曹はそうした冷徹さに凍りつく男ではない。婦人兵の死体を片付けていたとき、軍曹は声をあげて泣いた。死んだ敵兵は婦人というよりは少女だったのだ。
また、ある一等兵が砲弾恐怖症になったときも軍曹は大活躍した。ときどきあることで暗い地下道、冷たい泥、炸裂する手榴弾、目の前をかすめる弾丸、不規則な睡眠が心を壊してしまうのだ。どんなに殴ってもただぐんにゃりするだけなのだが、大きな音がなると狂ったように暴れだし、もう手がつけられなくなる。次の爆発で自分は死ぬと思っているのか、凄い声で泣き叫ぶのだ。飯盒の山が崩れただけでその有様。訓令によれば、その手の兵士は戦線放棄の臆病者として懲罰の対象になる。陣地の外におっ放り出して敵に撃たせてしまえというのだ。しかし、訓令は訓令。前線は前線なのだ。砲弾神経症患者は見ていて痛々しくみんな迷惑するが、だからといって無人地帯に放り出せば士気が上がるかと訊かれれば全く別の問題だ。こうした見殺し行為は何か陰鬱なものが隊に広がるから極力避けなければならない。砲弾神経症になった兵士はもてあます。仕方なく待避壕の一つに閉じ込めたが、このままにしておくわけにもいかず処置に困り果てた。一等兵は泣き声と笑い声の混ざった不気味な叫びをあげた。このままではこっちまで気が狂ってしまう。なんとかしないといけない。しかし、デウムバルトナ中尉も持て余した。一体どうすればいいのか? すると軍曹がライフル片手に待避壕に乗り込んでいく。すぐ銃声が聞こえた。ナック軍曹だけが出てきた。中には右手を撃たれて泣きじゃくる一等兵が残された。
もし、デウムバルトナがこの出来事を全部連隊長に正直に報告すれば、一等兵と軍曹は軍法会議にかけられ、銃殺される。中尉は報告書に戦闘中の利き手負傷と署名して、その一等兵を除隊させた。
ナック軍曹は女子供でも向かってくれば容赦なく殺せるし、その死に涙することもできる。味方を容赦なく撃てるが、それは部下想いがなせる業だった。部下のためなら戦場で身を張るし、軍法会議の危険にも身を晒す。どちらも度胸がいることだ。ぼくなら札束を積まれてもやらない。デウムバルトナはそう思った。軍曹はみなに畏れられ尊敬された。軍曹が指揮していた分隊は最強だった。軍曹の死はつくづく悔やまれる。
デウムバルトナ中尉が中隊指揮所に向かっているのは、そのことなのだ。軍曹の後任を探さなければならないが、彼の小隊にはランクガルナーという士官候補生が一人いる。二十まで三ヶ月足らずの若造でとんでもない役立たずだ。経験がないというのではなく、とにかく役立たずなのだ。規則では次の分隊指揮官はこのランクガルナーになるのだが、デウムバルトナ中尉はコチップ伍長を推したかった。少し忍耐に欠ける短所はあるが、勇敢と定評のある男で、経験もある。小隊のため、小隊が守っている陣地のためを思えば、次の分隊長はコチップだ。ランクガルナーでは駄目なのだ。
デウムバルトナ中尉は後方へつながる小隊トンネルを移動しながら、どうやってナック軍曹亡き後の分隊をまとめさせるかに腐心していた。
「とにかくランクガルナーというのは駄目なんです」
デウムバルトナが中隊指揮所で熱弁するとクラーメン大尉の目が珍しそうに瞬いた。
「君が人を非難するとは珍しい」
「小隊のことを考えれば、僕も言うべきことは言います。ランクガルナーはまだ子供です。年齢だけでなく内面も子供だということです。あれは勲章屋ですよ。勲章欲しさに部下や自分自身に無茶をさせる男です。この穴倉でこんなものが役に立たないということが、いまだに分からない男なんです」
そういいながら、デウムバルトナ中尉は自分の胸についている戦功勲章を指で叩いた。
「あれは自分が強い男であることを証明するためだけに人を殺しかねない男です。そんなやつに分隊を任せたら、えらいことになりますよ」
