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さかさまクロック  作者: 佐倉アヤキ
神都ファナティライスト
58/61

act.55 終焉

 「待って、ラファ!」

マユキが、店から飛び出したラファの腕をひっつかむ。自分よりも彼女のほうが足が速いというのは情けない。ラファは振り向きざま言った。

「行かせてくれ!ルナを止めなきゃ」

「なんで?チルタの"印"が消えるんでしょ?ならいいじゃない」

マユキは、相変わらずラファの行動を理解しかねるようだった。

 確かに、マユキの言い分には一理ある。この馬鹿げた物語から解放される。巫子の役目を、あんなに疎んでいた、手を汚すことを免れる。ああ、なんて素敵な終わりだろう!

 だけど、だけど!

「うまくいえないけど、でも、駄目なんだ!ルナの方法じゃ」


 だけど、今欲しいのは自分とマユキだけの幸せじゃない。旅をはじめる前よりもラファは欲張りになっていた。物語の終わりにあるのは、そう、皆の笑顔でなくてはならない。ハッピーエンドじゃないといけない!


 すると、マユキは何かおかしなものを見る目でラファをじっとりと見据えた。

「ねえ、やっぱりおかしいよ、ラファ。ルナが解決できるんなら、」

「俺はノルッセルだ」

マユキが、どこか愕然とした表情を、こちらに向けた。それは一種の拒絶だった。自分と彼女は違うという、決定的な壁をたたきつけた。そうしてでも自分は行かなければならなかった。

「チルタのためなら、なんでもする」

 レーチスが息子と呼ぶ彼は、もう一族の仲間だ。

 もちろんそれは方便だ。なにより自分が、自分の意思で、彼と生きたいからに他ならない。


 マユキは顔をゆがめた。

「私は、ラトメだよ」

「知ってる」

「でも、私たち、親友だよ」

「勿論だ」

「じゃあなんで!」


 血を吐くように叫ぶマユキにとって、ラファの行動は裏切りに見えるのだろう。あるいは本当にそうなのかもしれない。でもラファはかまわなかった。ラファにとっては、マユキはマユキであり、チルタはチルタだった。それ以上でもそれ以下でもない。どちらの敵でもなく、そして両方の味方だった。


「俺が、ラファ・ノルッセルだからだよ」


 そして、自分はどこまでも自分だった。

レクセディアの一角に生まれ、

現実主義で夢物語を嫌い、

ルイシルヴァ学園の学生となって、

マユキと出会い、

巫子になって一旦は逃げて、

トレイズやギルビス、ラゼにロビ、

そしてフェルマータやシェーロラスディと出会い、ルナやチルタと出会い、

他の多くの人間と出会い、

それらの出会いから得たたくさんの糧から、見つけ出した自分だけの決意。


 ラファ・ノルッセルという人間に素直であること。それは裏切りよりむしろ、これまでの愛しい出会いへの礼のようにすら思えた。それがたとえ、親友であるマユキと違う考えであっても。


 今、マユキ達と会えてよかった。そうでなければきっと、今も自分は迷っていただろうから。


「俺は、自分に正直に生きていくよ。だからマユキ、マユキもそうすればいい。…そうだ、ユールたちに会いに行けよ。あいつらも元気だから」

「ラファ!」

「じゃ、」

ラファは少し迷って、それから片手を上げた。やんわりとマユキの手を振り払った。彼女は泣いていなかった。ただ呆然と、ラファを見ていた。胸がぎしりと痛んだが、不思議と後悔はなかった。



 チルタは、ファナティライスト神殿の庭園で一人、呆然と自身の右手を見下ろしていた。その手は、もう赤くない。少し薄めの肌色がのぞいているだけ。ラファは息を切らせたまま、彼の正面に立った。

「チルタ」

「ラファ、君」

チルタは未だに信じられない、といった表情で、ラファを見た。

「レナが」

「チルタ、」

「レナが、生きてたって思ったときに、なにかが割れる音がして、そしたら、そしたら苦しいのも、痛いのも、全部全部なくなったんだ。印が、消えた?」

「チルタ、聞けよ。あれは」

「あれは、レナじゃないのに」


 声が、詰まった。チルタは泣いていた。

「レナじゃないって、すぐわかったのに。ルナだって、わかったのに。…レナは、もう死んでるって、わかってるのに。僕、言えなかった。ルナだって、ごめんって、言えなかった。僕は、」

