第5章 ーthe Wills to Him from Herー
再び実験室に戻ると相変わらずの横たわる先程の研究者、その他被験者であろう死体と
思わず顔を背けたくなるような死臭が漂っていた
シルヴィアは部屋に入るなりセレンの体に憑依した思念を乖離させるべく
資料を拾いあげた
「どうにかなりそうか?」
アルトは不安を混じらせながらシルヴィアを見る
「何とも言えませんね…確かに彼女の体から思念体を乖離させる事はできますが、セレンの精神自体が思念に飲み込まれていたら手遅れです」
シルヴィアはこんな状況にも関わらず淡々と説明する
「とりあえずやってみるか、どうすればいい?」
ラルクはシルヴィアに聞きながら不安に駆られるアルトの肩を叩いた
「魔術陣や術式は僕が描きます、メリッサはセレンから思念体が乖離したらアルトと協力して彼女を魔術陣から外して必要であれば治療を行って下さい」
2人が頷くのを確認し、ラルクとライカを見る
「2人は思念体が作業を邪魔しないように警戒していて下さい」
シルヴィアはそう言いながら床に落ちている短く折れたチョークで魔術陣を描き始める
「なぁ、シルヴィアは魔術陣無しで魔術が使えんだろ?なのに何でわざわざ魔術陣描いてんだ?」
「この手の魔術は僕の専門外なので、そもそも完璧にその魔術を理解していないと魔術陣なし、という訳にはいきませんね」
「魔術陣無しで魔術使えるの?!シルヴィア君すごーい!今度アタシにも教えてよ!」
メリッサは身を屈めてシルヴィアの描く魔術陣を覗きこむが
「治療魔術も専門外です」
とあっさり跳ね除けられた
しばらくしてようやく魔術陣が完成しその上にセレンの体を寝かせ準備が整った
「準備はいいですか?」
ラルク達に緊張が走る
失敗は許されない、もししたら…
大体の予想は出来てしまう
皆の意思を確認したシルヴィアは陣に手を触れ詠唱する
陣からの眩しいくらいの光が放たれると同時に
「ぅぁぁあああーーっ!!」
セレンの苦痛の叫び声が部屋中にこだまし悶え苦しむ
その光景にシルヴィア以外全員の脳裏に最悪の状況が映し出された
そして、セレンの胸から次々と黒い影が煙のように浮かびあがる
「アルト!メリッサ!」
指示を受け、2人は素早く魔術陣からセレンの体を外しメリッサはセレンの意識の確認に入る
「チッ…後少しだったのに…あの女っ…!」
セレンから乖離した思念体は部屋中を飛び回り
部屋中に横たわっていた死体に入りこんだ
すると、死体達は傀儡のように上に引っ張られるかのように立ち上がる
「お、おい…!こんな事って…!?」
ライカは再び動き始めたかつての命の器に動揺を隠せないでいる
その死体の多くは意識が混濁しているらしく声にならないうめきを繰り返している
「ガキ共が…!よくもやってくれたわね…!!」
そう言って出て来たのはセレンの体を操っていた女の思念だ
研究者の体を傀儡のように背後から指先を使って操っているから
思念の女の姿が確認できる
「死体にとり憑いてまで生きようとするとは…対した生命力ですね」
「セレン様の体を操った責任はとってもらうぞ!」
「フンッ…!この世界は生き延びた者勝ちなのよ!…そう、ここは岩窟島…一度足を踏み入れたら二度と暁を見る事はできない…アンタ達もここで死ぬのよ!!アッハハハハハ…ッ!!」
女が高笑いを浮かべると周りの亡者達がラルク達に向かってくる
シルヴィアは何人かを焔でなぎ払い
ライカは1人の頸部を蹴って倒しもう1人の首を無理矢理へし折る
一方、ラルクは混乱の中で亡者達に囲まれていた
この亡者達は果たして人間と呼べるのだろうか
その倫理的な迷いが枷となりラルクの手足の自由を奪っていた
確かに形は人だ、しかし…
そう考えていると亡者の中の1人がラルクに襲いかかり
反射的にラルクはその体を剣で斬り裂いた
その一太刀はラルクの理性を麻痺させるのに十分だった
呼吸が浅くなり頭の後ろが痺れるような感覚の中ラルクは無意識で剣を振り回していた
少し意識が戻り始めた頃には残された亡者は研究者を操る女の思念体1人だった
しかし、残り1人だというのにライカとシルヴィアの動きがない
後ろを振り返ると2人はその場にうずくまっていた
「…わり…ドジッちまった…」
軽口を叩くライカの口からは血が流れている
一方のシルヴィアは両腕から血を流している
どうやら2人とも戦えそうにないようだ
「フフ…やっといい顔になって来たわね…さぁ、もっと苦痛に歪む顔を私にみせて頂戴っ!!」
