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さかさまクロック  作者: 佐倉アヤキ
学園都市レクセディアそして神聖都市ラトメディア
42/61

act.39 嵐のまえ

 ラトメディア神護警備部隊隊長、略してラトメ神護隊長トレイズ・グランセルドは、ラトメでそんな混乱が起きていることなど露知らず、目の前の情景に顔をしかめていた。


 左隣にはエピナ。そして右隣にはルナが座っており、真ん中でにこにこと楽しそうに笑っているラゼは、一行の中で最も学園生活を満喫していると言えた。ラゼにとっては初めての人間の、それも女の子の友達である。気が緩むのも分かると思うが…

「あんまりいい兆候ではないね」

ギルビスが教科書片手にぼやくのに、トレイズは頷かざるを得なかった。ユールの占いから一夜明け、今日中にレクセを出ると決めたものの、ラゼがこの様子では、まだここにいたいと駄々をこねられそうだ。


 「さっさと引き離してレクセを出たほうがいいんじゃない?これ以上居座って、ファナティライストの奴らに見つかるのも避けたいし」

「でも…」

ロビの台詞に、しかしトレイズは低く唸った。

「あんなにラゼが楽しそうにしてるのは初めてなんだよなあ…」

ギルビスとロビは呆れたように溜息をついた。トレイズは、同じ表情でこちらを見る二人を見て思う。

この二人こそ、日に日に仲良くなっている気がすると。


 シェイルディアでの二人の確執(それは半ばギルビスの一人相撲だった気がするが)を思い出し、トレイズはちょっぴり視線を落とした。



 「へえ、じゃあラゼはレクセに来る前は旅をしていたんだね」

「うん。レクセの前はシェイルにいたの」

へえ、と興味深げにエピナは瞳を輝かせた。ルナが嬉しそうに声を上げた。

「実は私、シェイルディアの出身なの。首都のクレイスフィーには行った?」

「えっ…ルナ、あの街の出身なの!?」

「といっても、そんなに長い間住んでいたわけじゃなくて…訳あって親元から離れて暮らしていたから、そんなに愛着はないんだけどね」

 そうは言いつつ、ルナの黒い瞳は、故郷を思い出して遠い光を放っていた。エピナが羨ましそうに言う。

「いいなあ。私は生まれてからこれまで、レクセを離れたことがないんだもん。ラゼみたいに旅に出てみたい」

「旅も、いいことばっかりじゃないよ」

ラゼは言う。もともと、自分が村を出た経緯はお世辞にもいいものではなかった。ルセルを殺し、エリーニャに剣を向け、挙句の果てにはラファを刺した。


 それなのに、皆、ラゼを仲間の一人のように扱ってくれる。それが、無性に悲しくて仕方がなかった。ああ、なんて、この人たちは優しいのだろう、と。

 ラゼは首に引っかかったままのネックレスを握った。マユキに返しそびれた首飾り。彼女に近づいて、顔をしかめられるのが怖かった。そしてちらとルナを盗み見る。

(…私も、ルナみたいに大人っぽくて、強かったらよかったのに)

 羨望。なんて子供じみた感情かとラゼは思う。出会ったのはほんの2、3日前のことなのに、まるでずっと昔からの友人のようにルナとは仲良くなった。


 けれど、それも今日でおしまいなのだ。今日、自分はトレイズ達と共にレクセを離れなければならないのだから。

「…ねえ、ラゼ?」

「うん?」

エピナが神妙な表情でラゼを見ていた。緊張気味に尋ねてくる。

「あのね…これまでの旅の中で、ラゼ、ラファとマユキっていう、男の子と女の子に会わなかった?」

「えっ、」

「あのね、二人はね、もう何ヶ月も前に、無人廃墟の館っていう幽霊屋敷に出かけたっきり戻ってきてないの。学園から逃げるような子達じゃないし、まだその辺にいるんじゃないかって先生達みんなで探したんだけど、見つからなくて…今じゃ捜索を続けてくれてるのは歴史学のメアル先生だけ。ユール君も何もつかんでないみたいだし、私、心配で…」

「エピナ…」


 ラゼは逡巡した。勿論知っている。つい数日前まで、ラファやマユキとは一緒に行動していたのだから。…先ほどまで考えていたことのいくらかは、彼らとも関わりがあったのだから。


 しかし行方不明とは初耳だった。仲間達の旅の軌跡など尋ねたこともないし、ロビの時は周囲の者達が認めた上での同行となったから、大して気にも留めなかった。皆が皆、周りに背中を押されたわけではないのだ。


