表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/27

11.小包

「なんだい、これ? 父さんの毛鉤じゃないか」

 小隊指揮所の自分のベッドの上でデウムバルトナ中尉は素っ頓狂な声をあげた。バイネ少尉から受け取った小包にはマス釣りに使う毛鉤が三十個、樫のケースに入っていた。父親愛用の毛鉤で母親からの手紙もついている。

 読んでみるとどう考えても、父親に宛てたものだった。頼まれた毛鉤を送りました、の文頭で始まり、窓際に置いた鉢植えのことや精霊機関のこと、町でパンと雪ひつじの肉が高くなり、蒸気暖房の使用も燃料節約のため制限されていることなど色々書かれている。デウムバルトナが一番読みたかった天気のことは書かれていなかった。吹雪の地下で戦っているとどうしても町の天気が知りたくなる。精霊機関によるブリザードは前線のみだと聞いているから、町は晴れているのだろうか? 晴れているとしたら、どんなふうに晴れているのか? 快晴か? ちぎれた雲が少し浮いているのか? それとも空の半分以上を隠してしまっているのか? 黄昏や曙はどんなものか? 今年の白夜はどうだったのか? どんな些細な空模様でもいいから知りたいのだ。

 さて、母からの手紙は文末でデウムバルトナ中尉をもっと安全な後背地に送れないのかと催促している。

「こんなこと書いたら父さんは困るだろうなあ」

 そんな特別扱いしたら、みんな父さんや僕を白い目で見る。この願いは聞き届けられないだろう。

 中尉は手紙と毛鉤ケースを小包に戻した。宛名がしっかりデウムバルトナ『中尉』宛になっているところから考えると、そそっかしい母親は夫と息子に送る小包を入れ違えたのだ。たぶん、息子に送られるはずだったものが父に送られているはずだった。

 デウムバルトナ中尉は小包を従卒に持たせると、これを中隊の郵便局に持っていくよう命じた。従卒が言われたとおり中隊本部に向かい、中隊指揮所の前を通り過ぎようとすると中隊長のクラーメン大尉に呼び止められた。

「なんと。じゃあ、これはデウムバルトナ将軍宛の荷物なのかね?」クラーメン大尉は驚いた。「じゃあ、中隊郵便局はよしたまえ。あそこの荷物はここ一月滞っている。貸したまえ。ちょうど連隊本部のコテージに行くから、そこのポストに預けよう」

「すいません、大尉殿」従卒は荷物を大尉に渡した。

 クラーメン大尉は小包を抱え、中隊トロッコ乗り場に向かった。そこでトロッコに乗ろうとしていた軍曹を呼びとめ相乗りした。薄暗いトンネルで軍曹が小包に好奇の視線を寄せるので、クラーメン大尉もつい気になってしまう。この中には何が入っているのだろう? まあ、中尉から渡された代物だからたぶん愛用のパイプかなんかだろう。そこで大尉の興味は止まった。なお視線を注いでくる軍曹をじろっと見て、黙らせると『棺桶』をそそくさと横切り、連隊行きのトロッコを探す。すると、たまたま連隊長が蒸気三輪で乗り付けていたのを見つけた。

「大佐」大尉は連隊長を呼び止めた。

「やあ君か」

 連隊長は愛想よく笑い、蒸気三輪の扉を開けて手招きした。運転席は野ざらしだったが、連隊長の乗る座席は白い幌屋根とガラスの風防で覆われていた。

 大尉がサーベルの柄に左手をのせながら、蒸気三輪の座席に乗り込むとさっそく機関がシューシュー鳴り、車は軽快に走り出した。トロッコ路線沿いの自動車道路を走りながら、連隊長が言った。

「君を呼んだ理由は二つ。一つは近々来るといわれている敵の大攻勢について、防備増強のことを話したくてね。君の中隊は地底湖の守りを受け持っているが、私はここの防御の増強が必要だと思っている。現状はどうだね?」

「はい、大佐。現在、地底湖の守備に狙撃兵を配置しております。敵は土嚢陣地を二つほど対岸に構築し、ときどき小型漕艇を出して偵察をしています。それを狙撃兵で撃退し牽制する状態が続いています」

「敵がその地底湖から殺到することは考えられないかね?」

「不可能です。地底湖は完全な闇に閉ざされ、暗礁や岩場も多く、とてもではありませんが大軍が展開できる場所ではありません。ただ、先ほどの防備の話ですが、もし地底湖からの上り口に陣地を一つ構築できれば備えは磐石となります」

「必要な土嚢と煉瓦を送ろう。機関銃もだ。旧式かもしれんがね。さて、次の話はこれだ」

 連隊長は一枚の写真をクラーメン大尉に渡した。いつぞやに撮った将校の集合写真だ。上等の長靴を履いた連隊長を中心に将校たちが寄り集まっている。偉丈夫のクラーメン大尉は右側の前から二番目の列で寒さに顔をしかめていた。まだ元気なカンクルポース少尉はコテージの右端に立つ網垣跡に寄りかかっていた。

