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23.天使

「もっとロケットを撃て! 敵が見えねえぞ!」

 怒声が銃声に挟まって、部下を震え上がらせる。コチップは第一分隊の最前線地下陣地で指揮を執っていた。

「くそったれども! 次々わいてきやがった!」

 分隊の火線は迫り来るペロニア兵を薙ぎ倒し押し止めていたが、ペロニア兵は装填の隙ができると堰を切った様に現れて、手榴弾を投げてきた。手榴弾を投げるためだけの命だった。だが、手榴弾は確実に陣地を疲弊させている。死傷者は既に八名を越えていた。

(こりゃ威力偵察なんかじゃねえぞ)コチップは散弾を手探りで薬室にねじ込んだ。(ペロニア軍が総攻撃を仕掛けてきやがった。前線全体でやられてるに違いない)

 機関銃手が悲鳴をあげながら倒れた。もうずっと引き金を引きっぱなしで、手の皮がずるむけて血だらけになっていた。足下には撃ち尽した弾倉と焼け付いた銃身が打ち捨てられている。

「どけ!」コチップが代わりに銃手を務めた。

 銃火の絶えた銃眼。

 目の前の地面が津波のように湧き上がる。

 照明ロケットが灰色の戦列と魔法ペロニアの軍旗を映し出した。

 ペロニア魔法国万歳!

 黒い影の群れが唱和しながら突撃してきた。

 コチップは人の群れを左から右へ機関銃で薙いだ。コチップは倒れてうめくペロニア兵に止めの弾丸を浴びせて制圧射撃を完成させた。

 コチップは銃座から飛び降りると手榴弾の箱を蹴飛ばしながら、ホーン一等兵に配るよう命じた。ホーン一等兵は手榴弾を兵士一人につき二つずつ配った。

 戦争の劣悪な環境が兵士から人間らしさを奪っていくという人もいるが、手榴弾の使い方を見れば、それが眉唾ものであることがわかる。もらった手榴弾を大切に温存するものがいれば、さっさと投げてしまうもの、見向きもせずにひたすらライフルを連射するものといった具合で十人十色、非常に個性が際立っている。問題はこの個性を発見する余裕がないことだった。運命はホーン一等兵に、自分が配った手榴弾がどのように消費されていくか見届けることを許さなかった。最後の一個を配り終えた瞬間、銃眼からすり抜けた弾が脳みそを吹き飛ばした。ホーン一等兵は糸が切れた操り人形のようにがっくりと崩れた。

「分隊長! もう支えきれません!」部下の一人が胸壁を越えてくる敵兵を突き倒しながら報告した。

「中尉からの命令がなきゃ予備陣地には退けん!」コチップは足元に落ちてきたペロニア手榴弾を拾い、投げ返した。「おい、ホーン! 中尉は第二分隊の陣地にいる! 戦況を報告しにいけ!」

「ホーンは戦死しました!」

 コチップは手榴弾を投げ返すので忙しかった。悲鳴。爆発。お互い、胸壁から目も体も離せずに言葉がやりかわされる。

「ブルーフェイは!」

「同じく戦死です!」

「お前は誰だ!」

「リプスンです!」

「持ち場を離れられるか!」

「無理です、分隊長!」

「誰か中尉の元に撤退の許可をもらいに行ける奴はおらんのか!」

 無理な相談だった。各員が取り付いている銃眼の向こうにはペロニア兵が陣地に押し込もうとひしめいている。弾幕を途切れさせるわけにはいかなかった。しかし、攻撃が始まって二時間が経過。陣地の被害は甚大だった。この陣地についている兵員は四十名。二度の白兵戦の末、四名が戦死し五名は負傷して後送された。土嚢陣地は二箇所、見過ごせない大きな裂け目ができていて、もう一度ペロニアの突撃にさらされれば全滅の危険もあった。

