相合傘の縁
休みの日の昼頃。
なんとなく街の中心部へと足を向けてみたが、特に買うものも見るものもなく、待ち合わせの人が数人いる駅の改札前を通り過ぎ、徒歩で帰宅するところだった。
午後から雨が降って来るっていうし、もう少ししたら帰宅ラッシュに巻き込まれかねないので、人が少ない夕方前に帰ることにした。
駅を抜けて外へと出ると、灰色の雲のどこかでゴロゴロと雷に似た音が鳴り始めている。これは帰ってる間に雨に降られるな、と思い、持ってきたビニール傘をいつでも開けるようにと心構えだけはしておいた。
駅から少し歩くと、ぽつぽつと水滴が落ちてきて、それを合図に一気にバケツをひっくり返したような雨が降ってきた。
「うおぉぉおおおおお!!」
俺は急いで傘を開くと、周りにいた人たちも急いで傘を開いたり、走ってどこかへ駆けて行ったりと、この大雨に驚いていたり驚いていなかったり。
「ひゃー!」
その時、俺が開いた傘の中に若い女性が入り込んできた。あまりに自然で突然の出来事に、頭の中が『!?』でいっぱいになっていたが、ここで傘を支える力を緩めてしまうと、自分もびしょ濡れになる可能性があったため、傘を持つ手だけは意識を保ち続けた。
そして一分にも満たない時間が流れ、ゲリラ豪雨はゲリラ大雨くらいにまで弱まった。とはいえ、大雨であることには変わりないため、傘を持つ手はしっかりとしたまま、隣で雨の勢いにひゃーひゃー言っている女性に声をかけた。
「えっと、あの、どちら様ですか?」
「通りすがりの者です。この度は匿っていただきありがとうございました」
「あ、いえ、こちらこそ」
ペコリと頭を下げる女性につられて、俺もつい頭を下げてしまう。
「これも何かの縁ということで、一緒に相合傘をしましょう」
「いや、俺、これから帰るとこなんですけど」
「どっちですか?」
俺が向かう方向を指し示すと、女性は胸の前で手をポンと叩くと、笑顔でこちらを見た。
「まぁ奇遇ですね。私もそっちなんですよ」
「はぁ……」
ため息とも似つかない声が出た。もしかして俺、変な人に捕まっちゃった? とはいえ、容姿は悪くない。というよりも、むしろタイプだ。こんな突然の出来事にも関わらず、悪い気がしないのが不幸中の幸いだ。
「じゃあ行きましょうか」
女性がそう言うので、俺はとりあえず歩を進めた。
「ところで今日は何用で? お仕事ですか?」
沈黙だったらどうしようかと考えてた矢先の質問だったので、内心ホッとした。
「今日は休みで、ちょっとブラブラしに来たんですけど、することないんで帰ろうかと思ってたところです」
「おー。暇人ってやつですね。趣味とかないんですか?」
なんともストレートに聞いてくる人だな。とは言え容姿も悪くないので、以下略。
「特にないですかね。たまに家で映画とか見るくらいで、あとは仕事仕事仕事ですね」
「仕事人間ですか」
「そちらは?」
「私は今日は講義をしてきたんです。午前中だけだったのでお昼食べて帰ろうとしたらこの雨で……。でもちょうどいいところに傘があったので思わず逃げ込んじゃいました。すみません」
「雨よけ感覚ですか」
「えへへ」
全然褒めてないんだけど。
「講義って、学生相手にですか?」
「まぁそんなとこです」
意外といい歳だったりするのか? こんな一時の仲なわけだし、深く探るのは野暮ってもんだろうと思い、細かいことは無視した。
「この道まっすぐでいいんですか?」
「はい。あっ、でも違う方向だったら気にせず言ってください。私は濡れて帰りますので」
笑顔でそんなこと言われても、はいそうですねとはならない。なんせ容姿が以下略。
「これも何かの縁なので、行けるところまではご一緒します」
「それは助かります。命の恩人ですね」
「大袈裟な」
アハハと笑う。
「ところで毎回雨の日はこうやって帰ってるんですか?」
「そんなことないですよ。ちゃんと傘差して帰ってます。今日はたまたまです」
