act.6 神宿塔
次の日。
日が高くなりつつある時間にラファは起きた。すこし朝寝坊したせいか、今度はラファよりもマユキの方が先に起きたらしい。割り当てられた部屋を訪ねてみても、マユキは既にいなかった。
一体どこへ行ったのだろう。
マユキの部屋の前で首をひねっていると、廊下の奥から呼びかけられてラファは飛び上がった。
「あれ、ラファ様?」
見るとエルミ(二人の見分けがまだついていないが、エルディの場合驚いた顔など見せないから、きっと彼はエルミだ)が、分厚い書類の束を抱えてこちらへと駆け寄ってきた。
「エルミ……だよな?」
「はい、おはようございますラファ様。マユキ様でしたらトレイズさんの執務室にいらっしゃいますよ。よろしかったらご案内いたしましょうか?」
「いいのか?」
「僕もトレイズさんに書類を提出するところだったんです」
にこりとエルミは笑って、書類の束を少し持ち上げてみせる。ちょっぴりお茶目に舌を出す姿に好感が持てた。昨日はあまり話す機会もなかったが、朗らかな少年らしい。それならば、とエルミの言葉に甘えてついていくことにして、彼の隣に並ぶ。皆もう起きだしているのか、宿舎の廊下はひどく静かなもので、ラファとエルミの足音が大理石の床にやけに冷たく響いた。
エルミは話し上手だった。
うまく巫子だのファナティライストだのという重い話題を避けて、ラファのルイシルヴァでの生活や、レクセのことについてさらりと話を投げてくる。少しでもラファが答えにくそうに口ごもると、それとなく話題を変える手際も完璧だった。昨日、彼が女性に呼ばれていたという話を聞いた気がするが、なるほどこの顔でこの性格ならば、もてるのも無理はない。
少し話題が途切れたところで、エルミが一拍置いた。さりげなく問いかけてくる。
「そういえば…不躾な質問ですみません。ラファ様は、ご両親はご健在ですか?」
「ん?ああ。俺は寮暮らしだからここ一年会ってないけど、多分元気でやってるよ」
「へえ。じゃあ、お祖父様や、お祖母様は?一緒にお暮らしなんですか?レクセじゃあ、そういう家も多いですよね」
「いや、うちは親と三人暮らし。いや、今は二人暮しか。確か、母方はもう両方とも亡くなってるらしいな。父方の方はばーちゃんだけ生きてて、父方のじーさんは…えーと、なんか、誰だか分からないらしい」
「分からない?」
ああ、とラファは頷いた。エルミの顔が神妙になったので、妙な話題に持っていってしまったと、ラファは内心で舌打ちした。
「どうもうちの父さん、ばーちゃんと行きずりの男との間に出来た子供なんだってよ。話によると俺と同じ青い目らしいけど…」
「へえ。青い目。それは…それは、さぞかし綺麗な瑠璃色の瞳なのでしょうね」
そこまでエルミが言ったところで、あれ?と首をかしげた。彼の意味深な物言いがやけに気にかかった。ふと隣の空気が変わって、ラファは振り返る。エルミが数歩うしろに立ち止まって、薄く微笑んだまま、ラファをじっと見ていた。
その瞳を見返して、ラファは瞬いた。エルミの瞳の色が、自分の持つものと、まったく同じに見えたから。
「エルミとか、エルディの目も、瑠璃色だよな」
「そうですね」
「あはは、もしかして遠い親戚だったりして」
「そうかもしれませんね」
「……?」
エルミの口調があまりに淡々としているので、とうとうラファは眉をひそめた。彼の瞳がきらきらと光っている。廊下の灯りの具合だろうか。少し不気味に感じた。
「どうか、したのか?」
「いえ、やっぱりだと、思って」
興奮さえした口調だった。いよいよおかしい。
「…何が、やっぱり?」
「………エルディ君には内緒ですよ?」
そしてエルミは歩き出した。ラファの隣に立って、コートのポケットをごそごそと探り出す。
「どこかで見た目だと思ったから。僕、あなたのお祖父様を知っているかもしれません」
「えっ!?」