 今にも泣き出しそうなエピナに、真実を告げるか否か、ラゼは口ごもって、そして…

「それは…」

「おーいラゼ、ちょっと来てくれよ!」

トレイズの呼ぶ声にびくりとラゼは肩を揺らして、こちらに向けて手を振る教室奥のトレイズを見た。慌てて「ごめんね!」と声高にエピナたちに告げると、転がるように、ラゼは彼と、他の少年の元へ逃げ去った。


 残されたエピナは、小さく息をつく。隣で一部始終を見ていたルナが、眉を寄せた。

「ねえ、エピナ」

「なあに、ルナ?」

「やっぱり怪しいわよ。ラゼ、まるでエピナの友達について何か知ってるみたいだった。…それも、何か隠してるみたいに」

「――え?」

ルナはじっと、ラゼたちを見据えていた。どこか怪しいあの集団。共通点も見当たらない。あのトレイズとかいう奴は常に手袋をしているし。そういう干渉はこのルイシルヴァではご法度だといわれているが、今回ばかりはそうも言っていられない問題だった。

「もしかしてあいつらが、そのラファとマユキって子を連れ去ったんじゃ…」

「ちょっ、ちょっと待ってよ、ルナ!ラゼがそんなこと、」

「でも」


 ルナは声を低めた。手招きされて、エピナは彼女に耳を近づけた。ルナがひっそりと告げた言葉に目を見開く。

「私、あいつらが話してるの聞いちゃったのよ。『ラファ達は深夜零時に出て行った』って」



 「今日の午後、最初の授業だ」

トレイズの唐突な台詞に、ラゼは息を呑んだ。

「準備は大丈夫?入学するときに武器はあのメアルとかいう人に預けちゃったから、脱出するときに失敬していくけど」

「武器庫への案内はユールたちがしてくれるらしい。……ラゼ?」

物言わぬラゼに、ギルビスが声をかけた。続けて言う。

「言っておくけど、もうこれ以上は待てないよ」

「わかってる…」

分かっていそうな表情には見えなかったが、口で言うぶんには出て行く気はあるのだろう。ひとまず安心して、トレイズはラゼの背を叩いた。

「そりゃ、こんな状況でもなけりゃ、もうちょっと長居したいけど。…巫子の仕事が終わってから、また会いに来ような」

「……うん」


 小さく頷いたラゼ。ユールの占いで出来た小さなしこりを抱えて、ギルビスとロビは、ちらと顔を見合わせた。



 そして、午後の一番はじめの授業。ルイシルヴァ学園の制服を脱ぎ去って、一行は静かな廊下の影に潜んでいた。 ピルが、ルナになにやら話して、戻ってきた。どこか顔が青い。昨日の占いの件といい、彼女はプレッシャーに弱いようだ。

「と、とりあえず、適当にごまかしておいたよ。"トレイズ達は面談があるからって先生に言っておいてくれ"って」

「なあ…ピル、大丈夫か?悪いな、こんなことに巻き込んじゃって」

申し訳なさそうにトレイズが言うと、ピルは困ったように笑った。

「大丈夫よ!ユールが付き合うのに、あたしだけのけ者にしないで。それに、ラファ先輩やマユキ先輩の友達なんだもの。ここで抜けるなんてできないよ」

「なら、いいんだけど」


 一同はユールとピルの案内に従って、ひっそりとした廊下を駆けた。高く鳴る足音を出来る限り押し殺して、校舎を西へ西へと向かう。

「ここです」


 三階の西側階段の隣。南京錠が3つ4つかけた上に、鎖でぐるぐる巻きにされた鉄の扉の前で、ユールが立ち止まった。

「随分厳重にしてるのね」

「そうかな?ファナティライストの神官学校じゃもっと重そうな扉だったけど」

ラゼの疑問を、ロビがさらりと流した。ユールはポケットから、じゃらりと鍵の束を取り出した。

「昨日のうちに借りておきました。役員の権力があってよかったですね、皆さん。こうして簡単に鍵を借りられるんですから…開きました」


 鉄の扉をぐっと押し開ける。暗い室内。その奥に、ひとつの影。

「待っていたわ」

影が喋った。一同は息を呑んだ。…西には、吉があるんじゃなかったのか!ラゼが、さあと顔色を失くしてつぶやいた。

「メアル先生…」


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