24.雑談
敵の攻撃は一昼夜続いたが、デウムバルトナ小隊の受け持ちでは小康状態に入った。デウムバルトナはコチップの撤退を事後で認め、部下全員にラム酒を一杯だけ飲むことを許可した。ラム酒の振る舞いは予備陣地の塹壕で敵とにらみ合いを続ける友軍を活気づけた。
予備塹壕第一線でもストルテンフォルやペルモフ伍長、じいさん、シーハ、レンゼルゼン、それにアーヌローらが寄り集まって、コップに揺れる濃い褐色のラムをちびちびやっては柔らかな笑みをもらしていた。リプセンはシチューを取りに行かされたため、いなかった。
「やっぱりラム酒はイフリージャだよ!」
「七十度の混じり気なし!」
「ホーンのやつめ。飲まずにくたばっちまった。勿体無いから奴の分も飲んどいてやろう」
「生き残ったやつの特権だな」
「第二分隊のメルゴーもやられたらしい」
「まさか! メルゴーはピンピンしてる。さっき調理壕でアスパラガスつまみ食いしてたぜ」
「じゃあ、誰がやられた?」
「ベッテ伍長」
「なんだって! 畜生、伍長には五フローラ貸してたのに。それ本当なんだろうな?」
「間違いない。目の前で死んだんだ」
「ベッテとホーンに!」
ストルテンフォルは献杯した。掲げた手が高すぎた。敵の狙撃兵がストルテンフォルの手をマグカップごと撃ち砕いた。
「ああああ! くそったれ!」
「はやく後送しろ!」
「おーい、衛生兵!」
三人の衛生兵がやってきた。ストルテンフォルは腰を抜かしてしまい、担架に乗せなければならなかった。二人が持ち上げ、一人は骨がむき出しになった手首に止血帯を巻いた。
「あーあ、ストルテンフォルの抜け作。酒ごと手をふっ飛ばしやがって」
「すげえいい匂いだ。血の臭いがしないぞ。さすがイフリージャのラム」
「風味が濃い」
「お前の髭面みたいにな」
「奴の手ぇ見たか? 切り株みたいになっちまった」
「あれじゃ鉄棒は握れねえな」
「わしはあの体操野郎に前から言ってたんだ。コップをそんなに高く持つもんじゃねえって。あの野郎、背が高いくせに乾杯するとき妙にはしゃいで腕を振り上げる。そうやって何度備品のランプをぶち割ったことか。その度に調達する身にもなってもらいたいもんじゃ」
「じいさん。どこの住居壕だっけ?」
「三番通路の二番目の穴」
「やっぱりな。このランプ泥棒。うちの入り口にかけておいたランプがしょっちゅう盗まれるから変だと思ってたんだ」
「おい、アーヌロー。今の衛生兵見たか?」
「ベルとグルッツだ。うんざりするほど見慣れた顔じゃねえか」
「包帯巻いてた奴だよ」
「知らんね」
「わしも見とらんかった」
「偉くチビな奴だったな」
「ありゃ女だ」
「なに?」
「女だよ、お、ん、な!」
「女の子だよ!」
「生物学的にはメスと呼ぶ」
「なんだってうちの小隊にいる?」
「パンミル大尉の取り計らいでこっちに回された」
「疎開させたわけだ」
「こっちだって激戦だ」
「いや隣の中隊はハンパじゃねえ。半分が死んだか負傷して、予備中隊が派遣されたって」
「そもそも戦争に出すことが間違ってる」
「何の話だ?」
「女の子の話だ」
「包帯の巻き手はいくらいても事足りねえよ」
「デウムバルトナ中尉はなんて言ってる?」
「従卒の話じゃ、あまりいい顔はしなかったらしい」
「そりゃそうだ」
「おい、アーヌロー」
「ん?」
「手ぇ出すんじゃねえぞ」
「ばーか、俺にはでぶっちょがいらあ!」