「…その男は、強い魔力を持っていて…僕が最後に彼と会ったのは、確か二、三年前。僕がここに来て間もない頃です」
「どういう…!?」
エルミはそして、コートのポケットからシンプルな腕時計を取り出した。
彼はラファの手を取り、その左手首に、鎖が二重になっているベルトを通して留めた。
見ると、その時計の盤面には数字がなく、何本も針がついていた。
「…?これは…」
「彼から預かったんです。
『もうじきラトメに、自分と同じ瑠璃の瞳を持った少年が来る。彼は自分の孫だ。どうか道を指し示してやってくれ。この時計は彼に渡してくれ、きっと役に立つはずだから』って」
「……俺に…?」
「この時計の使い方を、僕は知らない。けれど、これをいつか必ず、あなたは必要とする。彼はそう言っていました」
沈黙が、流れた。その時のエルミの視線は、とても鋭くて…エルディにそっくりだと、ラファは思った。
しかし次の瞬間、また彼はにっこりと笑って、ぱたぱたと数歩先へと駆けた。
「まあ、今言えることはそれくらいなんです。同じ瑠璃の目だからって、ラファ様がそうだとは限らないんですけど…でも、彼と貴方はとてもよく似てる。どうぞその時計を、役立てて下さい」
「え、でも、もし…その人がおれの祖父さんじゃなかったらどうするんだ?」
「そのときは、そのときです。でも、僕、けっこう勘が鋭いんですよ?」
そういう問題だろうか、にわかには信じられない話だ。
立ち止まっているラファに、エルミは苦笑した。
「…いきなり変な話して、ごめんなさい。はやく執務室に行きましょ?」
「なあ、エルミ。……その男の、名前は?」
エルミはくるりと振り返って、澄んだ声で言った。
「レーチス」
◆
「お、遅かったなラファ。寝坊か?」
「違う!」
「おはようラファ」
マユキは、トレイズと朝食を食べていた。
朝食はいつも抜いているラファはその食事風景だけで満腹になりつつも、マユキが座っているソファに自分も腰掛けた。それを見計らったトレイズが言う。
「さて、と。今マユキと話してたんだが、今日はフェル様に会いに行くぞ」
「現"神の子"、フェルマータ・M・ラトメ様は、ラトメディア三尖塔がひとつ、"神宿塔"にいらっしゃいます」
トレイズの脇に立っていたエルディが、執務室の窓から見える三本の塔のうち、真ん中にあるものを指した。エルミが続けて説明する。
「両脇の塔は、それぞれ"舞宿塔"と"貴宿塔"です。舞宿塔は舞い手達の、貴宿塔は貴族達の、そして神宿塔は神官達の住んでいるところです。フェルマータ様は神宿塔の最上階にある神殿…かつて、世界統一戦争の時代、ロゼリー帝国が滅亡した際に、世界創設者が本拠にしていたソリティエ神殿にいらっしゃいます」
「…へえ、そういや随分前にメアル先生がそんなこと言ってたような…」
ラファとマユキが感心して塔を見ていると、トレイズは食後のコーヒーに口をつけながら言った。
「お前ら、この世界の古代史についてちゃんと思い出しておけよ。赤の巫子の説明はその辺りの歴史が重要になってくるからな」
古代史か。
ラファはなんだかわくわくしてきた。
◆
神宿塔は、神護隊本部からそう遠くない場所にあった。木で出来た門の前に、レインが槍を携えて立っている。
「おはようございますトレイズさん。通行証はお持ちですか?」
「ああ」
トレイズは懐から、赤地に羽のモチーフがついたカードを取り出して、レインに見せた。ラトメに入る時に兵士に見せたのと同じものだ。
「はい、どうぞお通りください」
レインはにっこり笑うと脇に下がった。門を通りながら、ラファはトレイズにこっそり問うた。
「昨日となんか…性格が違わなかったか?」
「仕事中は真面目なんだよ」
トレイズは苦笑した。
門を潜り抜けて塔の中に入ると、その光景にラファとマユキは思わず感嘆の溜息を漏らした。
そこはとても静かだった。
