14.少女
ヒニーネとメッゼは中隊トロッコ発着場で缶詰を待っていた。トロッコが固型スープの缶詰を満載してやってくるので、二人はそれを手押し車に積み替えて、自分たちの小隊に持ち帰るのだ。
缶詰は前線の人気者だった。中に入っている食事は不味くて慰みにもならないが、缶は使い物になる。中をきれいに拭き取って小物入れにする場合もあれば、胴を切り取って手作りランプにするものもいるし、積み重ねて結びつけ机の土台にするものもいる。小石を入れて蓋を閉じ、陣地の外にばら撒く場合もある。敵の偵察が蹴飛ばしたら音が鳴る。その音を頼りに機関銃をぶっ放すのだ。だが、最大の使い道は手作り手榴弾だった。ばらした地雷の炸薬を詰めて、導火線を挿し、蓋をはめたらトンカチで縁を潰して閉じる。缶の中には火薬のほかに砂利や釘を詰めるので殺傷力は抜群だった。
ただ、缶詰運びは面倒な仕事だから人気がない。手押し車に缶詰を山と積み、倒れないように注意しながら小隊へ持ち帰るのは骨が折れるし、神経もすり減らす作業だった。
メッゼが手押し車の中に座り込んで、欠伸をした。
「缶詰来ないな」
「うん」ヒニーネはボタン磨きを取り出して、ボタンをこすっていた。
トロッコは三十分前、下士官二名を運んだきり戻ってこない。暗いトンネルは化け物のように大きな口をぽっかり開けている。
「ったく、なんで俺たちが缶詰なんか運ばないといけないんだ?」
「仕方ないよ。僕ら、ここじゃ新米なんだから」
ヒニーネはさして苦でもないようににっこり笑っていた。地底湖の冷たい水面で身を潜めて、敵を撃つよりもこうしてメッゼと缶詰を待っていたほうが楽しいからだ。
「なあ、ヒニーネ」
「うん?」
「お前、戦争が始まる前、付き合ってた子とかいなかったのか?」
ヒニーネは唐突な質問に顔を真っ赤にした。
「い、いないよ、もう! 変なこと聞かないでよ!」
「否定の仕方がウブだなあ。ガールフレンドの一人や二人はいたんだろ?」
「僕は女々しいタイプだったから女の子にはもてなかったんだ。学校で入ってた詩学クラブは僕みたいなのの集まりでね。みんなからはホワイトアスパラガス・クラブなんて呼ばれてたっけ。人気があったのはスキーや犬橇に堪能なスポーツ少年さ」
「じゃあ、それもおしまいだ。俺たち今度の戦争で立派に戦ったんだ。故郷に帰れば、大モテよ。なんてったって、フロステルを守るためにペロニア人を何人も殺っつけ……」
ヒニーネが少し目を伏せた。メッゼは自分の失言に気づくと、表情をあらためて謝った。
「……わりい、ヒニーネ。そんなつもりで言ったんじゃないんだ」
「わかってるよ、メッゼ」ヒニーネは微笑し、話を変えるつもりで聞いた。「メッゼには好きな子いたの?」
「よくぞ聞いてくれた!」
メッゼは自慢げに笑いながら、外套の懐に縫いつけたポケットからセピア色の写真を取り出した。
書き割り背景の前で椅子にちょこんと座ったきれいな女の子の写真だった。くりくりした瞳、少しつんと上がった鼻とその印象を打ち消す優しい微笑が不思議とつりあっている。羊毛のようにふわふわした巻き毛が胸へ落ち、陶器のように白い手がぴったり重なって、スカートの上に置かれている。
「幼馴染で俺のフィアンセだ」
「本当? メッゼ、婚約してるの?」
「あたぼうよ」
ヒニーネは驚いた。メッゼとは年は同じだが、いろいろな面で自分よりも大人びている。
「この子は煙突掃除の親方の愛娘で、名前はルゼメル。親方は俺のことをいい煙突掃除になるって誉めてくれてよ。お前が婿に来てくれれば、俺も安泰だなんて言ってんだぜ。これを婚約と呼ばすしてなんと呼ぶ?」
「お世辞」
「チェッ。もっと夢のある受け答えが出来ないと女の子に嫌われるぜ。煙突掃除の親方が俺みたいなガキにお世辞なんて言うもんか。これは間違いなく婚約だよ」
「でも、当のルゼメルはどう思ってるの?」
メッゼはヒニーネのマフラーを奪い取ると、その結び目で嬉しそうにヒニーネを引っぱたいた。
「よくぞ聞いてくれた!」メッゼはマフラーでヒニーネの顔をぐるぐる巻きにした。
「うぐぐ……」あんまりきつく巻いたので息が出来ないくらいだった。
「それがな。ちょっと前に手紙があってさ。寂しくてしょうがないだなんて書いてあってよ、もし休暇が取れたら絶対に遊びに来てね、うちに泊まってねって書いてあって、手編みのマフラーまでついてきたんだ」
「ぷはっ!」ヒニーネはやっとのことでマフラーを外した。「ふ~、苦しかった。ねえ、メッゼ。そのマフラーは今どこにあるの?」
