1.最後通牒
読みにくい導入だと思いますが、よろしくお願いします。
「なんだ、この文章は?」
真夜中に叩き起こされたフロステル国王ミトロポリン二世は、外交の常識と礼儀を無視した恫喝的文言に目をむいた。
内容は亡命ペロニア人の引渡し、滅亡したペロニア王国への承認を取り消し、魔法政権と新たに国交を結ぶこと。
以上の通告に対し拒絶、もしくは二十四時間以内に回答が得られない場合、魔法政権はフロステル王国と戦争状態にあると解し、ペロニア魔法軍がフロステル国境を突破する旨が記されていた。
「閣僚を集め、議会を召集せよ。陸軍への動員準備も忘れるな」
フロステル王国は雪に閉ざされた小国である。三百年前、エルフロア大侯国から独立して以来、その運命はペロニア、エルフロア、イフリージャの三列強に翻弄され、幾多の戦乱に見舞われた。
その度に険しい山脈と止むことのない吹雪、そして雪の精の末裔と伝えられるフロステル人の必死の抵抗でその独立を辛うじて守り通してきたのだ。
その小国フロステルの独立が危機に見舞われた。原因は亡命者である。
隣国ペロニアで王家がクーデターによって打倒され、独裁的な魔法政権が確立されたのが一年前。それ以来、ペロニアは旧王国派と魔法国派に分かれての内戦が続いていた。
ペロニア魔法政権は人間の信仰によって発展する魔法を用い、人間社会をさらに高次な次元へと発展させるという非現実的な政策を掲げていた。
確かに魔法と科学を融合させて以来、人は魔法のみ、蒸気機関のみに頼っていた時代よりも遥かに強力な科学力を手に入れた。巨大な戦艦が空を飛び、鉄道が各都市を結び、人々の生活は豊かな発明品に支えられていた。全て魔法と蒸気機関の稠密な連帯が叶えたことだった。しかし、それでも伝統あるペロニア王家をクーデターで排斥した独裁政権など到底承認できるものではないし、魔法体制に反抗するものへの仮借なき弾圧が問題視されていて、各国大使は何度も抗議をしていた。
そのため、フロステル王国、エルフロア大侯国、イフリージャ帝国はこの新政権を承認せず、魔法政権に敗れた政治亡命者や難民の受け入れも全く制限していなかった。
そして、ペロニア魔法政権発足からおよそ一年が経過した十月十日深夜、魔法政権から特使が派遣され、フロステル王国に対し、最後通牒が交付された。
深夜の宮殿で御前会議が開催され、首相、外相、陸相、その他閣僚や、陸軍参謀総長、陸軍省と外務省の次官級官僚も集められた。
柱時計の短針は十二時を回っていた。
「最後通牒の返答期限は本日二十四時。ペロニア人亡命者および難民の引渡しと滅亡したペロニア王国への承認取り消し、ペロニア魔法国への承認を行う意思が期限までに確認されなければ、ペロニア魔法政権と我が国は交戦状態にあるということです」
外務次官が簡単に内容をまとめ、議論の呼び水をつくる。それを受けて、軍服姿の国王が意見を述べた。
「私はこの破廉恥な要求をのむつもりはない」国王は最後通牒の写しを引っ叩いた。「フロステルの主権を侵害するものだ。拒絶の意思を文書で返信するが、それも礼儀で行うものであり、個人として言わせてもらえば、このような無礼な通牒に返答の必要は感じられない」
次に首相が立ち上がり意見を述べた。
「恐れながら私も陛下と同意見です。確かに以前からペロニアとの間で亡命者問題が持ち上がっていましたが、政治亡命者の引き渡し要請は事実上の属領扱いを意味しています。我が国の威信を失墜させ、エルフロアやイフリージャとの間に亀裂を生ませることを意図した工作です」
「ペロニアはエルフロアとも樹海租借で関係をこじらせています」外相が手元の資料を指した。「エルフロアの魔力豊かな樹海を露骨に狙った外交とこの最後通牒は軌を一にしています。ペロニアの魔法政権は、魔法至上主義を国是とした強引な外交と軍備増強でペロニア王国が各国との間に築いた信頼関係を無にし、国際的非難を浴びています。魔法政府は異常です。とはいえペロニアは王国時代から強力な陸海空軍を擁した軍事国家であり、反面我がフロステルは小国です。総動員をちらつかせれば、我々が折れると考えたのでしょう」
「フロステル王国は建国以来、不当な圧力や侵害に屈したことはない」
国王が結論を引き取った。声こそ大人しいが、表情は険しく、憤りを隠せずにいる。
「参謀総長。もし、この最後通牒を黙殺すれば、ペロニアとの開戦は避けられない。それに対する我が軍の兵力はいかほどか?」
「三個歩兵師団と一個騎兵師団、そして蒸気橇と装甲車部隊からなる一個機械旅団です」陸軍参謀総長の表情は暗かった。「人口で大きく劣る我が国では現役兵士による陸軍兵力はそれのみです。空軍の設立は遅れており、大きな空戦に耐えるような飛行艦隊は編成できません」
「総動員をかけた場合は?」首相がたずねた。
「予備六個師団が編成され、陸軍の総兵力は九個歩兵師団と一個騎兵師団となります」
全て合わせて十個師団。出席した全員が顔を暗くした。人口四五〇万、国土のほとんどを氷に覆われたフロステルでは強大な陸軍など養いきれない。現役兵力すら減少すべきと議会で論議されていて、正面装備も予算過少で極めて貧弱であった。
