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6.少年兵

 デウムバルトナ小隊は定員百名。現在は戦死や負傷があいついで九十名からなる小隊だった。

 二つの分隊から成る。

 第一分隊はナック軍曹率いる六十名。最前線の地下陣地と地底湖の陣地を受け持っている。

 第二分隊はバイネ少尉率いる四十名。地下陣地一つを守っている。

 どちらも水平臼砲二門と機関銃数丁を配備していた。

 兵士の年齢は下は十九、上は五十六。いずれも屈強な強者たちから構成されていた。

 実をいうとデウムバルトナ小隊に少年兵はまだいなかった。婦人兵もである。

 それはせめてもの救いであった。前線で戦っている男たちの中には女子供を守るため、俺たちが体を張るんだという騎士道精神溢れる連中が結構いる。そういう連中に婦女子まで兵隊にしなければならないフロステル軍の現状を見せた日には士気に悪影響だ。

 さてクラーメン大尉はデウムバルトナ小隊に対し、十名の補充を約束してくれたが実際にやってきたのは六名。しかも、そのうち二人は徴兵年齢である十八歳を下回っている。つまり少年兵だった。

 ついにきた。デウムバルトナも固唾を呑んだ。もちろん開戦以来、少年兵は何度も見ている。どうみても中学生にしか見えない少年兵の骸が一箇所に固まって雪に埋もれていくのを見たこともある。だが、部下に持ったことはない。

 小隊指揮所の前でナック軍曹に連れられた六名の兵士が整列した。

 一人一人自己紹介させてみる。みな半年前は壁紙職人や魔法技師の助手、事務員をしていた連中であった。年上もいれば年下もいる。みな後方で訓練とは名ばかりの行進練習をさせられて、ここに放り込まれたのだ。

 さて、問題は最後の二人、弱冠十七歳の救国の勇者たちである。

「ヒニーネ・クーヌ二等兵であります」

 人当たりの良さそうな線の細い少年だった。戦前は学生だったという。

「メッゼ・ヴィセントリン二等兵であります」

 こっちは人生の辛苦を舐めたのか、すこし世を拗ねた感じの少年だった。戦前は煙突掃除をしていたそうだ。

「二人は知り合いかい?」デウムバルトナがたずねた。

「はい! 開戦時からの戦友であります」二人が声を揃えて答える。毛色は違うが、気は合うようだ。

「開戦時ね」丸眼鏡の奥でデウムバルトナが目を細める。「どこで戦ったんだい?」

「ブリザンゲンネルにいました。中尉殿」踵を鳴らして二人が答えた。

 ブリザンゲンネル要塞の攻防戦。『悲劇の三ヶ月』の中でも最も激しかった戦いだ。ペロニアの砲兵隊と飛行船からの爆撃で陣地は完全に破壊され、拠るべき防御施設もないまま、敵の銃剣突撃に晒された守備兵は一方的な虐殺に見舞われたと聞いている。

 六人の新人を信頼できる部下ナック軍曹に託し、デウムバルトナは指揮所に戻った。あの六人の配属に関する書類を片付けたら、見回りに行かないといけない。

 書類仕事を終わらせて、地下陣地を見回っていると途中の通路でナック軍曹に出会った。通路は天井ばかり高くて横幅は人一人通れるかどうかの狭い道であったが、困ったことにデウムバルトナは太っていて、ナック軍曹はとてもがっしりとしている。そういう場合、ナック軍曹が上官に道を譲るため来た道を戻ることになる。デウムバルトナは軍曹の大きな背中の後につき狭い通路を進みながら、気のおけない会話を交わした。

「君は『悲劇の三ヶ月』のとき、どこにいたんだい?」

 デウムバルトナが軍曹に尋ねた。軍曹が大きな肩越しに振り返り答えた。

「自分は暖かいベッドの中でぬくぬくしていました。中尉殿」

 軍曹は面白おかしく謙遜したが、デウムバルトナは知っている。このナック軍曹こそ連隊でも一、二を争う勇敢な戦士なのだ。開戦直後の負傷も捨て身の橋梁爆破で受けた。そのとき、軍曹が所属していた連隊はペロニア戦車部隊の追撃を受けて壊滅寸前だった。軍曹は連隊が橋を渡りきったのを見届けると、戦車を足止めするために橋に爆薬を仕掛けた。しかし、戦車はもう目前。軍曹は橋と戦車もろとも木っ端微塵になる覚悟で起爆装置をひねった。橋は吹き飛び戦車数台を巻き添えにして谷に消えたが、ナック軍曹は爆風で飛ばされた後、新雪に落ち奇跡的に命を拾った。

