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13.雨降って地固まる




 動揺はおさまらない。ザクロが心配して浴室まで様子を窺いに来るかとも思ったが、それはなかった。

 私の気持ちが揺れていることは気付いていても、原因がわかっているからだろう。

 お風呂から出てもザクロはいつもと変わりなかった。変に意識されて気まずいよりはいいけど、ザクロの気持ちがわからず、なんとなく寂しい。

 灯りを消して挨拶をすると、ザクロはいつものように姿を消した。

 私はこれからどうすればいいんだろう。

 気持ちを隠して今までと変わらず架空執事と主人でいればいいの?

 それともザクロに想いを告げる?

 そうすればザクロは恋人を演じてくれるだろう。たぶん私が気に入っている小説のヒーロー、ロベールのような。

 それって虚しすぎる。

 結局結論が見いだせないまま、自分の気持ちは封印することにした。それが私もザクロも一番幸せでいられる。




 いつもと変わりない休日を過ごし、休み明けに出社すると、いつもはぎりぎりにやってくる坂井くんがすでに自席に着いていた。

 珍しいと思いつつ挨拶をして席に着く。パソコンの電源を入れ、立ち上がるのを待つ間に給湯室に向かった。

 コーヒーを淹れて給湯室を出ようとした時、目の前に坂井くんが立っていて軽く驚く。

「わ、びっくりした」

「すみません」

 笑って立ち去ろうとする私を坂井くんが呼び止めた。

「あの、海棠さん」

「はい?」

 私は立ち止まって振り返る。坂井くんは体が直角に折れ曲がるほど頭を下げた。

「この間は変な勘違いしてすみませんでした!」

「いや、あの、私も紛らわしかったんだし、そんなに気にしなくていいから」

 あまりにも盛大に謝られて、ちょっとおたおたしてしまう。彼は顔を上げて、言いにくそうに口ごもった。

「あの、それで、えーと……」

 あぁ、そうか。

 ピンときた私は、少し笑みを浮かべて彼を見つめる。

「大丈夫よ。私、酔ってて記憶が飛んでるの。覚えてないことを誰かに言いふらしたりはできないから」

「あ、ありがとうございます!」

 坂井くんは再び深々と頭を下げた。だからおおげさだって。恥をかかせたのは私の方だし。

 私の曖昧な言葉のせいで勘違いさせてしまったので、元々会社の誰かに話すつもりはなかった。とはいえ、坂井くんにしてみれば、勘違いだけでも恥ずかしいのに言いふらされたらさらに恥ずかしい目に遭うと気が気ではなかったのだろう。

 それにしても坂井くんがこんなに素直に礼を言ったり謝ったりしたのは初めてかもしれない。仕事もうまく回るようになってきたし、かわいげのないところも少しは改善されるかな?

 煙たがられていると思っていた坂井くんと、少しだけ歩み寄れたような気がして、私は機嫌よく自分の席に戻った。




 幸せなお弁当の時間が終了し、午後の始業を告げるチャイムが鳴る。私は鞄を持って行き先掲示板の前に立った。

 私の主な仕事は営業事務だが、一応営業部にいるのでたまに外回りに出ることもある。といっても営業成績にノルマがあってボーナスの査定に響いたりというようなシビアなものではない。

 挨拶がてら昔からの安定した得意先を定期的に回って、パンフレットや書類の収受を行うという、いわばご用聞きのようなものだ。

 掲示板に行き先と帰社時間を書き込んでいると、向こうから本郷さんがやって来た。

「海棠、オレも出る。車で行くから途中まで乗せてってやるぞ」

「ありがとうございます」

 電話番を坂井くんに頼んで、私は本郷さんと一緒に会社を出た。

 ビルの裏口から一緒に出て、私をそこに残し本郷さんは隣の立体駐車場に向かう。程なく目の前に社用車がやって来て止まった。

 私は頭を下げて助手席に乗り込む。私がシートベルトを締めるのを見届けて、本郷さんは車を発進させた。

 ビルの裏の狭い道を少し走って、表の広い国道に抜ける。少しして本郷さんがおもしろそうに尋ねてきた。

「海棠、おまえいつからお嬢様になったんだ?」

「え?」

「昼に坂井から聞いたんだ。おまえの執事と名乗る男に会ったって。オレも会ったことがある」

 坂井くんは本郷さんには懐いているようで、時々昼ご飯を一緒に食べに行ったりしている。本郷さんは私よりあとから課に配属されたのに、男同士って気楽だからかな。

 ザクロのことは坂井くんから追及されるのではないかと予想はしていた。まさか本郷さん経由で追及されるとは思わなかったけど。

 私は苦笑に顔をひきつらせながら、用意しておいた言い訳を口にする。

「あ、あの人は私の親戚で、執事喫茶で働いてるからあんな格好してるんです。一人暮らしをしている私を心配した親から時々様子を見てくれって頼まれて、使命感に燃えちゃってて」

「そうか」

 一応納得したのか、本郷さんは小さく頷いた。私はホッとして密かに胸をなで下ろす。その直後、本郷さんは独り言のようにつぶやいた。

「彼は本当におまえの血縁なのか?」

「え?」

 私の言動になにかおかしなところでもあっただろうか?

