act.47 紅いトラウマ
今回から残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。
チルタはどうして第九の印を継承したのか。彼が世界を滅ぼす"悪役"だと言うには、その小さな背中はあまりにも頼りなかった。
思えば、未来で彼と出会ったとき。常に彼は穏やかな笑みを浮かべていた。無邪気さは確かになりを潜めていたが、この時代となんら変わらぬ笑顔。その手を赤色に染めても、表情のあどけなさは染まっていない。
もしかすると、チルタは"変わらないから"第九の巫子となったのかもしれない…ちらと浮かんだ言葉遊びの意味を、自分で考えておきながらラファは推し量ることができなかった。
「ねえ、ねえ、ラファおにいちゃんは将来なにになりたいの?」
「うん?」
帰り道。チルタからの無邪気な問い。
「うーん…ちょっと前までは考古学者にでもなりたいとか思ってたけど、今は決まってないな」
「へえ」
「チルタは、なにになりたいんだ?」
するとチルタは、へらりと企みが成功したかのような笑みを見せた。
「あのね、僕はお父さんの跡を継ぐんだよ!それでね、それでね、たくさんの人を助けるの!お父さんは、ま、"まじゅつようぐ"?の、お店の社長さんなんだ。このあいだ、お父さんが言ってくれたんだ。『おまえはお父さんの跡を継いで、立派にみんなを幸せにする商品を作りなさい』って!」
魔術用具店の社長。シェイルにそんなものがあっただろうか。十年程度あとの記憶を探ってみるが分からない。未来に戻ったら、探してみるのもいいかもしれない。
チルタがあまりに楽しそうに父の事を語るので、ラファは彼の頭に手を置いて尋ねた。
「チルタは、お父さんのことが好きなんだな」
「うん!僕ね、僕ね、お父さんみたいに、やさしくて、すごい人になりたい!ラファおにいちゃんのお父さんは、どんな人なの?」
ぴくり、指先が揺れた。唐突に体中の血液が沸騰したようだった。ラファは今すぐに、この小さな鳶色の頭を握りつぶしてやりたい衝動に駆られた。誰がそいつを殺したと思ってるんだと、怒鳴って、殴ってやりたくなった。
「……俺の、父さんは」
「チルタ!ラファさん!」
背後から、聞こえるはずのない声に我に返って、ラファは振り向いた。見ると、線の細い女の子が息を切らしてこちらに駆けてくるではないか。チルタが目をまん丸に見開いて、叫んだ。
「レナ!?」
「ああ、よかった…追いつけました…」
レナは、息切れた呼吸を、胸に手を当てて整えると、顔色を真っ青に染めたままチルタに詰め寄った。
「どうしたの?こんなところまで出てきて」
「二人とも、大変なんです!私の家にもつい先ほど連絡があったんですが、とにかく危険なんです、今すぐシエルテミナの屋敷に戻ってください!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ!何がどうなってるっていうんだ?」
ラファが軽くレナの肩を揺さぶると、ようやく彼女も平静を取り戻したらしい。何度か勇気を震わせて大きく頷くと、顔を上げてラファを見た。
「襲われているんです」
「襲われてる?誰が誰に?」
「……チルタの家が、賊に」
「なんだって!?」
チルタが声を荒げた。温和な彼がここまで激情を表に出すのを、ラファは初めて見た。
「レナ、待って、賊って…そんな、だって家には父さんが、」
そこで、少年ははたと何かに気が付いたとばかりに言葉を切り、それから鉄砲玉のように一目散に町を駆け抜けていった。…自身の家めがけて。
「チルタ、待って、待って!」
「レナ、俺が見てくるから、お前は自分の家に、」
「嫌です!そんな、チルタ…お願いラファさん、私、私も連れて行ってください!」
「お前は病弱なんだろ?もうへとへとじゃないか!」
「お願い、ラファさん!」
まっすぐなレナの黒曜とラファの瑠璃がかち合った。その視線。どちらが優位かは、火を見るより明らかだった。…こういうとき、トレイズやギルビスなら、上手く言いくるめられるんだろうな。
考えたのは一瞬だった。ラファは身をかがめて、レナに背中を見せた。
「ほら、乗れよ。そっちの方が早いはずだから」
◆
屋敷は炎に巻かれていた。周囲を取り囲むように、同じ衣装に身を包んだ暗い笑顔を貼り付けた男達が、にやにやと炎に舐められる屋敷を眺めていた。おそらく、彼等が例の「賊」に違いない。肩のうしろでレナが恐れおののいて呟いた。
「グランセルド…!」
グランセルド?鸚鵡返しに尋ねる。一体何者だったか…旅中のどこかで聞いた単語だった。