 胸壁のすぐ向こうで大きな爆発があり、舞い上がった土砂が滝のように降ってきた。

 ストルテンフォル一等兵は二人のペロニア工兵が身を低くして陣地に走り寄ってくるのを確認した。一人は大きな包みを抱え、もう一人はライフルで前進を援護している。ストルテンフォルはライフルが被った土を払いのけるとしっかり狙って、大きな包みを撃ち抜いた。工兵は爆発し、火柱に包まれた。

 同じような包みを抱えた敵があと十人はいる。

(この陣地じゃもたない)コチップは歯軋りした。(もっと優勢な陣地で反撃しないと敵を止められない。このままこの陣地にいたんじゃ部下をいたずらに損耗するだけだ。予備と合わせれば四十人のライフル兵で抵抗できる。四十名なら予備陣地を一晩守りきれるぞ)

 コチップは決心した。デウムバルトナ中尉に無断で予備陣地に逃げる。

「機関銃兵は撤収の準備! 他のものは弾幕をはって、撤収の援護をしろ! 俺の合図で手榴弾を一斉に放り投げ、予備陣地に撤退する!」

 部下の兵卒はコチップの命令どおり動いた。機関銃兵は撃ち方やめして、機銃を本体と冷却用タンク、そして銃架に手早く分解して予備陣地に走った。ライフル兵は暗闇の敵へ連射しながら、手榴弾を手元に手繰り寄せた。

 機銃が黙ると敵兵たちが窪地から一斉に姿を現した。

「いまだ、投げろ!」

 コチップの合図とともに数十個の手榴弾が陣地の外に投げられる。地面が割れたかと思うほどの轟音と閃光がペロニア兵の攻撃隊を一掃した。

 その間に第一分隊は予備陣地へ撤退していた。殿のコチップは散弾銃を連射しながら後ろ向きに走った。部下も機関銃も失わずに撤退できたことは奇跡に近かった。

 予備陣地は三段に渡って塹壕を掘った丘のようなものだった。撤収してきた兵隊たちは開いている塹壕に滑り込み、使い果たした手榴弾を補充するために箱を引っ掻き回した。

「おい、機関銃は?」誰かがきく。「機関銃はどうした!」

 機関銃手たちは悲鳴をあげた。

「銃身が焼けついちまった!」

 凍った泥が銃身の上で音を立てて焦げる。それは皆殺しの臭いだった。

 第一分隊の脳裏に投影される悲愴な考え。機関銃が使えなければ、敵の突撃を押さえられない。銃身を交換しないといけない。だが、交換用の銃身は最前線に放置してしまった!

 後方の倉庫まで銃身を取りに走ったとして往復で十分はかかる。その間に敵は貧弱な予備陣地を突破して、味方の塹壕は手榴弾と人肉の破片に溢れかえる。

「奴ら、押し寄せてくるぞ」

 誰かが不安を隠せずにつぶやいた。コチップは手榴弾をベルトに挟み、陣地方面の出入り口をにらみつけた。

 ペロニア兵の足音が聞こえてくる。全員が身構えた。

 ところが足音は空洞まであと少しのところでパタリと鳴り止んだ。

「どういうことだ?」

 またペロニア斥候の足音が遠くから響いてくる。だんだん音が高くなり、出口付近まで近づいたところでまた音が鳴り止んだ。

「さっぱり分からん。奴ら、出口のそばで待機してるのかな?」コチップは首をかしげた。

「軍曹! あれです!」そばにいた伍長が陣地の右端を指差した。

 右端の銃眼から、黒い銃身が一本突き出ている。そして足音が近づくたびに消音器にしぼられた銃火を吐き出していた。

「湖の死神ですよ。あの射撃室から通路を走ってくる敵兵を殺っつけてるんです! やつらびくついて走りこめないんだ! 死神なんてとんでもない呼び名だ! 今の俺たちには天使にも等しい存在ですよ!」


 メッゼは次の五発を込めた。弾を一発ずつ薬室に滑り込ませ、ボルトを握って遊底を閉じる。銃身を銃眼にくっつけて、頬を銃の台尻にのせて、目線をスコープの十字線に集中させた。

