act.29 策士たちの計略
足音が遠ざかる。ティエラはうつむいたままだった。そんな中で、その場に残っていたナエは、彼女に近づいた。
「ティエラ様」
「いい気味だろうな、ナエ。嘲笑いに来たのか?」
「そんな、そんなことはしません」
ナエはしゃがみこんで、ロープを解きにかかった。硬い結び目に手を掛ける。外れない。ナエは小さく何事かを唱えて、結び目を切り離した。
呟く。
「ティエラ様は、私のことが嫌いかもしれませんけど、私は…ティエラ様が羨ましいです。私の知らないロビ様を知ってるから」
「はっ、八方美人の偽善者が」
ティエラは鼻で笑った。
「せっかくお前を蹴落としてやれると思ったのに。エルフなんかに、お兄様の隣を盗られるなんて許さない。お前なんて、大嫌いだ」
「"いかなる者も我らが同胞"ですよ、ティエラ様」
ロープを解き終えて、ナエは立ち上がった。ティエラを立たせて、服についた汚れを掃ってやる。すると、もう一人の残留者が前へと出た。
「君は、知らなきゃいけないよ」
「?なんだ、お前は」
「ギルビス様?」
ギルビスは、ティエラを真っ直ぐに見据えて、言った。
「君は、ロビの妹なんだろう?なら、君は、あいつの妹にしかなれないんだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「…何が言いたい」
「僕にはできなかったことだ。大切にしているからこそ、あいつは君に"君"であってほしいんだと思う。ナエでも、トレイズでもなく、巫子でもなくて、ただ、"自分の妹"のティエラという人間として」
「……」
「…あいつはすごいよ。僕にはできなかったことだ」
ギルビスは自嘲的に笑って、城に向かって歩き出した。ナエも後を追おうと振り返るが、ふと立ち止まって、ティエラに向き直った。
「私は八方美人なんかじゃないです」
笑みさえ浮かべて、穏やかに。
「私が本当の偽善者だったら、わざわざティエラ様に"黒い本"を盗ませて、信頼をなくさせたりはしませんよ。…言ったでしょう?私はあなたが羨ましくてしょうがないんです。ギルビス様はああ仰っていましたけど、
私はロビ様の"全て"になってみせる。そのためには、ティエラ様。あなたは邪魔ですから」
私と、トレイズの次にロビ様に愛されているのはあなたですからね。にっこりと可憐に笑って、エルフの少女は言った。対する世界王の娘は、歪んだ笑みを乗せて毒づいた。
「それこそ"裏切り"じゃないのか?お兄様に取り入る悪女が」
「ふふっ、何を仰るんですか?私はみんなを信じてますよ。トレイズも、あなたもね。そして…ロビ様も私を信頼してくれている。ティエラ様の言い分を信じなかったのがいい例じゃありませんか。…せいぜい、頑張って足掻いてくださいね、ティエラ様?」
優雅に一礼して、ナエはギルビスを追って駆けていった。誰も、彼女の目論見などに気付きやしないだろう。いや、ロビは実は気付いていたのかもしれない。でも、彼にとっての一番の座は、今、ナエに他ならないのだから。
それを分かっていて、ナエはあんなことをした。
「なんて策士だ…」
悔しいが、今回は完敗だ。ティエラは唇を噛み締めた。
◆
「ギルビス様!」
ナエはのんびりと城に向かって歩いていくギルビスを呼び止めた。青い髪の少年は振り返った。
「関係者がいないと、城には入れないでしょう?お供いたします」
「ああ、ありがとう」
並んで歩く。ギルビスが口を開いた。
「トレイズに、ロビのことて、聞いたよ」
「そうですか。…昔との性格のギャップに驚かれたでしょう?」
「まあね。でも、あいつのこと、少し見直した。僕も、分かるから。地位も役目もない、無印の自分ってやつを、さ」
「そうですか」
ナエは淡い笑みを浮かべた。
「ギルビス様なら、ロビ様の親友になれるかもしれませんね」
「さあ…でも、残念だけど僕は一度嫌った人間とは仲良くなれない人種でね。なんとなくアイツからは同じにおいがするんだ。同族嫌悪、ってヤツかな」
それよりも。
ギルビスは、城門の前で足を止め、ナエを見た。
「ロビを欺いたのは、ティエラじゃなくて、君だろう?」
ナエは表情を消した。ほんの少し目を見開いて、その一瞬だけは、見た目どおりの年の少女に見えた。ほんの数秒の間。ナエはそして笑った。
「…あなたは、本当に、ロビ様の親友になれると思いますよ」
「……遠慮しておくよ」
二人は、クレイスフィー城の門をくぐった。
◆
