act.5 ラトメディア神護隊本部
それからまた一日中を歩き通しで過ごし、やはり時々エルディの錠剤に世話になりながらも、ラファ達はどうにかこうにかラトメディア首都、フレイリアへとたどり着いた。
「なんとか日が暮れる前に着いたな」
「2日で着けるとは思いませんでしたよ。今日は野宿だと思ってました」
息切れもしていないトレイズとエルディ。隣のマユキは流石に疲れたらしく口数が少なかった。
「疲れた…」
「これからしばらく筋肉痛だね…」
トレイズたちは門の前で遅れている二人を待っていてくれていた。見張りの兵が少し緊張した面持ちでトレイズを見ている。彼は懐からなにやらカードのようなものを取り出して兵に提示した。
「ラトメディア神護警備部隊隊長トレイズだ。任務を終えて帰還した。通行許可を」
「はっ、お帰りなさいませトレイズ様!」
兵士はすぐに四人を通した。へとへとになりながら、ラファは、こうして見るとトレイズもなかなか貫禄があるものだな、と思った。
門の向こう側には、レンガ造りの建物が立ち並んでいた。灰色の舗装されたレクセの道とは違って、ラトメは全てがレンガでできている。赤茶色のレンガが夕陽にきらきら輝いて、暖かい光を受け止めていた。
神聖都市ラトメディア。
世界統一戦争の時代、ここは一番の激戦区だったという。
レクセと、北のシェイルとの連合軍がこの場所へ押し入り、家々に火を放ち、人々を女子供も見境なく斬り殺した。今は夕陽にきらめくこの場所も、当時は炎に巻かれた恐怖と悲鳴が渦巻く土地だったのだ。
メアルの授業を思い出して、ラファは息を吐いた。
人々が買い物を楽しむ今の光景からは、とても想像もつかない歴史である。
前で、トレイズがこちらを見て、笑った。
「さてと、まず神護隊の本部に行くか!さっさと帰ってみんなを安心させてやらなきゃな」
「神護隊って…なんかお堅そう」
「まったくもってそんなことありません。一人…いや、若干二人ほど、問題児がいますから」
「問題児?」
エルディは溜息をついた。そしてなにやら説明しようと口を開いた。しかし、その言葉は声になることなく、道のむこうから飛び込んできた叫び声にかき消された。
「トレイズさん!」
喜びに満ちたボーイソプラノの声。
見ると前方に、神護隊の制服に身を包んだ金髪の少年が、みかん色のまん丸の瞳を輝かせてこちらを見ていた。
知り合いだろうか。ラファが隣のトレイズを見上げると、唇の端が引きつっていた。会いたくなかった顔のようだ。首をかしげてエルディに視線を移すと、彼も似たり寄ったりな表情である。
「げ、レイン…」
「『げ、』じゃないですよ!」
よく響く声で叫ぶと、トレイズに詰め寄る。
「なんで僕を置いて行っちゃうんですか!僕…僕、寝ないでずうっと待ってたのに…」
「君がいたところでうるさいし足手まといだよ」
「エルディ!君もだよ!いっつもいっつもトレイズさんに付き添ってさ!僕もエルミも、今日帰ってこなかったら、レクセまで迎えに行ってるところだったんだよ!?」
きゃんきゃんと犬のようにわめく少年。
突然の登場にラファとマユキが間抜けに口を開いていると、彼はひとしきり騒いで満足したのか、ようやくラファ達に気付いてにこりと笑いかけてきた。
「あなた方が赤の巫子ですか?」
「い、いや、俺は…」
「そうだよ。ラファにマユキだ」
トレイズがラファの台詞をさえぎって返すと、彼は嬉しそうに目を輝かせた。
「うわあ…初めまして、僕レインっていいます!ラトメディア神護隊神宿塔護衛室所属です!」
「はあ…」
マユキとラファとしっかり握手するレイン。噛みそうな肩書きだな、ラファは内心で思いつつ、こっそりエルディに尋ねた。
「あれが"問題児"の一人?」
「ええ。もう一人と組んだら更に酷いことになりますよ」
あれ以上のマシンガントークが繰り広げられる様がラファには全く想像できず、とにかく恐ろしいことだけは分かってラファは肩を落とすトレイズたちに少しばかり同情した。
「レイン、皆本部に揃ってるか?」
「全員いますよ!…あ、でもエルミはちょっと女の子に呼び出し食らって外出してますけど」
「またか…」
トレイズが大きく溜息をついた。深い嘆息だった。神護隊長はなかなか苦労する職種らしい。
「とにかく行くか。クルドに頼んでラファ達泊めてやらなきゃ」
◆
ラトメ神護隊。正式名称をラトメディア神護警備部隊。
確か五、六年前に設立された、"神の子"直属のラトメ唯一の軍であり、最大の精鋭部隊だ。全員が流民や孤児で、女性は入隊できない。神護隊員である間は結婚もできないと聞いたことがある。神の子と隊長の命令は絶対だ。逆らえば極刑ものだという。
