旅の条件について2
仕方なしに俺はどこへともなく歩きはじめた。歩いているといろいろな考えが頭を巡るものだ。
人生はよく旅に例えられる。ところで旅は少なくとも、逃避行とは区別されたのだった。
旅はなにかの必要に迫られることとは無縁なのであり、目的という語じたい似つかわしくない。
しかし、どうだろう。たとえある旅行に目的がないとしても、その都度「小さな目的」を導入しないことには移動することもできないのではないか。ひるがえれば、生きることさえままならないのだといえる。俺は常々、生きるということには目的も意味もないのだと考えているが、それでも「小さな目的」に常に駆動され、あるいは抑圧されているのは否定することができない。
ある旅行が逃避行になるか、それとも旅になるかという境目には、この「小さな目的」の在り様も関わってくると思われるのだが、これについては明晰判明なイメージをいまだ掴みかねている。
俺はとにかく、川に流れに逆らうようにして、都市の中心へと歩いていくことにした。この移動には目的がない。しかし、それによってこの移動が旅へと転化しうるかどうか、俺には判別ができない。
雪の下に埋まっている氷床にときおり足をとられそうになりながら、俺は歩いていった。
川はまっすぐに都市の中枢へと向かっていく。数十年も前に舗装されたのだ。少しずつ整備されていった。都市はいくつもの四角に覆われている。川は制御されて、都市を構成する四角の一部になった。
旅は都市を志向するだろうか。
俺は考える。旅は通例、南を目指すものだろう。しかし、都市から南の島へ、という構図はいかにも逃避行といった感じがする。
それは、どこかからどこかへと逃げる行為そのものだからだ。
そもそも、南を目指す旅とは何なのだろう。そのとき、南は無目的あるいは反理念の象徴だろう。そうでなければ旅の概念は成立しない。しかし、それは無目的という目的、反理念という理念だ。まったく矛盾している。
もしかすると、はじめから旅は不可能なのかもしれず、すべての旅は実は、失敗に終わるのかもしれない。
ここで俺はやっと気がついたのだが、自分が今向かっている先は、一応は南の方角なのだった。
右手に見える駅ビルが次第に大きくなる。
この駅を通るようにして、街を東西に横切る線路がある。この一本の線がこの街を二つの領域に分けているような感覚を俺はもっている。北の、大学を中心にした領域と、南の、繁華街を中心にした領域。
俺はふだん、北の領域からでることがほとんどない。そこまで考えて、自分が旅人に向いていないのだとますます思い知った。
冷たく重い、コンクリートの高架下をくぐり抜けていけば、そこは南の領域だ。