「そりゃ、君の懸念は分かるよ、中尉。ナック軍曹は得難い勇者。ランクガルナーはただのガキだ。あの小僧が私の胸についているこの金属片に異様な秋波を送ったのは一度や二度じゃない」
クラーメン大尉の胸にも戦功勲章が二つついていた。大尉は続けた。
「だが、我が軍は将校が決定的に不足している。次に来る予定の将校を君の小隊には回せんのだ。昨日の戦闘でカンクルポースが負傷した」
「第六小隊のカンクルポース少尉がですか?」
デウムバルトナはギョッとした。てっきり襲われたのは自分の隊だけだと思っていたが、攻撃は中隊全体に亘っていたということだ。
「恐らく腕を切られるだろう。前線には戻れん。そんなわけで将校は第六小隊に優先する。君の隊はランクガルナーで我慢するんだ」
「コチップ伍長を軍曹に昇格させて、分隊を任せるのはどうでしょう?」
デウムバルトナも始めから新しい将校をもらえるとは思っていない。本命はコチップ伍長だった。
「コチップを昇格させるのは認める。でも、分隊指揮官は規定どおりランクガルナー候補生を使いたまえ」
結局、分隊はランクガルナーに任されることになった。中尉は自分の指揮所に帰ると、ランクガルナーを呼び、ナック軍曹の後任として分隊を指揮するように命じた。
やっと実戦で指揮が出来ることに上気したランクガルナーであったが、デウムバルトナは釘を刺した。
「君はまだ前線の戦闘を一度も体験していない。自分で銃を振り回し、突撃と唱えることは容易いけど、平時の部隊を引き締めるのは難しい。常に士気に気をつけて、指揮官として尊敬されるように心がけるんだよ」
「はい、中尉殿」ランクガルナーは大喜びだった。
次にコチップ伍長を呼んだ。
「今日から君は軍曹だ」辞令を渡して、付け加える。「分隊はランクガルナー士官候補生が指揮する。実戦経験豊かな君が下士官として新任指揮官を支えるように」
「はい、中尉殿」
コチップ軍曹は落胆することも怒ることもなく敬礼し、中尉の壕を後にした。
デウムバルトナ中尉は数日後、ランクガルナーが兵卒一人をみんなの見ている前で手ひどく殴打したという話を耳にした。原因はランクガルナーが物を片づけろと言ったのに対し、その兵卒が「何をです、分隊長」と聞きなおしたことらしい。すると潔癖症のランクガルナーはイラついた様子で道にはみ出した缶詰の山を蹴飛ばした。当の兵卒がそれを拾いながら、『そんな蹴飛ばさなくても』と一言こぼしたのがランクガルナーに聞こえてしまい、ランクガルナーがいきなり殴った。ところがその拳が頬ではなく、帽子の庇にあたり、指の付け根に切り傷が出来てしまった。怒ったランクガルナーは金切り声をあげながら、その兵隊をボコボコにした。
デウムバルトナもその兵士の容態を見た。
あれはまずい。骨が折れている。野戦病院行きだ。
確かに上官のケジメは大切だし、鉄拳制裁もデウムバルトナ自身はしたこともされたこともないが、ナック軍曹やクラーメン大尉は結構部下を殴っていた。だが、過度の暴力は自信の無さの現われだった。デウムバルトナは尊敬される指揮官になれと言ったが、ランクガルナーの考えている尊敬とは畏怖の色がだいぶ濃いようだ。
デウムバルトナはこっそりランクガルナーを呼び、やりすぎだと叱った。デウムバルトナはすぐ後悔した。これは自信の無さが惹き起こした事件だ。デウムバルトナの呼び出しで自尊心を傷つけられたランクガルナーがますます自信に揺らぎを感じて、それを取り戻そうと躍起になるのは明らかだった。
翌日、ランクガルナーはまた理不尽な怒りを爆発させたらしい。
ランクガルナーと分隊の兵卒との間に埋めがたい間隙が出来たのは明らかだった。
ところが当のランクガルナーはケロリとしている。上に立つ者は常に孤独で恐れられなければならないという妙な哲学を戦記小説から仕入れて御満悦なのだ。
これは後ろ弾が起こるかもしれないな。
