act.52 幼き子ら
「とにかく、第九の巫子を殺す手が使えなくなった以上、僕らにはチルタに世界の破滅を止めさせることしかできない。それで、一番彼を説得できるのは、彼の味方に立っている人間だけだ。とはいえ、ルナのことはよく知らないし、シェーロラスディはどこか底が知れない。…となると、彼を止められるのは君だけだ、ラファ」
そんなことを言われても、どうしたらいいのかなどわからない。チルタの願いは身にしみて分かっている。あの日、あの時、四人で交わした約束。
――行こうよ!いつかレナが元気になったら、ルナと、僕と、ラファおにいちゃんと四人で!世界中旅して回って、誰も見たことないような場所にも行こう!
無邪気な願い。叶うはずのない願い。
「やった!絶対ですよ」
笑って言った、レナ。
止められるものか。
――チルタは、ほら、あの通り内気でおどおどしてるから、友達の瞳もいなかったんだ。
その彼が親しんで、好きだった幼馴染。彼が尊敬し、敬愛していた父親。屋敷の使用人たちも。彼の幼少時代の大事なものが、ぶっ壊されて。
止められるものか。
彼の大切なものは、ラファが過去に行きさえしなければ、起こらなかった損失だというのに。どの面下げて、彼を止められるというのか。
――この世界を生かすも殺すも貴方次第。ラファ…私の、私達の運命を貴方に託します
エルミリカの言ったことばが蘇る。彼女には、こうなることが分かっていたというのか。いつの間にか、指輪の消えた右手を見る。手を握り締めて、ラファは前方を見た。
白い廊下。果てしなく続いていくように見える。
「ひとまずは、人の意見を聞こう」
広いファナティライストのどこに彼がいるのかは判らないが、彼はなんとなく、すぐ近くでラファを待っている気がして。確証はない。 …こういうのも、自らの身に流れる"血"によるものなのだろうか。
レーチス・ノルッセル。彼の人の居所を探すため、ラファは神殿の外へと駆け出した。…その時。
「お前、そこの怪しい奴!そこで何をしている!?」
黒いフードを目深に被った、巫子狩りの女。彼女は前方から魔弾銃を構え、こちらを警戒していた。
「お、俺は…!」
「ここをシェーロラスディ世界王陛下のおわすファナティライスト神殿と知っての狼藉か?覚悟……ん?」
「俺は怪しい奴じゃなくて、その、…え?」
巫子狩りのフードから覗いた黒曜と、慌てた様子で見開かれた瑠璃がかち合う。見覚えのある色彩。名を紡いだのは、ほぼ同時だった。
「ルナ?」
「ラファ?」
◆
ルナは随分美しくなったと思う。昔は短かった髪は大分伸びてポニーテールにしていたし、顔立ちも体つきも、女性特有の柔らかいラインを帯びていた。以前の男の子らしい勝気な面影はどこにもない。彼女の髪と目が黒くなければ、きっと誰だかすぐには分からなかっただろう。
フードを取り払ったルナは、魔弾銃を下ろしてひとつ溜息をついた。
「そういえば、あなたが来ていたんだったわね。見慣れない顔だったから、不法侵入かと思ったわ」
「ご、ごめん…」
「こちらこそ、銃なんて構えてごめんなさい。それより、1人?チルタ様は?」
「いや、1人だ」
視線を逸らすラファに、ルナは眉を寄せた。
「…なによ」
「いや、その…外に出ようと思って」
「何考えてるの!?」
ルナが金切り声を上げるものだから、思わずラファはたじろいだ。だが、訳がわからないラファに、ルナは溜息をついた。
「ファナティライストがどんなところかくらい、ラファも知ってたと思ってた私が馬鹿だったわ。…あのね、この神殿の外は危険なの。貴族の居住地は見慣れない貴方を平気で連行しようとするでしょうし、スラムでは身包み剥がされちゃうわ。初めての人は、よっぽど世渡り上手じゃないと切り抜けられないわ。…ラファには無理ね」
「わ、悪かったな!」
彼女にとっては随分と久しい再会のはずなのに、ルナはまるでつい先刻会ったばかりの友人のようにラファに接した。と、ルナが肩をすくめて問うてきた。
「仕方ないわね。何をしに行くの?私も付き合うわ」
「えっ?」
「私のこの髪と目は、ファナティライストじゃ有名なの。私と一緒なら、誰も近づいてこないわ」
シエルテミナ。"巫子狩り"の、名門家系の証。ルナはちょっと笑って、その夜闇のような目を細めた。左耳だけについた、金色のイヤリングがきらりと光った。…とても、トレイズ達の話していたような、狂った少女には見えなかった。
「……有難いけど、もしかしたら相当、歩くかも」
「構わないわよ。なあに、そんなに遠くの店なの?」
「いや、買物に行くんじゃなくて…――レーチスノルッセルに、会おうと思って」
