神様を信じるきっかけは異世界
気楽なスパッツにシャツ姿の伊勢乃宮弓子は自室のベッドでおかっぱ頭を抱えていた。
なぜなら進路どうすると聞かれたから、適当に父の神社の巫女やってから婿とるわと言ったならば。
お前のような信心のない娘に正式な巫女なんぞやらせられるか、と普段は温厚な父がきっぱりといってきたからだ。
そういえば小さい、サンタクロースも信じていたような時分は小さな巫女服を着せられて境内の掃除をしていたような記憶もあるが。
そんなピュアな気持ちも無くして純粋に小遣い目的での巫女アルバイトは絶対にさせてくれなかったのを思い出す。
こんなわけでなんとなく自分はふわーっと生きていける気がしていたのが打ち壊された。
本人としては一人娘だし、神社を継ぐのが当然と勉強もなんとなくそういう方面に絞ってやってきたのに、まさか肝心の父にダメだしされるとは全く予想外である。
「はぁー。神様、もし居るんならこう、神託的な、神様って居るんだなーと思える現象を起こしてくださいませませ。そしたら私もお父さんみたいな信者になっちゃうかも」
半分以上冗談で、残りの気持ちもできるもんならしてみろやっ。
と言った按配の若さゆえのやけっぱちを口にした言葉に、意外というか、虚を突かれる形で返答があった。
「本当かね?君の父……健彦の信心は非常に真摯であいつ一人いれば安泰だなって感じなんだが。君も同じレベルになれる?」
「ひょい!?」
弓子が驚きの声を上げて、頭を抱えていた腕で上半身を起こして周囲を見渡すと、部屋の中に見覚えの無い狩り衣姿のおっさんが。
光り輝くおっさんが居た。
「あ、あんただれ!?お、おとーさん!おかーさん!変な人がいる!」
「この粗忽者。私は堺之守。君の神社の祭神だよ」
「へ?堺之守様って……そんな事いわれましてもです。客観的に見るとあなたは婦女子の部屋に突然闖入した不審者という状態ですよ」
弓子の言葉に今度は堺之守が頭を抱えた。
これだから巫女とかやらせてもらえんのだとしばらくぶつぶつ呟いた後に、こほんと咳払いをして弓子に言った。
「そ、それはさておき!神が本当に居ると思えるような体験をすれば健彦と同じような信仰を持つ、それは真か?」
「え?まぁ、凄い異常体験とかすればさすがに神様も居るかな、と思う気はしますけど。それよりでてってください、警察呼びますよ」
「この娘は……今この部屋は私が定めた境の中にあるのでケータイ電話は使えんぞ」
「ケータイって。古いですよ自称神様。今はe-phoneの時代です」
「む、そうなのか。それより信心の話だ」
「だから、そんなの実際体験するまでわかりませんってば。人間の現金さなんてそれこそ神様の方が良く知ってるでしょ」
「そうだねぇ、ふむ」
実を言えばこの会話の間も弓子は必死にe-phoneのタッチスクリーンを連打して百十番を試みまくっている。
まるで目の前の神様をコスプレした変態不法侵入者としか思っていないのだ。
だがまぁ、そんな不信心な少女を信仰心溢れる巫女にしなければ困るのは堺之守なのである。
捧げられる信仰心は人間で言うならご飯である。
幸い今代の宮司である健彦は非常に信仰深く、それだけで満腹。
たまに神社に詣でる堺転じて境、人との境を司り縁を結ぶというご利益を目的にくる人間の信仰はおやつ感覚ですんでいるが。
弓子のような神?ねぇよそんなもんという人間が神社の中心になるのは神的に非常に不味い。
人間で言うなら延々主食抜きだ。
そんなわけで、堺之神は一つ己の神通力を弓子に見せてやることにした。
「そこまでいうなら世界の境を渡らせてあげる。なに、向こうで生活に困るようなことは無いような場所だ。話をつけずとも彼の怪物は全知の宿命を神から与えられた者だし。君を悪いようにはしないだろう。君の言葉の境も、少し弄って言葉に不自由もしなくしておこう」