デウムバルトナは本気で心配した。後ろ弾というのは兵士が戦闘のドサクサに紛れ、意趣のある上官を撃ち殺すことだ。有り得ない話じゃない。兵士にへいこらしてご機嫌を取れとは言わないが、威張り腐るのも大概にしないといけない。兵士一人一人が軍隊を理解できなくなる。軍隊を理解できなくなった兵士は恐怖のあまり発狂するか怒りのあまり上官を撃ち殺す。つまり将校は兵隊を甘やかしすぎず締めすぎず、命令一つで弾の雨に馳せ参じる状態を維持しないといけない。それが士気を維持するという意味なのだ。それが分からないランクガルナーはあまりにも子供っぽい。あれは指揮官向きじゃない。
ランクガルナーの自尊心はもうどうでもいい。デウムバルトナは彼を呼び出し、もう一度優しく説いた。兵士たちに尊敬される上官になれ、と。
「では、中尉殿」とこの融通の利かない士官候補生が聞く。「士官の権威が一部の無法な兵士によって危機に瀕していても黙ってみていろというのですか?」
「いいや、それは君が正しい。でも、限度がある」デウムバルトナが言った。「僕らの仕事は兵隊に士官の権威を叩き込むことじゃない。それは練兵場でやることだ。前線では違う。僕らの仕事は指揮をとることだ。前線の士官に必要な威厳は相手が震え上がり、地にひれ伏したくなるような威厳ではない。指揮系統を維持するためだけの威厳だ」
ランクガルナーはまだ理解していないようだった。この若き士官候補生は不安と不満を滲ませて反駁してきた。
「でも、兵隊に馬鹿にされる前に予防措置を取ることは……」
「それが人になめられることにつながるわけではない。君は自分が二十歳を超えない若造だから、このままじゃ兵隊に馬鹿にされっぱなしだって思ってしまったんだろうけど、それは間違いだ。軍隊に年齢なんか関係ない。兵たちは軍の階級を遵守する。指揮官が何もせずとも、その徽章の星の数に対し、敬意を払ってくれる。君はその敬意を維持するべく大きく構えていればいいだけだ。なにも自分の腕っ節を披露するためだけに部下を殴る必要はない」
「しかし……」
「僕は二十七だ。死んだナック軍曹はたぶん四十に近い年だったし、コチップだって三十の半ばを過ぎている。僕より年上だ。他の兵隊たちだってそうだ。でも、彼らは僕に敬意を払ってくれる。僕は彼らの前で命を張って勇敢に戦ったことはないし、戦場で彼らの命を助けたこともない。でも、彼らは上官として僕を敬い、僕の命令をしっかり聞いてくれる。これは彼らが軍隊を理解しているからだ。君の仕事は兵士が軍隊を理解できるようにすること。このことに心を砕けば、きっといい指揮官になれるはずだよ」
おっと。デウムバルトナは心の中で額を打った。いい指揮官になれるだなんて心にもないことを言ってしまった。ランクガルナーは神経質に過ぎるから指揮官向きではない。ただ司令官には向いているかもしれない。
父親のデウムバルトナ将軍は戦前よくこぼしていた。のんびりしている自分は将軍に向いていないと思う、と。
ランクガルナーが去った後、デウムバルトナ中尉は一人で「困った、困った」とつぶやき、時計を見た。もうすぐ昼食だ。折りの悪いことに食事係をしてくれる従卒はデウムバルトナの命令で新しい六連発銃を貰いに行かせたので不在だった。
食いしん坊のデウムバルトナは従卒の帰りを待つ気はなかった。作ってくれる人がいないなら、自分でこしらえてしまえばいい。中尉は空のホルスターを開けたり閉めたりしながら、布で仕切られた台所に入った。台所とは言っても、大きな食品棚を盛った土の上に乗せて机代わりにしたもので、色褪せたテーブルクロスがしかれいるだけの実にお粗末愉快極まりないものだった。その脇に置かれたコンロがまた哀愁を誘ってくれる。アルコールランプのお化けみたいなものが赤錆びた金属の箱に入った手作りコンロである小隊の小隊長が負傷する前につくってくれたものだ。デウムバルトナはお礼としてその将校に煙草一箱をプレゼントした。ただ、こんな情けない調理場でもあるだけ本当にマシだった。