「新しく配属された子供たち」デウムバルトナは頭上を通る蒸気管をくぐって避けた。「あの子供たちはブリザンゲンネルにいたらしいが、あそこはひどかったらしいね」

「五千人の損害を出した戦いですから、相当だったと思います。陸軍病院に入院していたときに聞いた噂ですが、ブリザンゲンネルを守っていた兵士は十人中八人が戦死したらしいですよ」

「じゃあ、彼らは生き残った二人なわけだ」

 軍曹が足を止めた。そしてデウムバルトナに困った顔で、

「前からベルとグルッツが来ます」

 と、告げてきた。

 ベルとグルッツは担架兵である。つまり負傷者を搬送中なのだ。

「じゃあ、僕が戻ろう」

 今度はデウムバルトナが急ぎ足で小隊指揮所に戻っていく。軍曹が後ろから話しかけた。

「さっきの話ですが」

「ん?」デウムバルトナが歩きながら振り向いた。

「ブリザンゲンネルです。あの要塞は最も堅固な防御陣地でした。だから、軍の取り計らいで志願少年兵の予備をあそこに多数待機させていたそうです。ブリザンゲンネルは難攻不落と名高かったから、あそこが一番安全だろうと思ったんですね。それが敵の主攻にさらされて、皮肉な結果になりました。待機していた少年兵のほとんどが戦死したそうです。うちに来た二人もその志願兵予備だったと聞いています」

「彼らはいまどこに? きみの分隊で預かったんだろう」

 先ほど避けた蒸気管をまた避ける。軍曹に気をつけるよう言ったが、やや遅く、額を軽く火傷したようだ。

 軍曹は冷え切ったハンカチで額を押さえて続けた。

「確かに自分の分隊に預かっています。あの二人は地底湖の陣地にいますよ」

 地底湖の陣地とは現在いる地下道よりもさらに深いところにある大空洞である。大きな地底湖があり、フロステル軍の小舟が暗闇で敵の偵察隊に目を光らせているのだ。その小舟に乗っているのは通常……

「狙撃兵のはずだ」中尉は自分の考えをそのまま口からこぼした。

「その通りです。二人は狙撃班です」

 デウムバルトナは怪訝な顔をした。狙撃兵は二人一組で動く。狙撃手と観測手だ。つまり、あの二人の少年のうちどちらかが狙撃手なのだ。どっちだろう? デウムバルトナは考えた。戦争で敵を殺すのは当たり前だが、それでも銃剣をかざしてかかってくる敵と油断して休んでいる敵を殺すのは少し感じが違う。後者は人一倍の冷酷さが必要になる。デウムバルトナはヴィセントリン二等兵の感情が希薄な顔つきを思い出した。狙撃手の冷徹さを持っていそうなのはヴィセントリンのような気がしてきた。

 デウムバルトナは聞いてみた。

「どっちが狙撃手だい?」

「クーヌ二等兵です」

 おやおや。もう一度聞く。

「あの人畜無害そうな顔をしたほうかい?」

「ええ。あの人畜無害そうな顔をしたほうです」

 予想が外れた。意外な答えにデウムバルトナ中尉はひゅうと口笛を吹いた。あのおっとりと大人しそうな顔をした細身の少年が狙撃手なのか。クーヌ二等兵の顔を思い出してみる。髭の一本も生えていない優しい口元と白い顔。髪は女の子みたいに伸びてしまっていたし、青い視線は少し自信なさげに宙を浮いていた。どう見ても冷徹な狙撃手には見えない。

「戦争は」デウムバルトナは教訓めいたことを言った。「人を生活から引き剥がし、意外な役割を課すものだね」

「同感です、中尉殿」

 自分の仮眠壕の前で軍曹、担架兵のベルとグルッツ、そして負傷兵に別れを告げ、また狭い通路に戻る。まず最前線の地下陣地からだ。

 疲れた兵士たちが眠る横穴を通り過ぎ、食堂壕を通り過ぎ、工兵倉庫壕を通り過ぎる。そして土嚢の胸壁で塞がれた地下陣地に到着した。この小さな堡塁には常時三十人ほどの兵隊が駐留し、その任に当たっている。一応、掩蔽壕や調理壕も掘られていて、即席の玉突き台もあるのだから可笑しくなる。この胸壁の向こうは無人地帯だ。数個中隊の陣地が向き合う大空洞に無用心に顔を見せれば、たちまち銃撃の餌食になる。だから絶対に胸壁から頭を出してはいけない。