「それを君にあげようと思ってね。そういえば、君が抱えているその小包はなんだね?」

 大尉は写真を指差した。手袋に包まれた太い指先はデウムバルトナ中尉を指差していた。写真の中の中尉はいつもどおり人懐っこい顔でコテージ右端の窓の前で目立たないよう、誰かの陰に隠れようとしているようだった。

「デウムバルトナ中尉に届いた軍団司令官の荷物を届ける途中ですよ」大尉が言った。

「じゃあ、それは軍団司令官の私物なわけだ」連隊長がおやおやと驚いた。

 遠い砲撃の震動がトンネルの土を落としてくる。蒸気三輪の風防に雪混じりの土がこびりついた。土は野ざらしの運転手にも落ちてきたが、平たい軍帽につもったのは乾いてさらさらの土だった。

「連隊の郵便から軍団司令部へ届けてもらおうと思いまして」

「それなら今すぐ送ったほうがいいな……」連隊長は白い髭をひねり上げて考えた。「ちょうどいい。師団司令部に資料を送る用があって少佐を派遣する。彼に持っていかせよう」

 蒸気三輪がトンネルを出て、雪原を貫く広い道路に出た。そのまま雪煙を巻きながら、車両は連隊前のコテージに止まった。

 赤く塗られたコテージの前にもう少し大き目の蒸気橇が停まっていて、少佐が出かけるところだった。

「少佐!」連隊長が車の窓から顔を出し、呼びかけた。

 少佐が蒸気橇の両開き扉から顔を出した。

「大佐! どうなさったんです?」降り注ぐ雪が声を吸い取ってしまうので少佐は少し声を張った。

 連隊長はクラーメン大尉から小包を受け取ると車を降りた。少佐も車を降り、二人は吹き荒び舞い上がる雪に膝まで埋まりながらズルズル歩み寄り、元コテージの散歩道があったところで鉢合わせた。

「これを師団司令部へ!」連隊長は小包を突き出し、少佐の手に押しつけた。「前線からデウムバルトナ将軍へ配達する荷物だ! くれぐれも丁重にな!」

 連隊長はそれだけ言うとクラーメン大尉に敵の攻勢について話すため、連隊コテージに歩いていった。クラーメン大尉もそれに続き、コテージの玄関へ消えていく。

(軍団司令官への荷物?)少佐は車の中で首をかしげた。(一体、何が入ってるんだろう?)

 少佐が乗った蒸気橇は蒸気クーペに装甲版を張ったもので乗り心地が悪かった。装甲蒸気橇はある程度固まった雪道を走っていたが、それでも座席は震動した。橇の板が小さな氷粒やカチコチのドングリを磨り潰すたびに少佐の尻が固い座席にどやされる。

 蒸気橇は小さな村の中央通りを走っていた。ヒューボルランド全体が戦闘区域となり、村民は全員避難していたのでこの村も無人となっていた。加えて止むことのない精霊魔法の吹雪で村はほとんどが雪に埋まり、かつては板塀で囲まれていたであろう農家もわずかに屋根の風見鶏を見せるのみだった。ここに村があると分かるのは、教会の尖塔だけがかろうじて突き出ていたからだった。しかし、それ以外のもの、家も畑も木立も全て雪の下に埋まっていたから、この場所に自然に立ち向かおうとした人々の生活が築かれていたことが忘れ去られるのは時間の問題だった。この道を通るのは少佐のような参謀将校か休暇を貰い、故郷に帰る兵士。後は送り返される怪我人と死者だった。

 橇は幅の広い塹壕道路に入った。固められた氷の道の上で大きな蒸気橇とすれ違う。トラック橇だった。荷台には兵隊が満載されている。前線に送られる新兵だ。

 こうした若い兵たちはいくら訓練して送り出しても、結局戦争に食われてしまう。寒さ、疲れ、敵の銃弾や手榴弾。雪原偵察中の遭難。

 塹壕道路の右側斜面、氷の土手の上に戦車の砲塔が突き出ていた。ペロニア軍魔法戦車の残骸だ。『悲劇の三ヶ月』の後、フロステル軍はここまで攻められたところで反撃に転じ、ギリギリで敵を食い止めたのだった。

 塹壕道路を抜けると師団司令部が見えてきた。尖った三角屋根の家で富農の持ち物だったが師団長が徴発した。家具調度は既に持ち出されている。一家は首都の親戚のもとに身を寄せているという。師団長はこの広いだけで物のない寂しい家で寝起きして作戦会議を開いていた。