女は研究者の手に魔導書を持たせ再び詠唱を始めようとするが
ラルクが一気に駆け寄り斬りつけるが研究者の手から魔導書をはたき落とすにはいたらなかった
「残念ね!この距離で避けられるかしら!?」
操っている女は痛みを感じないのをいい事に詠唱を続ける
だがラルクも気にせずに剣を振りかぶる
「ラルク…避けて下さい…!」
「おい…アイツ何考えてんだ?死ぬぞ!!」
ライカとシルヴィアが声を絞り出すが理性の麻痺しているラルクにはそんな事は大した問題ではなかった
ラルクにとっては今目の前にいるのは人ではない…だから斬る
女の魔術が臨界に達しようとしたその時
女の思念体に肉薄する影があった
「クッ…!…また…お前か…!?」
女の思念は身悶えを始め
それに気づいたラルクは振りかぶった剣をゆっくり降ろす
そして、身悶えをやめた女の思念は穏やかな様子になりラルクを見た
「今、私は一時的にこの女の思念を封じています、貴方のお仲間も無事です…さぁ、今の内にこの体を滅ぼして下さい…」
そう言って女は両手を広げる
「お前…一体誰なんだ…?」
いきなりの変わり様にとりあえずラルクはそう聞くしかなかった
「私の名はユアンです、この負の感情に満ちた思念を封じた者です…肉体は滅びましたがこうして思念体として生きています…」
ユアンと名乗る女性は研究者を操る女の顔をかりてどこか哀しそうな表情を浮かべる
「ユアンってあの日記の…」
「独房の日記を読んでくれたのですね…?そう、私はこんな姿でもうあの人に会う事は叶いません…だからこの歪んでしまった思念達と共に私も滅ぶ事に決めました…」
そう唐突に告げられラルクは体から血の気が引いていくのを感じた
「か、勝手な事言うなよ…!お前がこいつらと一緒に死ぬ必要がどこにあんだよ!?」
「そうだ…!…勝手な…事を…!」
ユアンは悶え始めた
どうやら女とのせめぎ合いが始まったようだ
「もう…私の望みは…ッ…分かっているのでしょう…?」
ユアンは悶えながらそう絞り出したが
やがて悶えが止まり再び高笑いが始まる
「…ッハァッハァ…フフ…やっと抑えこんだ…しぶとい女ね!滅ぶなんてバカな事言わないでよ!私は…私はっ…!!」
「すまない……!」
掠れた小さな声で囁きラルクは操られている研究者の体に剣を突き刺した
「ありがとう…」
操られた研究者の体が崩れゆく時ラルクの耳に優しい声が届いた
その声は真に苦しみから解放され自由を手に入れた
そんな声だった
ラルクは血の付いた剣をマントで拭い鞘に戻し
まだ、感触を手に残したままセレンの前に膝まづいた
ライカはふらつくシルヴィアを支えながらセレンに歩みより様子を伺う
すると彼女はゆっくりと眼を開いた
「セレン様!?」
アルトはセレンの上体を起こす
「大丈夫?気分とか悪くない?」
「はい、大丈夫です…ありがとうメリッサ…」
「良かった良かった…んじゃ悪いんだけどさ、メリッサこっち頼むわ…」
ライカが我慢出来ずに寝転がり
メリッサが2人の応急処置に取り掛かりアルトもセレンをラルクに任せメリッサを手伝う
「終わったよ」
「はい…」
セレンの瞳から一筋涙が右頬へと伝う
ラルクは黙ってそれを見ていた
「ユアンという方が私を護ってくれました…思念に飲み込まれそうになっていた私を…」
一筋の涙を指で拭い潤んだ瞳のままラルクを見る
「もしアロンに会ったら…愛しているって伝えて欲しいと…」
ラルクは黙ったまま頷いた
それからようやくラルク達は先程のように迷う事なく収容所の塀の外へ出てくる事ができた
塀の中に入る時の荒れ狂う嵐が嘘のように止み
周りの海は穏やかに凪いでいる
海の彼方からは新しい陽が昇り始め夜の闇と暁の光が入り混じっている
「あーあ…夜があけちまったよ…」
ライカが伸びをする横で
「キレイ…ですね…」
セレンの言葉にラルクはまた黙ったままで頷いた
キレイ…憂鬱…
この空模様のせいか何か色々な感情が入り混じっている
「街に戻ったら少しゆっくり休もう…」
アルトは黙って闇と暁の入り混じっている空を見つめているラルクの肩に手をおいた
「おっ!んじゃアルトに添い寝してもらおっかな~?」
「無事に起きられると思わないでね」
アルトは裏のある笑顔で返す
「じゃあアタシがするっ!!」
「メリッサ寝相悪いからヤダっ!」
今のやり取りで生まれた笑い声があの暗い牢獄に響いていればいい
そうラルクは思いながら岩窟島を後にした




