第七話:任務開始
一部グロテスクな表現がありますので、15歳未満はご覧にならないでください。
「…あれ」
分厚い本を溢れるほど持ってきたケイトが、不思議そうな顔をした。その方向を見ると、クリスが図書館の入り口を覗き込んでいた。
ようやく視界にケイトを見つけたらしいクリスは、ゆっくりと手招きした。
吸い寄せられるように近くに寄ったケイトに、クリスはひそひそと何かを耳打ちした。それを聞いたケイトは、怪訝そうな表情をして、俺も呼んだ。
「…何、なんかあったの?」
「ああ、任務が入った。早く司令室へ」
任務。その言葉が持つ意味が妙に重苦しくて、心が暗くなった。
図書館の外には、シュラも居た。俺を見た途端太ももを拳で殴ったので、激痛が走った。
どうして、この子供はいちいち突っかかってくるのだろう。構って欲しいのか?そんなことを思って、まるで小さい頃の俺じゃないかと、目下の膨れっ面の子供を見た。
「何、見てやがる!」
シュラがまるで小動物のように唸ったから思わず笑う。
「口が悪いな。相変わらず」
「うるせーよ。喋らずに、走れ」
「…上等だ──」
子供に指図されながら、俺達四人は一階下の本部の中心、司令室まで駆け下りて、さらに長い廊下を駆け抜ける。
何故こんなにも急ぐのかと思ったが、先程得た知識と照らし合わせると、任務=MAが出たで、その土地の人が殺されているかもしれない。ならば、時間との戦いだ。
やっとのことで司令室にたどり着き、クリスがキーを開けた。中に滑り込むと、部屋の中は何もなければ真っ暗なのであろうが、液晶モニターから出る微かな光で薄暗い状態だった。そんなことを観察していた──時間にしてほんの30秒くらいだろうか。ケイトは隊長から指令を聞きまた部屋の外へ出た。そうしてまた走り出す。あっという間の出来事なので慌ててまた追いかけた。
「どうするんだ!」
三人の走る速度の速さに四苦八苦しながら、ケイトに聞く。
「MAが出た。私達はとりあえず現地に行って様子を探るだけみたい。だけど──」
妙に、その時のケイトは楽しそうだった。任務だというのに。
「"MAに遭遇した場合は、その場で処理せよ"だって」
まだ全く任務の実感なんてわかなかった。アメリカ、そう聞いて真っ先に思い出されたのは──顔も忘れかけた、両親だった。
『偉大なる我がヴルブ、今姿を現さん』
ケイトがそう唱えると、いつかのように巨大な紅い竜が現れた。両翼を羽ばたかせて、四人でその背中に乗り込む。ヴルブ、俺のヴルブはあのライオンなのか?
「早く──急いでマイン」
主の急かしに答えるように、中に軽く舞い上がった竜は一気に青い空へとつき登りそのまま凄まじい速さでアメリカへ向かった。四方八方が海なものだから、落ちたら一溜まりもない。俺は空気抵抗に目を瞑りながら、必死でケイトの背中と竜の背中を掴んだ。黒い服の中に空気が入り込んで、これでもかと言うほどはためいた。
アメリカに住んでいる俺の両親は、母親はデザイナーで父親はなんかの会社の取締役らしい。俺が生まれてすぐ二人は海外赴任になり、俺は家の近くの、昔から親父と交流があったらしい道場に預けられた。それゆえ先輩とは兄弟みたいに育てられ、十分楽しく、厳しく育てられたから、俺は両親を恨んでなど居ないし、毎月大量の養育費を送りつけてくれたことに、皮肉をこめて感謝の手紙を送ったりした。でも、かえって来なかった。仕事が忙しいのだろう。人は皆そういって、有名になった両親を褒めたたえた。
『まぁ、あの二人のお子さん?それならばさぞかし頭が良いのでしょうね!』
『…どうしてこんな問題が分からないの!』
『不良ね。本当困るわ、ああいう子供』
月日が経つにつれて、周りの評価は落ちていった。俺がそういう風にわざと育ったせいでもあるけど、親の名前など、絶対に出して欲しくなかったし、俺と親を比べたやつらは片っ端から殴った。俺の切れたら止まらない性格は、こんな環境から生まれたのかもしれない。
──だから。恐らく、全く関係ないのだろうけど。アメリカに行って、親に会ったら。絶対に、口など聞いてやらないと思う。16年間もほったらかしだったんだ。それぐらい、当たり前だろ?
