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15.狙撃

「敵の狙撃兵の威勢がいいようだね」

 デウムバルトナ中尉は指揮所に二人の分隊長を呼んで、報告を聞いた。

「おとといからです」第一分隊のランクガルナーが言った。「こちらは三人殺されました」

「こちらは二人。全て地底湖です」第二分隊のバイネ少尉も言葉を次いだ。

「じゃあ、合計五人か。放置できないなあ」

 デウムバルトナ中尉は木箱の上に腰かけて、板を渡して作った作戦机に頬杖をついた。大きな地底湖の見取り図には岩の位置や水深、天井の低さがびっしり描かれていて、自軍の湖岸には土嚢と煉瓦の防壁を表すギザギザの半円線が新たに赤鉛筆で書き加えられていた。ギザギザ線の二箇所から短い太線が地底湖に向かって突き出ている。これは新型のサタン&ルシファー製重機関銃だ。弾詰まりのしにくさ、給弾ベルト、さらに水冷式銃身、どれをとっても一級品だった。予定ではこのうち一丁を地底湖西側のくじら岩と呼ばれる大岩と湖岸の陣地を浮橋で結び付けくじら岩に新型機関銃を据え付けて、地底湖の制海権を一手に握る予定だった。だが、この狙撃兵のせいで陣地の構築がうまくいかない。浮橋すら構築できていない。少しでも工兵を進めれば、たちまち狙撃兵の餌食になるからだ。

「狙撃が行われた後、こちらも機関銃と無反動砲で応戦し、狙撃兵が潜伏していたと想われる場所に執拗な攻撃を行いますが、どうしても逃げられてしまいます」

「狙撃兵の相手は狙撃兵じゃないとね」デウムバルトナ中尉はランクガルナーに向き直った。「このままじゃ地底湖に人を食われる一方だ。でも、あそこの見張りを放棄するわけにはいかない。こないだ新しい防御陣地を構築したばかりだから。今日、あそこに詰めることになっているのは?」

「クーヌとヴィセントリンです」ランクガルナーが答えた。

「そうか……」デウムバルトナは溜息をついた。「二人がうまくやってくれればいいけど」


 ヒニーネはライフルに取り付ける新しい付属品を手に取り、中を覗いたり、表面を指で撫でたりしてみた。この不思議な黒い筒は銃身の先に取りつける消音器でこれをつけると発射音と銃火を極力押さえられるという。

 先日、兵站部から配られて実戦に使ってみて、効果を指揮官に報告するよう言われたのだが、ヒニーネはこの新兵器が気に入らなかった。銃身が余計に長くなり、地下道がますます通りにくくなるし、だいたい銃声が全くしないというのもなんだか怪しい。

「とりあえずつけてみようか」

 ヒニーネはそのちょっと太めの黒い筒を銃口にはめ、手で回した。消音器がキリキリ音を立てて銃身にぴったりはまるが、予想通り違和感はぬぐえなかった。

「今日は一日中、地底湖に張り付かないといけないから、思い切り厚着していかないと」

 メッゼが外套と毛氈、マフラーのようなものを渡した。服を着込み、マフラーを顔に巻きつけ仕度を整えると二人は地底湖へ向かった。

 いつものように地底湖に降りるが、もう砂礫の岸にはテントは建てられていない。土嚢陣地があるだけでその後ろに機関銃兵が息を潜めていた。ここの哨戒に出た兵が敵の狙撃兵によってもう五人もやられている。

 岩陰の小舟に乗りながら、ヒニーネがたずねた。

「今日はどこがいいかな?」

「舟に乗ったまま。岩場に狙撃兵が隠れてるらしい」

 ヒニーネが舳先に身を伏せ、メッゼが艪を操る。小舟は大きな岩のそばに寄り添って停泊し、黒い水面の上に散在する岩場へ舳先を向けておいた。こうして相手の狙撃兵を待ち構えるのだ。

 昨日から岩場の上にランプが置かれている。ただし火はついていない。ペロニア兵が夜な夜な岩場で酒盛りをしているという下らない噂が流れたが、ペロニア兵にとって、今の地底湖は酒盛りが出来るくらい安全なのだ。それもこれも全ては敵の狙撃兵のせいだ。地底湖のフロステル兵が次々とやられてしまい、みな地底湖の見張りを嫌がっている。ヒニーネも出来ればやりたくなかったが、誰かがやらなきゃいけないので仕方なくやっている。

