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17.制裁

 迷路のような地下道の片隅に小さな窪地があった。その忘れ去られた窪地にはなぜか上等の毛布が二枚放置されていたが、たまたま見回り中のデウムバルトナ中尉がそれを見つけてしまった。

「おや、勿体無い。誰も使ってないなんて」

 ためしに包まるととても暖かい。疲れが溜まっていた中尉はそこに座ってつい寝入ってしまった。

 そして夢を見た。どんな場所でどんな人がいたのかは覚えていないが、中尉は四、五人の誰かさんの会話を立ち聞きしていた。その内容は以下の通り。


 いまに見てろよ、ランクガルナーのクソガキめ。

 煙草の恨みを晴らしてやらあ。

 今度の偵察がやつの最期だ。あの痩せっぽちを谷に突き落としてやる。

 中尉にばれないか?

 ばれるもんか。


 そこで目を覚ました。

 廊下には誰もおらず、豆電球がちらつくだけ。

「う~ん……」

 実に嫌な夢だ。まるで後ろ弾を予兆させる夢だ。本当に夢だったのかも怪しい。もしかしたら自分は夢と現実の境目でうつらうつらしていて、誰かの会話を本当に盗み聞きしてしまったのかもしれない。たしかに自分が寝ていた窪地は通路から隠れていて、人に見つかりにくい。見つかりにくい場所だからこそ、上等の毛布が二枚も放置されていたのだ。

 じゃあ、あの夢が正夢、というよりも現実だったとして、あの声は誰のものだろう? 聞き覚えがあるがなかなか思い出せない。

 地下通路を歩いて出て行こうとすると仮眠壕からコチップ軍曹が出てきた。

「やあ、おはよう。コチップ」

「おはようございます」軍曹は元気に挨拶しながら敬礼した。

「そうだ、コチップ。さっきそこの通路の窪地で上等の毛布を二枚見つけたんだ。自分で使うなり誰かに配るなりして役立ててくれたまえ」

「わかりました、中尉殿」

 そのとき、狙撃銃を背負ったクーヌ二等兵とヴィセントリン二等兵が通りかかった。

「おはようございます、中尉殿」二人はぴっと敬礼した。

「おはよう」

 デウムバルトナも返礼する。

「おい、二人とも」コチップ軍曹が二人を呼び止めた。「中尉殿が向こうの通路で上等の毛布を二枚見つけたそうだ。お前らで使っていいぞ」

 上等な毛氈と聞いて二人は顔を上気させた。冷たい地底湖勤務では毛布は何枚あっても足りないのだ。

「ありがとうございます!」

 軍曹は嬉しそうに駆けていく二人の背をしみじみ見ながら、気のいい言葉をこぼした。

「あいつら痩せっぽちだから、いつも寒そうにしてるんです」

「大変だね。僕は太ってるから、まだマシなのかもしれない。じゃあ、軍曹。また後で」

 小隊指揮所に帰り、従卒から温めた蜜をもらうとそれを一口すすって考えた。

 痩せっぽち。

 夢の中で、痩せっぽち、と言った男の正体がわかった。

あれはコチップの声だ。

 コチップ軍曹とランクガルナーの確執は抜き差しならぬところまでいってしまった。

 先日、トーチカをつぶし捕虜一人を得た功をデウムバルトナはクラーメン大尉に報告し、大尉はコチップを気に入ってくれた。だが、あの後、ランクガルナーがしゃしゃりでて軍曹に異様な敵愾心を持ったことがわかり、デウムバルトナは心穏やかではなかった。

 まずいのはランクガルナーが軍曹以下部下の煙草を片っ端から駄目にしていったことだ。

 しかもエルフロア煙草である。これでランクガルナーの味方はいなくなった。

 戦地では煙草の価値が命をしのぐ。エルフロア煙草ともなれば、その価値は世の真理に近い。地下塹壕戦の陰鬱さを貴重な嗜好品で紛らわせたい兵士は大勢いるし、そのくらいしか楽しみがないことも、たいていの将校は分かっている。

 だが、ランクガルナーはちっとも分かっていなかった。

 煙草騒動は間違いなく対立の根を深くした。その根は毒を吸い上げ、蔑みの芽を育み、憎悪の幹を伸ばして、瘴気の果実を実らせる。果実はランクガルナーの上に落ちて酸のように焼けつき、その忌々しい臭いが小隊全体に拡がるだろう。何とかしなければいけないのだが、当のランクガルナーは兵士やデウムバルトナから遠ざかっていく一方だ。

 というのも、デウムバルトナ中尉がランクガルナーの分隊長就任を渋っていたことがどういうわけだか知られてしまい、ランクガルナーはデウムバルトナに対し、白い目を向けるようになった。

 たぶん例のトーチカ破壊の一件で中尉がクラーメン大尉のところに行ったのも、コチップを売り込んで自分を追い落とそうと思ったはずだ。

この手の誤解が積み重なり、お互いを理解できぬまま時が過ぎていくことを平和な世の中ではすれ違いと呼ぶ。前線の場合はこれが後ろ弾と名を変える。

 デウムバルトナ中尉はランクガルナーを呼び、明日行く予定の偵察を控えるようそれとなく言ってみた。明日は地上の雪原陣地から偵察を行う予定だったのだ。

 ところがランクガルナーは絶対にうんと言わない。偵察で自分も名を上げたい、できれば勲章物の武勲を立ててみたいと思っているのだ。

 後ろ弾の危険をはっきり伝えることはためらわれた。確信がないし、そんなこと教えたら、ランクガルナーの態度がますます硬化して兵隊を半殺しにするかもしれない。そうなれば、後ろ弾どころか前後左右のあらゆる方向から弾が飛んできて、ランクガルナーは蜂の巣にされかねなかった。

 奮闘の結果、デウムバルトナ中尉はなんとか明日の偵察に同行しないという言質をランクガルナーからとることに成功した。ランクガルナーの恨みがましい視線と引き換えだが、この若者の生命を考えれば、けして悪いことをしたわけではない。

 デウムバルトナ中尉はこの問題を忘れ、小隊に届く予定のランプ五百個の受け入れ先をどの壕にしようか、地図を見て、頭を悩ました。


 次の日、ランクガルナーが行方不明になった。

 ランクガルナーはデウムバルトナとの約束を破って偵察に出たのだ。

 ついていったのはコチップ軍曹とホーン、ブルーフェイ。

 事情を聞くと、四人は雪原陣地のトーチカを這い出て、敵の前哨を偵察に行ったが、方向を誤ってランクガルナーが谷に落ちたという。探索隊を出したが生存は絶望視され、捜索は打ち切られた。

 その後、間もなくデウムバルトナはコチップ軍曹に会った。分隊長に任命するためだ。

 喜ぶ軍曹の様子はいつもと変わりないが、目には少し傲岸不遜な色が帯びていた。

 目の上のたんこぶを片づけた人間特有のおごりのようなものが軍曹の中で生まれつつある。

(コチップは有能な軍人だ)デウムバルトナは一人になって考えた。(でも、ナック軍曹ほど忍耐強くはない。たぶんランクガルナーを殺したはずだ。ただ証拠はない。それに僕も騒ぎ立てるつもりはない。正直、分隊はランクガルナーが率いていたときよりもずっとよくなるはずだ。でも、今のコチップじゃ長くは持たない。上官殺しがコチップに奇妙な権力を錯覚させている。このまま放置すれば、後ろ弾がコチップの背中にめり込むのも時間の問題だろう)

「よし」

 数日後にまた偵察がある。前の偵察と同じ面子を揃えて、雪原に上がろう。

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