第十話:悲しみの共鳴
「ぐッ!!」
角に貫かれた腹を押さえ、親父はその場に倒れこんだ。血が、先程まで体内を流れていた、真っ赤な鮮血が、真っ白な空間を汚す。
俺はただその光景を、傍観していた。指も、足も、口さえも。何一つ、動かないのだ。
苦しむ親父を見下ろしながら、MAは端整な顔立ちを愉快そうにゆがめた。
『この人間はあまり美味しくなさそうだ…』
ニヤリと口角を上げると、白い牙が見えた。
「くそっ!!」
ケイトの声がしたかと思えば、銀色の刀が空を切りMAは一瞬にして距離を保った。彼女の片腕はむき出しになっている。制服が破られたらしい。血も微かに垂れていた。
「──遅かったか!」
目の前の光景と、彼女の言葉を照らし合わせて、最悪の事態が脳裏に浮かんだけれども、頭を振る。そんなことは、ありえない。肩で息をしながら、ケイトは何かを気遣うように言った。
「……ヤマト、この男は、お前の父親なのか?」
「ああ」
抑揚のない平らな声しか出ない。どうしてだろう、何でこんなに目の奥が痛いんだ。何かが、堰を切るように溢れ始める。どうしてケイトはこんなに苦々しい表情をしているのだろう。何が助からないのだろう。
スニーカーに、赤いモノが流れ着いた。倒れた親父から流れた液体のようだ。
赤い、血。
──血を指で掬って、次の瞬間には爆発していた。
頭の中の存在に、話しかける。今まではこんなこと出来なかったけれども、今ははっきりとその存在を感じるのだ。俺の感情に連動しているのは間違いない。
『主』
「早く出て来い…!あいつを殺す!!!」
粒子を撒き散らしながら現れたライオンを睨み、手のひらに何かを感じた。視線を落とすと、そこには大剣があった。手と一体化しているような感覚の鞘を握り、銀色に光る刀身に自らの目を移す。血走り、深い闇をたたえている。
どうしてだろう、先程まであんなに憎かった親父なのに。自らの手で息の根を止めてやるとさえ思っていたのに。MAがやってくれて、嬉しいはずなのに。
どうして。こんなに胸が痛むのだろう。
「ヤマト──冷静になれ!」
「やだ」
「冷静にならなければ、BクラスのMAは倒せない!」
「ごちゃごちゃうるせぇ!!」
ブンと、剣を振るうと、横に居たケイトが怒声を上げた。
「馬鹿が!」
ズドンと、重い拳を腹に食らった。思わず足が止まり、腹を押さえる。その場にかがみこみ、歯を食いしばる。影が落ちた白い地面を睨み、苦し紛れに言葉を紡ぐ。
「…っ、どうして、殺さないと、あいつは俺の親を…!」
ふと、その地面に何かが染みた。
小さな、染み。
それはポタポタと落ちて、さらに黒い染みになった。
ハッと気づき、見上げる。
──ケイトは、泣いていた。
雫が頬を伝い、無表情なのに、泣いていた。
眉を苦しそうに寄せ、肩は小刻みに震えている。
「…馬鹿だな、ヤマト」
「……」
「今のお前は…まるで、昔の私じゃないか」
「──」
どういうことだ、と尋ねる前に。ケイトは手の甲で涙を拭うと、俺に手を差しだした。
「冷静になれ」
手を掴み、立ち上がる。真っ赤に燃え盛っていた激情が、透き通るような青い炎へ変わっていく。
「冷静にならないと、自分を見失う」
「……ケイト」
少し腫れた目で、そう呟いた彼女の背後に、またあの目が角が見えた。
「あぶな…!」
しかし角はケイトを貫かなかった。彼女は俺を突き飛ばし剣でその角をなぎ払った。
「ヤマト、戦いたいなら戦えば良い!お前はハンターズだ!」
「…!!ああ」
答えると、ケイトはMAに剣を振るった。MAは素早くソレを避け、高く飛び上がって距離を保った。
「私はお前と戦う!」
そういった瞬間、彼女の体を光が包み、同時に俺の体も粒子が覆った。手の平に剣を握っていた剣が少し変わったのに気がついた。それは先程までの、普通の刀ではなく。
柄と刃を繋ぐ部分にライオンの紋章が浮かんでいた。それは勇ましく口を開け牙をむき出し唸っていた。
「…!!」
レオンと、英語で書かれている。あのライオンの、名前か──?
遠くでMAとケイトが同時並行に走り抜けるのを見て、柄を堅く握る。何かが俺を守っている。そんな気がしてならなかった。
「やっと見つけた…!」
背後で、シュラの声がしたが、立ち止まらなかった。
──もう怖いだとか、そんなものは吹き飛んだ。
今はただ、復讐を誓った。
『ゾロゾロと…食い物が増えたな!』
牙をむき出して笑い、MAはケイトの棘のような斬撃を受け止めた。ギチギチと、エネルギーとエネルギーがぶつかり合う音が聞こえる。昨日ケイトがいとも簡単に殺した獣のことを思い出し、あの攻撃を受け止めるのだから相当強いMAなんだと感覚で分かった。
「く、──っ!」
歯を食いしばり、ケイトは押され気味だった。踏ん張る足と、白い床がこすれ、摩擦が発生する。ケイトは女だ、力勝負では明らかに分が悪い。加勢とばかりに俺はMAの懐に飛んだ。刀を引き、槍のように突き出す。すると貫いたハズの心臓はなく、瞬きをする日まもなくMAの尖った角が一瞬見えた。感覚の問題だ、そう思い、死ぬ気で刀を掲げると、寸分の差でなんとか角を凌いだ。両手で支えるが、凄まじい力に腕が軋んだ。本気で、折れる。奥歯を噛み締めすぎ、歯が欠けると思うとMAは距離を取るように後方へ移動した。
ケイトが横から剣を入れたようだ。剣で切れたのか血が滴る手の平を見て、汗が吹き出るを感じた。ここまで緊張し、死を感じたのは今が初めてだった。肝が冷えるどころではない。すでに冷え切っているが、しかし不思議と怖くないのだ。どうしてだろう、少し遠い位置で笑う半獣が、愛しいほど憎いのだ。MAは自らの爪を尖らせると、ケイトを舐め回すように見た。
『…あまり居ないほど美しい人間だな…食べたら、どんな味がするのだろう?』
そしてグッと、MAが踏み込んだ瞬間、ケイトの刀は弾かれた。鈍い音と共に、ケイトは片手でバック天転をしながら一気に距離を広げるが、MAの方が一秒も二秒も早く、その爪がケイトを捉えた。と、見るよりも早く、俺の足は駆けていた。
『!?』
気がつくとMAの懐に居た俺は、見事に剣でヤツの胸部を貫いた。青い液体が、銀の刀身を伝い滴り落ちる。時間が止まったように、暫し俺とMAはにらみ合ったが、次の時にはMAは力泣くその場に倒れこんだ。
青い液体が流れ出し、見る見る間に足元は青い水溜りと化した。
戦いが終わったことを認識し、朦朧とし始めた意識に、しっかりしろと渇を入れ、急いで親父のそばへ駆け寄る。ケイトは自らも負傷した腕を押さえながら、そっと親父の首に指をやり、すぐにこちらを見た。
「まだ、脈がある!」
「え…」
足音がして、後ろに振り向くとクリスが居た。黒い制服が、白の背景の中でやけに目立つ。
「MA処理完了。直ちに──」
じっとりと、青い瞳は俺と視線を交わし、諦めたようにラジオに呟いた。
「最寄の病院へ、空間移動を頼む」