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12.恋人(つみびと)たちは夜に抱かれて




 家に帰り着くと、玄関には甘いチョコレートの香りが充満していた。自分用のチョコを買っていなかった私は一気にテンションが上がる。

「チョコ作ってくれたの?」

「はい。今日はチョコレートを贈る日だとテレビで見ましたので、フォンダンショコラを作ってみました。今日召し上がりますか?」

「もちろん! 待ってて。すぐ着替えるから」

 ザクロを玄関に残して、私は奥の部屋に駆け込んだ。急いで着替えを済ませ、食卓について待つ。少ししてザクロが紅茶と一緒にケーキを載せたトレーを持って現れた。

「どうぞ。火加減が難しくて、これとあとひとつしかうまくできませんでした」

 どうやら何度か失敗したらしい。けれどちゃんと作ってくれるんだからすごい。

 差し出された皿の上にはプリンのような形をしたココアケーキが載っている。フォークの先でスポンジに切れ目を入れると、中からトロトロのチョコレートが流れ出してきた。

 それを素早くスポンジにからめて口に放り込む。まだ暖かいケーキとチョコレートが口の中でさらにとろけた。

「うーん。たまんなーい。溶けたチョコレートってなんか一段と甘くておいしい気がする」

 私が幸せをかみしめながらニマニマしていると、ザクロが少し苦笑しながら指摘した。

「それは溶けたチョコレートじゃないんですよ」

「え、違うの?」

「溶かしたチョコレートを混ぜた生地を型に入れて、真ん中まで火が通る前にオーブンから出すんです」

 ようするに生焼けのチョコケーキ? どうりで火加減が難しいはずだ。

 フォンダンショコラってケーキの生地の中にチョコの塊を入れて焼くものだと思っていた。

「ま、おいしければなんでもいい」

 そう結論づけて、私は再びケーキを口に運んだ。いつものごとく、そばに立ってにこにこしているザクロに、私はケーキの載ったフォークを掲げて尋ねる。

「ザクロも食べる?」

「頂けるのなら喜んで」

 ちょっといたずら心が湧いてきて、私はそのままフォークを差し出した。

「はい。あーん」

「あーん」

 え、マジ?