「は?なにいってんですか?気が触れましたか?ああもう!なんで繋がらないの!?出ろよ警察!繋いで回線!」
「……まぁ、行ってらっしゃい」
堺之守の言葉など全く聞く耳持たずにe-phoneの画面を連打する弓子を、至極残念なものを見る目で堺之守は送り出した。
境の向こう側、平たく言えば異世界へと。
「くっそ繋がらない……ってアンテナ繋がって無いじゃん!?どゆこと!?」
「そこをどけ、人間」
「ちょっと黙ってて自称堺之守さん。今私忙しい」
「そこを、どけ!」
ガツン!と鼓膜をぶったたかれたかのような衝撃を受けるような咆哮を弓子は受けた。
そのあまりの音量に心臓が破裂するかと思うほど鼓動を早めてE-phoneのスクリーンから顔を上げて声がした方に体を起こして向け、腰を抜かしてすとんと落とした。
するとそこには背後一面を広い湖に背負った真っ白な毛並みの、象ほどの大きさの巨大な犬型生物が四足を支えに腹を地面から少し浮かせたところだった。
「う、あ……え……?」
「……もう一度言うぞ。そこをどけ。そこはにんげんの墓だ」
「あう?おは、か?お墓なの?なにもないのに」
「俺がいる、お前の下ににんげんが眠っている。どけ」
「は、はい……」
震える腕で、湖畔の柔らかい土でe-phoneや衣服が汚れるなどという意識も出来ずに、弓子はずりずりとはいずってその場からなんとか動く。
ある程度動くとその犬のような生物は満足したのか、立ち上がりかけていた体を寝そべらせて毛並みを地面で変形させながら、完全に腹ばいになり顎を地に着ける。
そして、目を瞑った。
「な、なにこれ。あ、あのおじさんほんとに堺之守様だったの……?」
呆然と、手元のe-phoneの輝く画面から目を外せば、比較的田舎っぽい自らの住む街でも見られないほど明るく、大きな月が目に入り、美しい湖面はその光を反射して夜の最中でも周囲を僅かに明るくするのを確認できた。
さらに弓子が周囲を見渡せば、目に入るのはジャングルか何かかと思うほど鬱蒼として、巨大な木立の森と、その上から覗く山の連なり。
そういえばはいずった場所はむき出しの土で手も足も、スパッツも土にまみれてしまっていた。
呆然としながらどこか現実逃避するように細かい事を気にする弓子の目の前で、湖が揺れた。
それも雨が降って波紋が広がると言うレベルのものではない。
細波が徐々に大きくなり、湖の遠くで水面が立ち上りながら割れ、その中から人間の女性の顔が現れる。
続いて細首や美しい鎖骨、左右三組の連なる乳房と六本の腕がみえたところで、弓子は異常の中の異常に気づいた。
縮尺がおかしい気がする。
波立つ湖面の距離は離れているはずなのに、女性の顔の造りが間近にあるようにはっきり見える。
なだらかな鼻梁、淑やかな半眼に閉じられた切れ長の金の瞳、ほっそりとした形の良い頬、少し薄めの艶やかな唇。
それらが徐々に大きくなり、上方に上がって行き……弓子の目の前の湖岸にその蛇のような下半身を表した時には、怪獣か!?と内心で弓子が突っ込みを入れるほどの巨体である事が判明した。
「は、はは……なにこれ……こ、こんなのが現実であって堪るもんですか……夢、これは夢よ、夢……」
顔を引きつらせ必死に搾り出した声とは裏腹に、下腹部を湿らせた感覚はどこか、夢だったらこれ起きた時大災害だわ……と冷静さを取り戻させてくれた。
だが目の前の巨大な怪物の前ではそんな冷静さは何の助けにもならない。
腰は相変わらず抜けたままだし、起こした上半身を支える腕はがくがく震えて今にもその力を失いそうだ。