ルナの顔色が、さあと冷えていった。その表情は、彼女がレーチスの正体を知っていることを物語っていた。彼女は、レーチスを恐れているようにも、憎んでいるようにも見えた。少なくとも、彼のことが好きだとは到底思えない。
「そう」
ルナはラファから視線を外し、風のそよぐファナティライスト神殿の庭園に目を向けた。ふわりと流されていく葉の軌跡を見るともなしに見ながら、彼女は薄く笑んだ。
「……分かったわ。行きましょう」
もしかすると彼女は、幼い頃から賢かったのだ、ラファの目的すらも見抜いてしまったかもしれない。それでも彼女は何も言わずに、ただ頷いて、ラファを神殿の外へと導いた。
◆
ルナに聞きたいことはいくらでも見つかった。彼女自身のこと。チルタのこと。レナのこと。ラゼのこと。だけどそれらを聞くにはまだ二人の距離は遠すぎて、口を開くことすら、ラファには躊躇われた。
ラファより少し前を歩くルナのポニーテールが揺れる。周囲の貴族達は、ルナを畏れるように見た後、ラファにも奇異の目を向けてきた。
シエルテミナと一緒にいる少年。身なりがよければ話は別だが、ラファは身軽な旅装である。彼らから見れば怪しいことこの上ないはずだ。
「ちょっとびっくりしたわ。チルタ様が、ラファがここに来たと仰ったのを聞いて」
ぽつり、ルナが呟いた。
「気づいてた?私、あなたとラトメで一度会ってるのよ」
「…!」
ラトメ。そこで巫子狩りに会うといえば、それはラファが一番最初にチルタと対峙したときしかない。確か、あの時チルタの脇には女性の巫子狩りがいた。そういえばモール橋でチルタを見かけたときも。
あれは、ルナだったのか。
「チルタ様を睨む貴方を見て、この人が本当にあのラファなのかしらって、そう思ったわ」
「……あの時の俺、何も知らなかったからな」
「そうね。……ねえ、ラゼに会った?あのひと、元気にしてる?」
ラファは弾かれたように顔を上げた。目の前で、ルナは足を止めて、まっすぐにラファを見ていた。…その瞳の奥の誰かを嘲るように、口元を歪めて。
それは酷く悲しげな表情だった。
「馬鹿よね。私がどれだけ、ラゼの人生を引っ掻き回したかも知らないで、私のこと友達だなんて言うんだもの」
「え…?それ、どういう」
「ゼルシャでルセルをけしかけたのは、私よ」
「!!」
ルセル。もう久しく聞いていなかった名前。ラゼをファナティライストへと売ろうとしたエルフの青年。ラゼに、殺された…
「何を驚いてるの、ラファ?私は"巫子狩り"よ。チルタ様のためなら、なんでもやるわ。ルセルを、あんなエルフの1人くらい、簡単に捨て駒にできる」
それが、彼女の覚悟だとでも言うのか。チルタと、レナと、楽しそうに笑っていた日々を捨てて。過去を捨てて、得た現在が、そんな。
そんな虚ろな瞳とでも、いうのか。
「ルナは、チルタのこと、知ってるのか?」
「まだ私の質問に答えてもらってないけど…まあいいわ。ええ、レナのことでしょう?知ってるわよ」
「お前はいいのか!?チルタが、そんな…そんなことのために」
「"そんなこと"」
神妙に、ルナは繰り返した。呆れたように、小さく噴出す。
「…そうよね。"そんなこと"」
「あっ…ごめん、俺、…ルナの妹なのに」
「いいえ。そうね…本当に、彼はなにをやってるのかしら」
ルナは決して泣かなかった。レナが死んだときも、そして今も。けれどあの時と同じ目をしていた。顔をゆがめるだけで、至宝の黒曜はからからに渇いていた。
「ラファになら、言ってもいいかしら」
「なんだ?」
「私ね、…チルタのことが、好きだったの」
知ってたよ。心の中で、ラファは呟いた。
「でも、でもね。チルタとルナが一緒にいると、私まで嬉しくなったの…それは、本当なの。私、レナを好きなチルタが、好きだったの」
ぼろぼろに崩れた笑顔だった。さらり、彼女の前髪が耳から零れ落ちた。
「なのに、チルタ様は今でもレナの影を追ってるの。私を見ると、あの方、ちょっと泣きそうな顔するのよ。まだ泣き虫、治ってないのね。だけど、それをやめてくれって、レナは生き返ってもきっと喜ばないって、…私を見てって、そう言えないのは、多分、私が弱いのね」
憂いの表情はレナそっくりだった。彼女も同じように成長していれば、今頃はますますこの双子はそっくりになっていたに違いない。
「私だって…巫子なんてやりたくないわ。チルタ様が、チルタが、死んでしまったら、それでレナが生き返ったって、嬉しくなんてないのよ。こんなシエルテミナの肩書き、あったところでなんにもならない。ならいっそ…いっそ、」
世界なんて壊れてしまえばいいのに。そう呟くルナの奥で、ぱりんと何かが割れる音がした。




