第十五話:剥き出しの思い
二階への階段を駆け下りて、長い廊下へと躍り出る。
「──ッ!!」
生臭い匂いが、途端に鼻から流れ込んだ。
両脇の壁にもたれかかるようにして大勢の団員が倒れていた。壁に血がべっとりとつき、それこそ、長い廊下は真っ赤に染まっていた。先程の比ではないほどに、そこは地獄絵図と化していた。医務室へ向かって走っていく団員達について行こうとすると、隣のサリンが俺の制服の袖を掴んだ。軽めだったが、それは確りとした意思を持っている。
「何だよ!?急がないと……!!」
すると次の瞬間、医務室のドアが吹き飛んだ。同時に医務室から逃げるようにして出てきた何匹もの狼が青い何かに跳ね飛ばされ、壁に打ち付けられ絶命した。
「……!!」
ただならないオーラに、立ちすくみ、目の前の光景を凝視した。青い何かとはクリスだった。冷徹な、氷よりも冷たく、闇よりも暗い、この世のものではない程の残酷なオーラを発しながら、クリスは倒れたMAを見下ろしていた。それはまるで──人間よりも、MAに近い、まるで共食いをしているかのような、そんな雰囲気だった。
「……ク、クリス」
よろよろと、近づきながら、クリスの意識を確かめる。いきなりクリスは刀を持ち上げて、俺に標的を定めた。
「ま、まてよ、オイ!俺だって──」
「……ケイトを傷つけるものは、全て排除する」
熱の篭っていない、絶対零度のような声で呟いた後、クリスは恐るべき速さで俺の懐へ入り込んだ。
「…っうわ!」
「──死ね」
途端、爆発するようなエネルギーが吹き上がり、廊下全体に津波のように広がった。青い瞳がうねりを持って、俺の命をしとめようと迫ってくる。まさか仲間に殺されるとは思っていなかったから、反応の遅い体に苛立ちを覚えながらも、ここまで生き残ったのだ、今殺されたら洒落にもならねぇと、渾身の力で剣を練りこみ寸でのところで青い刀を受け止める。
「──や、やめ」
壁に背中をつけ、目尻に涙を溜めて怯えるサリンを横目で見て、次に殺人鬼と化したクリスを見据える。不思議なことだが、俺は至って冷静で、体は十分に動いた。いや、動いたのではなく、動かした。
精神が肉体を超越したらしい、殺されて溜まるか。
「聞けよクリス!」
目の前の、さながら青い炎の様な男に怒鳴りつける。この血なまぐさい場所にいたら、誰でも気が触れてしまうのかも知れない。そう思って、少し気が楽になった。しかし、俺の言葉に反論するかのように圧倒的に強められた力に押され、分散するために一旦刀身を揺さぶり強引に間合いを取る。高い超音波のような音と共に火花が散って、長い廊下に相反するように俺とクリスは佇んだ。
「俺はケイトを傷つけなんかない!」
苛苛として、声を荒げる。どいつもこいつも、一体何なんだ。勘違いも甚だしい。心の中で落ち着いていた波が、またざわめき立つ。どんどん、どんどん、あらぶる気持ちを静めるためにに、同じ事を呪文のように繰り返す。
「俺はケイトを傷つけてなんか、ない」
するとクリスは俺の言葉を遮るかのように太刀を壁に突き刺した。鈍い破壊音と共に、クリスは怒りを押し殺した口調で呟いた。
「…知っているか?」
腰が抜けたのか、床でへたり込むサリンを見て、クリスの威圧感はさらに増した。
「世の中には、女を不幸にさせる男が存在する」
「──は?」
なんのことかと、苛立つと、クリスは壁につきささっていた剣の柄に指をやり、握った。
「ものの例えだ。…俺には分かるのだが、お前はそれに該当する」
「そんな事…!」
「黙れ!」
本当に、そのときのクリスを一言で表せば凶器。狂気。武器がそのままの攻撃性で向かってくるような、そんな感じだった。
「自覚がないのか、ケイトを好きになるならケイトを守れるほどの強さを持ってからにしろ!」
まただ。どうしてこう、隊長もクリスも勘違いしてる?