 横で膝を抱えるヒニーネが言葉をぽそっとこぼした。

「射撃、得意だったんだね」

「まあな。訓練場じゃ二番目の腕だった。それにここからなら的も遠くない」

 メッゼは通路から顔を出した敵の目を撃ちぬき、ボルトを引いた。規則正しい金属音とともに弾が薬室に装填された。ヒニーネはうつむいた。

「人を撃てないなら僕なんか生きてる意味はないよ」

「何か読んで聞かせてくれよ。持ってるんだろ、詩集」

「持ってるけど、……恥ずかしいな」

「そうか」

 メッゼは責める様子も見せずに笑い、スコープに目を戻した。

 沈黙が重い。静寂を少しでも払いたいと思い、ヒニーネが話しかけた。

「ねえ、メッゼ」

「ん?」

「メッゼは……どうして、兵隊になったの?」

「帽子についてるものが欲しいからさ」

 メッゼの軍帽には雪の結晶の形をした鉛色の金属がピンで留めてあった。

「フロステル聖晶勲章。これは模造品だけどな」

「意外だね……」

「なにが?」

 たずねながら、メッゼは引き金を引いた。スコープの向こうで敵兵がうつ伏せに倒れた。

「メッゼは勲章なんかに興味はないと思ってたよ」

「興味ないさ。こんな金属のきれっぱし」

「じゃあ……」

 メッゼはボルトを引いて、薬莢を薬室から吐き出させた。

「この勲章がもらえれば、年に六千フローラの恩給がつく。俺が欲しいのはそっちさ。それだけあれば、弟に楽させてやれる。いい病院でいい医者に診てもらえるし、ひょっとしたら奨学金ももらえるかもな。弟はさ、お前に似てて勉強好きなんだ。頭もいいしな」

 弟のことを思いながら、メッゼはもう一度引き金を引いて、さっき撃った兵士に止めを刺した。

「……俺の弟、いま病院にいるんだ。俺が煙突掃除に行ってる間にクソ親父に突き飛ばされて、階段から転がり落ちた。もう二度と歩けない体にされたんだよ……」

 スコープを睨む目が一瞬細くなり、唇が噛みしめられる。

「俺が家に帰ったとき、警官二人がドアの前に立ってて、弟はもう病院に搬送されてた。クソ親父は逮捕されたよ。親父は弟が階段の下で泣き叫んでる間、酒かっくらって笑ってたらしい」

 プシュ! また人差し指が引き金を引いた。

「俺が煙突掃除につれてってやればよかったんだ。俺は何にもしてやれなかった」

「メッゼのせいじゃないよ。メッゼが気に病むことなんて……」

「俺は兄貴だ。弟は泣きながら、ずっと俺の名前を呼んでたんだ……。俺が守ってやらないといけなかったんだよ。金で罪滅ぼしなんかできやしないけど、でも、俺は自分の足で歩く以外の幸せ全てをあいつのものにしてやりたい」

 プシュ!

「そのために俺は人を殺す。勲章がもらえるなら、何人でもペロニア人を撃ち殺す。でも、戦争が終わったら、俺は誰も傷つけたりしない……」

 薬室から吐き出された薬莢が空き缶に当たり、鈴のような澄んだ音を鳴らす。

 ヒニーネはポケットをまさぐった。

「煙草あるよ。吸う?」

 メッゼは首を振った。

「いや。ほんとは俺、煙草はあんまり好きじゃないんだ」

「大人ぶってたの?」

「まあな」

「じゃあ、婚約ももしかして……」

「ばーか。あれは本当。あ、そうだ」

 メッゼは煙草をくわえるとマッチをすり、少し吹かした。

「どうだ? なんか風っぽい匂いがしないか」

 ヒニーネはポケットをまさぐった。

 適当なページを開いて、朗読した。

 草原に住むエルフの兄弟の詩だった。

 とてもきれいで幸せな詩だった。

「ヒニーネ。今日は撃つな。誰も殺すな」

 メッゼは少し躊躇ってつけ加えた。

「俺が殺るから」

「ごめん、メッゼ」

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