「たまたま? ヒッチハイク感覚ですね」
「毎回こんなことしてたらぶっ飛んだ頭の持ち主だと思われちゃうじゃないですか」
「現在進行形でそう思われてますけどね」
「それは何かの縁ということで忘れてください」
照れながらそう言う女性は、可愛かった。ぶっちゃけ容姿が以下略。
「さっき食べたお昼ご飯がおいしかったからテンション上がってた、ということにしておいてください」
「はいはい」
「私、晴れ女なんですよ。だから滅多に雨降らないんですけど、今日はなんでか土砂降りに直撃しちゃいまして」
「俺が雨男だからですね。きっと」
俺は、外に出るとほぼほぼ雨が降る。出かける用事があれば雨が降るし、旅行で快晴だったことなんて数えるほどしかない。そんな雨男だ。
「じゃあこの雨はあなたの雨パワーですか」
「そうかもしれないですね。なんかすみません」
「これも何かの縁ですね。晴れ女は雨男に勝てませんでした」
そんなどうでもいい会話をしているうちに、俺の家へ続く道を通り過ぎていた。特に用事も何もないし、このまま彼女を送り届けようと決めた。行くところまで行ってやろう、と。
そこから数分、あんなことやこんなことを話し続け、他愛もない時間はあっという間だった。一向に止まない雨の中、さっき会ったばかりの人と話すどうでもいい会話は、思った以上に楽しかった。互いに核心に触れない、掘り下げたりもしない、本当に意味のない会話だったが、久しぶりに楽しい会話ができた気がした。
毎日仕事で言葉を選んで会話をしていた俺にとって、実に楽しい時間だった。
そんな時、彼女が一つのコンビニを指さした。
「あそこのコンビニに寄ってもらってもいいですか?」
そして中に入って行く彼女の背中を見送り、俺は外で待った。用もないのにコンビニに入るのがあまり好きではないのだ。それに傘に当たる雨の音を聞きながら待つのもいいかなと思った。完全に気分だった。
しかしそんな楽しい時間を終わらせるかのように、コンビニから出てきた彼女は、手にビニール傘を持っていた。
ま、そうなるよな。
「ありがとうございました。ここからは一人で帰れますので」
「……そうですか。こちらこそありがとうございました」
ペコリと頭を下げる彼女に、俺は頭を下げずにお礼を言った。彼女はなんでお礼を言われたのかわからずきょとんとしていたが、思い出したかのように持っていたビニール袋の中に手を入れると、中から缶コーヒーを一つ取り出した。
「良かったらこれどうぞ。お詫びというかお礼というか、ここまで私を送ってくれたお駄賃です」
「お駄賃って。俺、子どもじゃないんですけど」
「まぁまぁ細かいことは気にせずに」
「じゃあ遠慮なくいただきます」
缶コーヒーを受け取ると、彼女は隣で傘を開いた。
「では私はこっちですので」
そう言って進んできた方向へと身体を向けた。
「えっ? こっちじゃないんですか?」
今まで向かっていた方向は、彼女の行きたい方向とは違ったということか?
「えっと、実はちょっと前に曲がり角は通りすぎちゃってまして……」
なんと。互いに気を遣って全然関係ない方向に進んでいたとは……。
俺は小さく笑うと、彼女に言った。
「実は俺も通り過ぎてて」
「ちょっと! 言ってくださいって言ったじゃないですか!」
「俺としても女性が雨に濡れて帰るのを見逃すのは、プライドが許しません」
「はぁ……」
「ははは……」
一瞬の沈黙。さっきまでは聞こえなかった雨音が妙にはっきりと聞こえた。
彼女と目が合う。そしてどちらからともなく口を開いた。
「行きますか」
「そうですね」
また他愛もない話をしながら歩き始める。
どうやら俺の楽しい時間はもう少しだけ続きそうだった。
おしまい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
妄想全開でした。