 中の寒々しい広間では毛皮帽子の師団長がぶるぶる震えながら暖炉の前で各連隊の戦況を読んでいた。少佐は敬礼し、自分の連隊の報告書と資料を鞄から取り出すと師団長に提出した。

「それは何かね?」師団長はやせ細った手で小包を指差した。

「前線から軍団司令部への送達であります」

「軍団司令部へ?」

 師団長は考え込んでしまった。最近、軍団長のデウムバルトナ中将から敵の攻勢計画について聞かされて、防備を整えている真っ最中だった。予備兵をかき集め、弾薬をかき集め、士気をかき集めている。もちろん敵情もである。

 根拠はないが、次に予定されている攻勢、そして自軍の反撃がこの小包と無関係ではない気がしてくる。

 師団長は小包を持って、師団司令部を出た。軍団司令部まではもうそんなに離れていない。塹壕道路を蒸気橇で五分走ったところだ。鉄道駅が雪に埋もれ、線路がトンネルに飲み込まれていく。

 駅を迂回して、山小屋を目指す。煙突から吐き出す黒煙が降ってくる雪を黒く染めた。ところが黒い雪は地面に降りるとあっという間に消えてしまう。新しく降ってくる白雪たちが煤を覆い隠してしまうのだ。雪に足跡をつけて、泥とかき混ぜても同じことであっという間に雪が隠してしまう。雪たちは汚れを憎み、滅ぼしてやろうとでも思っているように厚く積もっていく。

「雪から見れば」師団長がつぶやいた。「我々の戦いもまた汚れにすぎん。我々もいつか覆い隠されてしまうのだ」

 軍団司令部に着いたとき、第一軍団司令官デウムバルトナ中将はサーベルをがりがり言わせながら、考え事でもするように玉突き台の周りを歩いていた。

「君か」デウムバルトナ中将は入ってくる師団長を見て、にこりと会釈した。「ブルキ将軍から攻勢に出ろと盛んに催促がくる。困ったね」

 師団長が小包を渡すとデウムバルトナ将軍は目を細めて、小包を破る。

「やあ、これは! 私が家内に送るよう頼んでおいた毛鉤だよ。なに? そうか、リスデルモに送る小包と間違えたわけだ。道理で私宛に息子の鉄道模型が来たからおかしいなと思っていたんだ。どれどれ……。おやまあ、手紙は家内からのだけだ。リスデルモも淡白な性格だなあ。どうせ届けるなら、僕は元気ですの一言でも添えてくれればいいのに」

 デウムバルトナ将軍は中の毛鉤が見えるようにケースを開けて暖炉の上に飾ると嬉しそうに手を叩いた。

「きれいだな。戦争が終わったら、ぜひ鱒釣りに行きたい。ところで……」

 デウムバルトナは師団長を作戦地図の前に連れて行き、少し間を置いてから聞いた。

「いい報せと悪い報せがあるんだが、どちらから聞きたいかね?」

「いい報せを」

「前の便でイフリージャのラム酒が届いた。兵站部には敵の攻撃前に前線の兵に対し、自分を見失わない程度の量を振舞うように伝えてくれ。飲み過ぎはいかんが、少しの量なら士気を上げる」

「わかりました、閣下。先週、イフリージャ帝国がペロニアに宣戦布告して以来、参謀たちも噂していましたよ。ラム酒の援軍がやってくる、と。で、悪い報せは?」

「敵の主攻はやはり君の師団にかかるようだ」

「そうですか……」

 師団長は肩を落とした。前途は楽観できない。自分の師団を表す駒が地図の上で赤い三つの駒に睨まれている。敵は三倍の兵力でかかってくるということだ。

「陣地を守って、敵を消耗させるんだ。浮き足立つまでこちらから仕掛けてはいけない。ペロニア軍はおそらく寒さで完全に参っている。だから勝ちを焦っているのだろう。こちらの兵力が寡少だから力で押せると思っている。でも、そうはさせんさ。狭い通路と強固な防御施設にうまく誘導して撃退し、その後、予備も加えた総突撃で敵を切り崩す。君に向かってきた敵の側面と後方をブルキ将軍麾下第二軍団の右翼が突いてくれる。ただ、深追いは出来ないから、将校にはそこのところをよく聞かせるように」

「わかりました」

「跳ね返して、やり返す。これがフロステルを救う道だ。忘れちゃいかんよ。跳ね返して、やり返す」

 デウムバルトナ将軍は地図をしみじみ見た。今度の反撃が成功すれば、どのくらい国土を奪い返せるだろう。どれだけの人々に故郷が戻ってくるだろう。それを考えると気が急いてしまう。攻め続ければペロニアの魔法政権を一気に滅ぼせるのではないかと勘違いしてしまう。しかし、その勘違いを実行に移せば必ず負ける。フロステルを滅亡に追いやってしまう。

 とにかく耐えよう。フロステルは独力では勝てない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