act.46 レナ・シエルテミナ
チルタは妙にラファに懐いていた。将来に自分の敵となる少年。気を許すのはいけないと自身に言い聞かせるも、しばらく彼の家に世話になるうちに、少しずつ彼と仲良くなろうとしている自分がいることに、ラファは内心で薄々気づき始めていた。
チルタは優しかった。シェイルではそれなりの名家らしい貴族の一人息子だというのに、わがままで横暴な所もなく、いつも誰かを気遣って。相変わらず何を計略しているのか分からないあの父親に、男手一つで育てられたにしては嫌にまっすぐな少年だった。母は、チルタが生まれて間もなく流行り病にかかって亡くなったらしい。
ルナとは幼馴染だそうだ。彼女があの不老不死一族である「シエルテミナ」家の一人だと聞いて最初は驚いた。ラファがレクセの学生だった頃はその片鱗すら見たこともない「不老不死」が、まさかシェイル一の大貴族の名家だったとは。しかし毎日のようにやってくる彼女も、何故だかいつも男物の服を着てはいるがごくごく普通の女の子で、彼女もまた、巫子狩りに名を連ねるような存在には見えなかった。
そんなルナに、昨日こっそりと、どうして毎日忙しなくチルタの元に通うのか尋ねたところ、頬をバラ色に染めて彼女はそっぽ向いた。
「チルタは、ほら。あの通り内気でおどおどしてるから、友達の一人もいなかったんだ。放っておくと、家の中に閉じこもって出てこないし」
なるほど、だから初めて会ったとき、ルナはラファがチルタの「友達」だから許したのか。不器用な優しさに思わず笑みを漏らすと、ルナは憤慨して怒鳴った。
「な…わ、笑うな!」
そして今日、ラファはチルタに連れられてシエルテミナ家にやってきていた。流石不老不死一族の本家ともあって、街中からは外れた、クレイスフィーの端にある林を抜けた先に来てようやく見つけたその屋敷は、想像していたよりももっとずっと大きくて豪勢だった。家というよりは、城に近い。
広い中庭を通って、玄関らしき門まで辿り着くと、門前でルナが仁王立ちで待ち構えていた。
「遅い!」
「ご、ごめん」
「悪い、ルナ。俺があちこち見て回ってたから」
以前来た時はティエラ探しに明け暮れて、ろくに観光もできなかった。事実も交えてラファの背中に隠れるチルタのフォローをしてやると、彼女はひとつ鼻を鳴らしてラファ達を玄関ホールへ通した。
内装は更に豪奢だった。ひとつひとつの細工に芸術性を感じるのはラトメの神宿塔に似ているが、こちらの方が随分派手で、一目見ただけでシエルテミナの財力が窺えた。
不躾に周囲を見回すラファはいくつかの視線とかち合った。広々とした玄関ホールで談笑する女性達。彼女らの髪も瞳もルナのように黒くはない。女性達はちらとこちらを見て目を細めていた。…不躾な視線は、どうやらお互い様のようだ。
金の手すりに恐る恐る指先を触れて階段を上ると、ずんずんと一人先へ進んでいたるなが、ある一室の前でこちらに手招きしていた。ラファと大差ない様子で遠慮がちに大理石の床を歩くチルタと視線を交わして、二人はそっと彼女の元へと向かった。
◆
「あれ、見たことない人ですね。あなたがチルタのおともだち?」
部屋には先客がいた。否、きっと彼女がこの部屋の主なのだろう。ルナと同じ黒髪黒目で、しかも顔のパーツがやけに似ているが、彼女はストレートの髪をまっすぐに背中まで垂らして、なめらかな生地でできた、金糸の刺繍が入った白い女物の衣装をきちんと着こなしていた。同じ高貴さを感じさせても、ルナよりも雰囲気がずっと柔らかい。二人並べばまさに王子と姫だ。