「デウムバルトナ中尉のことか?」
「お前果てしなく頭悪いな」
「エルフロアの草原みたいに果てしない」
「イフリージャの砂漠みたいに果てしない」
「ペロニアの欲深さみたいに果てしない」
「ペロニア人にもいい人はいる」
「デウムバルトナ中尉のことか?」
「あの人はフロステル人だ」
「じゃあ、いいペロニア人てのは?」
「亡命したペロニア人さ。骨のある連中だ。亡命ペロニア人がエルフロアに集まって一個師団つくったんだ。今も樹海戦線で頑強に敵を押しとどめているらしい」
「そいつはいいや」
「そのくらいはしなきゃな。やつらのための戦争だ」
「エルフロアもだいぶ負けたなあ」
「エルフロアはいいさ。あれだけ人口が多くて領土が広ければな」
「樹海戦線じゃ、もう戦死者が十万、負傷者も二十万は出てるらしい」
「死傷者三十万? どんな負け方したら、そんなにやられるんだよ」
「負けてるんじゃない。勝ったり負けたりしてるのさ」
「中途半端に勝つのも考えものだな」
「畜生。ペロニア人め」
「ペロニアはいいところだよ。商売で何度も出かけたが、おしゃれな町が多くてよ」
「俺もクップレーの港にいったことがある。真冬でもポカポカあったかくてな。白漆喰のホテルが海沿いに並んで、いつでも海水浴ができるんだ」
「温水プールに行きてえなあ」
「クップレーなら俺も行った。雑貨屋がたくさんあって甥っ子姪っ子どもに土産をたくさん買ってやったっけ」
「温水プールに行きてえ」
「そのクップレーだが、聞いた話じゃ今は要塞になっちまったらしい。ペロニア軍が砂浜をすっかり埋めちまって、そこを土台に対艦砲台を作りまくった」
「魔法至上主義者は品がない」
「温水プールに行きてえ!」
「おめえ、さっきからプール、プールってやかましいんだよ。ケッ、温水プールなんて浸かってたら骨が溶けるぞ。煮込んだ軟骨みたいにな。あんなもんフニャフニャの軟骨野郎が入るもんだ。この中で塩水湖出身のやついるか? おっと、手は小さくあげろ。指を撃ち飛ばされるぞ。ひい、ふう、みい……よし、お前らなら分かるよな? 生粋のフロステルっ子なら真冬の湖を泳ぐもんだって」
「真冬の湖? シーハ、嘘言うなよ」
「嘘じゃねえよ、トンチキ。湖が凍るか凍らないかギリギリの日に下着一丁で泳ぐのさ。頭に火酒の大瓶を縛りつけて、ストローを垂らすんだ。で、体が冷凍庫みてえに冷えてきたら、ストローから酒をちゅうちゅう吸う。するとポッカポカよ。さっきまで痺れて動かなくなりかけてた腕に力が戻ってよ。ようし、何往復でも泳いでやるぞって気合いがみなぎるんだ。お前ら、凍死寸前に飲む火酒の旨さが分かってねえんだな? かわいそうな連中だねえ。人生における楽しみを半分放棄してるようなものなんだぜ」
「どうせ嘘だぜ」
「そうだ、そうだ」
「嘘じゃねえよ。証人がいるんだ」
「誰だ?」
「陸軍中将ミューンデルモ・デウムバルトナ閣下よ」
塹壕にいた兵隊全員があきれてライフルをいじりだした。