息をするのも緊張してしまいそうな壮厳な雰囲気、大理石の傷ひとつない床には、一本の真っ赤な絨毯がまっすぐに敷かれており、その両脇には等間隔で白い、細かい彫刻が左右対称に所狭しと、かつ上品に彫られた柱が立ち並び、奥には礼拝堂と思われるスペースにベンチがいくつか並び、一番奥に漆塗りの机が置かれ、両脇に一対の蝋燭がゆらゆらと炎を揺らしていた。机の背後の壁には、淡い金色の大きな十字架が架かっている。裏に大きなステンドグラスがはめ込まれているようだが、十字架が邪魔でよく見えなかった。
天井には大きなシャンデリア。これもまた淡い金色のそれは、自らが発する光をきらきらと反射して、幻想的な灯りを塔内に落としていた。広いホールの端に、上階へと続く螺旋階段が大きく構えている。
「すごいだろ?」
感動するラファとマユキに、嬉しそうにトレイズが言った。
「俺も初めて来た時はびっくりしたな。…でも、今日はやたら静かだけど」
「いつもは、違うの?」
トレイズは首を横に振った。
「礼拝日はいっつもこんな感じだけど…今日はそうじゃないし。もしかして誰か貴族のお偉いさんでも来てるのかもな」
そしてトレイズは円形のホールの中心へと向かった。彼についていくと、十人くらいが入れそうな大きめの円形の段差があり、トレイズはその中心に立ってラファ達を手招きした。三人が立つと、段差に彫られた魔法陣のような紋様が、淡い光を発した。続いて、やわらかい女性の声が、ラファ達の頭に直接響く。
『何階へ?』
「最上階、ソリティエ神殿へ!」
トレイズが声に出して言うと、妙な浮遊感を感じて…
一瞬後、ラファ達は全く別の空間に立っていた。
円形のホールとその雰囲気から、そこが神宿塔の中であることは分かったが、そこには礼拝堂はなく、端の階段は下へ続くものだけ。
ルイシルヴァ学園にもある、自動階段式の転移装置だ。
見ると、奥に一本のハシゴが下がっていた。最上階と言いつつ、まだ上の階があるらしい。
そしてその前に青みがかった銀髪を結った、エメラルドグリーンの瞳の綺麗な女性が、右手に身の丈より長い槍を握ってこちらを見ていた。
女性はゆっくりと頭を垂れ、柔らかい声で言った。
「お待ちしておりました、赤の巫子様。私はここの門番をしております、神宿塔護衛隊長、サザメと申します」
そして女性は頭を上げると、ふわりと花のように微笑んだ。ラファは思わず、顔が赤くなるのを感じた。エルディやエルミも端正な顔立ちだったが、彼女は大人の女性の色香を思わせる美女だった。隣のマユキが呆れたような視線を向けてきた。
トレイズが一歩前に出てカードを見せた。
「サザメさん、フェル様に会いに来たんだけど」
「敬語を使いなさいな、トレイズ。フェルマータ様なら今貴宿塔の塔長とお話中よ」
「へえ…どおりで妙に静かだと思った」
そしてトレイズはラファ達を振り返った。
「ラファ、マユキ。彼女はサザメさん。見ての通りのエルフだ。俺がラトメに来たばっかりのとき世話になったんだ」
言われて気がついたが、よく見ると彼女の耳はぴんと長くとがっていた。…エルフの一番の特徴である。
エルフというのは人間を忌み嫌っていて、人里には決してやってこようとせず、森に引っ込んでいるものだと聞いていたが…
「昔、私もフェルも若かった頃、彼女に命を助けられてね。今その恩を返してるの。来た当初は人間なんて大嫌いだったんだけど、トレイズの世話をしているうちに愛着湧いてきちゃったのよ。おかげですっかり居ついてるわ」
ラファの疑問を見透かしたようにサザメは笑んだ。マユキが隣で嬉しそうに言う。
「エルフ、初めて見た…」
「…出たよ、マユキの非現実好き」
「…ラファだってサザメさんに見とれてたくせに」
お互いに毒づいてにらみ合いを始めそうになったとき、ハシゴから誰かが降りてきた。
本編で多分出てこないと思うのでここでいっこだけ解説。ラファ君の将来の夢は考古学者なので、体力に関してはてんで駄目ですが歴史は得意科目です。