かたやペロニアは人口七〇〇〇万以上、国土も十倍の広さを有しており、陸軍も総勢百個師団は超える。まともに戦って勝てる相手ではない。小国の限界を否が応にも知らされる瞬間である。
「エルフロアとの間にある防衛同盟を発動させる必要があります」外務次官が書類を取り出し、秘密議定書の写しを国王と参加閣僚に回した。「この同盟は我々が侵略された際、有効な同盟であり、我々は国境を越えず、自国の防衛線でペロニアを待ち受ければ、エルフロアにも参戦義務が生じます。ただ、ペロニアもそれを知っているでしょうから、国境で挑発的行為に出ることが予測されるでしょう。我々が先に手を出すように仕掛けるはずです」
「この場合、挑発的行為はもはや問題ではない」首相が片眼鏡をかけなおし書類を置いた。「最後通牒はもうペロニア側から出されている。これだけでエルフロアに対する参戦要請は可能だ。ただ、問題はこの同盟が秘密同盟の性格が強いことだ。この秘密議定書だって公開されておらず、エルフロア議会が承諾しなければ我々はこの獰猛な獣に食いちぎられる」
首相はペロニア魔法政府と書かれた箇所を指で叩いた。
「エルフロアは友邦がその存続を脅かされているとき、手をこまねくような国ではない」国王が言った。自信に満ち溢れた低い声が会議室に響き渡る。ランプに照らされた大臣たちの不安げな顔も自然と自信づいた。
「問題は我が国の議会だ」陸相が各大臣に説いた。「氷山党や『雪解けの春』党の議員はこの正義ある抗戦を支持してくれるだろう。だがフロステル魔法党の議員たちの向背が分からない。彼らは平時からペロニア魔法政権を最高の政体と褒め称え、その承認案を度々議会に提出してきた。彼らの議席は微々たるものだが、それでも王国議会で反戦演説をされることは国民の感情に関わる」
陸相は先月、機関銃配備のための予算案で議会に登壇し戦った記憶を思い出した。氷山党の右派から魔法党の急進派、つまり右の端から左の端まで陸軍予算の削減一色で染まり、孤軍奮闘した記憶はまだ苦く残っている。
「彼らは魔法絶対者である前にフロステル人だ」首相が首を振った。「ありえない。この時点で戦争に対し反対を主張するということはフロステルにいる二千人のペロニア人亡命者を見殺しにし、魔法政権に引き渡すということだ。その場合、彼らにどんな運命が待ち受けるか? そのような決定が何を意味するか? 我が国がペロニアに事実上屈服したというだけでない。人道に対する拭いがたい汚点をフロステルの白雪につけることを意味する。父祖三百余年守り続けた独立の死を意味する。待ち受けるのは不名誉この上ない併合だろう」
「フロステル王国は……」フロステルの精神と聞き、国王が重々しく発言する。「生活の糧も僅かで厳しい自然にさらされたこの国は国民全員が苦心の末、雪原と氷河の上に開いた国なのだ。亡命者問題でペロニアのとった好戦的な態度はフロステル国民、ひいては我が国がエルフロアとの間に築いた信頼を愚弄した許しがたい行為だ。私はこの祖国を防衛するための戦争に国民の揺ぎ無い理解、愛国心という名の理解が欲しい。私は早朝開かれる議会で冒頭に演説したい。フロステルはその独立心と我々が築いた祖国のために戦い抜く覚悟があることを議会で証明したい」
三時に散会となり、閣僚は各々の省庁や邸宅に帰った。休むためではなく嘆くために。
国王も執務室に戻り、万年筆を取った。明日、議会で行う演説の草稿を考えなければならなかった。
しかし、紙に向かっても言葉が浮かばない。これは新年の祝いや建国記念日の演説ではない。全フロステル国民の運命を担う演説なのだ。
「陛下」妃の声だった。「まだ、お休みにはならないのですか?」
「うん」国王はペンを置いて目をあげた。略服姿の妃がそのふっくらした顔に不安の影をさして、そろそろと部屋に入ってきた。
「眠るわけにはいかない。でも、お前は寝なさい」国王は優しく笑いかけた。しかし、王妃はそのまま歩み寄り、壁にかかった雪精ランプの白い光を遮った。手元が少し暗くなる。
「でも、陛下が心配で」
国王は立ち上がると王妃の頬に口づけて、安心するように囁いた。
「寝室に戻るんだ。お前までそんな顔をすると子供たちも不安がる。子供たちは寝ているのかい?」
「それが一度起きてしまって。でも、今は寝てますわ」
「ふむ。少し出入りがあったからね」国王は大臣たちの蒸気橇が門から慌しく走り出て行ったのを思い出した。
「陛下」王妃は少し躊躇したあと、毅然とした態度で話しかけた。「明日、議会に行くのでしょう?」
「その通り」国王は溜息をついた。
「私もお供をしても?」
国王は急に体がこわばった。やがて力が抜けて、そして一つの確かな言葉が残った。家族である。さっきまで自分一人でこの国の受難を背負い込むように気負っていたが、自分には支えてくれる家族がいる。守るべき家族。それが戦う兵士たち一人一人にいるのだ。
「愛してるよ、おまえ」
大柄の国王は王妃が痛がるくらい思い切り抱きしめた。