「なんか人間離れしているなと思って」

「人間離れ?」

 ザクロの容姿? 確かにあの鮮やかな赤毛と赤い瞳は人間離れしているかもしれないけど、カツラとカラーコンタクトでなんとかなる。

 ザクロは本郷さんの前でしゃべっていないし、ただ私のそばに立っていただけだ。

 他の人には見えていなかったことを本郷さんは気付いていたの? だとしたらどうやって?

 そこまで考えてピンときた。

 もしかして、私が知らない間にザクロはひとりで本郷さんに会っていた?

 私が会社にいる時や、眠っている間やお風呂に入っている時、ザクロが何をしているのか私は知らない。

 家事をしたりテレビを見たりしているとは聞いているが、瞬時に移動できるザクロはどこかに行って帰ってくるなんてあっという間だろう。

 なんのために本郷さんに会いに行ったのかはなんとなく想像がつく。

 クリスマスイヴの夜、本郷さんの話をしたらザクロは不機嫌になった。私が本郷さんに迷惑をかけられていると思ったのだろう。

 そんなことを考え込んでしまった私は険しい表情をしていたのかもしれない。本郷さんが気遣うように謝った。

「いや、おまえの親戚を悪く言うつもりはなかったんだ。すまない」

「いえ」

 笑顔で返事をしたものの、心はすぐ上の空になった。帰ったらザクロに問い質さないと。




「頼子、何を怒っているんですか?」

 迎えにきたザクロが、帰る道すがら何度も尋ねる。

 坂井くんがよく働いてくれるようになって、私も今までよりずいぶんと早く帰るようになった。帰り道にはまだ人がたくさんいるので、姿を消しているザクロには迂闊に話しかけられない。