空を駆け抜けた時間はおよそ20分。どれだけ、この竜は早いのだろう。恐らく俺が思っているよりもっと早い。飛んでいるときは、なにやら白いベールに包まれていてあの空気抵抗だから、まともだったら一瞬で吹き飛ばされてるだろうな。
静かに降り立った場所は退廃の土地だった……。
「……随分派手にやらかしたものね」
ケイトは乾ききった土をさわり、人の気配が全くしない茶色の平地を見た。遠くに数件見える民家は全て屋根に穴が開いているし、近くの木々は何か凄まじい力で引き裂かれたように捻じ曲がっている。
「…本部、アメリカ・リノ州に到着。しかし人の気配はなし。周辺の民家は大破。近くを探索し生存者を探す」
クリスは何やら小型ラジオのような機械を取り出して、通信し始めた。恐らくそれが本部との連絡を取る術なのだろう。
「ヤマト。行くよ」
困惑していると、ケイトがこちらを振り返って、クリスとシュラはさっさと民家に向かい歩き始めていた。
「待てよ」
小走りで追いつき、少し鼓動が早くなるのを感じた。
「……気をつけて」
ケイトにそう言われて足元に目を落とすと、家の入り口には大量の釘やガラスが落ちていた。まだスニーカーだった俺は慌てた。
「……」
ひっそりとした薄暗い緊張感の中、急にケイトの手の平が光ったかと思えば、白い粒子が集まり短剣の形を象った。角度を変えるたびに銀色の刃が光り、細くしなやかな指が鞘の部分を堅く握り締めるのが分かった。
「…剣?」
ふとクリスを見ると俺はさらに驚いた。彼が持つのは太刀だった。太い、長い、長身のクリスの背の丈程もある剣だった。細身のクリスに、それが扱えるなど信じられなかったが、軽くそれを頭の上に持ち上げる動作を見て、その考えは覆された。
「何で、剣が?」
「あれが二人の武器だよ」
傍で全ての段が飛び出たタンスを探るシュラが静かに言った。
「みんな、あんな風に武器を出すのか?」
「そうだよ、MAには鉄の武器なんて効かないからね。自分のエネルギーで創り出した武器じゃないと、対応できない」
「…」
俺は、どうするんだよ。そんな武器、出し方すら分からないぞ。
「大丈夫だよ。ヤマトはまだ初心者だから、出来るだけ僕らが守る。この任務が終わったら、訓練所でヴルブや武器を創り出す練習をすれば良い」
「無駄なお喋りをするな。いつMAが現れるか分からない状態に、呑気なものだなお前らは」
せっかくのシュラとの会話を、クリスに遮られ、なんとも消化不良だったが黙ることにした。場の空気が、どんどん張り詰めていたからだ。
「…おかしい。死体が一つもない。MAが食べたのかな?」
「恐らくな。どこへ行ったか、分かるかケイト」
足元に散乱した雑誌を蹴りながら、クリスが言った。
「……気の方向は、町に向かってる」
「町?!…おいおい、悠長にこんなことしてる場合じゃなさそうだ」
「でも」
ここから見えるのはケイトの背中だけだった。しかし、彼女が張り詰めるような声を出したのは確かだった。刀をゆっくりと、動かす。
「町に行く前に、一匹倒す必要があるみたい」
ケイト足元近く、陥没した床から何かが這い出てきた。それの正体が見えたとき思わずよろけた。
退廃した部屋の真ん中に、牛ほどの大きさの獣が居た。隊長にも似た、巨大な黒い狼は、何かで殴られたのだろうか、額は裂けていた。突き出た鼻先からは、赤いものが滴っている。それは、恐らく、人間の、血。
「…へぇ。結構、いっぱい人を殺してるみたいだな。血の匂いがプンプンする」
ケイトは何故か嬉しそうに言うと、それが合図のようにシュラが俺の手を取り一気に家から飛び出た。茶色の土を蹴りながら、全速力で折れた木の下まで走る。
「ここで隠れてるんだ。もしかしたら外に出てくるかもしれない」
「…」
喋れない。返事も出来ない。恐怖のどん底に叩き落されたみたいだ。あんなのと戦えるなんて、あの二人の精神力はどうなってるのだろうと思った。目の前の子供だって、やはりまだ微かに不安そうな声だけど、喋れるだけ、状況判断が出来るだけ凄いじゃないか。落ち込んだ俺を察してか、シュラは励ましの言葉を口にした。
「大丈夫だよ。僕だって最初は、今もだけど、本当に怖かった」
「……そうなのか?」
返事が返ってきたことに安心したのか、シュラは微笑んで俺の隣に入り込んだ。
「……うん。誰でも最初はそんなものらしいよ。ケイトだってクリスだって」
そこまで言って、民家の屋根から何かが飛び出た。動きが早くて、残像しか見えないけれど、黒い。獣だ。木の根っこから顔を出し、恐る恐る様子を見る。