むしろ意識は今にも幕を下ろして全部夢だったにしたいと言っている。
だがなぜか意識は失わない。
それはもしかしたら、湖面から現れた異形の女性からは威圧感など感じず、むしろ慈しむようなぬくもりを感じたからかもしれない。
「ようこそ異界からの稀人のお嬢さん。私は名も無き怪物達の母。そのように怯えなくとも大丈夫ですよ」
蛇の下半身をくねらせ、ざばりと波を立てながら、湖畔に寝そべる犬をのすぐわきに膝をついて弓子に巨大な眼を合わせた女性は微笑んだ。
その友好的な様子に、弓子は緊張を解くまではいかずとも、なんとか大きく息をついて呼吸を整える。
整えてから彼女は、そういえば縮尺のおかしさに気づいてから息をとめていた事に気が付いた。
「あ、あの。ここはどこなんでしょうか?私帰れるんですよね?何時ごろ帰れるでしょうか。ここって危ない場所なんでしょうか!?」
じっとりと湿った尻周りも忘れて、弓子は捲くし立てた。
とにかく聞きたいことを聞きたいことを。
そんな無遠慮な問いにも怪物達の母という女性は優しく、弓子を落ち着けようとするかのように穏やかに答えた。
「ここは名も無き創造主様の作られた世界にある、原初の怪物の森。貴女は勿論日本に帰れます。貴方がこの世界を夢幻でなく、彼の境之守様を神であると落ち着いて信じられるようになったら帰れます。後は……貴女の世界で言う野生生物が森にはすんでいますが、この犬の近くに居る限り危険は無いでしょう」
「あの!犬って、この真っ白いののことですか?さっき凄い吼えられたんですけど!」
びくびくと、もうすでに自らから興味を外した犬がまだ怖いのか。
弓子はぎこちなく彼の方を見やる。
「それはですね、犬は……墓守になったのです。人間でありながら、私の子らの末の妹になったにんげんの、醒めない眠りを守る墓守に。なので脅かしてしまった事は許してあげてください」
「はか、もり?そういえば、お墓とか言ってた……」
「にんげんは人間でした。寿命無き私たち怪物と永遠に共にある事はできなかったのです。そしてそれでも犬は傍に居る事を選んだのです。あの子が一人では寂しいだろうと。本当はとても優しい子なのですよ」
「そ、そうなんだ。えっと、その、お墓を踏んで。ごめん、なさい」
よろよろと一度立ち上がり、膝をついて弓子はすっと犬に頭を下げて謝罪した。
謝られた犬はちらりと気の無い様子で弓子を一瞥すると、かぱりと彼女を人のみに出来そうな口を開いて言った。
「もう、良い。にんげんが重くなければそれでいい。俺の前がにんげんの墓だということだけ気をつけてくれれば良い」
それだけ言うと、犬は何かを反芻するように目を瞑ってしまった。
弓子はちらりと巨大な彼の母を見上げると、そっと微笑まれる。
「この子の言葉に嘘はありません。怪物は嘘などつく必要が無いのですから。安心してください」
「は、はひ」
なんとか震えが収まった弓子に、大きな言った。
「さて、月は明るいけれど人はもう寝る時間。一先ずは犬の毛皮で暖まりながらお眠りなさい」
その言葉に、弓子はもじもじと顔を伏せて細い声を上げる。
「えっと、その。さっき貴女が現れたときびっくりしすぎて、その、漏らしちゃって……」
たとえ相手が同性でも、年頃の少女が言うには恥ずかしい内容をなんとか告げた弓子に、優しげな女性もさすがに困り顔をする。
「困りましたね。先ほど言ったにんげんは裸で居るのが当然だったので……この森の中に替えの服などというものは無いのです」
「そ、そんなぁ!」
「一先ずは湖で洗ってもらうとして……そうね、犬は動いてくれないでしょうし。服を乾かす為に木にかけるための付き添いを呼びましょう。少し待ってくださいな」
