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さかさまクロック  作者: 佐倉アヤキ
過去の軍事都市シェイルディア
51/61

act.48 裏腹の後悔

まだ残酷表現が続きます。苦手な方はご注意ください。

 「チルタ!伏せろ!」

叫んで、そして、咄嗟に身体を床に貼り付けたチルタを見止めると、ラファは全神経を銀時計に集中させた。

 直後、トレイズの悲鳴が、響く。

「うああああああああああああああああああっ!!!!」

「っ!?な、なに…!?」

「チルタ!はやくこっちに!」


 当惑するチルタとレナをよそに、ラファはポケットから白いチョークを一本取り出すと、手早く魔方陣を描いた。その間も、トレイズは頭を抱え、うずくまって涙ながらに叫んでいる。

「あ…ああっ、やめろっ、俺にこんなもの見せるな!!」

「レナ、チルタ、陣から出るなよ」

「や、やめてくれ…もうやめる、やめるよ、グランセルドなんてやめるから!!」

血の雨の中で懇願する紅雨を無視して、ラファは唱えた。

「『我らを照らす天空の覇者よ!今この地に恵みの光を与え我らを助けよ!導け我らが望む地へ…転移(ワープ)!』」


 燃え盛る屋敷に取り残されたのは、無力な殺人者の悲鳴だけだった。



 「はあ…はあ…」

「ラファさん…大丈夫ですか?」

「ああ…、大丈夫、ちょっと、疲れただけ…」

二回連続の銀時計による魔術に加え、高度な転移呪文の使用で流石に魔力を使いすぎたらしい。息切れを整えながら、チルタの返り血で真っ赤に染まった肩に手を置く。

「チルタ…」

「ラファおにいちゃん…」

 チルタの顔は酷い有様だった。煤と血にまみれて頬は薄汚れていたし、涙で目元はてらてらと妙に光を帯びていた。彼は情けない表情でこちらを見上げた。

「あいつ…あいつ、お父さんを斬ったんだ…」

「うん」

「お父さん、真っ赤になってて…だんだん冷たくなって、血はとっても熱いのに、人形みたいに動かなくて、重くなって…」

「うん」

「……お父さん、死んじゃった」

「ごめん、チルタ、ごめんな」


 思わず、ラファはチルタを抱きしめていた。自分の所為だ。そう言ってやってもどうしようもないのはわかっていた。自分のこの血が、チルタの家を襲った。

 なんだ、自分だってのちのチルタと同罪じゃないか。俺は、チルタの親を殺したんだ。

 弱弱しくしゃくり上げながら泣くチルタ。レナもすんと鼻を鳴らした。


 周囲に広がる、スラムの町並み。薄汚れ、血にまみれたラファ達に、貧民達の奇異の視線が突き刺さる。ここにも長居は出来ない。ひとまずスラムを抜けて、レナをシエルテミナに帰して、安全な場所に行こうとチルタたちを見下ろすと、背後から怒声がかかった。

「テメエェッ!!見つけたぞ!」


 見ると、グランセルドが何人か、こちらをぎらぎらと睨んで追ってきていた。手にはそれぞれの得物。不吉な予感を察知して、ラファは子供二人の手を引いた。

「走れ!」

「逃がすかあァッ!!」

「よくも仲間をヒデエ目に遭わせやがって!」


 後ろを盗み見る余裕はなかった。ガシャッ、何かを構える音がする。ぞわりと底知れぬ恐怖に全身の毛が逆立った。

「ヒッ、ヒャハハハハ!!喰らえェッ!!」


 ダンッ!!

 ラファが左手を握っている、レナの身体がふと重く感じた。視線を走らせると、彼女の小さな体躯がのけぞって、黒い目をまんまるに見開いて、髪をふわりと舞い上がらせて…

「レナ!!!!」

チルタが金切り声を上げた。


 倒れこんだレナを抱え込んで、ぐるりと振り向く。眼球が飛び出るほど大きく目を見開いて嘲笑うグランセルド。その手には、黒い筒が煙を上げていた。――魔弾銃。すっかり見慣れてしまった、その武器。


 ラファの中で、何かが盛大な音を立てて、切れた。


 この感覚は知っている。この張り詰めた静寂。静かな水面のような怒り。とくん、波打って。頭の奥深くで、巫子となったときに聴こえた青年の声が、そっとラファを包み込むように響いた。


――…第二の赤の巫子の力は、"守る"こと…


誰だよ、お前は?聞かずとも分かっていた答えだったが、それでも答えないその声に、ラファは苛々した。


――幻術、守護陣…君の持つ力は刃を持たない


うるさい、俺はあいつらを殺してやりたいんだ!ラファは内心で怒鳴った。


――殺す?できるのかい?君に。ふふっ、だって君は、以前そうやって、チルタを殺せなかっただろう?



 「うるさいうるさいうるさい!!!」

叫ばずにはいられなかった。自分の力が"破壊の力"を持たないことを、これほどにも憎いと思ったことはない。

「こんな、小さな子を…!!」

責任転嫁だということくらい分かってる。それでも、当り散らしたくてたまらなかった。

「一人守れずにいて、何が"世界を救う赤の巫子"だ!」


 駆け出す。突然わけのわからないことを叫ぶラファに、グランセルドが一瞬、怯んだ。…お前ら全員、動かなくなってしまえ!!


