第二話:覚醒
友達だとか、親だとか。そういう人に何も告げられないまま、俺は二人に道場近くの廃れた公園に連れ出された。
「ちょ…ちょっと待て!」
「何だ?」
ガッシリとしたクリスの腕に、脇を抱えられ俺はもがきながら言った。公園を囲む様に植えられている木々が別れを惜しむようにザワザワ鳴った。
「いくらなんでも早すぎる。もう少しゆっくり事を進めても──…痛ッ!」
言葉を遮るように捻り上げられた腕を庇うように体を捩る。背後の男は、怒りを静めるかのように、わざと静かに言った。
「我々の仕事は、そういう…悠長なモノではない!」
──ダメだ。痛い。とてつもなく、痛い……思わず、奥歯を噛み締めた。
「クリス…!気持ちは分かるけど…少し落ち着いて。さっきから…幾らなんでも相手は素人よ」
心なしか先ほどより女口調になったケイトの説得を聞き、捻り上げられた腕が元に戻った。肺に溜めていた息を吐き出す。
「はぁ…」
何でこんな目に…意味が分からない。
「…なぁケイト。公園なんかに来て、どうするつもりだよ?」
「すぐに分かる」
だからもう黙れとばかりにその切れ長の紅い目で俺を睨んだケイトは、無言のまま空を見上げた。ちっとも動かない腕に半ば諦めかけていた俺は、その様子を眺めるしかなかった。すると彼女は手を空に翳すようにして呟いた。
「『我がヴルブ──赤の両翼を持つ偉大なる竜王よ。今その姿を現せん』
すると次の瞬間、公園の中心──ケイトが立っている場所から、突風が吹き荒れた。何かの超音波のような耳鳴りと、刃のように鋭い突風。目を堅く閉じても防ぎきれないそれに、俺は思わず息が詰まった。
そして…突風が止むと共に、目の前の光景にまた息が止まった。
「…嘘だろ…」
そこには、古来より幻想…架空の生き物とされてきたドラゴンが居た。
紅い…ドラゴンは全身がケイトの瞳と同じ色の鮮やかな赤で、目だけが威圧感を放つ黄色に染まっていた。
少し開いた口からは、蒸気の吹き出る時の『シュー…』という声が規則正しく出ている。
人っ子一人居ない廃れた小さな公園一杯に広がるドラゴンの両翼。ケイトはドラゴンの鼻を愛しむ様に撫でると、コチラを向いた。
「クリス。大和を連れて早く乗って。一般人が来たら面倒な事になる」
「ああ。…早く来い。無駄な抵抗はするな──」
グイグイと肩を押され、ドラゴンに近づく。するとドラゴンはその黄色い目をクルリと回転させ、俺を見据えた。
「大丈夫だよマイン、この人は貴方の敵じゃない──」
諭す様にドラゴンの羽を一撫でしたケイトは、俺を睨むと棘棘しく肩を押した。
「ちょっと待て…まさかこの──」
「マイン?」
「そう、マインに乗ってその『本部』とやらに行くのか?」
「当たり前でしょさぁ早く。無駄口を叩くとその分時間をロスする」
最後に竜の胴体に足を下ろして、俺はケイトとクリス両方に挟まれる形になった。
「い、一般人にばれないのか?」
「…空に飛び出せばマインは姿を消せる。さぁ、早く……っと。忘れるとこだった」
そう言うとケイトは懐からハンカチのようなものを取り出した。
「本部の場所はトップシークレットなんだ。少しの間、目隠しさせてね」
ニッコリと微笑んだその笑顔が、心なしか怖かった。
高い場所から落下するような独自の浮遊感がして、次に突風が吹き荒れた。背後のクリスに抱えられるようになり、屈辱を覚えるが耐えた。靴の底に質量を感じるから、少なくともどこかの陸地に着いたらしい。
「着いたよ。降りて!」
「ったく──乱暴すぎだろ…」
文句を言ったためクリスに腕を捻られながら、目隠しを外されると、思わず眩しさに目を瞬かせた。太陽の光が全反射して、一瞬視界が真っ白になった後ようやく目が慣れてきた。
「……ここ、ドコだよ?」
見渡す限り、緑。茶。緑。茶。空を仰げば突き抜けるような青…だった──…
「こっち、着いてきて」
そう言って、早足で歩き始めたケイトを追う。先ほどのマインとかいうドラゴンは、どこかに消えてしまった。茶色の湿った土を踏みしめ、泥がスニーカーに散るのを見ながら、俺はなんとか今の状況を理解しようとした。
「……あのさ」
思ったよりも声が細いのに驚いた。
「何?」
先頭を歩くケイトは、少しだけ振り返った。
「ハンターズって何なんだ?」
「だからまだ教えられないって──」
俺の質問に失望したかのように項垂れると、また彼女は前に向き直ってしまった。
「なんだよ!なら、何で俺は連れてこられたんだよ。意味わかんねぇよ!」
「……」
声を張り上げた自分にまた驚いた。なんだろう──恐怖、じゃない。何か違う…苛立ちが募ってくる。
「脆い、な」
ポツリと空中に漂った声の主を振り返ると、クリスが苦虫を噛み潰したような表情で俺を睨んでいた。周りの木々を通り抜ける風は、ヒンヤリとしていた。
「故郷を離れてからたかが30分たらずでホームシックか?そんな軟弱な神経でこれからの戦場を切り抜けれるとでも──」
…ホームシック?
いや、意味わかんねぇだろ──ふと、脳の回線が大渋滞を起こしかけた瞬間、木々の間から獣が現れた。
そう、獣だった。黒い狼がそのまま巨大化したかのような、獣。視界がショートしたかのように、俺は混乱状態に陥った。
「──っ!!」
獣は、真っ直ぐに俺に向かってきた。まるでケイトやクリスなど視界に居ないかのように、一心に俺に向かってきた。後ず去ろうとしても、余りに急な出来事に足が縺れて泥の上に倒れた。
「うわ…っ」
死ぬ事を覚悟する暇もなく…ガツン!と音がして、獣は俺の体の上にのしかかっていた。
突き出た鼻が、俺の鼻が接触するほどの距離で迫ってくる。
「───」
『…よう、小僧。お前の実力はこんなもんか?』
目を瞑ったとき、どこかから頭の中に声が流れ込んできた。楽しげな、それはまるで友達とじゃれあう子供のように無邪気な声だった。
するとその声を聞いた瞬間、俺はカッと全身の血流が早くなるのを感じた。
「うああ!」
気がつくと、獣を跳ね飛ばしていた。いや、跳ね飛ばしたのは俺ではない。かといってクリスやケイトではない。ならば、誰が…
『親愛なる我が主人よ。命をお下しください』
目の前に、光の粒子を帯びたライオンが居た。