「なんだよ、信じてないのか?」
「だって、そんなマフラーしてるとこ一度も見たことないよ」
「するわけないじゃないか! 汚さないように大切にトランクの中に入れてあるんだ」
「それじゃ意味ないよ。その子もメッゼにしてもらうために編んだのに」
「意味は大有りさ。ルゼメルが俺のことを想ってるってのが伝われば、それでいいんだから。……ん? おい、あれ見ろ」
トロッコ牽引用のケーブル巻き上げ機が回り始めた。トロッコがこっちにやってくるのだ。
「やれやれ。やっとだぜ」
中隊トンネルの暗がりに明りが一つ揺れている。明りはだんだん大きくなった。トロッコにつけられたランプが近づいていたのだ。
「さあ、行こうぜ」メッゼは手押し車を立てた。
ヒニーネもボタン磨きをやめて、手押し車の取っ手を握った。
巻き上げ機が低くうなって動きを止め、トロッコが車止めにぶつかった。
「さーて、なんの缶詰かな……なんだ、こりゃ?」
乗っていたのは少女だった。結んだお下げを左右に垂らしている十代半ばの少女がトロッコの中で膝を抱えて退屈そうにしていた。帽子と腕章には担架兵を示す赤い十字が縫いつけられていた。
「こりゃまたずいぶん可愛い缶詰だな」メッゼがトロッコの縁に顎をのせて皮肉っぽい視線を寄せた。
「どこから来たの?」ヒニーネが聞いた。
少女はその問いに答えず、小首をかしげて聞いた。
「お兄さんたち、第八小隊?」
ヒニーネが答えた。
「いや、違うよ。僕らはデウムバルトナ小隊さ。第八小隊に行きたいのかい?」
少女はこくりと頷き、トロッコを降りた。すると巻き上げ機が呼び出し笛を鳴らしたので、メッゼはスイッチを切替えてトロッコを『棺桶』発着場に送り返した。
「第八小隊なら、隣の中隊さ」メッゼが言った。「第四中隊に行かなきゃ。ははん、乗るトロッコを間違えたんだな」
「そんなことないわ。発着場のおじいさんがこっちであってるって言ってたもの」
「じゃあ、じいさんもろとも間違えたわけだ。トロいなあ」
少女はメッゼに舌を出した。
「チェッ。かわいくねえの」
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか。まだ来て間もないんだし」
そんなヒニーネをメッゼがやらしい目で見つめる。
「な、なんだい?」
「いや、別に」メッゼは手押し車を寝かすと、荷台の中に座り込んだ。「わかった。ヒニーネ。その子、第八小隊まで送ってやれよ。缶詰の面倒は俺が見ておくから」
「でも、一人じゃ缶詰運びきれないだろう?」
「いいから! 物分りはいいほうなんだぜ」
「物分り? 一体、なんの話だい?」
メッゼはヒニーネの手から手押し車を奪うと、それを寝かせて足置きにしてしまった。
ヒニーネは腑に落ちないながらも、少女を中隊間連絡通路に連れて行った。
支柱二本につき、ランプが一つ下がっている連絡通路はそこそこ明るく、足元も板を隙間なく敷きつめていたので歩きやすかった。中隊つき通信兵が工兵たちと缶詰の交換に励み、報告書入り鞄をくわえた伝書犬が爪で板床をカチカチ鳴らしながら中隊指揮所へ走っていく。少女がその犬を捕まえて抱きかかえたものだから、犬は迷惑そうにきゅうきゅう鳴いた。少女が犬を放してやると犬は少し傲慢にふんと鼻を鳴らして走り去った。
子供っぽい動作だ。ヒニーネはそう思い、歳をきいた。
「十四よ」少女がけろりと答えた。
「十四!」ヒニーネは心底驚いた。「フロステルは十四の子供を戦場に出さなきゃいけないくらい追いつめられているのかい?」
少女はむっとした。
「あなたも同じくらいでしょ?」
「僕はもう十七だよ」
ヒニーネはひどく童顔な上に小柄だったから、実際の年齢よりも五つくらい下に見られることが多々あった。
「わたしがここに来たのは人助けのためよ。わたし、怪我をした兵隊さんを運ぶために呼ばれたんだから」
「でも、十四で戦争に出たらダメだよ。家族の人も心配してるよ」
「軍はお給料がいいから」少女が答えた。「わたしの家、本当は南部のアスパラガス農場だったの。でも、戦争で焼かれてみんななくなっちゃった。子供が一番お金を稼ぐには軍隊が一番だって、知り合いの女の子が教えてくれたから志願したの。徴兵局の偉い人もわたしを戦争に送るのには反対したけど、結局はいいって言ってくれたわ。それで軍隊に入ったのよ。お給料もちゃんとお父さんとお母さんに送ってるんだから」