「おい、チルタ!」


 チルタの肩を揺さぶると、彼の涙がこぼれて、草の上を跳ねた。

「僕、なにやってたんだろう…ルナはレナの代わりになんてなれるわけないのに、いっつも僕は、ルナとレナを重ねてたのかな」

チルタは両の手を顔にかぶせて、うつむいた。ラファはただ立ち尽くした。

 すると、彼の瞳が、ゆっくりとラファに向いた。虚ろな瞳がラファを射抜いた。もう彼の手に第九の印はないはずなのに、彼は解けることのない呪いに侵されたかのようだった。

「ねえ、ラファおにいちゃん」

ラファおにいちゃん…途方に暮れた調子で、チルタは繰り返した。

「僕は、ルナのことが、すきだったんだね」


 それを聞いて、ラファはやっと分かったのだ。

 彼の笑顔が昔と変わらないだなんて、彼が変わらないだなんて、そんなのは嘘だったのだ。そんなはずはない。短い旅の間でも、こんなに変われる人間なのに、チルタただ一人がいつまでも時を止めているだなんて、そんなことはないのだ。

 私のことを見ると、チルタはちょっと泣きそうな顔をするのだと、ルナは言った。きっと最初から彼は知っていた。レナはもういないのだということ。

「もう、世界を壊したいとか、言わないから…もうなにもいらないから、だから、かえってきて、僕に謝らせて、ルナ」

ラファは絶句したまま立ち尽くした。この少年にかけてやる声もなかった。そのときだ。


 「また泣いてるの、チルタ?」

涼やかな、声。

 振り返ると、黒髪の、レナの姿をしたルナが、ひどく優しげな微笑をたたえて、立っていた。

「ふふ、しょうがないわね。泣き虫、治らないんだから」

「ルナ…」

「何言ってるの、チルタ。私、レナよ。…あら、もしかして、ラファ、さん?」


 ルナのその演技はひどく滑稽に見えた。だが完璧だった。その表情も口調も性格も雰囲気も、間違いなくルナではなかった。


 「ルナ!」

チルタが怒鳴った。

「ルナ、もういいんだ、もうやめてよ」

「チルタ…本当にどうしたの?私はレナだって何度も言ってるのに。お姉様はシェーロラスディ陛下に任を与えられて、行ってしまわれたんでしょう?」

「え!?」


 まさか。何故そんな嘘を。思わずチルタを見ると、彼は唇を引き結んだ。

「シェロ様が、そう言ったんだ。しばらくは帰ってこないって」


 こんな短時間でそこまで手はずを整えるとは。ラファはすぐにピンときた。なるほど、あの食えない世界王。チルタを救うために、ルナの手に乗ったというわけだ。

 ルナは寂しそうに目を細めた。

「残念だわ。久しぶりにお姉様にもお会いしたかったのに」

彼女は、レナじゃないのに。決してレナではないのに。チルタもラファも、痛いほど分かっているのに。彼女を否定する要素が、どこにも見当たらない。


 「ねえラファさん、さっきチルタにも話していたのだけど」

ころころと鈴の鳴るような声で笑うルナ。

「私、とうとう自由に外に出るお許しをいただいたんです!だから、」

チルタが右手を握り締めた。

 彼が望んだのは、こんな形じゃなかったはずだ。レナを生き返らせて、みんなで喜んで、そう、ルナも一緒に、四人でまた笑いあえる日々を望んでいたはずで。なのにその右手の刻印が消えたのは、ひょっとすると、彼の心の奥ではそうではなかったのかもしれない。


 ルナは笑う。レナとして笑う。

「これで一緒に、旅に出られますね」


 人生というのは難しい。誰もが物語みたいなハッピーエンドを願っていたのに、ラファも、チルタも、ルナも、そしえおそらくは、レナも。そのために色々なものを犠牲にしてたどり着いた答え。


 誰も笑えない。誰も幸せになれない。


 ここまで無慈悲なエンディングが用意されていたなんて、かの予知夢の君でさえ、知っていたかどうか怪しいものだった。

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