ただ一つかかったランプの明りの下、ただ一つしかない机兼食品棚を漁る。出てきたパンを切って、炙ったベーコン、チーズを挟み、自分の小隊陣地の作戦図を見ながらサンドイッチをパクつき、蜜湯をすする。もちろん足りるはずもないので、次は何を食べようか考えていると、クラーメン大尉の従卒がやってきた。
「大尉殿が新任小隊長の歓迎を兼ねた昼食会を行うのでぜひ中尉殿にもお越しいただきたいと仰せです」従卒が秘密の情報を教えるように声を潜めて付け加えた。「卵料理が出るそうです!」
卵料理! いまのデウムバルトナにとって卵料理がのった食卓は宮廷晩餐会にも匹敵する。戦争が始まってから、ろくに卵を食べていないから、卵の出る昼食会と聞いて、いてもたってもいられなくなり、「行くよ! ぜひ行くとも!」と熱っぽく返事をした。
大尉の従卒は不思議そうにこの太った中尉を見つめていた。デウムバルトナ中尉は感情の起伏が皆無でおっとりしていると評判だったからだ。
デウムバルトナは自分の穴倉に従卒への伝言を書き残し、次に隣の壕で待機している伝令二人にちょっと小隊を離れて、中隊長に会いに行くと告げた。これで準備は万端である。小隊トンネルを進む足取りは実に軽く、いつもは身を刺す寒さがまったく感じられないほど気持ちがほくほくしていた。
クラーメン大尉の住居壕は上等だった。通路に面した壁にはなんとガラス窓がつけられていて、行き交う兵士の姿を見ることが出来る。休むときはカーテンを閉めることもできた。さらに中も広い。指揮所や通信機、書類棚の隣に大尉の住居スペースがあり、ベッド、木箱の上に板を渡したテーブルが置いてある。赤いテーブルクロスがちゃんとかかっていて、造花を刺した緑色の壜が置いてあった。
だが、デウムバルトナの目を惹いたのは換気口のそばのコンロだった。大尉のコンロは大きな石炭コンロで、緑と赤の花があしらわれた白タイルが張ってあり、石炭を入れる引き出し口にも雑ではあるが装飾が施されていた。加熱用の鉄板も大きく、ヤカンと鍋とフライパンを一度に熱することが出来る優れもの。明らかに大尉の私物だった。
「やあ、中尉」大尉が奥の部屋から出てきて握手する。「君が一番乗りだ。今日は新人の士官の他にパンミルや彼の部下二人も呼ぶ予定でね。まあ、座ってくれたまえ」
次にやってきたのは新任のリューン中尉だった。背の低い丸い顎鬚の予備役中尉でいつも目をぱちぱち瞬いていたが、たぶん地下道の空気の悪さになれなかったのだろう。デウムバルトナが新しい小隊長と握手を交わしている間にパンミル大尉と部下一人がやってきた。
「すまないが、もう一人は急用で来られなくてね」
「いいさ」クラーメン大尉が気にしないでくれと手を振った。「さあ、始めよう」
新人の挨拶が終わり、大尉たちが雑談を交わす間、デウムバルトナはコンロで調理する従卒から目が離せなかった。コンロの上にはスープ鍋、オムレツのフライパン、ソーセージがパチパチはぜているフライパンが乗せられていて、従卒が卵を焦がしたりしないかが心配でしょうがなかった。
幸い料理はちゃんと出され、葡萄酒とともにクラーメン大尉が乾杯の音頭をとる。空腹だったデウムバルトナ中尉は驚くべき速さでパンを噛み砕き、野菜スープを飲み干し、ソーセージを平らげ、オムレツを胃の腑に滑り込ませてしまった。
「いやあ、やっぱり卵はおいしいですね」
中尉はすっかりご満悦だったが、クラーメン大尉が意味ありげに咳き込むと、急に恥ずかしくなり、口ごもってしまった。
「中尉、もう一ついるかね?」クラーメンがオムレツを勧めてくるとデウムバルトナは遠慮せずに、ぜひいただきます、と答えた。
「僕はお酒も煙草もしないんですが、食べる量だけは人一倍でして」デウムバルトナは顔を赤くして言い訳した。
「デウムバルトナ中尉はいつごろから、こちらの陣地に?」新人のリューン中尉が聞いた。