「さてと、じゃあトレイズがわざわざ僕を仲間にする為に、あれほどのアホ…いやいや名演技をしてくれたんだから、僕は約束を守らないといけないよね!うん、大変不本意というか、僕みたいなか弱い美少年を徒歩の旅に出すだなんて横暴だなあとか、文句を言うつもりは今のところはないし、よろしくね!」
最悪なあいさつもあったものだ。ラファは突っ込む気すら失せて肩を落とした。するとイデリーが真っ青になってロビに詰め寄った。
「ど、どういうことですかロビ様!?ここを出るだなんて…騎士団長としての仕事はどうされるおつもりで!?」
「ああ、辞める。書類はナエに後で出させるから。よろしく頼んだよ、ナエ」
「お任せください、ロビ様」
「そ、んな」
イデリーはがっくりと座り込んだ。頭を抱えて唸りだす。トレイズが彼の肩を叩いた。
「悪いな、イデリーさん。でもさ、巫子が揃わないと駄目らしいし、仕方ないよな!」
「いいじゃない、僕がいなくなれば繰り上がりでイデリー、君が騎士団長に戻るんだから。万事元通り!文句ないだろ?」
「大有りです!!今更騎士団長になるだなんて!ああ、こんなことなら協力などするんじゃなかった!」
うなだれるイデリー。ロビは至極楽しそうだ。
「そうだ、どうせティエラのヤツは一週間くらい経てばぴんぴんして戻ってくるだろうしさ。そうしたら僕の分の仕事も押し付けちゃってよ。それをやったら許してやるって言えば喜ぶくらいでしょ」
「はあ…止めても行くんですよね…」
「約束を破るのは嫌いなものでね」
「……はあ…」
イデリーは深く息をついた。眼鏡の奥の瞳が残念そうな光を帯びる。
「…わかりました、わかりましたよ。あなたが言っても聞かないのは百も承知です。行きたいところへ行ってください。スラムの奴等をなだめるのは大変ですが…暴動でも起きたら我らが世界王子のお名前を出しますからね」
「大丈夫だよ、その辺りはナエに一任するから」
瞬く間に荷物をまとめて、ロビは最後に、騎士団長のみがつけていた白いマントを外すと、相も変わらず座り込んだままのイデリーの頭に投げつけた。
「さよならイデリー。もう二度と会うつもりはないよ」
「……どうぞ、私ももう二度と会いたくありませんので」
二人とも笑顔だった。ギルビスがそれを見て、疲れたように頭を振る。
(この国には、天邪鬼と策士しかいないのかな…)
シェイルディア首都、クレイスフィーの入り口で、ロビは一同を振り返った。
「で、ラトメに行けばいいんだよね?僕は歩くの嫌いだから、転移でぱぱっと行っちゃおうか!」
「冗談だろ!?」
案の定、すぐさまトレイズが反論した。ラファはふと疑問に思って尋ねる。
「…そういえば、トレイズはどうして転移呪文が苦手なんだ?転移装置は大丈夫なのに」
「ああ、トレイズ、君まだ転移がだめなのかい?まったくしょうがないなあ」
「誰のせいだと思ってるんだよ!?」
渋々話すトレイズと、嬉々として語ったロビの説明を要約すると、トレイズ、ロビ、そしてナエの三人が暮らしていた隠れ家が、ファナティライスト兵に見つかった時まで遡る。
ロビは習得したばかりの転移呪文で、自分達を大陸へと飛ばしたらしい。だが、初心者がそんな長距離を、しかも三人も運ぶのは無理があったようで。トレイズはそれ以上詳しくその恐怖は語らなかったが、とにかく以来、転移呪文はトラウマになって仕方ないらしい。
「いいよ俺は…"風"使って行くから、お前達転移で行けよ」
「風?」
ラゼが問うた。
「巫子の力っていうのか?俺の…第七の巫子の力は、自然を操るんだ。風をちょっと操れば、一瞬でラトメに着ける。ただ不安定だから一人しか運べないけどな」
「転移と大して変わりないじゃないか」
ギルビスは呆れたように言うが、要は気持ちの問題なのだろう。トレイズはどうしても転移が…特にロビの転移が嫌いらしい。
ラファが申し出た。
「ロビの転移が駄目だっていうならさ、俺がやろうか?俺も一応転移呪文はできるし」
「エルディのスパルタ修行に三ヶ月も耐えたんだもんね、ラファは」
「まだ俺、修行の成果が全然出てないんだぜ!?」
だが、それでもトレイズは動かない。ラゼが控えめに声を上げた。
「…トレイズの言うとおりにしたら?」
「うーん」
ロビが思案するように宙を見上げた。嫌な予感がしたらしい、トレイズの顔が歪む。そそくさと身を翻した。
「決まりだな!それじゃあ俺は一足先に…」
「よし決めた!トレイズの転移呪文克服に一役買ってあげようじゃないか!」
ロビは逃げようとするトレイズの首根っこをむんずと掴み、手早く呪文を唱えた。
「『偉大なる我らが双子の兄妹神よ!
主よどうぞ我が元へ
神のご加護がありますように…転移』!」
ロビの性格の原因は女官にありますが、半分は素です。