遠めだから、細かい様子は分からないがケイトと獣がぶつかり合う度に紅い鮮血が空中に舞った。どちらの血なのだろう。もしも、ケイトだったら──?しかしその心配は杞憂に終わった。次の瞬間、凄まじい咆哮が聞こえ、そして飛び回り見えなった獣が止まり、その場に倒れこんだ。血が茶色の地面に染み込み、なんともいえない光景になった。退屈そうに獣を蹴っ飛ばすケイトを見て、隣の子供に問う。
「……あ、あのケイトが?」
「……うん。終わったみたいだから、行こう」
そう言い残し駆けていく子供を見ながら、ふと思った。なんとも思わないのだろうか、あの光景を見て。そりゃシュラは何度もこういう場を見ているのかもしれない、だけど、それはそれで悲しいことなんじゃないかと思う。
「俺が出る幕もなかったな」
太刀を肩に置いて、クリスがため息をついた。
「簡単だった。さっきのは多分DクラスのMAね。任務になるのはBクラスのMAだから、全然違う獲物だったみたい」
「…なんだ。他にもいるのか?」
「そのほうが楽しいじゃない」
不毛な会話だと思ったが、気がついた。やはりケイトは任務になると口調が少し男らしくなるようだ。態度とかも、かなり。
「町に行くぞ。人が襲われていないことを祈るな」
「ああ」
黒い制服は、やはり一般人のそれと違うので、町ではかなり目立った。しかもケイトとクリスは無駄に顔がいいため、道行く女や男が興味心身で覗き込んでいる。肩身が狭い思いをしながら、人通りの多い町を歩き回るも、そんな気配は全くしない。
「……どうなってる?」
クリスが眉をひそめながら言った。
「さぁ、多分どっかに潜んでるんじゃない?……それか、もう違うとこに移動したのかも」
少しだけ、不安そうにケイトは笑った。結局その日は日が暮れるまで町を歩いて回ったが、何の収穫も得られなかった。
宿を取って、結局俺達は一晩この町に滞在することにした。
「ふぁ〜…疲れたー」
ドサッとベッドに倒れこみ、重い瞼を何度か瞬かせる。ハンターズの隊員はどこへ行ってもビップ待遇で、宿も一番良い部屋に止まらせてくれた。一瞬なんと良い身分だと思うが、それはその対価分の恐怖があるから。
「お風呂、行ってくる」
ケイトはいそいそと部屋から出て行ってしまった。シュラはベットの上を飛び跳ね、次に俺を見て構えた。
「なんだよ」
「いや」
「なんだってんだ!」
「だから何も──っぶ!」
いきなり顔面に当たった枕に、思わず顔をしかめる。シュラが、投げたようだ。子供の癖になんという素早さ。クリスはソファに座り静かにコーヒーを飲んでいる。一番うるさそうなケイトは居ない。……これは、やるしかないだろう。
なんたって俺はまだ16歳だ。
「うりゃあ!」
近くにあった枕をひっつかみ、渾身の力でベロベロと舌を出す子供へほうる。見事に顔に当たったらしく、力なく枕がベットに着地するころには激怒したシュラの枕が俺めがけて飛んできた。
「ほっ!」
素早くよける。そして掴み、投げる。
そんな事を繰り返して、10分が経っただろうか。お互いに息が上がり、暫し枕を抱えたまま停止する。大暴れしたので、気にしているかとクリスを見ると、何事もなかったかのようにコーヒーを啜っている。
「…いい加減、諦めろよ」
シュラが忌々しそうに言ったから、こちらもニヤリと笑う。
「そっちこそ」
「く…ッ!」
容易く挑発に乗るところは、やはり子供だと、そこまでは計算済みだった。……そこまでは。
体力のなくなったシュラがぶん投げた枕は、俺の居るベットは全く違う方向へ飛んでいった。そこには。
「いた!」
お風呂から帰った、ケイトが居た。真正面から枕に当たったのだ、痛いだろう。ポトリ、と床に白の枕が落ちて、心なしか微笑んでいるケイトは眉間に皺を寄せながら言った(笑いながら皺を寄せるのは高等技術だ)
「誰?今投げたの──」
「ぼ、僕じゃない!ヤマトだよヤマト!」
「なっ何だとこの──」
ガキ。といいかけるが、ケイトが静かにベッドに乗ったので押し黙る。
10畳程の部屋の中に、かつてないほどの緊張が漂う。
「……私はね、どちらでも良いのよ」
「……」
「ただ…」
スゥ、と息を吸いこむ音がして、
「あんた達自分が何歳だと思ってるのよ!!??馬鹿にも限度があるわ!最初といい、今日といい、本当に!ちょっとは大人になりなさい!」
耳がキーンと鳴った。それはシュラも同じだったようで、耳に指で栓をしている。
「…はぁ、クリス。私にもコーヒー頂戴」
本当に疲れたようにそう呟くと、あらかじめ知っていたかのようにクリスは無言でキッチンけと向かった。風呂上りのケイトからは、石鹸の香りがした。