「『悲劇の三ヶ月』が終わってからずっとだよ」卵の焼き方に注文をつけるので忙しいデウムバルトナに代わりにクラーメン大尉が答えた。「デウムバルトナ中尉は開戦から一年を戦い残っている最古参の将校だよ」
「とんでもない、大尉殿」デウムバルトナが謙遜した。
「いや、君が最古参の将校だよ」パンミル大尉が葡萄酒を注ぎながら言った。「私の隊の小隊長は全員二人目だ。みんな負傷して戦線を離脱してしまった」
パンミル大尉の部下は大尉の言うことに黙ってうなずくばかりで発言をしなかった。
クラーメン大尉がナプキンで口を拭きながら、しみじみと言った。
「本当にうちの師団は消耗が激しかった。現役兵はほとんどが死傷してしまって、今じゃ予備役と志願兵ばかりだが、練度に欠ける。訓練する暇もないから仕方がないとはいえ、やりきれんね。このままじゃ婦人兵まで配属されかねない。パンミル。君の隊はどうだね?」
「昨日、少年兵が五人ばかり送られてきた。そのうち一人がさっそく死んじまったがね」
新任のリューン中尉が元気のない顔をした。みなで、気分が悪いのかと聞くと中尉は十字を切って、少年兵の死を悼んだ。
「私は戦前、教師をしていたんです」リューン中尉が言った。「高校で化学を教えていました。だから、教え子の中にも戦地に赴いたものがいると思うと切なくなってしまいまして」
「まあ、慣れることだね」クラーメン大尉が言った。大尉はインテリを見るとき、妙に蔑んだ目を向けることがある。「慣れるで思い出したよ、デウムバルトナ中尉。こないだ君のところに預からせた六人の新兵はどうだい?」
「みんな働いていますよ。土嚢を積んだり、煉瓦を嵌めたり、板に釘を打ったり。工兵が足りないですからね。ただ、少年兵二人は……」
「そうそう」クラーメン大尉が最後のほうを聞かずに話し出した。「彼らのうち一人は議員の息子だそうだ」
「本当かね?」パンミル大尉も興味津々だった。「名前は?」
議員の息子? デウムバルトナは首をかしげた。新聞はもともと読まないから議員の名前はさっぱりなのだ。ヴィセントリン二等兵は煙突掃除をしていたというから、あと残るのは……
「クーヌ二等兵ですか?」デウムバルトナは自信なく聞いた。
「そうだよ!」クラーメン大尉がポンと手を打った。「クーヌ議員だ。氷山党の領袖だよ」
「彼はまだ十七歳だったと思います」
「年齢をごまかして入隊したのか……」リューン中尉が少しうつむく。
デウムバルトナはその様子を危なっかしそうに見ていた。この新任中尉は少し細すぎるかもしれない。
クラーメン大尉がふざけてふんぞり返りながら言った。
「まあ、議員の息子だからって特別扱いしてやるほど、我が中隊は甘くない。で、クーヌ二等兵は何をしているんだね? 炊事兵か? 担架兵か?」
「狙撃兵です。昨日も二人殺しました」
デウムバルトナはそれがあまり良くないことのように躊躇いがちに教えた。
反応は様々だった。みな狙撃で人を殺すことが特別な忍耐を要求することは知っている。豪傑型のクラーメン大尉はさっきまでのふざけた調子を一掃し神妙に頷いた。この中で最年長のパンミル大尉は同じくらいの息子がいたから少し困った顔をして顎髭をいじった。リューン中尉は辛そうに首を振った。デウムバルトナ中尉はこの優しい中尉が人を殺さずに戦争を生き残れたらいいなと切に思った。
さて、パンミル大尉の部下で個性埋没気味の名もなき将校は意外な反応を示してくれた。声も高々に笑い出したのだ。どうも冗談だと思ったらしい。
パンミル大尉がひとにらみして、その間違いを知らせてやると部下はしゅんと黙った。
クラーメン大尉は煙草をくわえると親指と薬指でマッチを擦った。
「戦争は」大尉は火を煙草に移しマッチを振った。「人に思いもよらぬ役割を割り振る」
「全く同感です」
デウムバルトナはオムレツを切りながら答えた。