そんな厳しい職業でも、貴族相当、またはそれ以上の暮らしが約束されるものだから、各地の腕っ節に自身のある男達が集まってくるらしい。ラファたちの同級生にも、何人か神護隊へ入隊したいと漏らしていた奴らがいた気がする。
そんなところだとは言え、一応神官職なのだから落ち着いたところなのだと、ラファは勝手にそう思っていた。レインと出会って早々にそのイメージは崩れ始めていたが、それでも本部の広い、そして細かく上品な彫刻がほどこされた白い壮厳な神殿を見上げて、ラファは再び期待を寄せていた。
大きな石造りの門を、レインとエルディがそれぞれ押し開けて、二人は深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、トレイズさん」
「「「「「お帰りなさいませ!!」」」」」
門の奥、ホールに敷かれた鮮やかな赤色の絨毯の両脇に、神護隊の人々と思われる白い詰襟の軍服に麻のコートの青年達が、トレイズたちが足を踏み入れるなり一斉に礼をした。ぴたりと息の合った光景にラファとマユキは息を呑むが、トレイズは全く気にせず、にかりと笑って言った。
「おう、ただいま!」
するとホールの奥から、カツカツとブーツの踵を鳴らして、濃灰色の髪をぴっちりと決めた吊り目の青年がやってきた。…言っちゃ悪いが、トレイズなどよりもずっと隊長のように見える。彼は神経質にトレイズの数歩手前で立ち止まると、斜め四十五度にすらりと一礼した。驚くほど洗練された動きだった。
「お帰りなさいませ、トレイズさん。道中何事もありませんでしたか?」
「ああ、ただいまクルド。しばらく本部を空けてすまなかったな。…で、こいつが例の、ラファとマユキだ。宿取らせるのも悪いしさ、しばらく神護隊で預かってもいいよな?」
朗らかにトレイズが問うと、対するクルドは少し唸って、ちらとマユキの方を見た。
「……しかし…神護隊は女性禁制…」
「クルド、隊長命令は絶対だよ!」
レインに言われ、クルドは言葉を詰まらせる。しばらくして、深々と息を吐いた。
「………今回だけですよ」
「やりぃ!ありがとなクルド!」
トレイズが無邪気にそう言って、ラファ達を早速案内しようと腕を引っ張ってきた。神護隊でのトレイズとクルドの関係が垣間見えた。
一方で、エルディが誰かを探しているようにきょろきょろと辺りを見回している。ラファは首をかしげた。
「……エルディ?」
「いや…」
クルドに何か尋ねようとエルディが口を開いたその時、神殿の門が勢いよく開いた。
「エルディ君が帰ってきたってほんとですか!?」
けたたましい音に一同はびくりとして入り口に視線を走らせる。そこにいた人物に、ラファとマユキはおやと目を見開いた。
叫んだのは、……エルディに瓜二つの少年だった。
肩にかかった滑らかな銀髪も、澄み切った瑠璃色の瞳も、人形のような白い肌も…何もかもがエルディと同じで、しかしその表情はエルディのものよりも温和な印象を醸し出している。エルディ同様女顔だが、ちょっとした行動が粗雑なエルディと比べると、彼は慌てて扉を閉めるその挙動ひとつとっても優雅で、ここが神護隊という場でなければ性別が判断できなかったことだろう。
少年はエルディを見つけるなり、ぱあ、と顔を輝かせた。正直、エルディがこんな顔をしていたらと思っただけで背筋が凍った。エルディが心なしか少し表情を緩めて、その名を紡いだ。
「エルミ」
「お帰りエルディ君!あ、トレイズさんもお帰りなさいませ!ほんとに心配してたんだよ?僕もレインと一緒に出迎えに行く予定だったんだけど、女の子にまた呼び出されちゃってさ…」
「エルミ、客人にごあいさつしろ」
息せき切って語りだすエルミに対してクルドが一喝すると、彼はくるりとラファ達に振り向いた。…何故だかすこし、こちらを……特にラファを…見て、目を丸くしたような気がしたのは、気のせいだろうか。しかし瞬きした後、少年はエルディに向けたのと同じ笑みでラファとマユキに言った。
「初めまして、エルミです。クルドさんの補佐をしてます」
「僕とは双子なんですよ」
双子。どおりで似ているわけだ。
「あ、そうだエルディ君。僕ちょっと提出しなきゃならない書類があったんだった!あとでレクセの話、聞かせてね。…お二人とも、ごゆっくり休んでくださいね」
少年はもうひとつラファ達に笑いかけると、トレイズに一礼して去っていった。突風のような少年である。ラファとマユキは顔を見合わせた。
誰も知らない。
そしてラファ達から見えない場所に行くと、大きな窓からオレンジ色に染まった空を見上げて、彼は酷く哀しげに呟いたのだ。
「レーチス…あなたは、自分の血縁でさえも巻き込むと言うのですか…?」




