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5.リスデルモ・デウムバルトナ

 ヒューボルランドの最前線。

 連隊司令部として使われているコテージで記念撮影が行われた。

 連隊に属する将校が一同に会し、コテージ玄関前の階段に集まった。あいにく朝から吹雪いていたため、雪は胸ぐらいの高さまで積もっていたが、従卒たちが集まって雪をかき除けたおかげで階段前にはちょっとした広場が出来ていた。しかし吹雪がやんだわけではないので、写真は出来るだけはやく撮らなければならなかった。撮影係はムース二等兵という背の低い兵卒で召集前は写真技師をしていた。既にムースは司令部前にかためられた道路の上にカメラを設置していた。あとは将校が集まるだけだった。中央を一番上等な長靴を履いた連隊長が立った。周りを参謀将校たち数名がかためる。中隊長たちは向かって右側にかたまっていた。デウムバルトナ中尉の指揮官であるクラーメン大尉もこのグループに入る。軍医たちは左端にかたまり、その後ろには主計将校と兵站将校。小隊長は半分も来ていなかったが、とにかく来られたものは後ろに並んだ。大尉以上の将校は階段前の広場に全員収まりきったが、小隊長や一部の主計将校は惨めなもので階段の上や雪壁によじ登らなければ、フレームに収まりきれなかった。一部はコテージの中まで追いやられてしまった。

 二十七歳のデウムバルトナ中尉は右端でコテージの窓を背に雪の上によじ登っていた。中尉の丸々と太った体は雪の上を不安定に揺れながら、シャッターが切られるそのときを待っていた。粉雪は雨のように鋭く降ってくる。雪が顔に当たるとまるでつねられているような痛みを感じたし、寒さがむっくり着込んだ外套を貫いて体を凍てつかせた。他の将校たちも直立して足踏みしたりしながら、はやく終わらないかと焦れていた。空は灰色で十メートル先も見えないひどい天気だ。周りの杉も吹雪にぼやけて、枝先は灰色の空に溶けてしまっている。

 連隊長が参謀将校の少佐に何か耳打ちした。すると少佐はくるりと後ろを向き、腕章をつけたまえ、と大声で命じた。みなめいめい持参した真っ白な腕章を左腕につけ始めた。デウムバルトナ中尉は忘れてしまったので、左腕が見えないように前にいる将校の陰に隠した。

 肝心の写真撮影は呆気なく終わった。大佐が号令し、ムース二等兵が合図してシャッターが切られた。写真は二枚取られた。眼鏡に雪がついていたことを除けば、問題ない写り方だ。中尉はそう思った。撮影が終わると、大佐は三歩前に歩み出て振り返ると、諸君のより一層の奮闘を期待すると軽く演説し、解散の号令をかけた。ムース二等兵が片付けをはじめ、コテージ前の将校団はバラバラに散っていった。大佐は参謀将校とともにコテージ司令部にスタスタ戻っていった。前線任務のある将校たちはトロッコ乗り場に集まり、自分たちの受け持ちの戦線へ戻っていく。

 中尉はクラーメン大尉とトロッコに同乗した。将校を満載したトロッコが動き出し、真っ白な雪原にぽっかりとあいたトンネルに吸い込まれていく。トロッコはぐんぐん地下に下っていった。板で壁を補強したトンネルにトロッコが入り込み、吹雪と寒さから多少は解放された。その代わりトロッコの振動でトンネル内の空気が振るえ、高い天井から土がぱらぱらと落ちてくるのを我慢しなければならなかった。

 休暇を貰った兵士たちを乗せたトロッコとすれ違った。クラーメン大尉はトロッコの縁にもたれかかり、線路と並走する道路を眺めながら、最近の戦況について中尉と話した。

「防御陣地はできたかね?」

「はい。すっかり完成し、補強は終わりました」

「土嚢を使って?」

「はい。土嚢を使ってです」

「それはよかった。この穴ぐらじゃ土嚢が全てだ。土嚢が積んであるのとないのとでは雲泥の差だからね。ただコンクリートのほうは諦めたほうがいい。兵站部にいったのだが、工兵もコンクリートも届く見込みがないだなんていっている。話にならんよ」

