act.48 裏腹の後悔
まだ残酷表現が続きます。苦手な方はご注意ください。
「チルタ!伏せろ!」
叫んで、そして、咄嗟に身体を床に貼り付けたチルタを見止めると、ラファは全神経を銀時計に集中させた。
直後、トレイズの悲鳴が、響く。
「うああああああああああああああああああっ!!!!」
「っ!?な、なに…!?」
「チルタ!はやくこっちに!」
当惑するチルタとレナをよそに、ラファはポケットから白いチョークを一本取り出すと、手早く魔方陣を描いた。その間も、トレイズは頭を抱え、うずくまって涙ながらに叫んでいる。
「あ…ああっ、やめろっ、俺にこんなもの見せるな!!」
「レナ、チルタ、陣から出るなよ」
「や、やめてくれ…もうやめる、やめるよ、グランセルドなんてやめるから!!」
血の雨の中で懇願する紅雨を無視して、ラファは唱えた。
「『我らを照らす天空の覇者よ!今この地に恵みの光を与え我らを助けよ!導け我らが望む地へ…転移!』」
燃え盛る屋敷に取り残されたのは、無力な殺人者の悲鳴だけだった。
◆
「はあ…はあ…」
「ラファさん…大丈夫ですか?」
「ああ…、大丈夫、ちょっと、疲れただけ…」
二回連続の銀時計による魔術に加え、高度な転移呪文の使用で流石に魔力を使いすぎたらしい。息切れを整えながら、チルタの返り血で真っ赤に染まった肩に手を置く。
「チルタ…」
「ラファおにいちゃん…」
チルタの顔は酷い有様だった。煤と血にまみれて頬は薄汚れていたし、涙で目元はてらてらと妙に光を帯びていた。彼は情けない表情でこちらを見上げた。
「あいつ…あいつ、お父さんを斬ったんだ…」
「うん」
「お父さん、真っ赤になってて…だんだん冷たくなって、血はとっても熱いのに、人形みたいに動かなくて、重くなって…」
「うん」
「……お父さん、死んじゃった」
「ごめん、チルタ、ごめんな」
思わず、ラファはチルタを抱きしめていた。自分の所為だ。そう言ってやってもどうしようもないのはわかっていた。自分のこの血が、チルタの家を襲った。
なんだ、自分だってのちのチルタと同罪じゃないか。俺は、チルタの親を殺したんだ。
弱弱しくしゃくり上げながら泣くチルタ。レナもすんと鼻を鳴らした。
周囲に広がる、スラムの町並み。薄汚れ、血にまみれたラファ達に、貧民達の奇異の視線が突き刺さる。ここにも長居は出来ない。ひとまずスラムを抜けて、レナをシエルテミナに帰して、安全な場所に行こうとチルタたちを見下ろすと、背後から怒声がかかった。
「テメエェッ!!見つけたぞ!」
見ると、グランセルドが何人か、こちらをぎらぎらと睨んで追ってきていた。手にはそれぞれの得物。不吉な予感を察知して、ラファは子供二人の手を引いた。
「走れ!」
「逃がすかあァッ!!」
「よくも仲間をヒデエ目に遭わせやがって!」
後ろを盗み見る余裕はなかった。ガシャッ、何かを構える音がする。ぞわりと底知れぬ恐怖に全身の毛が逆立った。
「ヒッ、ヒャハハハハ!!喰らえェッ!!」
ダンッ!!
ラファが左手を握っている、レナの身体がふと重く感じた。視線を走らせると、彼女の小さな体躯がのけぞって、黒い目をまんまるに見開いて、髪をふわりと舞い上がらせて…
「レナ!!!!」
チルタが金切り声を上げた。
倒れこんだレナを抱え込んで、ぐるりと振り向く。眼球が飛び出るほど大きく目を見開いて嘲笑うグランセルド。その手には、黒い筒が煙を上げていた。――魔弾銃。すっかり見慣れてしまった、その武器。
ラファの中で、何かが盛大な音を立てて、切れた。
この感覚は知っている。この張り詰めた静寂。静かな水面のような怒り。とくん、波打って。頭の奥深くで、巫子となったときに聴こえた青年の声が、そっとラファを包み込むように響いた。
――…第二の赤の巫子の力は、"守る"こと…
誰だよ、お前は?聞かずとも分かっていた答えだったが、それでも答えないその声に、ラファは苛々した。
――幻術、守護陣…君の持つ力は刃を持たない
うるさい、俺はあいつらを殺してやりたいんだ!ラファは内心で怒鳴った。
――殺す?できるのかい?君に。ふふっ、だって君は、以前そうやって、チルタを殺せなかっただろう?
「うるさいうるさいうるさい!!!」
叫ばずにはいられなかった。自分の力が"破壊の力"を持たないことを、これほどにも憎いと思ったことはない。
「こんな、小さな子を…!!」
責任転嫁だということくらい分かってる。それでも、当り散らしたくてたまらなかった。
「一人守れずにいて、何が"世界を救う赤の巫子"だ!」
駆け出す。突然わけのわからないことを叫ぶラファに、グランセルドが一瞬、怯んだ。…お前ら全員、動かなくなってしまえ!!
