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8.小競り合い

 デウムバルトナ中尉はその夜、卵料理を食べる夢を見ていた。殻つきゆで卵、オムレツ、羊肉と卵のパイ、半熟卵のチーズあえ温野菜サラダ。しかし、甘美な夢は不愉快な終幕を遂げた。デザートの甘焼きふんわり卵に舌鼓を打っていたところ、コックがなぜか自分の耳元にやってきて、『ドカーン!』と喚いたのだ。

 突然響いてきた爆音に叩き起こされ、転がりまわる。

 目が覚めればそこは寒々しい自分の住居壕兼小隊指揮所だった。不意に頭を上げたのでベッドの上に作った小物棚に額を思い切り打った。コルク栓が湿った板の上に転がり落ち、泥を吸う。眼鏡を手探りし、ベッドから降りて、壁に取りつけられた通話管の蓋を開けた。まず地上の雪原陣地からだった。吹雪の音と間延びた返事。ここじゃない。次に地下陣地。当たりだった。機関銃の連射音と手榴弾の破裂音が繰り返し響いてきて敵襲を報せている。

「こりゃ指揮をとらないと」

 厚手の外套を着込む。軍服は着たまま寝ていたので着替えは思ったよりはやく終わった。剣と拳銃付きのベルトを身につけると従卒が軍帽を持ってきた。

「ここにいてくれ」

 デウムバルトナ中尉は従卒を残して指揮所を出た。右に曲がり、狭い地下道を急ぐ。震動が来るたびにランプが点滅する。最前線に通じる地下通路は大混雑だった。兵隊たちが仮眠壕から飛び出してきて、所定の持ち場へ急ぐ。陣地の守備兵が倉庫から手榴弾や機関銃の挿弾子を箱詰めにし、慌しく戻っていく。狙撃兵たちもやってきて、地底湖へ降りていっている。例の少年兵二人もライフルのボルトをがちゃがちゃいじりながら、地底湖へ急いでいた。

「敵襲だあ!」通路の奥、地下陣地のほうから聞こえてくる。

 デウムバルトナは第一分隊受け持ちの地下陣地に着いた。守備兵はみな胸壁の銃眼に取りつき、ボルトをがちゃがちゃ動かしてライフルやカービン銃を撃ちまくっている。負傷者はまだいなかった。

「食らいやがれ、ドブネズミ野郎!」

 機関銃手が暗闇の敵めがけ弾を雨あられと浴びせていた。機関銃班は装填手が命だった。弾が切れると装填手が新しい挿弾子を素早く差し込み、次の三十発をくれてやる。弾がつまれば、手早くレバーを動かし、不良品の薬莢を除いてやり、射撃手の肩を叩いて、もう発射できることを教えてやる。空冷式の銃身が焼けつけば、足元の水桶から水をかけてやる。すると肉を鉄板に押しつけたような『ジュウウ!』という音とともに銃身から白い蒸気が昇っていく。水がないときは凍りついた泥を押しつけた。

 コチップ伍長が煙草の火を爆弾の導火線に押し付け、ぼうっと見つめている。導火線が四分の三以上爆ぜたところで外に放り投げ、別の爆弾にも火をつけた。爆発で陣地前面の穴からペロニア軍の兵士が血だらけになって転がり出てくるとコチップはその兵隊目がけてまた爆弾を投げた。舞い上がった手足が白い閃光の中で黒い影になって目に焼きついた。

 分隊長のナック軍曹も爆音に負けない怒鳴り声をあげて指揮をとっていた。そのゴツゴツした右手にはポンプ連射式の散弾銃ががっちり鷲摑みにされていて、左手は部下を指図するので忙しかった。

「弾をケチるな! もっと手榴弾を投げろ!」

 軍曹が左手を振りまわして怒鳴った。

 手作りの空き缶手榴弾が胸壁の向こうに投げられる。軍曹も二つ投げた。爆発が数回響いて、ペロニア兵の悲鳴が耳をつんざいた。もちろん手榴弾はペロニア軍からも投げられる。陣地の中にこん棒みたいな手榴弾が投げ込まれるたび、軍曹がそれをつかみ、外に投げ返す。そして、やはり悲鳴が耳をつんざく。

「本格的な攻撃か!」デウムバルトナ中尉がたずねた。

「いーえ! ほんの嫌がらせです!」ナック軍曹が豪快に答えた。

 手榴弾がまた投げ込まれた。デウムバルトナは血の気がひいたが、軍曹はびくともせず、それを胸壁の外に投げ返した。爆発で洞窟の天井がパッと明るくなる。すると髭もじゃの敵兵が胸壁に飛びついて土嚢の上っ張りから顔を出した。銃眼は髭もじゃ兵の胴体で塞がったので、軍曹は銃眼に散弾銃を突っ込むなり連射して、そのペロニア兵のはらわたを細切れにした。髭に隠れた顔が苦痛にゆがみながら胸壁の向こうに消えていく。

 ここは大丈夫そうだ。デウムバルトナはそう思い、天井が低いが横幅は広い連絡通路を通って、第二分隊受け持ちの陣地へ向かった。連絡通路は前と後ろから騒音が響いてきて、頭を痛くしてくれる。あまり長くいたい場所じゃない。