 中尉はもう何週間も前から補強用のコンクリートを要請していた。

「代わりに何か資材をもらえればいいんですがね」

「レンガと木材が届くから、それで今まで通りに済ましてくれ」

 大尉はポケットから煙草を取り出すと自分でマッチを擦った。大尉は必ず親指と薬指でマッチを挟む。何かのまじないらしく、自分でそうしないと気が済まないのだ。運悪くトロッコはトンネルを出て、吹雪に洗われた。大尉のマッチもすっ飛んでしまった。トンネルは断続的でときどき線路が野晒しにされる。このときも右側面と天井がぽっかり開けて、雪が吹き込んでいた。

 せっかくはらった雪がまたひっついてきた。まごまごしていると外套の表面が凍りつく。中尉も大尉も雪を面倒くさそうに払い落とした。大尉は不平をこぼした。

「穴を塞ぐか、トロッコに風防をつければいいんだ、まったく。中尉、マッチを持っておらんかね?」

 中尉は自分のマッチを差し出した。大尉はそれを親指と薬指で挟み、擦った。デウムバルトナ中尉は手でその小さな火を守ってやった。

 線路脇を少佐たちが乗った車が走り抜けた。大尉は戦況について再び話した。

「お互いトンネルを掘って、敵と対峙し始めてもう一年以上が経過している。外の吹雪が止まない以上、我々は地中に穴を掘って、そこで敵と戦わねばならん。これが戦争というのなら、みじめなものだ」

「最近、敵の威力偵察が頻発してきました。昨日も陣地の一つが襲われて、三名を失いました」

「うち戦死は?」

「二名です。一名は負傷ですが、弾で肩を砕かれました」

「戦死者が負傷者を上回るのも珍しい」

「ちょくちょくあります」

「先週の損失はどのくらいだったかな?」

 重い音と振動がきた。トロッコが揺れて、土埃が落ちてくる。散発的な砲撃だ。

「この土にはもううんざりしている」

 大尉は煙草を手で守りながら、うらめしく天井を見上げた。板と板の間から土が落ちてくる。

「先週の損失は負傷二人です」中尉は言った。

「ふむ。まあ、予備兵が後方から到着することになっている。君の小隊には十名補充するはずだから、問題ないな」

 トロッコが中間停車場についた。停車場は地下に設置されていて、左右にだだっ広い長方形の空間だった。そのため中間停車場は『棺桶』と呼ばれる。『棺桶』入り口脇には詰所代わりの居住壕が口を開いていた。上には札がかかっていて中間停車場管理壕とある。黒板が設置され、修理予定やどのトンネルがどこに通じているかを記していた。ペンキの剥げた枠がひどくみすぼらしい黒板で、記されている文字も陰鬱な印象を与えていた。まるで埋葬予定表だった。『棺桶』の左右に長い壁には十個のトンネルがあり、それぞれのトンネルが線路を一本と歩道を二本飲み込んでいた。小停車場もある。このトンネルはそれぞれの中隊受け持ち区域につながっているのだ。連隊司令部から『棺桶』までの線路とトロッコは連隊線、連隊トロッコ、『棺桶』から中隊へは中隊線、中隊トロッコと呼ばれていた。

 将校たちは連隊トロッコから降り立つとそれぞれの中隊トロッコに向かっていった。デウムバルトナ中尉とクラーメン大尉の行くべきトンネルは三番トンネル、つまり第三中隊である。が、最悪なことに小停車場には中隊トロッコが停まってなかった。中隊行き線路は単線だから、中隊まで歩いていかなければならない。中隊司令部まで軽く半里はあった。

 クラーメン大尉は怒り、管理壕の呼び鈴を鳴らした。第八中隊のパンミル大尉もかっかしながらやってきた。

「やあ、パンミル。きみも居残り組かい?」

「そういうことだ。『墓守』はいるのかい?」

 墓守というのはこのトロッコを管理している退役将校の老人である。大昔に退役して、民間の鉄道会社に入りなおしていたのだが、この戦争が始まって、鉄道会社がペロニア軍に潰されてしまい、仕方なくこの地下道で鉄道管理をしているのだ。

