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さかさまクロック  作者: 佐倉アヤキ
学園都市レクセディアそして神聖都市ラトメディア
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act.37 "女の子"からの呼び出し

 エルミは形のいい眉をひそめた。手には一通の白い便箋。丁寧な文字で、「太陽が一番高い頃に貴宿塔の裏で」とある。差出人の名前はどこにもない。けれど、剥がした封筒の蝋は紅色で、ラトメ神宿塔からの押印である2本の杖の交差した形が描かれていた。

 わざわざこんな大仰な便箋を毎回送られずとも、この文字だけですでに差出人が分かってしまうほど馴染んだ相手からの手紙だった。


 何事か考えるようにロッカー前に立ち尽くすエルミの背後から、レインがひょっこり顔を出した。彼女の手の中にある手紙を見ると、彼はすぐに心得たとばかりに言った。

「また"女の子"からの呼び出し?大変だねえエルミは」

「レイン」

金髪の少年は、みかん色の瞳を細めて笑った。にっこりと。



 「マユキ様」

いつもの通りにこりと笑顔を浮かべた、神護隊一番人気の「少年」に声をかけられたマユキは肩を揺らした。頬を僅かに染めて振り返る。隣にいたラファが声をあげた。

「エルミ?」

「ラファ様も。お休みのところ申し訳ないのですが、ちょっと付き合ってくださいませんか?」

「えーと…付き合うって、どこに…です、か?」

 ぎこちなくマユキが問うた。それもそのはず。目の前にいた、恋とまでは行かずとも好意を寄せていた相手が実は女性で、しかも過去に赤の巫子を考案した天才でもあり、更に言えば今あるこの世界の基盤を作り上げた、世界創設者の一人なのだ。

 喜ぶべきか嘆くべきか、マユキは複雑そうな表情だった。


 だが当のエルミは、昨夜のことなど全く覚えていない、とでも言いたげに、マユキの動揺をからからと笑い飛ばした。

「どうなされたのですか、マユキ様?『僕』に敬語を使われるなんて。以前どおりで構わないんですよ」

「あ……うん、そ、そうだね、エルミ…」

気まずそうに頷いたマユキに、エルミは続けた。

「それで、マユキ様。あと…できれば、ラファ様も。よろしければご一緒願えませんか?」

「どこに?」

エルミは、笑みを深めた。…どこか不穏な香りを、内に潜めて。


「"女の子"からの呼び出しに」



 「あーあ、エルミがいないと暇だなあ」

書類を投げ出して、レインはひとつ伸びをした。真向かいの机に座るエルディがちらとレインを横目で見やった。

「エルミはどこに行ったんだよ」

「どうせまた呼び出しだろう。まったく…あいつがいないと仕事が進まない」

「エルミは神護隊のアイドルだからねえ」

「気色悪いことを言うな」

仕事の手を休めないままに、クルドが青ざめた。レインは羽ペンをインクに浸しながら、窓の外を見上げた。

 薄く雲がかかった、白っぽい空。時折、甲高い鳥の鳴き声が聴こえてくる。


 エルディとクルドが口々に愚痴をこぼしていた。

「まったく…トレイズさんがいないだけでも仕事の進みが遅くなるというのに…」

「せっかくだから、ラファ様とマユキ様にも手伝わせればいいんじゃない?学生なんだからこのくらいの書類片付ける頭はあるだろ」

「まさか、巫子様のお手を煩わせる訳には行くまい。第一あの方々も今は外出中だ」

「トレイズさんはこき使うくせに…」


 レインはほんのちょっと口端を上げて、もう一度言った。

「…あーあ、エルミがいないと暇だなあ」



 貴宿塔の裏。細い小道の行き止まり。呼び出した「女の子」は、エルミたちの足音に気づいてゆっくりと振り返った。

「…お待ちしておりました、お三方」

「フェッ」

「フェルマータ…!?」

そこにいたのは、地味なマントのフードを目深に被った、フェルマータ・M・ラトメ、人呼んで、"神の子"だった。供を一人もつけずに、ラトメディアの最高指導者がこんなところにいてもいいのだろうか。


 「ふふ、私だって外にくらい出るんですよ」

ラファの考えを読んだかのように、フェルマータは血色の瞳を細めた。彼女はエルミに…否、不機嫌な表情でフェルマータを睨みつけるエルミリカ・ノルッセルに向き直って一礼した。

「お呼び立てして申し訳ありません、エルミリカ様。ラファ様とマユキ様が戻られたと伺ったので」

「ならば直接"神宿塔"に呼び出せばよかったでしょう。もしくは供の一人…サザメをつけるなりなさって下さい。その辺で野たれ死なれたら困ります」

「サザメは今別件で出ております。今回は、少し個人的な用でお呼びしたかったので」


 そしてフェルマータは、マユキを見た。マユキはびくりと警戒したように一歩後ずさる。フェルマータと同じ、小麦色の髪が、ふわりと風に舞った。

「お知りになったのですよね。私の"眼"が教えてくれました」

「え?」

「マユキ様……いえ、『マユキ』と呼ぶべきでしょうか」

「!!」

「元気でしたか?などと言う資格は、ないでしょうね」


 マユキの目が、大きく見開かれた。呆然とつぶやく。「なんで」

 フェルマータは自嘲的に視線を落とした。

「あの人と、どこかへ逃げて、どこか…ラトメではないどこかで、幸せに生きるようにと仕組んだことを、今は後悔しています」

「嘘」

「ラトメディアという、貴族と神官と舞い手に圧迫された鳥かごの中に、あなたや、あの人や、ユールも、閉じ込めてしまうことは私にはできないのです。ならば私は恨まれてもいい、貴方達の居場所を、このラトメから失くしてしまえば、ここにいることはないのだから」