「うぅ、全裸とか家の中でもないのに勘弁してぇ」
「そうは言われても、森の中に本当に服を着る生き物は居ないのです。ここには人間も立ち入りませんから、我慢してください」
「人目が無くても衛生上とか、身体壊しちゃうってばぁ」
「大丈夫ですよ、この湖の周辺ならば私の乳の影響で清潔です」
「父?貴女のお父さん?」
「お乳の事ですよ。私の乳は怪物達の力の源、病への対抗力も上げる効用があります。なんら今、少し飲みますか?」
にこりと微笑む美女の提案に、一度ほぐれた弓子は再びひくりと口元を強張らせる。
「えっと、その、この歳で授乳は……」
「そうですか?乳以外で貴女が食べられそうなものは森の果物くらいしかありませんけれど、大丈夫でしょうか」
「大!丈!夫!です!果物大好き!お乳は遠慮します!」
「解りました。では今付き添いを呼びますね。大丈夫、同じ女性ですよ」
慌てる弓子を見てくすくすと肩を揺らしながら、三対の腕の手を組み、謳うような呼び掛けを森に向けた。
言葉の境を弄られた弓子にはその歌の意味が解った。
「蟻食い羊の娘よ、お願いがありますからどうか湖へ、母の願いです、どうか聞いてください、どうかどうかお願いします」
娘相手にも随分丁寧な物腰の人なのだなぁ、とあまりに麗しい声に魂を抜かれたようにぼーっとしながら弓子は考えたのだった。
響き渡った歌からしばらくして、現れたのは蟻食いのようなほっそりとしながら長い顔をふかふかの毛並みの中から覗かせて、蟻食いの頭に羊の角を生やした動物だった。
なるほど、その生き物も大きいけれど、大きさは馬程度で先ほどの犬よりはずっと親しみやすい大きさだった。
彼女?が来る前に湿ったスパッツと下着を湖で洗って下半身裸になって、必死にシャツの裾で下半身を隠そうとする弓子に、儚げでも優しそうな声が届いた。
「お待たせお母さん。お願い事ってどんなことかしら?」
母の声が麗しいならば、その娘の蟻食い羊の姉の声は繊細な彫り物のような美しさだった。
コレは本当に怪物の声なの?と弓子が思うような美声ぞろいだ。
そういえば犬の声も怒気が篭っていたものの、しっとりとした深みがある声で、俗に言うイケメンボイスだったな、と彼女は思う。
弓子がそんなどうでも良いことを考えているのを他所に母と娘の間では話が進んでいたようで、蟻食い羊と呼ばれた獣は弓子に声を掛けてきた。
「あ、あの。貴女がお客様、なのよね?ふく?というのを乾かしにいくのにご一緒させてもらうわね。ええと、その、私が動物からは守ってあげるからね。安心して頂戴」
しんなりした風情で弓子に声を掛ける蟻食い羊の娘は、良く見るとプルプル震えていた。
弓子がじりっと近づくとすすっと下がる。
その動きがなんとなく弓子の嗜虐心を刺激した。
ざっと近づく弓子。
ビクリ!と大きく距離を取る蟻食い羊の娘。
にま、っと弓子の相好が崩れる。
その頭の中からは完全に濡れたパンツとスパッツを片手に握っていると言う情け無い状況は消えていた。
「ダイジョーブダイジョーブ、コワクナーイ」
「あ、あの、ゆっくり近づいてね?私の角、危ないから」
「うんうん、ゆっくり、ゆっくりね。だから貴女も遠ざからないでね?」
にやにやしながら近づく弓子と、ぷるぷる震えながら待つ蟻食い羊は、本当なら立場が逆なんじゃないのか?と思われる。
だが近づかれる側はよほど肝が小さいのだろう。
彼女なら容易く踏みにじれる弓子相手にふるふると身を震わせながらじっとしていた。
そして、彼女の綿のように細かく絡まりあい空気を含んだ柔らかい毛並みに弓子が触れる。
「ほぅ……これはこれは……」
ふんわりとした極上の綿……勿論極上とかどんな感触か、一般家庭に生まれた弓子はしらないけれど。