「ご老体、まさかごねたんじゃないだろうね?」クラーメン大尉が訝しげに管理壕を覗き込む。

 鉄道。デウムバルトナ中尉は物思いにふけった。

 僕は鉄道技師になりたかったんだっけ。

 リスデルモ・デウムバルトナ中尉は軍団司令官デウムバルトナ将軍の一人息子である。父親そっくりの温和で優しい気性の持ち主で軍に入った経緯も似ている。十年前、彼は鉄道技師になりたくて、専門学校に入りたかったのだが、風邪をこじらせて試験を受けられなかったのだ。すると父親から士官学校の特定の課程を修めれば鉄道技師の資格が得られること、おまけに学資がかからないぞと教えられて、そっちに入ったのだ。そして順調に必要単位を取得し、卒業と同時に鉄道会社に鞍替えすべく頑張っていたのだが、ここでまた事件が起きる。線路点検中の鉄道技師が雪で姿が見えなかったばかりに汽車に轢き殺される事件が相ついだのだ。リスデルモの母親は頼むからそんな危険な職業につかないでくれと懇願し、デウムバルトナ家の男がまたまた折れたのだった。

「つまりだね」父ミューンデルモは落胆している息子に言った。「軍人という職業は測量技師よりも鉄道技師よりも安全というわけだ」

 こうしてリスデルモ・デウムバルトナも鉄道技師の夢を諦めて、フロステル陸軍に奉職。そして今に至る。

「ちぇっ、いないな。墓守のじいさん」パンミル大尉が言った。

 デウムバルトナ中尉はクラーメン大尉と顔を見合わせた。

「仕方ない」大尉は肩をすくめた。「中隊まで歩こう」

 中隊行き線路の脇に板張りの歩道があるので、そこを二人でてくてく歩く。

 長靴が板を踏む度にくもった足音が響き渡る。雪精灯に照る仄暗い通路を歩きながら、大尉が現在の中隊を嘆いた。

「困ったものだね」大尉は煙草を壁に押し付けた。「女性兵士が配属された隊もあるそうだ。信じられるかい?」

 いいえ、と首を振る。

 大尉によれば、銃後の状況はあまりよくないようだ。厭戦気分はないが、ペロニアに占領されたらという不安におののく毎日だという。ペロニア魔法政権が刃向かう者に対し、どんな弾圧を行うかは亡命者の言葉で既に知られている。処刑、強制収容所、私財没収、ペロニアの魔法至上主義者たちはさらに恐ろしいことを企んでいるという。

「何でも人の精神を抽出する技術を開発したらしい」

「精神を抽出? じゃあ、精神がなくなってしまった人間はどうなるのですか?」

 大尉は消した煙草を指でいじり、中の葉だけを落とした。

「こうなるのさ」

 大尉は抜け殻となった煙草を中尉に渡した。

「恐ろしい話ですね」

「うむ、恐ろしい。そんな真似までして一体何がしたいのか? さっぱり分からん。そうだ、君はペロニア人の家系だが、ペロニアにいったことは?」

「ありません」ペロニアに行ったことはなかった。中尉は見た目が少し違うだけで自分は完全にフロステル人だと思っていたからだ。

 大尉がペロニアを旅行した時のことを話し出した。

「五年前、ああなる前のペロニアを旅行したことがある。王都だよ。家内と一緒にね。……きれいな都だった。エス・ロー通りは帽子と車の屋根が溢れる忙しい場所でなんだか評判倒れだったが、エメルジェは違う。あの街の美しさといったら類を見ないものだった。残念だが、我がフロステルのいかなる街でもあのエメルジェにはかなわない。美術館や劇場が連なる通りに紳士淑女が静かにたたずみ、なんと行き交う馬車は古きよきベルリーヌなんだ。あんな上品な街並みは見たことがない。ペロニア魔法政権は魔法以外に価値を見出さない狭量な政権だと聞く。あの気品溢れる街景色や穏やかな人々がペロニアから消え去ってしまったと思うと、どうしてこんなことになったのかと悲しくなるよ」

「どうしてこんなことになったのでしょうか? 僕も思います。魔法はエルフロアでもイフリージャでも、我がフロステルでも復活して発展すらしているのに、どうしてペロニアの魔法使いたちはあんな方向に国を導いたのでしょう?」