「嘘じゃねえ! 本当に将軍がいたのさ。俺が一泳ぎして岸辺に戻ると、……っていうのも俺んちは桟橋が湖に迫り出してて、そこにサウナが作ってあるんだ。そのすぐそばの船着き場でデウムバルトナ将軍が鮭釣りボートから降りてきたとこにちょうど鉢合わせしたのさ。でっかい鮭を二匹も抱えてな。戦争が始まる二年前だから、こっちも相手が将軍なんて分かりゃしねえ。きっとペロニア人の旅行者だろうと思って、俺は気さくに話しかけたわけよ。『よお、おっさん! でけえ鮭だねえ。どこで釣ったんだい?』。すると将軍もにこにこ笑って気さくにこう答えた。『コウノトリ岬の向こう側だよ。ここはいい湖だねえ』。湖生まれなら分かるだろうが、自分の湖を誉められるのは富くじで一等とったみたいに嬉しいことなんだ。俺は運動の後でいい気分だったのもあってな。『どうだい、おっさん。もし、よければうちのサウナに入ってかねえかい? 寒いだろう?』ってうちのサウナを勧めたのさ! その日の夜、俺は自家製の火酒を、将軍は釣り上げた鮭をお互いに勧めあって、楽しくやったんだぜ。写真もとったしな」
ペルモフ伍長が意地悪く遮った。
「で、その後、悪いドラゴンが天を割り、地を焦がし、地獄の業火を吐きながら降りてきて将軍をさらったんだろ? それを飲兵衛勇者のシーハ様がお助け申し上げたわけでござる。めでたしめでたし」
「これっぽっちも信じてねえだろ」
「信じてるさ。レンゼルゼンの女房の貞操と同じくらいな」
「そう。つまりメチャクチャ信じてるってことさ」
「皮肉だよ、レンゼルゼン」
「そのくらい気づけよ、レンゼルゼン」
「?」
「今度、デウムバルトナ中尉にあったら聞いてみろ! 絶対に今の話を聞いているはずだ!」
「やれやれ」アーヌローは頭を振った。「この分じゃフロステルもおしまいだな。うちの部隊ときたら、脳みそが豆粒程度の体操選手や盗人じいさん。おのろけ男に嘘つき飲兵衛しかいねえんだ。他の連中も似たり寄ったりだし。ペロニア軍のほうはどうなんだろうな?」
「あいつらに捕虜にされると魂を抜かれるらしい」
「またあ」
「これも嘘じゃねえよ。俺は保護されたエルフロア人捕虜を見たんだ。つねっても蹴飛ばしてもポケっとしちまってうんともすんともいわねえ。魂を抜かれたんだ」
「出来ない話じゃないな」
「奴らにとっちゃ、このラムだって水同然で価値がないんだろう。魔法至上主義者に天下を取らせると大変だ。酒も煙草も魂もなくなって最低の世の中がやってくる」
「イフリージャに乾杯!」
「乾杯はよせ。ストルテンフォルの二の舞だぞ」
「ストルテンフォル。哀れなやつよ。ちょっと手を高く上げただけであのざまだ」
「なあに、きっちり落とし前はつけてやる」
「そういえば、クーヌとヴィセントリンがいないな」
「射撃室に篭ったきりだ」
「あの二人を見ておると何だか不憫じゃ。ヴィセントリンは子供の頃、流行り病で死んだ弟に似とるんだよ」
「今日も死神は大活躍だ」
「十人くらいやったな」
「いや、もっとだ」
「子供に死神なんて呼び名をつけるんじゃねえ」じいさんが顔をしかめた。「子供は希望で、道なんだ。死を希望にして誰が生きられる? 死に通じる道を誰が歩く?」
「おいおい、じいさん、そう怒るなよ。事実を言っただけさ。でもよ、どうあがいたって俺たちは人殺しなんだぜ。俺なんか機関銃手だから、クーヌよりも多く殺したさ。たぶん今日一日で百人くらいは撃ち殺した。しょうがねえ。あいつらから突っ込んでくるんだ。お前ら、覚えてるか? 数年前に南部の町で五人も斧で殺した蹄鉄工がいただろう。たった五人殺して、あの野郎は絞首刑になった。稀代の殺人鬼って新聞にも書かれまくった。だが、俺はどうだ? 俺は人殺しよりも死刑人よりも多くの人間を殺しちまった。お前も、お前も、お前もな。この一年で十人以上殺しちまってるはずだ」