少女は優雅に腰掛けていた椅子から立ち上がると、レース地のカバーにくるまった本を脇の丸テーブルに置いて、ラファに向けて一礼した。年の頃はルナ達と大体同じだが、三人の中では最も大人びた表情をしている。
「お初にお目にかかります。私はレナ・シエルテミナと言います」
「あ…ご、ご丁寧にどうも…ラファ、です」
「レナは私の一個下の妹だ」
妹。それにしては大人っぽい。チルタが声を上げた。
「レナは身体が弱いからあんまり屋敷から出られないんだよ!でも、すっごく優しいんだ!」
「ふふ、チルタったら」
鈴が鳴るような声で笑うレナ。チルタは即座に顔を真っ赤にした。それを見たルナがわずかに眉をひそめる。…三人の関係性が大体見えた。ラファは必死で表情を隠しているルナを内心で慮った。
「ラファお兄さんは研究のためにシェイルにいらっしゃったんですよね?」
「そうだよ」
「すてき!じゃあ、シェイル以外の土地のことを教えてくださいな。クレイスフィーの城下のことはお姉様やチルタがいつも話してくださるんですけど、シェイルの外ってどんなところなんですか?森にはエルフという怖い生き物がいるって、本当?」
「エルフは怖くなんかないよ。人間と一緒に人里で暮らすエルフもいるし、楽しんだり、悲しんだり、人間と違うところなんてほとんどない。ただちょっと耳が長いだけだ」
インテレディアの宿屋の娘が快活に笑って言った台詞を思い出して、ラファは目を細めた。今ではもう遠い過去のように感じられるが、実際はものの数ヶ月も経っていない。その短い期間のうちで、よくもまあ自分はこんなに変わったものだ、以前はエルフという存在すら認めていなかったというのに。
それからラファ達は他愛もない会話に時間を費やした。自分は一人っ子だったから、突然に弟や妹ができた気分で、子供達に話をせがまれるのも決して悪い気はしない。思いつくままに、ラトメの神宿塔や、レクセでの立ち回り、ゼルシャというエルフの森に迷い込んだこと、シェイルでは宝探しまがいのことをやらされて、インテレの穏やかな村の情景は今も鮮明に思い出される。話は、いくら語っても尽きない。
日が暮れる頃になってようやく、レナが感嘆の声を上げた。
「わあ…旅って素敵なものなんですね!いいなあ、私もいつか旅に出られたらなあ」
「レナ…」
ルナが気まずそうに眉を寄せた。しかしチルタは頬を紅潮させて、興奮気味に言った。
「行こうよ!いつかレナが元気になったら、ルナと、僕と、ラファおにいちゃんと四人で!世界中旅して回って、誰も見たことないような場所にも行こう!」
いいよね?同意を求めるようにこちらを見上げるチルタ。レナは身体が弱いから、体力が必要な旅は難しいのかもしれない。姉であるルナの表情を見れば尚のこと。ましてラファは、未来ではチルタと対立することになるのだから。
紛れもなくチルタはラファにとって親の仇で、ルナはギルビスとユールをファナティライストに連れ去ったというし、まさか、一緒に仲良く旅をする、だなんて。
しかし、それを今の彼等に言っても、仕方のないことのように思われた。ラファは内心の複雑な心境は抑えて、ただ今はこの幼い少年少女たちを喜ばせるためだけに、言葉を紡いだ。
「…ああ、約束だ」
「やった!絶対ですよ」
歳相応にはしゃぐレナ。ルナはあまりにも嬉しそうな妹の様子に、ようやく苦笑を漏らした。
そういえば、チルタにも、ルナにも、巫子たちは接触したけれど、レナには誰も会ったことがない。
未来で彼女は何をしているのだろう?まさかこんなにも穏やかな少女も、ファナティライストについているのだろうか。
ふと疑問に思うも、返ろうと腕を引っ張るチルタに急かされて、その考えはラファの頭から打ち消された。