「だから、俺はケイトのことなんざ──」
続きは、いえなかった。医務室のドアから、ケイトが出てきたのだ。目を伏せているから、表情はよく分からないし、クリスがすぐさま駆け寄ったから安心した。その代わりに床で震えているサリンに肩を貸して立ち上がらせる。
「……ねぇ」
「どうした…?」
足取りが確かでない女の腰に手をやり、なんとか自分の疲れきった体で支える。サリンは顔面蒼白だった。そんなに、怖かったのか。医務室へクリスとケイトが完璧に入ったのを見て、蚊のなくような小さな声でサリンは俺に耳打ちした。
「クリストフ・フランズには、関わらない方がいいわ……きっと。その」
「何だよ?」
「それは…言えないけど…」
何かよく分からないサリンに呆れて、医務室には行かないほうがいいと思い、そのまま寮へ向かった。途中で何人もの怪我をして動けない団員を見つけて、救護班もやられたのかと、舌打ちした。MAの気配はもうない。どれだけの団員が負傷したのだろうか。
とりあえず動ける団員を何人か集めて、負傷者を一箇所に集めた。そうして、誰かが医務室から持ってきた包帯やら薬を負傷者の傷口塗りたくる。自分自身、疲れているはずなのに、仮にかなり眠たかったのだが、そのまま働き続けた。
時期放送がかかり、MAは全滅したこと、死者は100人程(これはハンターズ団員が1万人なのを考えて100分の一がやられたことになる)、明日これからの任務について緊急で集会をかける事などを告げた。
ようやく落ち着いてきたサリンや負傷者の数を見て、自分も壁にもたれかかる。
「……はぁ」
目を閉じて、微かな血の残り香を感じて、吐き気がした。
そうして、何か大切なものを忘れている気がした。
…シュラ・マーチス。あの子供も、医務室にいるはずなのだが。一瞬、不吉な考えが頭をよぎったが、ケイトとクリスと一緒にいたのだから大丈夫だろうと思い直す。
「……」
いや、やはり心配だ。重たい鉛のような体を引きずって、急いで二階へ向かう。医務室のドアは誰かさんが吹き飛ばしたから、中の様子は丸見えだった。
「……何をしにきた」
白いシーツにくるまれて、まるでどこかの姫様のように眠りこけるケイトの細い指に、自らの指を絡ませて、クリスは怪訝そうにこちらを見た。
先程のような、混乱状態にはならないらしい。そうして、違うベットにシュラが寝ているのを見た。安心して、駆け寄る。
「シュラ。おい。大丈夫かよ?」
俺に背を向けるような格好で寝ているシュラの背中に手をやる。
「──」
思わず、手をびくつかせる。一歩下がって、寝ている小さな体を見下ろす。
「な、なんでこんなに…」
救いを求めるように、クリスを見ると。青い瞳からは透明な雫が溢れていた。雫は流れとなり、白い頬を伝う。
その光景に頭を打ちぬかれたように衝撃を受ける。あの、無愛想で仏頂面で、ましてや先程俺を襲ってきたクリスが、泣いてる。
「……」
喉を鳴らして、シュラの柔らかそうな指を握る。
──背中同様、氷のようだった。
「…シュラ…?」
どういうことだろう、これは。冷たすぎる。子供の体温なんて、俺達よりずっと高いはずだ。どうして、こんなに。
知らず、知らず、目の前の事実を脳みそが判断し始める。嫌だ、嫌だ──。今ほど、思考が止まればいいと思ったことはない。
「シュラ!おい、シュラ!」
揺さぶって、視界が一気に曇る。
「くそ、何で」
邪魔なんだよとばかりに、目の水を拭い、シュラの顔をこちらに向かせる。その顔は、青白くて、一切の生気を吸い取られたかのようだった。何とかしようと、小さな胸に手を重ね、心臓マッサージを試みる。何度も、何度も、人工呼吸だってした。それが俺に出来る、唯一の手段だったから。
