act.30 そして物語ははじまりの舞台へ
「おえ…気持ち悪い」
「まったく軟弱だなあトレイズは。あんまり暴れるから、座標がずれちゃったじゃないか」
「…あれ?ここは」
ラファは辺りを見回した。
目の前に広がるメインストリートにはずらりと露店が並び、様々な品物を売っている、学生服を身にまとう子供達。立ち並ぶ家々。夕暮れの一時。メインストリートの奥には、今もいくつもの学び舎が建っているのだろう。
そこはレクセディア。
ラファの、生まれ育った土地だった。
「レクセだ…」
レクセだ。懐かしいこの場所。もう戻ることはないと思っていた、この場所。マユキも呆然と、その場に立ち尽くしていた。
「転移をやり直さなきゃいけないじゃないか。トレイズ、後でこのお返しはきっちりしてもらうからね!」
「やめてくれよ!」
は、と我に返って、ラファはトレイズたちを振り返った。鈍器で頭をぶん殴られたような衝撃だった。
そうだ。
自分は今、巫子なんだ。
戻れない。
戻れないんだ。
みんな、自分のいた場所を犠牲にしているんだ。
ギルビスも、ラゼも、ロビも、トレイズも、そしてマユキも。
みんな。
「…さっさと行こうぜ。転移をやり直せばいいんだろ?」
搾り出すように声を上げる。ロビはにこやかに笑った。
「うん。ほらトレイズ、しゃきっと立つ!また酔いたいのかい?」
「横暴だ…」
構わずロビは呪文を紡ぎだした。ラファは、もう一度レクセの町並みを振り返った。今度こそさよならだ。目に、この景色を焼き付けておかないと…
その時。背後に感じた気配にいち早く気付いたのは、ラゼと、それからロビだった。
「マユキ、伏せて!」
未だ立ち呆けているマユキを、ラゼが押し倒した。一瞬遅れて、ダン!!と大きな爆発音。マユキの舞い上がった髪が数本、どこかへと吹っ飛ばされた。
「な、何!?」
「ラファ、結界を張ってくれるかい?」
ロビが"黒い本"を取り出して叫んだ。ラファは訳が分からず、言われるがままに自分達の周りに結界を敷いた。すると直後、弾丸の嵐が、透明の壁に跳ね返って、足元に転がった。
「なんなんだ!?」
「どうも巫子狩りがいるようだね…ぜんぶ魔弾銃の弾だ」
ロビが、ひとつ弾丸を拾い上げて言った。と、ラゼがマユキを助け起こしながら、心配そうに問う。
「マユキ、ごめんなさい。大丈夫?」
「……うん」
「でも、どこにもいないな…幻術でも使ってるのかもね」
ギルビスの言うとおりだった。周囲を見回しても、あの黒いローブの裾すらどこにも見当たらないばかりか、学生達は発砲音など聞こえなかったかのように、先ほどとなんら変わらぬ日常を築いていた。
「どういうこと…?」
「つまりは、このレクセ全体に幻術がかけてあるってことだね。この土地に一歩でも足を踏み入れれば、僕らはもうやつらの術中にはまってるって寸法さ。この分だと、転移に失敗したのも、途中で誰かに介入されて、座標を操作されたんだろう。…まったく、そんな魔道師がいるなんて聞いてないよ」
「ちょっと待て、そんなの無茶苦茶じゃねえか!」
酔いも吹っ飛んだらしいトレイズが、ロビに詰め寄った。
確かに、そんな広範囲に幻術をかけたり、人の転移の目的地を変えるだなんて、エルディも言っていなかった。幻術に関しては、第二の巫子…幻術を司るラファなら不可能ではないが、…あまり自信は無い。
「まあ、確かに無茶だけどね。僕は幻術は専門じゃないからなんともいえない…でも、困ったな」
全く困った様子も見せずに、呑気にロビは言った。
「これだとレクセから出られないじゃないか」
ロビの台詞の後半を遮って、再び魔弾銃の火を噴く音が、高く響いた。
◆
それからラファの幻術を駆使して、なんとかその場から逃げ出し、一同は人気の無い路地へと飛び込んだ。姿消しの幻術を解いて、ラファは言う。
「大通りに出たら弾丸の嵐か…どうするんだよ?」
「どうする、と言っても、俺はこの辺の地理はよくわかってないからなあ。ラファ、マユキ。お前達は知らないか?隠れ家になりそうなところだとか、レクセから出られる抜け道だとか…」
「隠れ家…」
ラファはマユキを見た。マユキもラファを見た。二人同時にトレイズを見る。
「それならあそこだな」
ラファは、路地の向こう側にある、大きな建物を指した。
「レクセ・ルイシルヴァ学園」
「あそこ、簡単に編入手続きができるんだよ。"旅人だ"って言えば、多分簡単に通してくれる。どんな人間でも基本的に受け入れてくれるの。それこそ殺人鬼でもなんでも、ね。その代わり、学生になったら先生に逆らっちゃいけないの。学園の処罰って、すっごく厳しいんだよ」
「だけど、あそこはレクセで一番国に守られてるから、巫子狩りもそうそう入ってはこれないと思う」
「学園か…」
一同は路地の奥を見た。しばしの間。ギルビスが口を開いた。
「それしかないんじゃない?」
「だな。そうと決まったらさっさと行こうぜ」
「あ、でもちょっと待って」
ラファが止めた。神妙な表情で、マユキを見る。
「……俺達は、悪いけど行けない」
「どうして?」
「言っただろ?学園の処罰は厳しいんだ。俺達、無断外出に無断外泊…しかも魔術の無断使用に武器の所持。きつい拷問のあとに留年に、三ヶ月くらいの幽閉は軽いな」
「おい、ルイシルヴァ学園っていうのは本当に学校なのか?」
「言ってるでしょ?"学園の処罰は厳しい"の」