その時、ぴたり、グランセルドは石にでもなったかのように、訝しげな表情のままで硬直した。そういえば、初めてチルタと対峙したときも、同じことが起こった気がする。しめた。ラファは懐から護身用のダガーを取り出して、振り上げて――
「ラファおにいちゃん!!!!!」
チルタの悲痛な叫びに、ラファはばちりと目が覚めた。
――ほら、やっぱり君には殺せない。くすり、優しげに青年の笑い声が響いた。
◆
どうやってあのスラムから逃げ出したのか、よく覚えてはいない。気づけばそこはシエルテミナ家の前で。腕に抱えたレナの亡骸。どうしたものかと一瞬迷ってから、ラファはシエルテミナの門をくぐろうとして、
「入っちゃ駄目だ」
前方から、声。ラファは足を止めた。見ると門の向こう側で、ルナが蒼白な顔色で立ち尽くしていた。
「ルナ…」
うよろけながら、門の鉄柵越しにレナに手を伸ばす、彼女の姉。すべらかな頬を撫ぜた。彼女の美しい黒曜はもう見れない。
ルナは一瞬これでもかと顔をゆがめるが、すぐにラファを見て、硬い声音で言った。
「今すぐレナをここに置いて、逃げろ」
「なんだって!?」
「ルナ、どういうこと?」
男二人が問うと、ルナが目を伏せた。
「どういうことだろうと何でもいいだろ、シエルテミナの敷地に入るな。お前達はレナに会わなかった。自分達は命からがら屋敷から逃げ出して、レナはお前達を心配して後を追ったけど、お前達とは行き違いになった。レナの亡骸は、私がチルタの屋敷から連れてきた。お前達はここへは来ていない。…いいか?」
「よくないよ!」
「そうだ、なんでこんなことになったのか…家族にちゃんと説明して…」
「駄目だ!」
ルナは今度こそ顔をぐしゃぐしゃに歪めてラファを見た。…ラファの、瑠璃色の瞳を。
「…グランセルドの奴らを、チルタの屋敷に送ったのは…依頼人は、シエルテミナ家だ」
「……え?」
「ラファ、お前をここに連れてきちゃいけなかった。屋敷の奴が父さんに…ウチの当主に言ったんだ。"ノルッセルがいる"って」
「!!」
「ど、どういうこと?」
チルタ一人が話についていけずにいたが、ルナはちらと悲しげに彼を一瞥しただけで、再び口を開いた。
「シエルテミナは、不老不死一族には危険なんだ。あいつら、お前を手に入れるためならなんでもする。私の友達だからって言い訳はきかない。もしここに入ったら、お前は…チルタと一緒に、さんざ利用されて、最後には魔弾銃で殺されるだけだ」
「おい…待てよ、一体なにに利用されるっていうんだよ…」
ルナは、ラファよりも十近く年下のはずなのに、その姿は畏怖すら感じるほどに威厳があった。彼女はゆっくりと首を横に振り、話を戻した。
「さあ、はやくレナを置いて、逃げろ。チルタも一緒に」
「いやだ!レナをこのまま置いていくなんていやだよ!」
「チルタ…」
ルナは笑った。ひどく自虐的だった。
「レナは、チルタのそういう優しいところが好きだって、いつも言ってたよ」
「……!!」
「さあ、行け、ラファ!チルタを連れて」
ラファはしばし立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと、レナを地面に下ろし、横たわらせて、チルタの手をしっかりと握った。
「ラファおにいちゃん、…やだ、やだ!僕、行きたくないよ!」
「行くんだ、チルタ。無事を祈ってる。…もう会うこともないと願ってるよ」
「ルナ…っ、いやだ!いやだあぁっ!!」
「行こう、チルタ」
「うっ…うわあああああああああああっ!!!」
最後には彼を抱き上げて林の奥めがけて走る。小さな少年は、ラファの肩に顔をうずめて泣いた。その姿を、ルナが悲しげな黒の瞳で見つめていたことも、知らずに。
◆
チルタは泣きつかれて眠ってしまった。クレイスフィーを抜け出して針葉樹林帯を駆け抜け、ようやく見えてきた草原を歩くも、逃げるアテなどこの時代のどこにもない。チルタを負ぶって歩けど、見えるのは少ない養分を奪い合いしなしなになった草ばかりで、その道程は途方もないものに感じられた。
そういえば、この辺りだったか。ゼルシャの森を抜けて、気絶したラファが目覚めた場所。エリーニャを庇って腹を刺された。
あの時感じた疑問。巫子が人々を助けるために存在しているのだとしたら、巫子のことは、誰が助けてくれるのか。
そんなの決まっている。ラファは足元の踏み潰した草を見て一人ごちた。巫子が人々を救ってくれるだなんて方便に過ぎない。誰も救えない巫子を、誰かが救ってくれるはずもない。
暗い夜空。ふと見上げていると、背後からのんきな声がかかった。
「ん?お前、こんな夜中にピクニックか?」
聞いたことのある声。ラファは弾かれたように振り返った。
ひとくくりにされた銀の髪。釣り目気味の瑠璃色の瞳。青年、レーチス・ノルッセルは、ラファの目を見て少々驚いてみせた。




