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13.オーロラの塔

 フロステル王国の首都に残る中世時代の古い六角塔。細長い窓とネズミ色の石壁。味気ないとんがり屋根が青く寒々しい。

 これが今、フロステルの命運を握る精霊機関である。尖塔のてっぺんからはオーロラが昼夜を問わず紡ぎだされ、南の空へ流れていく。これがフローボルランドの前線に到達するころには猛吹雪と化し、ペロニア軍に襲いかかる。

 オーロラは機関に封じ込めた雪精の力で動いている。雪の精霊の力を利用する技術は以前から存在していて、フロステルの一般的な照明『雪精灯』もその一種である。雪の精霊の力をほんの少しだけ借りて罐に封じ込め、青白い光として出力する。それをパイプを通じて町中に配り、街灯や室内灯として利用するのだ。魔法技師や蒸気技師、機械職人たちは精霊灯工場でその出力と機関のメンテナンスを受け持ち、精霊の力が逃げないように注意すればいい。

 しかし、フロステル南部全域に二十四時間継続して吹雪を起こさせるほどの精霊機関となるとこれはもうとんでもない力だった。封じ込めた精霊の力は強大で暴走を起こせば、フロステルの王都が一瞬にして氷に閉ざされることも有り得るので、国中の魔法使いと機械技師が集められて、精霊機関の管理に力を尽くしている。彼らは魔方陣と汽罐を維持するために身を粉にしていた。

 高名な魔法学者のスプルーオン氏もその一人だった。精霊機関の魔方陣形成に一役買った彼はもう七十を越えた老体に鞭打って、不眠不休でその精神力を費やしていた。

 そのため彼の体はもうボロボロだった。目は落ち窪み、白髪は煤混じりの雪のようにくすみ、体は枯れ枝のように痩せ細った。しかし、この老人は毎朝ベッドで目を覚ますと、そそくさと朝食をすませ、マントを着込み、よく磨いたシルクハットをのせて、精霊機関の魔方陣に立ち向かうべく瞑想する。

 スプルーオン老人は仕度を終えると使用人に見送られ、軍の蒸気橇に乗って、精霊機関に向かっていった。陰気な町は雪と悲報に押し潰されそうでその光景が老人の心を大いに痛めた。

「なんとかせにゃならんて」

 中世に建てられた物見塔を改造した精霊機関は鉄と煉瓦の集合体だった。いまやフロステルの生命線であるこの塔は軍によって出入りを厳重に管理され、許可のないものは絶対に入れない。新聞もこの精霊機関に関する記事は検閲で書くことができなかった。

 二重三重のゲートで身分証の提示を要求され、その度に老人は通行証を手渡す。ゲートを通過すると高い塀に囲まれた前庭に同僚の魔法使いや技師たちが疲れのとれない重い体を引き摺っている。スプルーオン老人はこの前庭を歩くときだけはしゃんとしているところを見せようと背筋を伸ばす。橇の扉を開けて、颯爽と降り立とうとするのだが、足がいうことを聞かず、へたばってしまった。老人は白くて厚い雪の中に仰向けに倒れ、極夜にたなびくオーロラに弱々しい白い息を吐きかけた。

 そばで引継ぎをしていた魔法将校数名が慌しく駆け寄ってきた。もうスプルーオン老人は限界だった。将校たちは博士が立ち上がるのを手伝い、休息を取られては、としきりに進めたが博士はがんとして首を縦に振らない。

「孫が戦地でがんばっとる。わしが休むわけにはいかんのだ」

 よろよろと跳ね上げ橋を進むがまた眩暈を起こし、手摺にへたばった。

「わしが休むわけにはいかんのだ。わしが休むわけにはいかんのだ」

 老人は執念で体を動かし、雪に足を滑らせながら精霊機関の入り口に近づく。魔法兵や助手たちに支えられ、いくつもの廊下や階段を過ぎ、老人は機関の前まで辿り着いた。

 目の前に鉄の塊が聳え立っている。塔を空洞にして、中に作り上げたこの鉄の塔はあちこちを凍てつかせ、高らかに冬の唄を歌い上げていた。高くに組まれた鉄の足場や回廊には魔法兵や機械技師たちが罐の目盛を見て、レバーで出力を調節し、歯車についた霜を取ったりしている。スプルーオン老人の受け持つ魔方陣は精霊機関の頂上、ガラス床の大広間にあった。広間いっぱいに描かれたこの魔方陣で精霊の力を呼び込み、封じ込め、機関を制御している。百人以上の魔法使いたちがこの巨大な魔方陣を維持するために膝をつき、自分の精神を研ぎ澄ましながらレバーを引いたり、魔方陣を修正したりしている。魔方陣が精霊の力によって破られそうになると魔方陣の模様や文字が歪む。その歪みを放置すれば、精霊機関の鉄壁が破壊され、精霊の力が暴走してしまう。それは出力を大きく減退させ、敵に降りかかる吹雪の威力を減少させる。それはペロニア軍にとって有利に働くはずだった。

