旅の条件について3
飲み屋がちらほら見え始めてきた。川と交差するようにして東西に走る中央通を中心に、いくつものビルが生えている。
俺はどのビルに入ろうとも考えず、しきりに瓶を口にやりながら、黙々と歩いていった。
そのとき、肌を露出した女性が描かれた看板が目についた。そして次の瞬間には悲しいことに、前に付き合っていたひとのことを思い出してしまっていた。
寒くなって弱ると、この手の連想は頻度を増すようだった。体を重ねた日々のイメージが、しっかりした像を結ぶことなく曖昧なかたまりのまま頭の中をあちこちに行ったり来たりするのだ。もうあれから3年が経っている。しかし、イメージは時間が経つほどに生々しくなる。
あの頃、お互いが大学生になって初めて恋人だった。そして、俺にとっては生涯初めての恋人だった。いまとなっては、なんとなく次はないような気さえしている。どうも、もののはずみで付き合うことになった、というようにしか思えいのだ(そして、すべての恋はえてしてそうなのかもしれないが)。
彼女は俺に勝手なイメージを貼付けていたようだったし、俺は「付き合う」ということ自体が嬉しくてたまらず、相手は誰でも良かったようにも思う。当時にしても、二人のあいだにあるのが愛なのかを俺は判断できずにいたし、俺からあのひとに対する気持ちだって、それが愛なのだと確証することができずにいた。
ひどく混乱していたのだ。それでも性欲は人並みにあったので、会ったらしたくなったし、するために会うようなこともあったと思う。そんなときには、きっとこれは愛ゆえなのだ、などと理由を自分や相手のうちに探そうとして、その場しのぎで自分を納得させた。
俺はなんと面倒くさい人間だったろうか。ただ交わっていればよかったのだ。なぜ理由を求めたかといえば、そのときの俺はいつでも自分が道徳的であるかどうかを気にしてばかりいたからだ。
逆にいえば、道徳的であろうとして、どう振る舞うべきか悩むということについて、相手はまったくの無関係なのではないか。
かつて道徳的な理由から婚約を破棄したという、あの悩める哲学者の眼には、相手の姿がちゃんと映っていただろうか。
それが自らの分身でなかった保証はどこにあるだろう?
こんなことを思考することに長々と時間を費やすような人間には、ことさら旅など相応しくないような気もしてくる。
工事中のビルの脇、狭くなった道を抜ける。
緑色の信号が点滅している。とくに急いでもいない俺は(当たり前だ、目的がないのだから)、渡ることもできただろう横断歩道のまえで、いったん止まった。
俺はただ、黙って道の向う側をみている。
こんな時間でも、車の往来は多い。いったいどこから来て、どこへ行くのだろうか。そういえば俺はあくまで徒歩で移動しているが、このことになにか積極的な意味は見出せるだろうか。車は直線的に動く、なにかに駆動されて動く。俺の足はどうだろう?
そのとき、ふと、向こう側でも信号を待つ人影に気づいた。
背の小さな女の子が二人、並んで立っている。心無しかこちらをじっと見つめている。