 その時、ぴたり、グランセルドは石にでもなったかのように、訝しげな表情のままで硬直した。そういえば、初めてチルタと対峙したときも、同じことが起こった気がする。しめた。ラファは懐から護身用のダガーを取り出して、振り上げて――


 「ラファおにいちゃん!!!!!」

チルタの悲痛な叫びに、ラファはばちりと目が覚めた。

――ほら、やっぱり君には殺せない。くすり、優しげに青年の笑い声が響いた。



 どうやってあのスラムから逃げ出したのか、よく覚えてはいない。気づけばそこはシエルテミナ家の前で。腕に抱えたレナの亡骸。どうしたものかと一瞬迷ってから、ラファはシエルテミナの門をくぐろうとして、

「入っちゃ駄目だ」


 前方から、声。ラファは足を止めた。見ると門の向こう側で、ルナが蒼白な顔色で立ち尽くしていた。

「ルナ…」

うよろけながら、門の鉄柵越しにレナに手を伸ばす、彼女の姉。すべらかな頬を撫ぜた。彼女の美しい黒曜はもう見れない。


 ルナは一瞬これでもかと顔をゆがめるが、すぐにラファを見て、硬い声音で言った。

「今すぐレナをここに置いて、逃げろ」

「なんだって!?」

「ルナ、どういうこと?」

男二人が問うと、ルナが目を伏せた。

「どういうことだろうと何でもいいだろ、シエルテミナの敷地に入るな。お前達はレナに会わなかった。自分達は命からがら屋敷から逃げ出して、レナはお前達を心配して後を追ったけど、お前達とは行き違いになった。レナの亡骸は、私がチルタの屋敷から連れてきた。お前達はここへは来ていない。…いいか?」

「よくないよ!」

「そうだ、なんでこんなことになったのか…家族にちゃんと説明して…」

「駄目だ!」


 ルナは今度こそ顔をぐしゃぐしゃに歪めてラファを見た。…ラファの、瑠璃色の瞳を。

「…グランセルドの奴らを、チルタの屋敷に送ったのは…依頼人は、シエルテミナ家だ」

「……え?」

「ラファ、お前をここに連れてきちゃいけなかった。屋敷の奴が父さんに…ウチの当主に言ったんだ。"ノルッセルがいる"って」

「!!」

「ど、どういうこと?」


 チルタ一人が話についていけずにいたが、ルナはちらと悲しげに彼を一瞥しただけで、再び口を開いた。

「シエルテミナは、不老不死一族には危険なんだ。あいつら、お前を手に入れるためならなんでもする。私の友達だからって言い訳はきかない。もしここに入ったら、お前は…チルタと一緒に、さんざ利用されて、最後には魔弾銃で殺されるだけだ」

「おい…待てよ、一体なにに利用されるっていうんだよ…」


 ルナは、ラファよりも十近く年下のはずなのに、その姿は畏怖すら感じるほどに威厳があった。彼女はゆっくりと首を横に振り、話を戻した。

「さあ、はやくレナを置いて、逃げろ。チルタも一緒に」

「いやだ!レナをこのまま置いていくなんていやだよ!」

「チルタ…」

ルナは笑った。ひどく自虐的だった。

「レナは、チルタのそういう優しいところが好きだって、いつも言ってたよ」

「……!!」

「さあ、行け、ラファ!チルタを連れて」


 ラファはしばし立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと、レナを地面に下ろし、横たわらせて、チルタの手をしっかりと握った。

「ラファおにいちゃん、…やだ、やだ!僕、行きたくないよ!」

「行くんだ、チルタ。無事を祈ってる。…もう会うこともないと願ってるよ」

「ルナ…っ、いやだ!いやだあぁっ!!」

「行こう、チルタ」

「うっ…うわあああああああああああっ!!!」


 最後には彼を抱き上げて林の奥めがけて走る。小さな少年は、ラファの肩に顔をうずめて泣いた。その姿を、ルナが悲しげな黒の瞳で見つめていたことも、知らずに。



 チルタは泣きつかれて眠ってしまった。クレイスフィーを抜け出して針葉樹林帯を駆け抜け、ようやく見えてきた草原を歩くも、逃げるアテなどこの時代のどこにもない。チルタを負ぶって歩けど、見えるのは少ない養分を奪い合いしなしなになった草ばかりで、その道程は途方もないものに感じられた。

 そういえば、この辺りだったか。ゼルシャの森を抜けて、気絶したラファが目覚めた場所。エリーニャを庇って腹を刺された。


 あの時感じた疑問。巫子が人々を助けるために存在しているのだとしたら、巫子のことは、誰が助けてくれるのか。


 そんなの決まっている。ラファは足元の踏み潰した草を見て一人ごちた。巫子が人々を救ってくれるだなんて方便に過ぎない。誰も救えない巫子を、誰かが救ってくれるはずもない。


 暗い夜空。ふと見上げていると、背後からのんきな声がかかった。

「ん?お前、こんな夜中にピクニックか?」

聞いたことのある声。ラファは弾かれたように振り返った。

 ひとくくりにされた銀の髪。釣り目気味の瑠璃色の瞳。青年、レーチス・ノルッセルは、ラファの目を見て少々驚いてみせた。


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