 それもあるが、歩きながら話すようなことではないので、私は黙って家路を急いだ。

「何を怒っているのか教えてください」

 玄関を入った途端、ザクロは再び尋ねる。なにか焦っているのか、いつもの恭しい執事挨拶も忘れているようだ。

 私はまっすぐに奥の部屋を指さした。

「話すから、向こうに行って」

 ザクロは黙って奥の部屋に向かい、私もそのあとに続く。部屋に入った私は、所在なげに佇むザクロに、床を指さした。

「ザクロ、そこに座りなさい」

 ザクロは素直に正座する。床に正座している執事というのもシュールだ。

 私はザクロの前でベッドに腰掛けた。少し身を乗り出して、ザクロの顔をまっすぐ見つめる。

「どうして私との約束を破ったの?」

「約束?」

 まだわけが分からないと言った表情で、ザクロは首を傾げる。

「本郷さんに会いに行ったの?」

 ようやく理解したのか、ザクロは落ち着いた様子で淡々と答えた。

「はい」

 ザクロは私に何から何まで報告したりはしないが、聞けばなんでも素直に答える。ウソをついたことはない。だから言ってることは本当なのだろう。

「会社のことには手出ししないって約束したでしょう?」

「職場の仕事に関することは黙認しています。頼子を食事に誘うことが彼の仕事なんですか?」

「そうじゃないけど、本郷さんは私がお世話になってる上司なの。私のことで彼がイヤな思いをしたら仕事での人間関係にも影響するのよ」

「よくわかりません。頼子がイヤな思いをするわけじゃないでしょう?」

 こういう話をするといつもザクロとはかみ合わない。妖怪には他人の痛みは他人のもので、自分の痛みではないという認識なのだろう。

 これ以上言い合ってもおそらく平行線をたどるので、私は質問を変えた。

「本郷さんに何したの?」

「頼子を困らせないでくださいとお願いしました」

 言葉で話しただけじゃないと思う。でなければ「人間離れしている」なんて思わない。

「私にも同じことをしてみて」

「それはできません」

 やっぱり思った通りだ。人殺しはするなと言ってあるから、命を奪うことはしなかっただけで、何か妖力を使って本郷さんを脅したのだろう。

「私にはできないようなことを本郷さんにしたのね?」

「……はい」

 叱られた子供のように力なく俯いているけれど、ザクロにはなぜ叱られているのかわかってはいないようだ。

 人のふりをする妖怪なのに、人の心や価値観を理解していない。

 ザクロがいつからこの世にいるのかわからないけれど、これまでの宿主たちはザクロにそれを教えなかったのだろうか。

 宿主の望む姿で、宿主の言うことをなんでも聞く。ただそれだけを繰り返してきたのかな。

 これからも私と一緒に生きていくなら、ちゃんと教えてあげなくちゃ。

 ザクロにとって大切な他者は私だけ。本郷さんのことで、私の心が傷ついていることはザクロにもわかっているはず。よし。

「ザクロ、しばらく私の前に姿を見せないで」

 弾かれたように顔を上げたザクロは、困惑した表情で私を見上げる。

「え? 今夜の食事は……」

「いらない」

 私が冷たく言い放つと、ザクロはうなだれたまま立ち上がった。そのしょんぼりとした姿に少し胸が痛む。

「かしこまりました」

 消え入りそうな声でつぶやいて、ザクロは姿と気配を消した。

 大きくため息をついて部屋を見回す。この部屋、こんなに広かったっけ?

 ザクロが毎日掃除して片付けてくれる部屋は、私ひとりがいた頃より殺風景なくらいだ。灯りもついているし暖房も入っているのに、なんだか冷たく感じられる。

 部屋を出てキッチンに行くと、ガスコンロの上にふたつの鍋が置かれているのが目に入った。ふたを取って覗いてみる。片方には野菜の煮物が、もう片方にはけんちん汁が入っていた。

 続いて冷蔵庫を開けてみる。一番上の棚には大根おろしの添えられただし巻き卵と、タレにつけ込まれたぶりが置かれていた。今夜は和食だったようだ。

 私は朝食の残りの野菜ジュースを取り出して、冷蔵庫を閉じる。グラスに全部開けて、一気に飲み干した。これで少しはお腹が持つだろう。

 着替えて化粧を落とそう、と思ったものの少しためらう。今ザクロはどこにいるんだろう。

 いつも私が着替えたりしているときはキッチンにいる。姿が見えないとはいえ、部屋の中にいるかもしれないのに着替えるのは恥ずかしい。

 ついでに全部すましちゃおう。

 旅行用に買った洗い流せるクレンジングクリームと着替え一式とバスタオルを持って、私は浴室に向かった。

 お風呂を終えて鏡の前に座った私は、髪を乾かしながら自分の姿をまじまじと見つめる。

 髪、伸びたなぁ。去年の夏には肩に掛かる程度だったのに、今は背中に届いている。長い髪を乾かすのが、こんなに面倒だということを思い出した。

 いつもは後ろを乾かすのをザクロが手伝ってくれている。日常生活のあらゆることを、私はザクロに依存していた。

 ちょっと甘えすぎかなと思う。だから何度かザクロに恩返しをしようと申し出たが、丁重にお断りされた。私に頼られることがザクロにとっては幸せなことらしい。

 今部屋の中にいるのかな。何を考えてる?

 気になるけど、もう少し考えてて。

 苦労して髪を乾かした私は、ベッドに寝ころんで文庫本を開いた。キリのいいところまで読んで栞を挟む。枕元にある目覚まし時計を見ると、帰ってきて三時間は経過していた。残業をしていた頃、家に帰り着く時間だ。そろそろいいかな。

 目覚まし時計もザクロと暮らすようになって使われていないことを思い出した。

 私は体を起こし、ベッドの縁に座る。そして中空に向かって呼びかけた。

「ザクロ、いるなら姿を見せて」

「はい」

 部屋の真ん中にザクロが現れる。やっぱり部屋の中にいたようだ。相変わらず気落ちしたように俯いている。

「こっちに来て座って」

 ザクロは言われた通り、私の前に来て正座した。また叱られると思っているのか、私を見つめる赤い瞳が不安げに揺れている。

 私はその瞳を見つめ返しながら尋ねた。

「ザクロ、今どんな気持ち? 私の胸が痛んだのはわかったでしょう? 自分のせいで他人の胸が痛んだのを知って、ザクロはどう思ったの?」

「頼子の心が傷つくのは辛いです」

「私も同じよ。私のせいで誰かが傷ついたら辛いの」

 ザクロの頬を両手で包み、私は言い聞かせる。

「人はね、自分が直接傷つかなくても、自分のせいで誰かが傷ついたら心が痛くなるの。今までのザクロはそれがわからなかったかもしれないけど、もうわかったでしょう?」

「はい」

 私を見つめるザクロの赤い瞳に、もう困惑の色は見えない。

「もう一度約束して。たとえ私を守るためでも、絶対に他人を傷つけないって」

「約束します」

 私の手に自分の手を添えて、ザクロははっきりと頷いた。もう大丈夫。身を持って痛みを感じたなら、ザクロにも理解できたはず。

 私も頷いて笑いかけた。

「お腹空いちゃった。今からご飯にしてもらっていい?」

「はい。すぐご用意いたします」

 いつもより一層うれしそうに笑って、ザクロはキッチンに向かった。





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