「ああ、チルタが危ないわ!ラファさん、急いで!」
レナが急かすので疑問は頭の隅に追いやって、門前に駆け寄ると、男のうちの一人が、剣を抜いてラファ達の行く手を阻んだ。マフラーに隠れてその口元は見えないが、口の端が上がっているのは見なくとも声で分かった。彼らの金の瞳がぎろりと光った。
「おぉっと、ここは関係者以外立ち入り禁止だぜェ」
「通してくれ!ここを一人男の子が通っただろ!?」
「ひひッ、どうだったかなァ。覚えてねェなァ…まあ今頃は、中で見回ってるトレイズあたりが殺してるだろうよォ」
トレイズ。衝撃が胸を駆け抜けた。ラファは思わず、魔力を込めた左手首を男に向け、叫んだ。
「レナ、目を閉じろ!」
きゅんっ!銀時計から放たれた光を浴びた男がうめくのも構わずに脇に蹴り飛ばして、ラファは屋敷に向けて一目散に走った。背後でラファを引き止める男の悲痛な声が聞こえたが、流石に炎の中にまで追いかけてくるつもりはないらしい。幸い、まだ火の手が届いていない玄関脇の窓を蹴破って、ラファ達は屋敷に飛び込んだ。
直後、肉の焼ける音と鉄錆の臭い、そして、うだるような暑さにラファは息を詰めた。チルタが向かうとすれば、父親の居場所だろう。応接室か、自室か、書斎か…とにかく、一番近いところから探していくしかあるまい。手近な応接室へと一歩踏み出すと、小さくレナが咳き込んだ。
「大丈夫か?レナ」
「こほっ…は、はい、とにかく、チルタを…」
「ああ、急ごう」
応接室はすでに崩れて入れなかった。すぐに引き返して彼の自室に向かう。チルタの父親の部屋は二階だ。一旦ホールまで戻って階段を上がらなければ。足元に倒れているメイドのステーキから目をそむけて、ラファはレナを背負う腕をちらと確認して走った。
その時。
「うわああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」
「!」
「ホールからだ!」
響いた、チルタの悲鳴。震えるレナを気遣ってやれる余裕もなく、ホールへと向けて走った。
廊下の扉を開け、シエルテミナ家ほどではないが十分広く立派なホールに出ると…おかしなことだ、雨が降っているように感じた。空から水滴が次々とこぼれる。天井が焼けてしまったのだろうか。否、そもそも外にいたときは晴れていたのに?
前方で、チルタが座り込んでいた。彼に降り注ぐものを見てようやく、ラファはこれが雨ではないと気が付いた。
血だ。それも、この屋敷の人間の。
チルタの父親の死骸に縋りつく少年を見下ろす影が、ひとつ。自分が知っている姿より幾分幼いそのいでたちは、まだ十代の前半に見えた。片手に剣を携えて、赤混じりのブラウンの髪を紅色に染め上げて、冷酷な金の瞳でチルタを射抜いて。
紅雨のトレイズ。
縁起でもない異名。あの朗らかな青年の過去。似つかわしくないと思っていた二つ名が、こんなにも彼にぴったりだと思う日が来るなんて。
ラファはさっとレナを下ろすと、チルタの元へ急いだ。丁度、トレイズが剣を振りかぶるところだった。
「待てよ!」
「次から次へと…」
吐き棄てるように呟いて、トレイズはラファを見た。最初は胡乱げに、しかしラファの目を見て、すぐに笑みを漏らす。
「ああ…その瞳、お前だよ、お前。やっと見つけた」
彼は、何を言っているのだろう?まるで自分を探していたかのような口ぶりに、ラファは眉をひそめた。トレイズは剣を収めてラファに笑いかけた。困ったような笑み。何度となく見たその表情。やはり彼は、トレイズなのだと確信した。
「依頼人からのお達しでさ。俺もよくわかんねえんだけど、あんたの眼が欲しいんだってさ。ここの主人がさ、なかなか口を割ってくれないから困ってたんだけど、」
こつ、トレイズがこちらに向かってくる。こつ、ブーツの踵が鳴る。こつ、背後のレナがラファの背中に縋りつく。こつ、チルタが呆然とこちらを見る。こつ、
小さく頭の中で誰かが囁いた。
――綺麗な眼だね。流石、裏市場で高価く取引されるのも分かるよ
正直な話…
自分が巫子としてチルタを殺すことを決めたのは、親の敵討ちというのも勿論あったし、巫子になってレーチスのことを探ろうとしたことも含んでいるが、その決定打は、トレイズだった。
自分の頼みの綱にしているはずだったのに、彼はラファの意志を、駄々をこねていたのを尊重して、チルタの目の前で、ラファを"ただの学生"と称したから。
あの頼もしげな微笑みに応えたかったから。
それなのに。
どうして、自分は銀時計をトレイズに向けているのだろう。ラファは無性に泣き出したい気持ちに駆られた。