再三言うマユキ。ロビが唸った。
「うーん…処罰はまあいいとしても、三ヶ月も足止めを食らうのはご勘弁願いたいね」
「処罰だってよくねえよ!」
「でも、君達二人でどうするつもりだい?巫子狩りに許しでも請いに行くのかい?」
マユキが黙り込んだ。確かに、あの弾丸の嵐からして、レクセに潜んでいる巫子狩りは大勢いるだろう。対するのが二人では、多勢に無勢、無茶もいいところだ。
「……俺の、」
ラファが口を開いた。自分の心の中ではもう決めていることなのに、声に出して言うのはまだためらいがあった。
「俺の、家がある」
トレイズが唇を引き結んだ。
「俺の家には…チルタの言ったことが、本当なら、だけど…今は、誰もいないはずだ。あそこは住宅地で、人も沢山いるから、巫子狩りもそう簡単には騒ぎを起こせない。二人くらいなら、隠れていられるはずだ」
「ラファ、でも、お前…」
「俺、確かめたいんだ」
ラファは思いがけず強い口調で吐き出した。トレイズは口をつぐむ。
「チルタが、本当に俺の父さんと母さんを、殺したのか」
ラゼがはっと息を呑んだ。ギルビスの肩が跳ねた。ロビですら、笑みを消し去ってラファを見た。マユキが、首を横に振りながら声を上げる。
「……そんなの、聞いてないよ、ラファ」
「そりゃそうだ。誰にも言ってない」
「いつ!?いつ知ったの!?」
マユキが詰め寄ってきた。ラファは、努めて軽い調子で返した。
「俺がラトメから逃げ出したときだよ。チルタに会ったって、言っただろ?そのときに言われたんだ」
「……っ」
ラファはマユキから視線を外して、トレイズを見上げた。
「なあ、いいだろ?無人廃墟の館も考えたけど…あそこは何度も生徒が入り込んでるから、多分教師が見張ってる。特に、俺とマユキの行方が分かる最後の場所だ。学園側からすれば、だけど。学園は、きっと俺達を探してると思う。手がかりになるような場所は、行っちゃ駄目だ。でも学園の入学手続きでは、自宅の住所とかは書いたりしないから、多分学園にも見つかることはないと思う」
「…」
「なあ、トレイズ。頼むよ」
トレイズは途方に暮れた表情でラファを見下ろした。だが、彼と出会ってから、もう何ヶ月も経っているのだ。こういうとき、彼は必ず折れるということを知っている。
「…わかったよ。ただ、まずいと思ったら、すぐに逃げること。隙を見て、レクセから出られると思ったら、俺達を放っても行くんだ。その代わり、何があっても俺達は助けに行ってやれないからな」
「それって、ラトメに着くまで別行動ってこと?」
「当たり前だろ?連絡手段なんてないんだから。マユキもラファも、うちの一軍から戦う術を学んだんだから心配ないだろ。…行ってこいよ」
「やった!そうと決まったらすぐに行こうぜ、マユキ!」
「ちょっと待って」
ギルビスが呼び止めた。
「どうやったら学園に入学できるのか、教えてよ。推薦とかは必要じゃないの?」
「ああ」
ラファが振り返った。
「俺達が戻ってきてることは、"あいつ"ならすぐに分かると思うんだけどな…」
「あいつ?」
カツ。
ラゼの問いに応えるように、学園の方向から足音が響いてきた。一同は息を詰め、得物に手を伸ばしながらそちらを見る。
「それは、もしかするとぼくのことですか、ラファ先輩」
小麦色の、男にしては長めな、顎まで伸びた髪。眠そうな、半目の茶色い瞳。ルイシルヴァ学園の制服。両手になにやらボードのようなものを持って、小柄な少年はこちらへとやってきた。後を、一人の少女が追ってくる。栗色の髪の、同じくルイシルヴァの学生だった。
マユキが別段驚いたわけでもなく声を上げる。
「ユール。それにピルも」
「やあ、姉さん。随分と長旅だったじゃないか」
「姉さんって、マユキの弟?」
ユールはボードを折りたたんで小脇に抱えると、声を上げたトレイズを見上げた。彼の背丈は、トレイズの胸くらいまでしかなかった。
「そうですよ。ぼくはユール。マユキ姉さんの弟です」
「あたしはその友達のピル。あたしたち、ルイシルヴァ学園の三年生なの」
「どうも、姉さんのお友達が学園に入学したいみたいだから、手伝ってあげようと思って、来ちゃった」
「ユールはね、占いが得意なの。本当に予知でもしてるみたいに、絶対に外さないんだよ。ラファは信じないんだけどね」
「ラファ先輩は頭が固いから」
「喧嘩売ってるのか?」
「予知」。しかし最近よく聞く言葉だ。ラファは嘆息した。
昔は確かに、何か仕掛けでもあるのではないかと思っていたが、自分だって「過去夢」などという訳の分からないものを視るのだ。今更占いごときで驚きなどしない。
「それで、君達はその占いとやらで、僕らの居場所を割り出したっていうのかい?」
「そうですよ。信じられませんか?」
小ばかにしたように、ユールがロビを見た。かの世界王子とも知らず、恐れ多いやつだ。
「とにかく、君達についていけばいいってことだよね?」
「安心して!あたし達、学園の中で役員とかやってるから、大抵のことは融通が利くの」
ピルに言われ、ラファとマユキを除いた面々は、不安そうに顔を見合わせたものの、渋々動き出した。
「じゃ、行ってくるよ。ラトメで会おう」
「ああ」
「気をつけてね」
「そっちも」
トレイズたちが立ち去って行くのを見送って、ラファはマユキに向き直った。
「俺達も行こう」