 中尉がやってくると全員が起立した。手を上げて、おのおのの仕事に戻るよう示す。

 デウムバルトナは陣地の防御力をさらっとおさらいした。

 土嚢と煉瓦の胸壁に銃眼がいくつも開けられ、ライフルを持ったフロステル兵が銃眼一つにつき一人張り付いている。この陣地はこの防壁に囲まれて地下空洞の中へ迫り出す形になっていた。機関銃は二挺。旧式のベルキ機関銃であり、装填方法は弾帯ベルトではなく三十発入りの金属製挿弾子。同じような挿弾子が機関銃兵の足元の箱に二十個は詰まっている。重火器の類はない。あえて言うなら、水平砲が一門。ただし、これはあまり使えない。発射時に濃密な白煙があがるし、地下道で爆音が反響し、頭が割れそうになるくらい痛くなる。まあ、これは機関銃の乱射も変わりない。問題は爆風による落盤の恐れだろう。

 兵隊たちはみな大きな襟付きの一列ボタン軍套を着込み、てっぺんが平らな庇付き軍帽を被っている。どちらも泥で汚れて青黒く、服についたわずかな水分が凍りつき、銃剣鞘の先から小さなツララが垂れているものもいた。彼らはみな厚手の毛布を帯状にしタスキ掛けにしていた。

 デウムバルトナの格好も大差はない。一列ボタンが二列ボタンに、銃剣鞘がサーベルになっているだけで後は徽章の星の数が違うくらいのものだった。

 地下陣地の見回りが終わったら、地上のほうも見回らないといけない。デウムバルトナ小隊は地上への昇降口を一つ持っていて、吹雪く原野を監視する為に小さな陣地をつくっていた。いくら吹雪いているとは言え、敵の偵察部隊が来ることも考えられるので地上陣地にも人を配している。いつも数人が見張りについていて、この仕事が一番嫌われる。なにせ外の吹雪はフロステル国民全員が必死の願いをつなぐ自然の防壁である。よって威力も中途半端なものではなく、雪国育ちのフロステル人でも怯むほど厳しいものだった。そんな中、小さな陣地にロクな視界も確保できないまま、半日もうずくまらなければならないのは本当に嫌な仕事だ。デウムバルトナ自身、強くそう思う。

 地上の雪原陣地は地下陣地と一本の梯子、階段、そして通話管で結ばれている。太っているデウムバルトナにとり、この梯子を上る作業が非常に苦難を伴う。頭上から落ちてくる泥混じりの雪がボス、ボスと帽子に落ちて、眼鏡にまで雪がくっつく。狭い梯子の筒の中で風がひゅうひゅう音を立てて、デウムバルトナの背中に入り込む。その度に肌が粟立った。

 地上の雪原陣地に到着した。実に小さい粗末なトーチカであるが、並じゃない降雪に耐えられるようコンクリートを使っているのがせめてもの救いだった。機関銃は一丁。四人の兵士が詰めていて、一人は見張り台に立ち、残りの三人は焜炉にかけたヤカンを囲んで手を温めている。デウムバルトナの姿に気づくと敬礼した。

「敵はどうだね?」デウムバルトナが聞いた。

「まったく動きません。中尉殿」痩せっぽちの伍長が答えた。

 外の覗き口から敵陣地を眺める。灰白色の空と灰白色の雪原。天と地の境目は分かりにくかった。吹雪が作る景色はいつも味気ない。見張りの兵隊たちともこの点では一致した。

「せめて少しでも日が差せば」と、伍長が言う。「ブリザードの中に光の柱が出来るんですがね。日光が反射して、なんとも眩いんですよ」

「きれいだろうね。ああ、そうだ、補修の必要な箇所はあるかね?」デウムバルトナがたずねた。

「いえ、ありません」

 覗き口の隣には赤い扉がある。トーチカの凹みに通じるこの扉から外に出ることが出来るのだ。そういえば連隊司令部から、地上の偵察をやるように言われていたのを思い出した。

「近いうちに偵察をしないとなあ」

 デウムバルトナが何気なくこぼした言葉に四人の兵隊がやるせない顔をする。この吹雪の中を偵察させられるなんて、考えただけでゾッとするからだ。

 デウムバルトナは雪原陣地を降りて、幾つかの地下陣地を見回ったあと、自分の住居壕に返った。

「ふう、寒い寒い」

 手袋をとると蒸気管に厚い布をかけ、その上に手を置く。布を通して、管の熱が凍りついた手を解してくれる。

「卵が食べたいなあ」

 デウムバルトナは野菜入りオムレツを夢想し、疲れたように首を振った。


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