 ザクロはにこにこしながら少し身を屈めて、ためらいもなく口を開いた。私の方が少しドギマギしながら口の中にケーキを突っ込む。

 体を起こしてケーキをもぐもぐしているザクロを私は呆気にとられて見つめた。妖怪だから照れくさくないんだろうか。

 ケーキを飲み込んだザクロが、何食わぬ顔で頭を下げた。

「ごちそうさまでした。人に食べさせてもらったのはずいぶんと久しぶりです」

「え? 昔、食べさせてもらったことあるの?」

「子供の姿になっていた時です」

 あぁ、そういうことか。びっくりした。

 私は残りのケーキを平らげて、紅茶を飲む。

 週末の夜、これから何をしてすごそう。テレビを見たり本を読んだり、やりたいことは色々あるけど、今日はザクロと一緒にすごしたい。

「ザクロ、一緒に少しお酒を飲まない?」

「はい」

 飲み会ではあまり飲まなかったし、去年買った日本酒がまだ少し残っていたはずだからちょうどいい。

 ザクロとゆっくり話がしたかった。

「酒の肴は何にしますか?」

「うーん。食べるのはしっかり食べてきたから、キュウリのぬか漬けでいい」

「かしこまりました」

 ザクロが空いた食器を片付けている間に、私は折り畳み式のテーブルと座布団を用意する。少ししてザクロが戻ってきた。

 テーブルの上に酒と肴とグラスを置いて、斜め前にある座布団に座る。そしてグラスによく冷えた日本酒を注いでくれた。互いにグラスを掲げて縁をあわせる。

「お疲れ」

「お疲れさまです」

 ひとくちお酒を飲んで、キュウリをつまむ。ほどよい酸味と塩味に、カリカリとした歯触りがいい。

「やっぱりキュウリのぬか漬けおいしいよ。私は好きだなぁ。ザクロも食べてみて」

「はい」

 ザクロは私が薦めるとなんでも食べる。好き嫌いはないようだ。まぁ、元々食べなくてもいいから、なのかもしれないけど。

 コリコリとキュウリを咀嚼して、ザクロは感想を述べる。

「青い胡瓜は苦みがほとんどないんですね。漬け物にすると青臭さも減って確かにおいしいです」

「でしょ?」

 買い物の時、キュウリをカートに入れるたびに微妙な表情をしていたザクロの誤解が解けてなによりだ。

 私はおそらく変わり者だと思われていたのだろう。誤解の解けたザクロは、もう一切れキュウリをつまんだ。案外気に入ったのかな? 日本酒の肴にも合うんだよね。

 それからしばらくは、キュウリを肴に日本酒を飲みつつ、ザクロの見たテレビの話を聞いたり、坂井くんの勘違いの原因を話したりした。

 もうすぐ日付が変わろうという頃、お酒をつぎ足そうとした私のグラスをザクロがそっと奪った。

「頼子、あまり飲み過ぎない方がいいですよ」

 そんなに飲み過ぎてないけど? 全然酔ってないし。楽しい時間に水を差されたようで、私は少しムッとしながらグラスを奪い返した。

「あと少しくらい平気よ。明日は休みなんだし」

「ご自身ではあまりご存じないようですが、頼子はあまり酒に強くありません。まだ大丈夫と思えるうちにやめておいた方がいいと思います」

「なんかザクロお母さんみたい」

「お母さんだったこともありますので」

「え……」

 そういえば女の姿になったこともあるって言ってたっけ。小さい女の子に繭を触られたのかな。

 それはともかく、全然酔ってないし、あと少しでお酒もなくなるんだから、それを片付けるくらいいいじゃないかと思う。

 相変わらず心配性なザクロの気を逸らすために、私はちょっと駄々をこねてみた。

「お母さんはイヤ。今日は恋人たちの日なんだから、恋人っぽくしてて」

「恋人っぽく、ですか?」

 よし。気は逸らせた。少し俯いて考え込んだザクロの目を盗み、私はこっそりお酒をつぎ足す。

 ちびちびとお酒を舐めながら、ザクロがどんな風に恋人っぽくするつもりなのかじっと見守った。

 まさかいきなり押し倒したりはしないよね。だってザクロは紳士だし。いや、なんの根拠もないけど。

 少ししてザクロは顔を上げ、おもむろに立ち上がった。そして私の手を取り、立ち上がらせる。何が始まるのか固唾を飲む私をまっすぐ見つめて、ザクロは静かに口を開いた。

「それはいたしかねます。私は当家の執事です。お嬢様専属の召使いではありません」

 へ?

 ザクロが何を言っているのかわからず、頭の中が一瞬真っ白になる。だが、すぐに気付いた。

 これってあれだ。私が好きな小説「恋人つみびとたちは夜に抱かれて」のワンシーンだ。

 伯爵令嬢のセレスティーヌは、先代執事の急逝により若くしてその職を引き継いだロベールに密かな恋心を抱いていた。彼女が十八になった誕生パーティで、侯爵家次期当主との縁談が持ち上がる。

 自分の家より格上の相手との縁談を断ることは不可能だ。せめて今まで通り、ロベールと一緒にいられるならそれで満足しようと自分に言い聞かせる。

 幼い頃から共に暮らし、常にそばに仕えていたロベールは、ずっと一緒にいてくれるものだと思い込んでいた。ところが、彼がそれを拒絶したのだ。

 でも実はロベールもセレスティーヌを好きだったんだよね。このあと二人は互いの想いを伝えあって、甘い一夜を共にするという、前半の山場にあたるシーンだ。

 恋人っぽくって言ったから「恋人たち」を演じることにしたのか。

 何度も読んでるから内容は覚えている。私はザクロに合わせて、セレスティーヌを演じてみることにした。

「どうしてそんなこと言うの? ずっと一緒にいてくれるって約束したじゃない」

「申し訳ありません。私は罪を犯してしまいました。これ以上お嬢様のおそばに仕えることはできません」

 ザクロは目を伏せて辛そうにつぶやく。うーん。迫真の演技。さすがに主の望む姿を演じ続けてきただけのことはある。

「罪ってなんのこと? 私との約束を破ることは罪じゃないの?」

 ザクロは顔を上げて悲しそうに微笑んだ。

「あなたの幸せを心よりお祈りいたします。けれど私以外の誰かとあなたが幸せになっていく姿をそばで見ていることは辛くてできそうもありません。どうか私の罪をお許しください。そして私のことはお忘れください」

「ロベール」

 私はザクロに歩み寄り、その胸にすがった。ザクロは私の両肩に手を置く。

「いけません、お嬢様」

「あなたの想いが罪だというなら、私も共に背負います。ずっとあなたが好きでした。聞かせてください。あなたの罪を」

 見上げた私を見つめながら、ザクロの腕がゆっくりと背中に回り、私を抱きしめた。次第に顔が近づいてくる。私は静かに目を閉じた。

「あなたを愛しています、お嬢様」

「お嬢様はイヤ。名前を呼んで」

「頼子……」

 え?

 私は目を開き、ザクロの胸を軽く突き放す。口元に少し笑みを浮かべてザクロを見上げた。

「よく覚えてるのね」

「頼子の好きな書物ですから、何度も読みました」

 いつものザクロだ。にっこり笑って何事もなかったかのようにあっさりと腕をほどく。私もにっこりと微笑み返した。

「やっぱり少し酔ったみたい。なんか眠くなって来ちゃったから、お風呂に入って寝るね」

「かしこまりました」

 頭を下げたあと、ザクロはテーブルの上を片付け始める。私は着替えとバスタオルを持って浴室に向かった。

 熱いシャワーを頭から浴びながら、私は胸を押さえて自分に言い聞かせる。

 落ち着け、私! ザクロに感づかれる。

 でもたぶん、もう伝わってるはず。私が動揺していることは。

 どうして私の名前を呼んだの? 間違えただけだよね? わかっているのにドキドキが止まらない。

 あのまま私が素に戻らなかったら、ザクロはキスしてたのかな。ロベールを演じながら。

 元々ザクロは私を喜ばせるために、私の望む姿を演じている。ザクロの心はいつも見えない。本当のザクロはどこにいるの? 本当のザクロに会いたい。

 なんだか切なくて涙が滲んできた。

 だから動揺しちゃダメだってば! 平常心、平常心。

 言い聞かせてもドキドキと涙はおさまらない。

 やばい。もうザクロなしじゃいられないくらいに心が依存してる。

 私、ザクロが好きなんだ。





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