最高級の羊毛とかきっとこんな感触だよね、と思わせる柔軟で暖かい感触に思わず彼女は顔を綻ばせる。
思わず深々とその雲のような毛並みに埋もれて言って、おどおどした柔らかい綿の持ち主の、以外に逞しい身体に触れるまでその身を埋める。
「あ、あの……そんなに埋もれて大丈夫、なの?」
恐る恐る問われた弓子はにんまりと崩れる口元を自覚しながら両手を広げて、さらに柔い感覚を味わう面積を増やそうとして。
右手に握った冷たい感触で我に帰った。
「あ、うん……大丈夫。あのさ、スパッツと下着干したら貴女と一緒に寝て良い?とっても気持ち良いから」
「えぅ、うん。い、いいわよ。でも怖い事はしないで、ね?」
「うん。うん。あ、なんか死にたくなってきた」
「し、死なないで!大丈夫大丈夫!元気出して」
「だっていい年こいて漏らすって……漏らすって……」
「よ、良く解らないけど頑張って!死なないで!」
ずーんと自沈を始めた弓子に、必死にか細い声でエールを送る蟻食い羊の娘。
その後しばらくエールを受けて何とか浮上してきた弓子が下着とスパッツを干したのは、結構な時間が経ってからだった。
「あー、慣れちゃったわぁ……」
「何に?弓子ちゃん」
「蟻食い羊さんのふかふかな毛。私日本に戻ってからこの感触なしでいられるかなー」
一夜明けて、少しひんやり冷えていたが無事に乾いた衣類を身に付け。
人心地付いた後にお腹が空いたなぁと漏らしたら、食べられる果物の元へ案内されて。
満足するまで新鮮な果実を齧った後は何をするでも無く、一緒についてきてくれた蟻食い羊の娘に寄りかかった弓子の言葉だ。
その間に色々話した二人はその距離を縮めていた。
何を話したかと言えば、先日聞いたこの森に住んでいた唯一の人間、にんげんの話だ。
赤子の頃からずっとこの森で過ごし、生を全うした彼女の話をする蟻食い羊の娘の声には、美しさだけでなく親しみと懐かしみが篭っていて。
自由奔放に森の中の怪物達と触れ合ったにんげんを弓子に想像させるには、充分な語りだった。
そんな少女が自由に生きられたのなら、自分もなんとかなるかな、と弓子自身も落ち着いた。
付け加えるなら、今自分が埋もれている毛の持ち主の巨大な母も言っていたではないか。
本当に神を認めた時に自分は帰れると。
それを思うなら、この世界で少し過ごすのはちょっと長い休日かな、くらいに思えたのだ。
「しかし、寝て起きたのに夢じゃないってねー」
「なんで夢だと思うの?」
「いや、だってあんなおっきい人?とか犬とか、夢じゃないとおかしいし」
「そうかしら。私はそれが普通だから、変だとか、夢だとかは思わないわ」
「ふーん。じゃあさ、神様って居ると思う?」
「居るんじゃないかしら。あったことはないけれど」
神など信じて居なさそうな化け物の、蟻食い羊の娘が神は居るとサラリといったことに弓子は驚いた。
だがすぐに納得もした。
あの大きな母親がすでに地球に居たら信仰の対象になりそうなのは、解った。
多分、そういう意味で神は居るという事なのだろうと。
「貴女のお母さんとか、神様っぽいけど違うのかな」
「お母さんはお母さんよ。でもね、時々お母さんとお話しすると色々な神様のお仕事の話を聞かせてくれるから」
「そうなの?どんなお話?」
「そうね……例えば、星の灯りを点す神様は毎日とても忙しいから、創造神様から休日を頂いたから星が輝かない日があるとか。昨日は星が出ていなかったでしょう?」
「雲に隠れてただけじゃないの?」
「ふふ、おかしなことを言うのね。雲があるなら月も隠れるじゃない」
蟻食い羊の娘に言われて、弓子ははっと気がついた。
確かに昨日は月に掛かる雲もないのに、星は一つも見えなかった。