「無駄だ」
背後から聞こえた声に、思わず心臓が止まるかと思った。クリスの声は、まるでこの世の全てに失望したかのような響きだった。シュラの呼吸も、体温も、戻ることはなかった。
「…どういうことなんだよ」
「……」
ダメだ、落ち着け。そう念じても、先程中途半端にあらぶったままの感情が一気にざわめいて、弾けた。
勢いよくクリスの首根っこを掴み、なるべく力を入れないようにして引きずり上げる。
「説明しろよ!何でシュラが死んでるんだよ!」
自分で放った言葉に、また悲しくなって、しかし自律しようと、歯を食いしばる。しかし、無理だった。ここでクリスにあたるのは、明らかに見当違いなのだ、どうしてそれが分からない。
誰か俺を止めてくれ──。しかしクリスの青い瞳は俺を止めようとはしなかった。そのまま、絶望を受け入れたかのように伏せられていた。その代わりに、誰かの力ない手が俺の腕に触れた。
「……ヤマト、落ち着いて」
「──ケイト」
力ない微笑に。諭されたような、清められたような、まるで何かに抱きとめられたような、そんな大きさを感じて、瞬時に指の握力は消えうせた。そのまま、体中の力がなくなり、膝から落ちる。俺に支えられるように立っていたクリスも同時に落ち、ケイトだけがベットに座っている。
「私が、説明するから」
少し、周りが見えるようになるがそれでも目の奥が焼ききれそうに軋んだ。
「シュラはMAにやられた」
"M・A"。その言葉は特別な旋律を持ち、俺の記憶に刻み込まれた。頭の中のヴルブ・レオンがMAを噛み付いて、引き裂いた。
「MAに襲われた私を助けようとして、」
「──!」
この、言葉。一気に、高層ビルから飛び降りるような急降下感と共に、思い出す。ケイトは、また一つ傷ついた。そうして、思わず立ち上がった。
「ケイト」
このままでは、目の前の少女はおかしくなってしまう。本能的にそう感じた。自分のせいで人が死んだということは、自分が殺したようなものなのだ。経験したことがないから心底は分からないが、そのときはそう思った。
「私のせいなんだ、だから、だからシュラは」
錯乱状態に陥ったケイトに殴られても、どんどん、近づいた。華奢な肩を引き寄せて、壊れるほどに抱きしめる。暴れるのをそのまま押さえ込んで、ずっと抱きしめた。
「──や」
「ケイト、大丈夫だ」
それはまるで自分に言い聞かせるように。この腕の中の温もりが消えないように、クリスの目など気にしないで、そのままに。剥き出しになった自分の思いに驚いて、苦笑した。
俺はもう、駄目かもしれない。ケイト。ケイト、その言葉以外に、甘い響きを感じない。首筋から香る甘い匂いが鼻腔をくすぐって、思わず白い首筋に唇を落とした。
「──っ!」
ケイトが息を呑むのが分かった。かまわず、そのまま唇を滑らす。一旦彼女の顔を見ると、いくつもの涙の雫が頬を伝っていた。掴まれた手首を離せとばかりに揺さぶっても、所詮は男の女の力差。ケイトの細い手首を、俺は片手で束ねると困惑しきった目下のケイトを見つめた。
「…ケイト…」
俺は気づいた。いいや──本当は、ずっと前から気づいていたはずだ。自分が、目の前の少女のことを好いていることなど。ケイトに他のヤツが関わるたびに不快感を覚えていた。物事に執着しないはずのこの俺が。ロイス隊長に忠告されたとき、認めたくなかった。柄にもなく声を荒げた。そうしないと、本当の気持ちがあふれ出てしまいそうだったから。