「やめろよ。そんな話」
「そうだ、気色悪い」
「俺は真実をついたのさ。真実はいつも苦い味がする」
「そして、ラムはいい味がする。お前の戯言が真実ならこのマグカップには真理がたたえてある」
「そうとも。まずは楽しむこと」
「次に排莢」
「次に装填」
「しっかり狙って」
「ズドンと一発」
「ペロニア人の死体、一丁あがり」
「おーい、帰ったぞ」
「シチューのご到着だ。ご苦労、リプセンくん」
「まだ温かいか?」
「残念だが冷たい」
「温めよう」
「塹壕でか?」
「構うことはねえ。そこの空き地で火を焚けばいい。火種には困らん」
「よせよ。敵に狙い撃ちにされる」
「俺たち、いま塹壕の中にいるんだぞ? どうやって敵の弾が当たる? それに温かいシチューを食っている俺たちの姿をペロニア人に見せびらかせば、あいつらもメシを食い始める。敵がメシ食ってるのに、自分たちだけお預けで戦争するなんて道理はねえからな」
「わっ、撃ってきやがった」
「無粋な奴らめ」
「ばっきゃろー、撃つなら後にしろい! いま食事中だ!」
「やばい。土嚢が破れた。蓋を閉めろ! シチューに泥が入る」
「食い物なんて普段から泥だらけじゃねえか」
「ケッ、命はって戦ってるときくらい泥抜きのメシ食わせろってんだ」
「そうだ、食わせろってんだ」
「また撃ってきやがった。あいつら通路にタコツボ掘って、こっちを狙ってやがる」
「銃剣突撃は失敗したからな。持久戦に持ち込んだんだろう」
「ケッ、根性なしどもめ」
「手投げ弾投げてやれ」
「派手に掘りやがって。こっちから攻めるときは渡し板がいるな」
「他の連隊はどうなってんのかな?」
「まだ突撃を食らわされてる」
「上層部の話じゃこの小隊トンネルは反攻に転じるときの基地になるそうだ」
「上層部? 誰から聞いた、んな話」
「ウソじゃねえよ。反撃のために予備師団の連中がわんさと集まってる。あんな沢山の兵隊、見たことねえ」
「また新しく一個軍団作ったんだぜ」
「これが終わったら、俺たちそいつらと交代して休暇がもらえるんじゃねえのか?」
「ひゃっ、また撃たれた。俺の帽子が殺されちまったい!」
「まかせな、撃ち返してやる」
「よせよ、アーヌロー。お前じゃ弾の無駄だ。クーヌに頼め」
「よし、じいさん。ちょっくら行って、坊主どもに帽子の仇をとるように頼んでくれ」
「ほいきた。でも、シチューの肉は大きめのを残せよ」
「わかってるって」
「おい、じいさん! 待て、待て! そっちの塹壕はよしな。敵の射界に入ってる。ほら、板塀が破れてるだろ? なにもわざわざ撃たれにいって敵の手柄になることもねえ。あっちから行きな」
「頼むぞ、じいさん」
「がんばれ、じいさん」
「じいさん、行ったか?」
「ああ、行った」
「よし、肉を分けようぜ。大きめのから取るんだ」
「お前もワルだな」
「お前こそ、厨房から骨を掠め取ったんだろ」
「髄までちゅうちゅう吸わせてもらった」
「じいさんのラムも飲んじまおうか?」
「おい、シーハ。お前、体に血は通ってるのか?」
「さすがにそれはかわいそうだろ」
「じいさんにぶっ殺されるぜ」
「ぶっ殺されんのはペロニア野郎のほうさ」
「そうとも。明日はこっちの番だ」
「やり返してやる」
「叩き出してやる」
「切り刻んでやる」
「蜂の巣にしてやる」