「ヒニーネが戦っておる。ヒニーネのためじゃ」

 老人は昇降機で魔方陣へ上りながらずっとつぶやいていたが、いざ魔方陣に辿り着くと力尽きて倒れこんだ。

 スプルーオン老人はそのまま陸軍病院に運び込まれ、家族も呼ばれた。

 一人娘とその婿のクーヌ議員、そして孫娘だった。

「お義父さん」クーヌ議員はベッドに横たわる舅の姿に心を痛めた。

 舅と会ったのは七ヶ月振りだった。それ以降、舅は精霊機関に、クーヌ自身は議会にかかりきりとなり、互いに会う時間を割くことが出来なくなっていた。だから、舅がこんなにやつれていることを知らなかったのだ。

「ヒニーネが戦っておる。ヒニーネが戦っておる」老人はうわごとを繰り返した。「オーロラがヒニーネを守ってくれる。ヒニーネを守ってくれる」

 ヒニーネの名前が出て、クーヌ議員は顔を曇らせた。妻と娘はずっと泣き暮れている。

 舅は孫のヒニーネを溺愛していた。自分に息子が生まれなかったこともそうだが、ヒニーネの詩を愛する感受性がとても気に入っていたようだ。クーヌ議員がヒニーネの軟弱さを嘆いていると舅は必ずこう言ってヒニーネを庇った。

「ヒニーネは強い子じゃ。優しさはまさに偉大な力じゃ」

 そのヒニーネが家出同然に戦地へ発って以来、クーヌ家の雰囲気は暗く重いものになった。

 最初はクーヌ議員も息子が男らしく戦っていることを誇る気持ちが強かったが、妻や娘の不安そうな顔、舅の落胆した様子、途絶えた手紙、そして新聞に報じられた相つぐ敗退でこの保守的な父親もすっかりしょげてしまい、ヒニーネが戦争に志願したことは自分のせいではないかと考えるようにすらなっていた。

 常日頃、もっと男らしくなれと小言を言ったりしてきたが、そのせいでヒニーネを追いつめたりはしていなかったか?

 そう考えるとクーヌ議員はひどく神経質になる。毛皮をむっくり着込むとすすりなく妻と娘、うめく舅を残し、雪の町を一人あてもなく歩き回った。

 かつてあんなに楽観と熱狂に包まれていた町がいまはひっそりとしていて人通りもまばらになった。通り過ぎる町の人の顔も浮かない。いまや戦争は勝つための戦いではなく、生き延びるための戦いとなった。市民たちはもっと激しく攻勢に出て、忌まわしいペロニア人を追い払えと急くが、軍も政治家もフロステル王国が独力で勝つことは不可能だと感じている。エルフロアが同盟国として参戦し、イフリージャ帝国もペロニア魔法政権に対し宣戦布告したが、それでも国土の半分が失われたのは痛かった。フロステル人の半分が住む場所を追われ、難民となり北部や王都の親戚を頼って細々と生き延びている。頼れる身寄りがいるだけ、まだ幸せだった。

 戦死者も増え続け、先週、ついに二万人に達した。負傷者はもっといる。国中から若者が徴兵され、酒場や作業場からは活気が消え去った。戦争はまず若い人間を食い尽くしてしまった。ヒニーネもその一人になるのだろうか……

 夏の白夜で行き場を失った夜が冬の昼間に流れ込み、十月の空を暗くする。クーヌ議員は一人町を彷徨い、知人のアパートの門前にいた。門番の姿はなく、鉄柵の門とアーチの向こう、雪で埋もれた中庭の真ん中にちょうど知人が一人でたたずんでいた。知人はオーバーコートはおろか半外套も着ておらず、チョッキ姿の軽装で凍りついた噴水のそばに立ち、呆然と庭の片隅を見つめている。いくらフロステル人でもあれでは辛かろうと思い、クーヌ議員は鉄柵越しに声をかけた。この知人は同じ氷山党議員で開戦の日、魔法党の議員をツララでぶん殴ると豪語していたあの血の気の多い男だった。