「でも、戦争なんだよ。もし……」
「いくらペロニア兵でもわたしみたいな女の子を撃ったりしないわよ」
「そうは言うけど……」
ヒニーネの浮かない顔に少女も言葉を止めた。
「どうかしたの?」
「ん? ううん、なんでもないよ。そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」
「ミューネよ。お兄さんは?」
「ヒニーネ」
「ヒニーネはここでなにしてるの? やっぱりわたしみたいな担架兵?」
「僕は……」ヒニーネは口ごもった。「雑用係さ。さっきも小隊の缶詰を運ぶために待ってたんだ」
「ふうん」少女は納得したようだった。「そうね、ヒニーネは優しそうだもん。人を撃ったり爆弾を仕掛けたりするよりも担架や食事を運んだほうが絶対いいわよ。さっきの人は意地悪だったけど」
「メッゼのことかい? ちょっと人見知りするところがあって、初対面の人にはつっけんどんな態度をとるけど、根はいい奴なんだよ」
ヒニーネは地下陣地で少しでも快適に過ごすための豆知識をミューネに教えてあげた。穴だらけの毛氈で体温を保つ方法や調理壕で少しでも多くの夕食を勝ち取るためのコツ、薬莢でオモチャを作って退屈しのぎをすることや兵隊同士で使う珍しい言葉などだ。
「軍隊ではね」ヒニーネが言った。「自分の母親や奥さんのことをめちゃくちゃにけなすんだ。太ってるとか怖いとか、すね毛が濃いとかって」
「どうしてそんな意地悪を言ったりするの?」
「家族が恋しいなんて言い過ぎると弱い男に思われるからね。でも、悪口を言うからって兵隊たちが家族を愛してないなんて思っちゃ駄目だよ。みんな、本当は家族が恋しいのさ。強がってるんだね。よく好きな女の子に素直になれなくってちょっかいを出す男の子がいるだろ? それと同じさ。悪口を言えば言うほど、その兵隊は家族を大事に思ってる証拠さ。だから、自分の家族をけなしている兵隊を見つけたら、それは愛情の裏返しだと思うんだ」
ヒニーネはこんなことを言いながら、メッゼのことを思い出していた。メッゼはよく自分の父親を貶していた。言葉の中に愛情が見えなかった。メッゼ曰く、父親はみじめな現実から逃げるためにいつも酔っ払っていた。メッゼが小さかったころ、父親はよく理由もなく八つ当たりをして、メッゼのことをぶん殴ったらしい。だが、歳月はメッゼに味方した。父親の体が日に日に酒でだれていくのに対し、メッゼはすくすく成長して背も体格も父親を凌駕した。十四歳のとき、メッゼはベルトで引っ叩こうとしてきた父親を逆に腕ずくでねじ伏せた。それ以来、父親はメッゼを殴らなくなった。そのかわりに弟を殴ったのだ。メッゼが働きに出ている間に。メッゼの弟は六つ下で生まれつき体が弱かった。今は施設にいるらしい。メッゼもそのことはあまり話さなかった。メッゼは弟のことをとても愛していて、気にかけていた。
「ヒニーネは家族のこと、ちゃんとけなしてる?」
ミューネの質問の意味を掴みかねていると、少女はくすっと笑って続けた。
「だって、愛してれば愛してるほど家族の悪口を言うんでしょ? オタンコナスとか、スットコドッコイとか」
「僕はそんなこと言わないよ。ちゃんと恋しいって言うさ。弱いと思われても構わないし」
ミューネは、だと思った、と嬉しそうにうなずいた。
「ヒニーネは家族も言葉も大切にしそうだもん」
ヒニーネは笑って肩をすくめた。
第八小隊と書かれた看板が打ちつけられている三叉路でミューネを先任軍曹に預けると、ヒニーネは自分の居住壕に戻り、この話をした。
「どう思う、メッゼ? 女の子が戦いに出るなんて」
メッゼの代わりに同室の古参兵アーヌローが答えた。
「そりゃよくねえな。戦うのは男の仕事だ。もし、おれのでぶっちょが出征するなんてほざき出したら、おれは女が出しゃばるじゃねえ! って怒鳴って往復ビンタを食らわしてやる」
ビンタをかます真似をして亭主関白を気取るアーヌロー。するとメッゼがヒニーネに耳打ちした。
「アーヌローのやつ、あんなこと言ってるけど、こないだ寝言で『すまん、かあちゃん! 悪かった! もう、でぶっちょなんて呼ばないから殴らないで!』ってうなされてたぜ」
二人でクスクス笑っていると古参兵が真顔になって繰り返した。
「こらっ。おれの言ってること聞いてなかったな。もう一度言うぞ。戦うのは男の仕事なんだ」
その後、アーヌローはたっぷり三十分、愛しのでぶっちょのことをさんざん貶した。