「やめて」

「けれど、あなたは戻ってきてしまった。"第五の巫子"。幸せそうな顔をして、あなたは自分から、そうと知らずに…鳥かごに入り込んでしまった」

「やめて!!」


 マユキが怯えた表情で叫んだ。耳を塞いで、うずくまって。その上にやさしく被さるように抱きしめて、フェルマータは、穏やかに…しかしどこかに悲哀を込めて、ゆっくりとマユキの心に染みこむように、言った。まるで麻薬のようだとラファは思った。

「私はあなたの母です」


 きゅん、静かに、ラファの腕時計の針が回った。立ち尽くして眺めていた、うずくまるマユキと、それを抱きしめるフェルマータの姿が、一瞬ぶれたかと思うと、その直後、二人の姿が、変化した。


 しゃがみこんでうつむく女性は、現在と寸分たりとも変わらない、神官服に身を包んだフェルマータその人だった。抱きしめているのは、ギルビスより僅かに薄い青色の髪と瞳を持つ男だった。二人とも苦渋に満ちた表情をしている。…特に、フェルマータは、今では想像もつかないことに、その赤い瞳からぼろぼろと涙をこぼして、抱えた、眠る二人の幼子を見下ろしていた。

「フェル」

男が、フェルマータを呼んだ。フェルマータは、すがるように彼を見上げ、懇願した。

「お願い、お願いだから。この子達を連れて、あなたは逃げて。腐ったラトメのしがらみから、この子達を護らなきゃ。あなたが護って。私じゃ、…私じゃ出来ないの」

「君を置いて、逃げるなんてできない」

「馬鹿言わないで!!」


 フェルマータは、子供達を男に押し付けた。立ち上がり、彼から距離をとって、断固とした視線で男を見た。

「私は、"神の子"になんてなりたくなかった!けど、運命に抗うことはできなかった!…失敗した奴に同情することなんかない。この子達には、まだ可能性があるのよ!」

男は途方に暮れた様子で、穏やかな寝息を立てる子供達を見下ろした。片方は女の子。もう片方は男の子。まだ、ほんの赤ん坊。男は、悲しげに、しかし愛おしげにフェルマータを見た。

「君は、いつも独りで決めてしまうんだね。自分ひとりで決めて、そして、自分ひとりで傷ついてしまう」

「傷ついてないわ。あなたたちが幸せでいてくれれば、傷つくことなんてなにもないの」


 フェルマータの姿は決然としていた。一歩男へ近づき、女の子と男の子の頬に、片手ずつで触れた。

「マユキ、ユール。あなたたちは、どうか私のようにならないで。ラトメに、囚われないで。…私の、愛しい子」


そして男を見て、囁くように言った。

「行って」

「フェル…」

「行って、じきに追っ手が来るわ」

「……」

男は、掠めるようにフェルマータと唇を合わせた。顔を近づけたままで、早口に言った。

「愛してる」

「私もよ」


 そして身を翻して走り去っていく男の背を涙をこらえて見送って、それからフェルマータは、袖裏から一本の小さなナイフを取り出した。一瞬迷って、そして、


 自身のわき腹を、刺した。


「ああああああああああああああああああっ!!!!!」



 「ラファ」

エルミリカに声をかけられて、ラファは我に返った。また過去の残像を視ていたらしい。マユキはもううずくまってはいなかった。フェルマータの腕を払いのけて、距離をとって、ぎらぎらとフェルマータを睨めつけていた。


 「信じられない!!」

マユキは甲高い声で叫んだ。フェルマータは、薄い笑みを貼り付けたままで、寂しそうにマユキを見つめていた。

「嘘よ、嘘!!私、信じない。あの人と、あなたが…夫婦だなんて、そんなの……っ!!」

マユキは口元を押さえて、きびすを返してもと来た道を走り去っていった。その背が一瞬、あの男とぶれた。マユキとユールを抱えて逃げた、がむしゃらな背中と。


 「フェルマータ」

マユキを追うために、一歩前へ出た。ラファはもう全てを悟っていた。目の前のこの女性の目論見もすべて見当がついていて、それなりに同情もしたが、それでも自分はマユキの友人だから、彼女を追わなければならない。フェルマータは、ナイフの代わりに、拳を握り締めていた。

「本当は、マユキの父さんは、殺人鬼なんかじゃないんだろ」

「…視たのですね、過去夢の君」

フェルマータは微笑んだ。あの男が、フェルマータを見た視線と同じ色をしていた。

「私は、彼がこの場所から離れてくれるなら、自分も、他人も……そして彼自身も、傷つけることだってできます」

そして、今度は、この女性は自身の娘を傷つけたのだ。ラファは見下すように、子を持つ一人の母を見下ろして、それから踵を返した。


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