 第二分隊の地下陣地もなかなか忙しかった。負傷者はいないが、みな死に物狂いで胸壁から暗闇の敵へ撃ち返している。ブスッ、ボスッという物騒な音が胸壁から聞こえてくる。敵が撃った弾が土嚢に突き刺さっているのだ。

分隊長のバイネ少尉を見つけたので被害をたずねるとまだ負傷者はいないという。

「見てください、中尉! 奴ら、落とし穴にはまったんです!」

 落とし穴というのはこの地下陣地の前に三ヶ月かけて少しずつ作った堀のことで大人の背丈ぐらいの深さで掘られていた。部下たちは穴の上に布を張って土をかけ、器用にカモフラージュしていた。

 デウムバルトナの背後では第二分隊のベッテ伍長が照明ロケット数本を立てて、マッチを擦っていた。マッチの黄色い炎が導火線に引火し、パチパチちらつく。炸薬に火が到達すると甲高い音をあげて、ロケットが飛んでいく。ロケットは白い彗星となって低い天井すれすれを飛び、洞窟の暗闇を払いのけた。中学校の校庭くらいの広い空間が照らし出された。

 穴にはまったペロニア兵の姿をデウムバルトナも銃眼から確認した。全部で数十人はいただろうか。穴に落ちたのは二十人程度であとの連中はみな後背の岩場に匍匐してこちらを撃っていた。十人くらいの一団が穴をよじ登ろうとしている。そこにベッテ伍長の機関銃が執拗に弾を浴びせかける。敵兵三人が撃ち殺され、穴の中へ転がった。機関銃はなおもしつこくペロニア兵を撃ちまくる。岩場で伏せている敵兵も何人か撃たれたようだ。

 ロケットの光が尽きて、地下も闇に閉ざされる。ところが絶え間ない銃火で結局、チカチカとその概要が伺えるのだ。デウムバルトナは自分が顔を出している銃眼から六連発銃を構え、鉄条網の後ろで蠢く影に二発撃った。

 発射の反動でデウムバルトナの手が上に跳ねる。直後、轟音とともにデウムバルトナは太陽を直視したような光に目を眩ませられ、見えない力に突き飛ばされた。胸壁の足場から転がり落ち、仰向けにひっくり返りながら、何が起きたのか考える。

 銃の反動を扱い損ねたか? デウムバルトナは中背で丸々太っている。銃の反動だけでこんなに体が飛びあがるはずはない。あんな強い光もない。

では、撃たれたのか? 手であちこち触ってみるが、穴は開いていないし、ぬめっと生温かい血も出ていない。自分が取りついていた銃眼を見ると答えがわかった。

 銃眼から煙がもくもく立ち上っている。胸壁の向こう、銃眼のすぐ前で手榴弾が爆発したのだ。

「やれやれ、僕は英雄にはなれないな」

 デウムバルトナは肝を冷やしながら立ち上がり、軽く泥を払った。

 陣地は反撃に忙しく、デウムバルトナがひっくり返ったことに気を配る部下は一人もいなかった。デウムバルトナはむしろそのことにホッとした。格好悪く転がったところを誰にも見られずに済んだからだ。

「おや、銃をなくした」

 味方の銃火で白く光る地面を注意深く探したが、さっきまで持っていた六連発銃が見当たらない。胸壁の向こうに落としたようだ。

 ちょっと落ち着いたら、戦いの全容が見えてきた。

 板を張った床にはフロステル兵が撃った弾の空薬莢や機関銃の薬室から落ちてきた空の挿弾子がごろごろ転がっている。これらみな全て使えない。使えないが捨てるには勿体無いので、後でかき集め、機会を見て、銃後の工場に送る。で、鋳潰され再利用される。その金属が鍋や食器、子供のおもちゃの材料に使われないよう雪の精霊に祈ろう。この薬莢の相棒であった弾丸くんは人を殺したかも知れないのだ。

 そんなデウムバルトナの奇妙な落ち着きを物ともせず、ライフルや機関銃の薬室が次々と空薬莢を吐き出していく。とてもリズミカルに。

 敵の攻撃は退潮してきたが、それでもこちらの反撃は止まらない。銃眼から戦況を覗き見るのは躊躇われたが、それでも部下の激しい罵り言葉や興奮振りから彼らが逃げる敵の背に弾を浴びせているのは容易に予想できた。

「撃ち方止め!」デウムバルトナ中尉は叫んだ。「撃つのを止めろ!」

 デウムバルトナが機関銃から兵士を引き剥がすと、味方の銃声が止んだ。ペロニア兵の逃げる足音が小さく響いてきた。怪我人はいないが、硝煙が陣地にこもって目が痛くなる。

「弾を無駄撃ちするな」

 中尉は空薬莢を一つつまんで、野菜煮込みの空き缶に入れた。

 兵士たちも空薬莢を拾い始める。すっかり散らかった陣地の掃除が始まった。

 戦争とはまことに無駄遣いである。

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