もしかしたら、この世界には本当に神が居るのかもしれない、それも世界に直接関わる形で。
「……じゃあさ、私の居た世界に神様は、居ると思う」
「せかい、がなんなのかは解らないけれど……居ないように見えているのが神様なのじゃないかしら」
「そっか。そうなのかなー」
居ないように見えている、そういわれると、突然部屋の中に現れた堺之守も本物に思えてくる。
それこそ、一晩を異世界で過ごさせるような神様に。
「そうだね。居るのかもね、神様」
しみじみと呟いた弓子の背後に、ぱっと光を放つ何かが現れた。
「あら、あらら、あの、あなたはだあれ?こ、この子を苛めるなら、私おこるわっ……」
持たれかかっている蟻食い羊の娘がすっくと立ち上がり、震えながらも後脚で土を蹴るのを見て。
すかっと地面に倒れこんでから振り向いた弓子は、堺之守の姿を見た。
「やあ。君も少しは神を信じる気になったみたいだね」
「えっと、あの、はい。少しだけ」
「きっかけは与えた。君にはもう充分かなと思って迎えに来たけれど。どうする?」
堺之守の言葉に、少し弓子は迷った。
折角仲良く慣れそうな蟻食い羊の娘と、もう少し一緒に居たい。
そう思って口を詰まらせる弓子の背中を、そっと蟻食い羊の娘が押した。
「な、なに?」
「お別れ、よね」
「いや、それは」
「親しい人と別れるのは辛いわ。私はにんげんとの別れでそれを知っているわ。だから、これ以上仲良くなる前に、さよならしましょ」
「……うん。解った。帰る」
ここで嫌だというほど、弓子も子供ではない。
将来を考える歳にもなれば、別れと言うものは生きていく上で避けられないものだと知っている。
それは学校が別になった友達だったり、親類の老人だったり、様々だが。
尾を引くようなさよならはしたくない、弓子はそう思った。
だから、笑顔を作って蟻食い羊の娘に向き直って言う。
「じゃ、さよならだね」
「ええ、さよならね」
「こういう時、私の世界じゃこういうの、「ばいばい」って」
「ふふ、そうなの。じゃあ、ばいばい、弓子」
「うん!ばいばい!蟻食い羊さん!」
さっと、弓子がさよならと手を振った瞬間。
景色は森から見慣れた自室の、朝から昼に移り変わろうとする日差しが差し込むものに変わる。
「……柔らかかったなぁ……」
ぽつりと呟く弓子に、背後から声が掛かる。
「今の君なら健彦も巫女になるなとは言わないだろう。もう一度巫女になりたいと言ってみてごらん」
「うん。今なら神様は居るんだって思える。うちの神様は凄いんだぞって」
「それは何より。一晩君が居なかった事は健彦と妻にもばれてるからね。こってり絞られるだろうが……この話は健彦にしかしてはいけないよ」
「えっと、それはなんで?なんでお父さんだけ」
困惑する弓子に、堺之守は少し笑いを含みながら告げた。
「ふふっ、健彦も似たような体験をしたからさ。彼になら今回の体験を話しても狂人扱いはされないってこと。じゃあ私は引っ込むよ。うん、ちょっとお腹が膨れた膨れた」
あ、あのおっさん絶対にやにやしてやがる、と実在するからこそ生まれる不機嫌さに少し臍を曲げた弓子だったが。
一晩家を空けたことが親ばれしているということを思い出して頭を抱えた。
お母さんに何て言おう。
目下の悩みの原因も、そういえばあのおっさんだと思うとさらにむかっ腹は立ったが、それをぶつける相手はもうこの場に居ない。
実に消化不良な思いをしながら、覚悟を決めて弓子は両親に帰宅報告をするために部屋を出るのだった。
こうして神を信じるようになった娘は、きちんと神道系の学科に進むことを許されて、数年後きちんとした巫女になったという。
一夜だけの不可思議な邂逅は、一人の少女の進路を決めたのだった。




