25.反撃
軍団司令部に新しく設置した電気通信装置は暗号解読装置までついた最新式だった。装置から長い舌のように記録用紙が吐き出され、そこに打たれた点と線を文字に起こす。
そして、その文字が連なって前線からの戦況報告となり、作戦机の上の駒が少しずつ動かされた。
フロステル軍の駒が四つ、四個師団。つまり二個軍団である。
対するペロニア軍の駒は六つ、六個師団。つまり三個軍団である。
数は敵が優勢だった。
両軍は山の裾野の地下陣地に陣取り、何ヶ月も睨み合いを続けてきた。だが、電信の報告が届くたびに駒は激しく動いた。
昨日昼ごろ、まずペロニア軍の駒六つ全てがデウムバルトナの軍団目がけて突進した。
昨夜遅く、フロステル軍の駒はずっと戦線に張り付き、六つのペロニア駒の圧力を必死に押さえつけていた。ペロニアの駒は六つ全て、自分の軍団に張りついた。これでは二日と持ちこたえられない。ただ、これは同時に好機の到来だった。
今朝、日も昇らないうちに電報が入り、ブルキ将軍の軍団が左翼で動き出したことを伝えてきた。彼の軍団が深入りしたペロニア軍を囲い込もうとしている。
参謀全員が生唾を飲んだ。包囲が完成し、反撃が始まろうとしている。デウムバルトナ将軍が手元の予備も含めて反攻を命じれば、敗北に打ちひしがれたフロステルに初めての勝利が転がり込むかもしれないのだ。
また電信が舞い込んだ。ブルキ将軍麾下第二軍団から抽出された独立部隊が敵の主幹道路を抑えた。これでもう敵は退却が出来ない。
「全師団に反撃を命じてくれ」
ホテルのロビーで部屋を頼むような落ち着いた口調。反撃命令はすぐさま暗号化され、全戦線へ発信された。
参謀の一人で南部出身の少佐は涙ぐんだ。
これで参謀の仕事は終りだった。作戦もタイミングも全て指示した。後は現場の奮闘次第だった。
「雪と風、我らを守りたもう」
デウムバルトナは静かにつぶやき、暖炉脇の安楽椅子にかけた。
参謀たちは作戦机に残って地図をじっと見つめたり、そわそわと落ち着かない手振りで煙草に火をつけたりした。一人、若い参謀将校がデウムバルトナに近寄り、祝辞を述べた。
「おめでとうございます、閣下」
「何がかな?」
「勝利は目前です」
「いや、もう勝ったと思うよ」
デウムバルトナは意外にも自信に満ちた答えを返した。
「包囲はほぼ完成した。予備師団を投入して押し込めば、ペロニアの前線は崩壊するよ」
参謀は湧き上がる歓喜に声を弾ませた。
「これでフロステルからペロニア軍を追い出せます」
「それは無理だね」デウムバルトナは燃えさしが崩れ落ちるのを見ながら言った。
将軍の弱気な、そしてそっけない答えに参謀将校は動揺を隠せずに言った。
「どうして無理なのです? 大勝利は約束されたようなものです。前進を続ければ、失われた国土を取り戻せます」
「二キロの前進。これが今回の大勝利に許された唯一の報酬だよ」
「二キロ? たった二キロですか?」参謀将校はぽかんと口を開けた。
「左様」
雪に埋まった窓ガラスから吹雪の呻き声が聞こえてくる。デウムバルトナは続けた。
「二キロ以上は進めない。精霊機関の吹雪が援護していないからね。さらに五十キロ先にはペロニアの三個軍が控えている。たぶん、今回の敗北を受けて彼らは新しい戦線を築き上げて守りに入るはずだ。ペロニアは強い。三個軍を一度に相手するだけの兵も装備もフロステルにはない。空軍の再建もメドがたたない。フロステルは独力では勝てんよ。残念ながらね」
「しかし、兵士は戦意に溢れ、国民は失われた国土の回復を望んでいます」
「同時に疲れている。フロステルの継戦能力は枯渇寸前だ。この反撃が終わったら、我々は一兵たりとも無駄には出来ない。少なくとももう一軍団編成されるまではね。二キロの前進で我慢しなきゃいかん。ペロニアのほうも吹雪の中で再編成するんだから、攻勢を再度かけるまでには一年以上かかるはずだ。我が軍はその貴重な一年間、三個軍をフロステルに張りつけるために使わなければならない。そうしてエルフロアやイフリージャへの負担を少しでも減らし、彼らの勝利を待たねばならない。エルフロアとイフリージャは大国だ。エルフロアの巨大陸軍、イフリージャの砂漠艦隊ならペロニア本土への攻撃もできる。彼らがペロニアを打ち負かし、目の前の三個軍が移動を始めたら、その背後を突く。そうしてやっと前進できるのだ。卑劣で矮小な戦略だと思うかね? でも、これが小国の戦い方だ。陛下も政府も同意見だし、あのブルキ将軍も認めたよ。真実はいつも苦い味がする」
参謀将校は小国の限界を思い知らされた。
「だが……」
デウムバルトナ将軍は白いフロステル師団の駒を手に取ると、
「この三個軍団だけは逃がさない。殲滅する」
ペロニアの赤い駒に自軍の駒をぶつけた。
まさにこの瞬間、デウムバルトナ小隊は突撃を開始し、敵の機関銃陣地にぶつかっていた。