「やあ、調子はどうだい?」

 クーヌ議員は近寄ってくる知人になけなしの明るさを費やして声をかけたが、知人の顔を見てぎょっとした。顔中で涙が氷りついていたのだ。

「せ、せ、せがれたちが……」

 知人の顎が寒さで震えていて、声が恐怖でひきつっていた。

「せがれたちが戦死した。たったいま、陸軍省から報せが……」

 雪が凍ってへばりついたその手には黒枠の戦死通告が二枚。

「二人も死んじまった……二人も……ああ!」

 知人はその場にへたりこんだ。雪の上でむせび泣く大男にクーヌ議員は声をかけられなかった。

「一番上のせがれと末のせがれが死んだ……死んじまったんだ!」知人は雪を口にほおばり、吐き出しながら哀願するように叫んだ。「クーヌ、どうすればいい! もう僕の子供は次男だけなんだ! 次男坊も塹壕にいる! いつくたばるかわからない! みんな死んじまう! どうすればいい! 魔法でも迷信でもまじないでもなんでもいい! どうすればいいんだ! どうすればせがれは無事戻ってくる!」

 クーヌ議員は放心状態の友を残しアパートを後にした。友の悲観が痛ましかった。寒さで睫が凍り、耳が痛い。涙が出そうになる。どうすれば戻ってくる! それを知りたいのはクーヌ議員も同じだった。灰と白の陰鬱な町から逃れるように目線を上にあげる。すると精霊機関のオーロラが幕となって連なっていた。昼の夜空にひろがった一筋の弱々しいオーロラは緑と赤のあいだの不思議な光を放って、南に流れている。

 あのオーロラがもっともっと流れれば、もっともっと吹雪が起こる。ペロニア兵を苦しめる。戦いどころじゃなくなるだろう。そうなればヒニーネは死なずにすむかもしれない。生きて帰ってくるかもしれない。

「ヒニーネ……ヒニーネ……ヒニーネ……」

 クーヌ議員はぶつぶつと呪文のように息子の名を唱えながら、陸軍病院への道をさがす。豪雪が目印の看板や立ち木を隠しているのでもう何十年もすんでいる街並みを見分けることができなかった。すると突然、町が明るさを増し、道も窓も壁も屋根も七色に輝きだした。

 何事かと目をあげる。クーヌ議員は息をのんだ。

 空一面を流れるオーロラの群れ。一筋ではない。幾筋ものオーロラが互いに交わりうねり、楽しそうに唄いながら南の空へ流れている。まるで精霊が遊んでいるようなまばゆい光と七色の彩りに陰鬱だった町の人々が窓を開け、空を見上げた。みんながオーロラに見惚れた。この数ヶ月、色を失った王都が突然煌き、奇跡をおびたようだった。

「奇跡だ!」クーヌ議員が叫んだ。「もっと吹雪くぞ。そうすれば兵士たちは助かる。雪と風がペロニア兵をフロステルから追い払ってくれる!」

 誰ともなく国歌を唄いだした。雪と風、我らを守りたもう。その言葉にどれだけの想いが込められているか計り知れなかった。

 クーヌ議員は失いかけた熱情を取り戻し、黄色と緑に煌く雪の上、踊るような足つきで陸軍病院を目指した。このオーロラがみんなを助けてくれるに違いない。ヒニーネを助けてくれるに違いない。その思いは刻一刻と強くなっていく。

 すると後ろから軍の蒸気橇がやってきて、中の将校がクーヌ議員を呼び止めた。精霊機関勤務の魔法将校だった。

「クーヌ議員、探しましたよ」魔法将校は蒸気橇を降りて、議員に近づいた。クーヌ議員はその将校の手に飛びついて、その両手を空に掲げさせた。

「見たまえ、君! オーロラだ! オーロラが幾筋も! あれが我々を助けてくれる。戦地の兵士たちを助けてくれる! 『雪と風、我らを守りたもう』だ!」

 喜ぶクーヌ議員。だが、魔法将校は生真面目そうな顔に困惑の色を浮かべた。その表情にクーヌ議員は相手の話を聞くべく、言葉をおさえた。

「実は……」魔法将校が痛ましい表情で告げた。「これは内密にお願いします。つい今さっき、精霊機関が暴走しました。いえ、ご安心ください、もう修復はされています。ただ、機関暴走の報せを受けたスプルーオン博士が病室を抜け出して、精霊機関の魔方陣に向かったのです。修復できるのは自分しかいないとおっしゃって。魔方陣は精霊の力を抑えきれず、四分の一の模様と魔法文字が歪んでいました。博士はそれを一人で修復したのです。ご立派な勇姿でした。博士は自分の命を削って、魔方陣を修復し、精霊機関を立て直し、さらに強化さえしました。全て一人で行ったのです。そして、全てを終えられた博士は力尽き、間もなく息を引き取りました。お孫さんの名前を何度もつぶやきながら……」

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