終.勝利
電信装置は勝利のリボンを紡ぎだし、休むことを知らない。
「我が軍団の前衛がブルキ将軍麾下の第二軍団と連絡しました。包囲は成功です!」
「敵三個軍団を殲滅しました! 敵捕虜は将官も含め、少なくとも六万以上! 機関銃千丁以上、重砲六門、輸送用飛行艇二隻を鹵獲しました。我が軍の大勝利です!」
参謀たちが互いの手を握り、手首から外れてしまうかと思うくらい、強く振っている。
従卒がシャンパンを持って、居間に入ってきた。
「どうぞ、やってくれたまえ。私は飲めないから」デウムバルトナ将軍はにこりと笑って、部下に勧めた。
「勝利に乾杯!」参謀長が高らかに叫んだ。
「乾杯!」
「フロステル万歳!」
新型通信機から祝辞が次々に舞い込んできた。国王、首相、陸相、貴族会代表、財界の著名人。さらに陸軍省の電信局から国民の祝電が洪水のように押し寄せて、業務がパンクしそうだという嬉しい悲鳴が聞こえてきた。
「閣下はフロステルの英雄ですよ!」若い参謀将校はもう酔っ払っているようだった。
デウムバルトナは恥ずかしそうに笑い、謙遜した。
「退役寸前の将官を捕まえて、何を言うのかね?」
参謀たちは国歌の唱和を始め、デウムバルトナもうなずきながら調子を合わせた。昔から祝宴は苦手だったので、邪魔しないよう白けさせないよう気を使いながら、ゆっくり玉突き台のほうへ降りていった。
デウムバルトナは安堵の息をついた。戦線が縮小されて、兵員たちも休暇が取りやすくなるだろう。戦争はまだ続く。これを完遂するには鋭気を養わねばならない。
しかし、フロステルはなんという危難に晒されたのだろう。
フロステルだけではない。エルフロア人もイフリージャ人も、そしてペロニア人も今まで体験したことのない恐ろしい試練を与えられた。この一年、世界は歴史上全ての戦いを合わせても、まだ足りないくらいの死者を出した。フロステルとて例外ではない。騎士と魔法使いの時代に、こんな恐ろしい戦争があっただろうか? 開戦以来、デウムバルトナは戦死者の数に慄いた。一日平均の死傷者が三百人を越える月もあった。フロステルはこの出血に耐え切れるのだろうかと震えたこともあった。
だが、兵士は次々と送られてくる。こちらが受けた被害を大本営に報告すれば、どこからともなくフロステル兵が湧いてくるのだ。今回の予備軍団だってそうして産み出された。それが恐ろしい。これ以上若者を兵隊にする余裕がフロステルにあるはずはない。にもかかわらず、二十歳を越えて間もない新兵が軍服に身を包み、この極寒の前線に送られてくる。兵隊を生み出すたびにフロステルは働き手を失い、ガタガタになっているはずだ。
何万もの死を一回の大勝利に浮かれて、むざむざ無駄にしてなるものか。敵に被害を与えて、こちらの被害は最小限に抑える。この戦術をなんとしても固辞するのだ。
デウムバルトナはポケットに手を突っ込んた。すると穴だらけの紙片が手に触れた。
先日届いたリスデルモの手紙だった。リスデルモの手紙は陸軍省の検閲を受けてしまい、穴だらけにされ、何が書いてあったのかさっぱり分からないのだ。
デウムバルトナ将軍は玉突き台の上でリンゴを転がした。
リスデルモに会いたい。別に顔を合わせたからといって、近況を聞くわけではない。前線の出来事は戦況報告で十分だ。聞きたいのは自分を恨んでいるかどうかだった。自分はリスデルモを前線から離して、遠くに移すこともできる。それをしないのは身内びいきをしたくないからだ。ただ、それでもリスデルモがどのように感じているかは気になった。リスデルモは英雄タイプではない。ただ、臆病者になるには感情が足りない。粘液質のようなつかみどころのない性格だから、こちらから聞かないと本音は決して話さないだろう。親子仲はいいが、何も言わずに心を通じ合わせるほどお互い感情が豊かではない。そうした者たちのために言葉は発明されたのだ。
(リスデルモに休暇の予定を聞いて、それに合わせてこっちも休暇を取ろう。たぶん一月もすれば……)
そのとき、コテージの玄関が跳ね開けられ、粉雪とともに一人の将校が舞い込んできた。
忘れ去られた旧式通信所の連絡将校だ。新型電信装置が据えられて以来、外の電信壕はあまり使われておらず、さして大したことのない、戦局に影響しない出来事のみを知らせるようになっていた。だから、連絡将校の深刻な顔は参謀たちの浮かれた気分を邪魔することにはならなかった。
連絡将校は衝立の陰で雪を払ったが、足踏みをして体を暖めることはしなかった。参謀将校たちに勧められたシャンパンにも口をつけず、連絡将校は落ち着かない目つきでデウムバルトナに近寄った。
「閣下」
連絡将校は右手で敬礼した後、電信を手渡した。
デウムバルトナ将軍は電信を受け取り、微笑を浮かべながら中身を開けた。
綴られていたのはたった一文。
読みきるのに時間はかからなかった。
しかし、こんな難しい文章を読むのは初めてだった。
理解するには時間がかかる。
受け入れるのは不可能だった。
連絡将校は緊張した面持ちで屹立している。その緊張が作戦机の参謀たちにも伝染し、歓喜の色が薄まって、隙間風のようなささやき声が交わされ始めた。
デウムバルトナはずっと微笑したまま、一本調子にたずねた。
「間違いないのだね?」
「はっ」
「まだ通告は出していないのだね?」
「はっ」
「では、そのまま通告は出さないよう陸軍省に伝えてくれ」
「はっ」
連絡将校は踵を鳴らして、戸外の白い世界に消えた。
デウムバルトナは戸棚からインクと万年筆、そして私物のシンプルな便箋を取り出した。便箋には妻の好きな甘咲きの香りが染み付いていた。デウムバルトナは拳銃とサーベルを玉突き台に置いた。
デウムバルトナは私室のドアノブに手をかけて振り向くと、穏やかな声で告げた。
「家内に手紙を。息子が戦死した」
(了)
以上で『雪は白くて、ただ白くて、兵士たちは泥に眠る』は終了です。
2月24日午前7時ごろから、『アンヘル・ルーナ・セレイロの名誉をめぐる冒険』という小説を上げますので、よろしければ、ごらんください。
拙作に最後までお付き合いいただきありがとうございました。