「ケダモノなんだ。あいつらは」大尉が結論をくくった。

 大尉が欠伸した。どうも昨日はあまりよく眠っていないらしい。デウムバルトナ中尉もそうだった。

 途中で工兵を載せたトロッコが向かいから走ってきたので、大尉はそれを止めさせると工兵たちを降ろしてトロッコを占領してしまった。

「ほらほら、歩いた、歩いた!」

 大尉が工兵を追っ払い、デウムバルトナにも乗るように促した。

 工兵たちに悪いと思いつつ、トロッコに乗る。デウムバルトナ中尉は人を犠牲にすることに慣れていなかったのだ。

 トロッコのお陰で早めに中隊に戻ることが出来た。

 中隊指揮所のある地下壕で大尉と別れると、デウムバルトナは小隊トンネルへ向かう。自分が指揮する小隊指揮所に帰るためだ。小隊トンネルにはトロッコはない。単一線路がひかれている場合もあるがデウムバルトナ小隊には残念ながらひかれていない。この天井も壁も床も色褪せた板を張り詰めただけの惨めな通路をひたすら歩くしかなかった。地下通路はどこもこんなふうに板かレンガが敷きつめられていたので自分たちが土の中で戦っていることを忘れそうになることもある。小隊の部下たちもそう思っているのだろうか、中尉はそんな思いに気を巡らせた。

 ちなみにデウムバルトナの指揮する隊は第五小隊である。だが、第五小隊だけ指揮官の名をとってデウムバルトナ小隊と呼ばれている。デウムバルトナが将軍の息子だから、それを面白がって大尉がつけたのだ。

 デウムバルトナは将軍の息子だったから、立身出世の手づるになるかもと近づく輩が大勢いたものだった。しかしデウムバルトナ中尉と話してみると中尉がそんな特別扱いに喜ぶような男ではないことをおべっか使いたちは間もなく悟る。そうして、おべっか使いたちは交友関係の中から自ら姿を消して、残ったのは実に気さくな人々だった。クラーメン大尉も気さくな人々の一人である。そして緒戦から生き残っている勇敢な上官だ。

 そういうデウムバルトナも開戦時から生き残っている。死にかけて肝を冷やした回数は結構あった。その度に自分は英雄タイプじゃないな、と自覚を深めた。それでも生き残っているだけでフロステル陸軍では勲章物だった。事実、勲章ももらった。隣の第六小隊では指揮官がもう三人入れ替わっている。二人は戦死、一人は銃弾で背骨を断たれ、半身不随にされたのだ。

 小隊指揮所に戻り、机の上の地図を見る。

 まるで迷路だった。横穴、縦穴、地上への偵察穴、蒸気機関の位置がびっしり書き込まれていて、見ていて頭痛をもよおす。だが、注目すべきは地図南端の広い空洞だった。

 この空洞でデウムバルトナの小隊は敵と睨み合っている。塹壕を掘り、コンクリートと煉瓦で胸壁を築き、機関銃を据えて、敵がいつ来るかとびくびくしている。

 だが、この三ヶ月、大規模な戦闘はない。あるのは偵察隊との小競り合いだけだ。だから、必要以上に恐怖する必要はない。ただ、それでも胸壁から頭は出さない、身は屈めたまま移動するなどの注意は怠らないほうがいい。狙撃兵が目を光らせているからだ。

 従卒にベーコンを焼いてもらった。

「卵はまだ届かないのかな?」

 ベーコンをパンにはさみ、パクつきながら言った。

 人の良い中年の従卒は「まだでがす、中尉殿」と答えた。

「もうずいぶん卵を食べてないなあ」

 デウムバルトナ中尉は太っていたから食も太いほうだった。酒はやらないので士官に配給される蒸留酒をアスパラガスや雪ひつじの缶詰と交換して何とか飢えをしのいでいた。

(鉄道技師になっていれば)デウムバルトナ中尉はベットに寝転んだ。(僕はこんなところにはいなかっただろうなあ)

 自然と瞼が重くなる。

 眼鏡を机に置いて、布団にくるまり一眠りすることにした。

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