 吐く息が口を覆うマフラーに当たり、熱と湿り気が口にこもる。お陰で喉を痛めずにすみそうだった。洞窟の天井から水がたれ、ピチョンとかわいい音を立てるが、それ以外に動きはない。雫が落ちる音と自分の息がマフラーに当たる音。これ以外のものはまったく聞こえてこない。メッゼは双眼鏡で注意深く岩場の一つ一つを観察しているが敵は見当たらないようだ。

(なにもないなあ)数時間以上が経過して、ヒニーネは眠くなってきた。昨夜も散発的な攻撃があり、地下陣地の射撃壕に呼び出されたのでほとんど寝ていない。集中力を研ぎ澄まして岩場を見つめるが、どうしても瞼が重くなる。いつもよりも多めに着込んだせいで水や岩の冷たさも遮られている。だから、ヒニーネの目を冴えさせてくれるものは姿の見えぬ狙撃兵を相手にする緊張感だけだったが、それすらも尽き果てようとしていた。

 そのとき、スコープの先にある岩肌が少し動いた気がした。いっぺんに目が覚め、岩場に集中する。

 岩が動く? そんなことがあるだろうか?

 だが、見間違いではなかった。普通なら見落とすくらいの小さな動きだったが、ヒニーネの目は捉えていた。確かに岩肌がうごめいている。

 ヒニーネは注意深くその岩肌を見つめた。まるで岩が生きているようだ。 生きているとして岩の心臓はどこにあるのだろう?

 ヒニーネは動いた岩肌の部分に狙いをつけた。もし勘違いだったら、と考えたが、今回の狙撃は消音器付きだった。こちらの気配をどれだけ隠せるか知るいい機会だ。

 雫が落ちた音と同時に撃った。

 プシュ! 鋭い反動に不釣合いな銃声が雫の音に掻き消される。銃声というよりはガス抜きに近かった。無音の銃弾が動く岩肌に命中した。次の瞬間、目を疑った。なんと岩肌がライフルを持ったペロニア兵を吐き出したのだ。ペロニア兵はそのまま岩肌を転がり、地底湖にざぶんと落ちた。タネが分かった。狙撃兵は岩肌によく似た遮蔽布を被って身を隠していたのだ。

岩の陰から相棒と見られる観測手が舟で逃げようとしていた。銃声が聞こえず、どこから撃たれたのか分からないので観測手は一番大きな岩に隠れて、艪をこいだ。

 その姿はヒニーネに丸見えだった。

 プシュ! またくぐもった銃声がして、逃げる観測手の首を撃ちぬいた。観測手は血を噴きながら、船底に消えた。

 ヒニーネとメッゼはお互いを見合わせた。

「すごいライフルだ」ヒニーネが声を潜めて言った。「まったく銃声が聞かれていない」

「まるで囁き声だな」

「恐ろしいよ。こんな静かな弾が自分に飛んできたらと思うと」

 敵の陣地でもなにやら動きが慌しくなった。大きな水音がしただけだが、銃声がしない。たぶん虎の子の狙撃兵が誤って湖に転落したと思ったのだろう。救出班が組まれ、衛生兵一人と歩兵二人をのせた舟がペロニア軍陣地の船着き場から滑り出した。

 狙撃兵に頼りすぎだ。ヒニーネは思った。そのペロニア兵たちは敵がいないと思い込み、まったく無用心に舟を漕ぎ出している。あるいははやく仲間を助けようと焦っているのか。

(戦場でやっちゃいけない油断だ)ヒニーネは心の中で思いながら、スコープの十字線を艪につく兵士の額に合わせて引き金を引いた。

 プシュ! ドボン!

 わずか二秒で一人が水に消えた。

(次は……)舳先にいる中年の歩兵に照準を合わせる。

 狼狽する顔を撃ち抜いた。パスンという静かな音と舞い上がる血がとても対象的で、音もせずに人が死ぬのは薄気味悪かった。

 残ったのは兵士のヘルメットに赤い十字が見えた。衛生兵だ。ひどくおびえていた。

「行こう」ヒニーネはスコープから目を外した。「人の命を救おうとしている人を撃っちゃいけない。例えペロニア兵でも」

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